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もしも死ぬ日がわかるのなら  作者: ネームレス・サマー
二章 深々と降る梅雨
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32話 彼の想い、少女の願い

 燃えるような暑さ、鋭い照明の光たち。

 そして全てを吐き出すかのような雄叫び。声援に応えるようにして男達が激しく拳を交わし合う。いま日本中で一番熱い場所はここに違いない。


『ウォオオオオオオッ!』


 東京ドーム内は最高に盛り上がっていた。

 それは僕達も例外じゃない。あの(みさき)ちゃんも手をメガホンの形にしてめちゃくちゃ叫んでいる。


「右が空いて……そう! 肘で顔面を狙ったあと、投げる!! すごい!」

「投げたと思ったら回し始めた。岬ちゃん、あれなんて技?」

「ジャイアントスイング!」


 技の名前を聞けば即座に返答が返ってくる。

 僕も軽く予習はしてきたが、岬ちゃんの知識には遠く及ばない。試合前に話を聞いたけれど、小学生の頃からテレビやネットで試合を観ていたらしい。彼女の意外な一面を知れて結構嬉しかったりする。


 試合も終盤。

 青のショートタイツを履いた選手がふらつき始める。対して赤いショートタイツの選手はリング端に行き大技を繰り出そうとしていた。個人的に終始劣勢である青の選手を応援しているけれど、おそらく……負ける! 数試合見たけど今回は徹底的にボコボコにされるパターンな気がしてならない。


「頑張れ青! 火坂(仮)になんて負けるな!」


 超個人的な声援を送るが、ダメそう。

 火坂(仮)は鳳凰(ほうおう)が羽ばたくようなポーズをし、コーナーポストに舞い上がる。そしてトドメのキックを繰り出す! 痛ぁああい!! 無難に必殺技を喰らってしまい、突っ伏す僕もとい青。岬ちゃんに技の名称を聞こうと思ったけれどやめた。目を輝かせステージを最高に楽しんでいたからだ。


 ……


 終了のゴングが鳴る。

 選手たちがリングを去っていく。ステージ上に集中していた光も消え、代わりに客席を照らす。岬ちゃんの様子といえば浮き上がらせていた腰を席に落ち着け、満足気な表情のまま瞳を閉じる。今起こっていた試合の全てを記憶しようとしているように見えた。僕も瞳を閉じて余韻に浸った。


 数分後、彼女が万感の気持ちを込めて言う。


「楽しいね!」


 上気したままの赤い頬をニコリとさせた。

 僕も同じ言葉を返して笑みを浮かべる。今日一日、いやこの前の約束を破ってしまった日から岬ちゃんへの印象は大きく変わっていた。心が広くて優しいだけの子じゃない。感情を表に出し、なにより試合を誰よりも楽しんでいる。そんな姿を見て、彼女が死ぬことを受け入れてしまっていることが勿体無いように感じた。


「久々に生で試合を観れて、しかもアリーナA席で見れるなんて」

 

 (ひじり)先生と(れん)くんに感謝だね。

 嬉しそうに呟く岬ちゃんに、まだまだ楽しみはこれからじゃない? と電光掲示板を指差す。そこにはこれから登場するであろう選手の紹介映像が映し出されていた。次の最終試合こそ彼女の本命だろう。


「棚元選手!」

 

 客席の照明が薄暗くなる。

 代わりに選手入場ゲートが赤や黄色など様々な光で照らされ、その中から赤を基調としたガウンと白のロングタイツを纏った一人の選手が拳を突き上げながら登場してくる。同時に選手を表すかのようなエネルギーに満ち溢れた曲が流れ、その曲に合わせてエアギターをしながらゆっくりと観客を盛り上げつつリングへと向かっていく。途中、僕たちの側にグッと近づき目が合う。その目を見て思わず心が熱くざわつき始める。もうボルテージは最高潮! 岬ちゃんが立ち上がり叫ぶ。僕も釣られて立ち上がり試合が終わるまで応援し続けた。






 食事を終えたところで熱気も落ち着いてくる。

 先程までの出来事がまるで夢のようだ。最高の試合が終わり、粗方のお客さんが会場を出たところで、僕たちも外に出た。来た時とは違って太陽がすっかり沈んでしまっている。おまけに雨もまばらながらに降っていたので、予約していたオーガニック系のカフェに駆け込んだ。


 味覚が鋭敏な岬ちゃんでも楽しめるお店。

 優しい味付けでかつ美味しいお肉が食べられると評判だったからここにしたけれど、様子を見るに正解だったようだ。今は美味しそうにデザートのレアチーズケーキを食べていた。このチーズケーキはビーガンスイーツなるものらしいけれど、意味はわかりません! 僕に分かることといえば、これが美味しいという現実……ほぼ満点だ。あとはローストビーフの量がもうちょっとあればなぁ。周囲の女性客を眺めながらワガママな要望でしたと反省していたら、岬ちゃんが微笑む。


「今日はありがとうね」

「お詫びになった?」

「もちろん。棚元選手のフィニッシュ・ホールドも見れて凄く幸せだよ」


 今日の最終試合はとてもよかった。

 十年来のライバル対決ということで昔からのファンが盛り上がったのはもちろん、試合自体も二転三転と目まぐるしく変わる展開でにわかファンの僕も満足だ。なんにせよ、岬ちゃんが楽しめたのならよかった。


「あ、でもここの料理にきゅうりが入ってたのは減点かな?」

「突然投げかけられる理不尽」


 席のみの予約で何を頼むかまでは決めてなかった。

 そもそも彼女の苦手な食べ物がきゅうりというのも初めて知った。お肉が好きで、きゅうりが苦手って細身な外見からは全くイメージができない。ちなみにきゅうりは自分が美味しく頂きました。


「あはは、もちろん冗談だよ」

「冗談じゃなかったら泣いてたかも」


 温かみのある照明に照らされながら、軽口を叩き合う。

 今日一日でかなり仲良くなれた気がする。なんて思っていたら、岬ちゃんが申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げる。  


「あの時はごめんね、子供みたいに怒って拗ねちゃって」

「僕が悪いんだから気にしないで。でも」


 ……今なら聞ける気がする。

 

「よければ、怒った理由について教えて欲しいな」


 正直岬ちゃんらしくなかった。

 そう言葉を付け加えると、彼女はだよねと苦笑いをする。その笑みは少し前の自分を思い出させるようなものだった。


「どう話せばいいかな」


 天井の明かりを少し見たあとに、瞳を閉じて顔を俯かせる。

 

「約束を破られたから……だと思う」


 顔を上げ瞼を開く。

 茶色い瞳は僕ではなく、その先にいる遠い誰かを見ているように感じられた。


「小学生の頃から入院生活をしていたんだけど、その中で退院していく人達をたくさん見てきたんだ。退院していった人達の中にはお話したり、一緒に外出したりして仲良くなった子達もいたの」


 彼女は苦い歪な笑みを浮かべる。


「退院する時には、お見舞いに来るねって言ってくれるんだ」


 でも……と表情を暗く落とす。


「そう約束して来てくれた人は半分くらいかな。二回目は更にその半分、よりもっと少なくて。わかってるんだよ、みんな日常に戻って忙しくて来れないってこと、わかってるんだよ。でも何回も何回も繰り返していると最初は忘れることができた痛みが忘れられなくなって、どんどん痛くなるの。凄く、辛くって」


 彼女は苦しそうなため息を吐く。


「ごめん……簡単にお見舞いに行くとか口にして」

「ううん、嬉しいんだよ。みんな優しいから優しさで言ってくれてるんだもの。勝手に私が傷ついてるだけだから――」

「そんなことない。岬ちゃんは悪くない! 岬ちゃんの気持ちを考えずに、約束破っちゃって本当にごめん」


 岬ちゃんの諦念(ていねん)した表情に胸が痛くなる。

 思わず頭を下げて謝った。


「……優しいね」


 ポツリと呟いた声に導かれるようにして顔を上げる。

 そこには疲れ切った老人のような表情と小さな微笑み、そして目の端に溜まった僅かな涙があった。ハンカチを差し出すと岬ちゃんは自身の涙に驚きながらも受け取る。涙を拭ったあと、はにかみながらお礼を口にする。


「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 僕達はこそばゆい空気になりながら、残ったデザートをつつく。

 そして紅茶のお代わりを貰ったあと心地よい空気から一歩前へと進むために口を開いた。


「手術やっぱり受けた方がいいと思うな」

「いきなり、どうして?」


 僕にとってはいきなりじゃなかった。

 岬ちゃんが手術を受けないと口にした日から彼女と会う度に言いたいと思っていた。手術を受けた方が良いと。難病で苦しみ今のままでは残り数年しか保証されていない未来。でもそれを打破する方法がまだあるのだ。ならそれに挑戦して欲しかった。他人事のはずなのに自分事のように頭が熱くなる。

 でも彼女が手術を受けたがらない理由も知ってしまったし、その苦しみも想像はできる。だから軽く勧めることにした。


「それはほら病気が治ればいつでもプロレスだって観に来れるし、あとお見舞いに行くって言ったのに来なかった人達へ文句を言ってやりに行こうよ! きっと僕みたいに反省するからさ」

「もう、文句なんて言わないよ」


 彼女は少しだけ笑ったあとに――いつもの穏やかな表情へと戻った。


「ごめんね。やっぱりもう手術を受ける気は」

 

 そこで言葉が途切れる。

 岬ちゃんが視線を切り替え、遠い窓辺の先にある遊園地を見ていた。ライトアップされた観覧車がゆっくりと回っている。彼女はそれを指差しながら口にする。


「あれに一緒に乗ってくれたら少し考えてみようかな」






「楽しかったね!」

 

 岬ちゃんは満面の笑みを浮かべる。

 暗い夜空の下、ライトアップされた園内を踊るようにして前を歩く。パウダースノーのように細やかな雨粒が光に反射して美しく輝いていた。その中を心底楽しそうに動き回る。爽やかな夏空のような色をしたレースフレアのワンピースと薄手の白いカーディガンを纏いながら舞う姿は妖精のようにさえ見えた。


「もう一回乗ってもいい?」

「あはは、まだ時間に余裕もあるし良いよ」


 彼女が再び指差したそれは強烈な速さで動き始めていた――




 ◇




 観覧車か……。

 岬ちゃんが指差した乗り物を見て考え込む。帰る時間や手持ちのお金とかそういう部分は全く問題ない。だけど恋人がいるのに――黙って女の子と遊んで――密室空間かつ恋人達の定番スポットである観覧車に乗るのはいかがなものだろうか。いや、特に変なことはしませんけどね! ムッツリとか言わないで! ……でもそれで岬ちゃんが手術を受けてくれる可能性が生まれるなら。


 そう考えていると、岬ちゃんが申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「蓮くん、ごめんね。苦手な乗り物に誘っちゃって」

「あぁ別に高い所は大丈夫なんだけど……」


 彼女は一瞬不思議そうな顔をしたあと、納得したように頷く。


「ジェットコースターも高いところ走るもんね。速いのが苦手だったり?」

「……ジェットコースター?」


 センターレスの観覧車を改めて見る。

 ドーナツのような空洞部分からジェットコースターが素早く通り抜けて行く姿が目に映った。あ、なるほど、そういうこと。恥ずかしい奴が一人いたってことですね、わかります。


 頬をかき、僅かに残っていた紅茶を飲み干し、明るい声で「行こう!」と告げ勢い良く立ち上がる。

 ……誤魔化したとか言ってはいけない! 




 ◇

 



 二回目の乗車を終える。

 僕たちは出入り口付近に設けられているライドフォトを見て笑い合う。周りにいるお客さん達も各々が搭乗していた回の写真を見ては恥じらったり軽口を叩きあったりしていた。


「この写真買っちゃおうかな」

「良い感じに撮れたしね」

  

 互いに満面の笑みを浮かべながらのバンザイポーズ。

 定番のポーズだけど今日一日が充実していたことを証明するかのような一枚だ。火坂(ひさか)達とこういう所に行くと大概しょうもないことをやるから意外と貴重かもしれない。僕も買いたいけれど……   


「蓮くんはいいの?」

「心のメモリーに焼き付けたから充分さ!」


 パッと見ると手を繋いでるように見えるからなぁ。

 余計な誤解を避けるためにも辞めておいた方がいいだろう。


 岬ちゃんが写真を買い終えたところで屋外通路を歩き始めた。

 屋根付きの通路ではあるけれど冷たい雨に濡れかねない。彼女に壁側を歩いてもらえるように動くもののやんわりと断られる。岬ちゃんらしいと思いつつ少し寂しくもあった。自分のそんな気持ちを察してか彼女が口を開く。


「ありがとう。すごく良い記念になりました」


 ほっそりとした体で写真の入った袋を抱きしめる。


「こちらこそありがとう。良い写真になっててよかったよ。最初に乗った時の写真はあれだったし」

 

 真顔&真顔。

 乗ることを楽しみにしすぎていて、撮影されるとかどうとかを全く意識してなかった。最初の登っていく場所や下る場所できゃーきゃー叫び楽しみ終え、油断したところで情け容赦ないフラッシュ。互いに「「あっ」」と声が漏れ出てしまったことを覚えている。


「蓮くんはまだよかったよ。私なんてあくびするみたいに口を空けててすごく恥ずかしかったもん」

「あはは可愛かったよ。病院の子達に見せたいくらいに」

「……いじわる!」


 拗ねる彼女と言葉を交わしながら時間を確認する。

 あと一個くらいはアトラクションに乗れるかな。ただ先程よりも雨が強くなっているし帰った方がいいのかもしれない。どっちつかずな考えのまま、ふらふらと駅の方へ歩いていく。ひらけた先には梅雨らしくない冷涼な雨が降り続ける夜空。この先には屋根がなかった。


 そこに迷いなく、彼女は飛び込んだ。


「岬ちゃん、傘を指したほうがいいよ」


 彼女も持っていたはずだけれど……。

 鞄に仕舞い込んでいた折り畳み傘を取り出して広げる。それを差し出すものの彼女は駅や病院がある方を見つめるだけだった。自分だけ傘を指すわけにもいかず、再び傘を仕舞い込み雨の中に飛び込む。すると、数歩先にいる彼女が僅かにこちらへ振り向いた。


「――手術、受けた方がいいのかな?」


 色素の薄い青髪が雨に濡れて頬に張り付く。


「考えていてくれたんだね」


 唐突な問いかけだったけれど答えは決まっていた。

 雨音に負けなよう少しだけ高めの声を出す。


「受けた方がいいよ。助かる可能性があるなら絶対に受けた方がいい」

「もしかしたら死んじゃうかもしれないんだよ。お父さんもお母さんも、なにより自分でも受け入れているもの。もう手術は受けないって、このままでいいって」

「でも手術を受けなかったら遠くない未来に……」


 以前成人式を迎えるまでは保証されていると言っていた。

 つまり彼女はあと二年か三年先の未来には亡くなっているかもしれない。なにより彼女の受け入れているという言葉の裏に、諦めを感じていた。理由はわかるけれどそれでも。


「何度手術を受けても怖くて、失敗する度になんで私生きているんだろうって思うんだよ。それでも受けた方がいい?」

「受けた方がいい。受けた方が良いと思う。手術を受けずにいたら、きっといつかそれ以上の怖さを感じる日が来ちゃうから。今は怖くなくても残り数ヶ月、死を強く意識しちゃった時に手術しなかったことを後悔する」


 彼女が振り向き視線が重なる。


「もしかして蓮くんも」


 ……


「頑張って、受けてみようかな」


 思わず息を呑み込んだあと「本当に!?」と驚く。

 彼女は小さく微笑みながら頷く。


「手術を受けるのも怖いけど、実は点滴を打つのも未だに苦手で」


 冗談めかしながら口にした。

 どういう心境の変化だろう。自分の気持ちが通じたのか、それともなにか別の理由があるのか。なんにせよ良いことだと思った。自分事のように嬉しい。   


「その、それで手術を受ける代わりに蓮くんにお願いがあるんだけど」

「なんでもいいよ! 僕ができることならなんでもするよ!」

「……すっごくわがままなことだよ?」


 照明に照らされた岬ちゃんの顔は熱っぽく苦しそうだった。


「もっとわがままになった方がいいと思ってたくらい。それより調子悪そうだし、やっぱり傘を指したほうがいいよ」

「いいの。こんな状態じゃないと、できないお願いだから」

 

 表情を俯かせる。

 雨で濡れきってしまったた白いカーディガンはワンピースと一つに重なり合う。それによってより細く小さな存在に見えてしまった。暗い影が濃さを増す。辛そうな姿なのになんて声をかければいいかわからない。もどかしさを感じていると、彼女が呟く。


「すごく酷いお願いだよ」


 どこかで聞いた台詞を思い出す。

 病院を退院したあとに見たドラマの台詞だったと思う。


「『自分の命が天秤にかけられ、揺れたとき、だいたいの人は一回くらい酷いことをするものさ』」

 

 だから気にしなくていいよと付け加える。


 ――


 今どういう気持ちでこんな言葉を呟いた?

 

「あのね、蓮くん」


 岬ちゃんが顔を上げる。

 その顔は微笑んでいるのに苦しそうで辛そうだった。矛盾という矛盾を凝縮しきってしまったような苦しそうな表情。降り続ける雨の一雫が濡れた青い髪を通り抜け、頬に触れて、地面に落ちる。僕にはなぜかその雫の音が世界で最も大きく響く音のように聞こえた。




「私のこと好きって言ってください」



 


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