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もしも死ぬ日がわかるのなら  作者: ネームレス・サマー
二章 深々と降る梅雨
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31話 彼と少女の仲直り

 窓越しに空を見る。

 昨日ベランダで見た景色を彷彿とさせる天気だった。

 黒々とした空には、今にも落ちてきそうな厚い雲の群れが所狭しと浮かんでいる。雨が降るのも時間の問題だろう。


 (みさき)ちゃんと会うため、彼女の病室や小児科病棟を探してみたがいなかった。近くを歩く看護師さんに居場所を尋ねてみたところ、子供達と施設内の公園に向かったらしい。病院のエントランスから外へと足早に出る。雨が降る前にドタキャンしたことを謝れればいいのだけど……。


 


 公園へとたどり着く。

 天候のせいか普段よりも人の数はまばらだ。でもいつかと同じように、子供達は元気に遊び回っており、それを見守る岬ちゃんの姿があった。老人のような瞳も寂しげな雰囲気さえもあの時と同じままだ。


「やぁ!」


 元気な声色で挨拶をする。

 すると岬ちゃんはベンチに座ったまま視線を向け、一瞬嬉しそうな反応を浮かべてくれたあと、唇をぎゅっと噛みしめて下の方を向く。予想外のリアクションに戸惑いながら隣に座る。思っていたよりも怒っている……?


「昨日はごめんね、約束を破っちゃって」

「ううん、気にしなくて大丈夫だよ。恋人さんの看病があったんだから仕方ないよ」

「あの……ごめん。お詫びは必ずするから」


 彼女は静かに「気にしないで」と呟いた。

 

 怒っている。

 言葉では許してくれているけれど、まだ明らかに怒っていた。正直戸惑っている。今まで接してきた彼女のイメージだと少し注意して、それで許してくれるイメージがあった。だから驚いてはいる。だけど、どう考えても悪いのは僕だ。どうにかしないと……。


 反省の気持ちを込めながら、いくつかの言葉を投げかける。

 でも彼女は淡々と返事をするのみで自分を見てはくれない。地面と子供達を繰り返し見ては、表情を暗くしていく。僕も思わず地面へと視線を向ける。


 ……


 言葉が途切れてしばらく経ち、雲が今にも泣き出しそうな時に、彼女はポツリと呟いた。


「昔、黒い猫を看病してたんだ」


 こらえきれず、雨がポツポツと降り始める。

 岬ちゃんがベンチに立てかけていた傘を数本持ち、子供たちを室内に入れると言って立ち上がる。自分も立ち上がり手伝おうとしたところで、彼女に「いいの」と手で制された。それでも手伝おうとしたら、彼女は首を横に振り駆け出していった。


 立ち尽くし、それを見送る。

 冷たい雨が頬に当たる。前に岬ちゃんが母親との件で口にした『離れるきっかけを探していたから』という言葉がふと頭に思い浮かんだ。


「これって……」


 傘が一本だけ置かれていた。

 まさか忘れたわけではないだろう。彼女の方を見ると小さな傘を広げて子供と一緒に入っている姿が目に映った。


「……」


 胸が痛い。

 悪いのは自分だ。だけど、どうしたら謝罪を受け入れてくれるのだろう。女物の傘を手に取り、それを差しながら岬ちゃんのことをよく知っているであろう先生の元へと向かった。

 



 


 泥川(ひじかわ)先生に電話で用件を伝えると、食堂で待っていて欲しいと言われた。

 食堂の片隅に座り、天井に埋め込まれた照明を見つめる。暗い雨の日特有の光景、光がぼやけて見える現象。岬ちゃんのことを考えながらも思考がその光に流されていると、芳醇なぶどうの香りが僕の目を覚ました。


「お待たせ」


 泥川先生はお盆を持ちながら声をかけてきた。

 お盆の上にはチーズリゾットらしき物と白いマグカップが二つ載っている。それを机に置いたあと白衣姿の先生もゆっくりと腰を落ち着けた。


「すみません、急に呼んじゃって。……またワイン飲んできましたね」

「午後から患者との応対はないし問題ないわ」


 待たせたお詫びだと告げてコーヒーの入ったマグカップを差し出してくる。

 時計を見るとかれこれ三十分ほど経っておりお昼時になっていた。僕はお礼を言ったあと、スティックシュガーを半分くらい入れて口に含む。先生はミルクとシュガーの両方を入れて熱々のそれを冷ましながら口をつける。互いに一息ついたところで、先生が食事をしながら相談事を聞いていいかと尋ねてきたので、もちろんですと頷いた。


「水原君にとって岬ちゃんの反応は予想外だったんじゃない?」

「はい、あんなに怒っているとは思ってなくて」

「でしょうね。実際あの子はとても穏やかで優しい子だもの」


 一点を除いて。

 トロッとしたリゾットを口に含み満足気な表情を浮かべたあと、顔を引き締める。


「ある過去の――現在まで続いている出来事のせいで強い拘りがあるの。例えば、そうね。絶対大丈夫みたいな根拠のない言葉や嘘、約束が破られることをとても嫌う。理屈では水原くんが悪くないってことを理解しているわ。恋人の看病だから仕方ないって納得しているはずよ。だけど理屈で納得していても、心が許せなかったんでしょうね」


 誰しもが持つ弱い部分に触れてしまった、仕方なかった。

 先生はそう話を締めくくり僕を慰める。


 ……


 起こってしまったことは仕方ないのかもしれない。

 でも喧嘩別れなんてしたくはない。現状をありのままに受け入れたくなかった。それに今の寂しげな彼女を放っておくなんて……。どうすれば岬ちゃんと仲直りができるのだろう。それを考えながら質問をする。


「過去の出来事って、手術のことですか?」


 雨の音は徐々に激しさを増していく。


「驚いたわ、よくわかったわね。本人から聞いたの?」

「ええ」


 先生はコーヒーに口をつける。

 口に含んだそれを飲み終えたあと、ストッキングに包まれた長い足を組み直し、周囲を見渡す。冷気が入り込む窓辺の席ということもあってか、周りにはあまり人がいなかった。


「主な原因は、手術が何回も失敗しているからだと思うわ」


 先生が言うには”失敗”ではないらしい。

 毎回主原因と思わしきものを取り除いて、それ自体には成功しているが症状が収まらないという。要は原因がいくつもあるらしい。でも毎回何かしらを取り除いているのだからいつか完治しそうなものだが、たちの悪いことに治療した箇所が再発しているせいで一向に完治しないようだ。


「どの原因も難度が低いものだから、医者が滅多に言わない”必ず治る”とか”来月には学校へ行ける”とか希望を持たせるようなことを言って、結果的には裏切ってきてしまったの」


 先生はそこで珍しくため息を吐く。


「恥ずかしいことだけれど私もその一人なのよ」

「先生が手術がしたってことですか!?」

「ええ。昔小児科にいた頃、彼女の担当医だったから」


 なにか言葉を続けようとして、首を小さく横に振る。


「岬ちゃんって治るんですか……? 体が衰弱してきてるって聞いたんですけど」

「――本当に驚いたわ、彼女がそこまで話してるなんて。だからこそ怒ってるのかもね」


 カップ内でティースプーンを動かす。

 暗い天気のせいか赤紫色の長髪が普段よりも色濃く見えた。


「治るわ、治るはずよ。今の担当医の先生は腕も良いし、今までの反省を生かした手術をするから」


 次回実施する手術は原因箇所を一気に治療するらしい。

 ただ、今までのに比べて手術時間が伸びて体力を消耗しまうという。


「だから時間を追うごとにリスクが増すわ。それこそ一日でも早く手術を受けたほうが良いの」


 でも、


「今の諦めてしまっている彼女では受けない方がいい。病院としても静観している状態。精神的な部分も患者が想像している以上に重要な要素だから」


 僕も先生もため息をつき、窓を見る。

 最初は小雨だったものも今では空から無数に振り続ける大雨と化していた。耳に雨の音が強く響く。


「話が脱線したわね。私も岬ちゃんには負い目があるから協力させてもらうわ。仲直りするなら早い方が良いと思って切り札を持ってきたの」


 白衣のポケットから封筒を取り出す。


「なんですかこれ?」

「彼女の大好きな物よ」


 渡された封筒の中身を確認すると、プロレスの観戦チケットが二枚入っていた。


「謝罪したあとに、その試合へ誘えばきっと許してくれるわ」

「いや……うーん……わかりました」


 これって浮気になるんじゃ……。

 不安が一瞬頭を過ぎるけれど、内容的に大丈夫だろう。スポーツ観戦をしに行くだけだ。にしても岬ちゃんがプロレス好きって意外だな。男同士の絡み合いか。しょうもないことを考えていると、先生が胸の前で手を合わせ「ごちそうさま」と口にする。


「もう休憩時間が終わるから、私は診察室に戻るわね」


 壁時計を見ると、食堂に来てから既に一時間以上経っていた。

 

 決心が鈍る前に頑張るとしよう。

 チケットと借りた傘を手に取り、立ち上がる。


「自分は早速岬ちゃんに会ってきます」

「そう」


 先生は頷く。

 そして目を閉じ考えるような仕草をするが、最後には見慣れた不敵な笑みを浮かべた。


「あなたなら、岬ちゃんを良い方向に変えられるはずよ」


 エールを送られながら歩き始める。  

 岬ちゃんにとっての良い方向とはなんだろうか。わからない。ただ、僕は彼女の寂しい姿を放っておくことはできなかった。死ぬことを受け入れて(生きることを諦めて)欲しくなかった。






 小児科病棟へ来た。

 普段よりも人が多くいる。雨のせいだろうか、雰囲気が重く沈んでいると感じた。だけど、それとは対照的にパステルカラーの小さな広場の一角は普段よりも賑やかで――


 その中心に岬ちゃんがいた。

 彼女は今なお廃れない折り紙で様々な動物を生み出しては、周囲の子供たちを驚かせてはそれの作り方を教えていた。もちろん他のことをしている子供達もいて、僕の時にも流行ったライティング・ガンでの銃撃戦やフレミィーという直径30cm程の知育用ロボットと遊んでいる。あのロボットはお人形遊びからカードゲームまで付き合ってくれる優れもの。人数合わせにも便利だったけど、いかんせん価格が高いから自分の世代だと持っている人は少なかった。今は安くなったのかな? ……脱線するのはここまでにしておこう。話しかけづらいからと少し現実逃避をしてしまった。

 

 ふぅ、緊張するな。

 なんとか会話に自然と混じってあとは勢いで謝ろう。岬ちゃんと子供達の会話を注意深く聞きながら、タイミングを伺う。


「さっちゃん! ペンギン作ってペンギン!」

「いいよ。折角だし一緒に作ってみようか」

「うん! じゃあ、あたしはこの子のお母さんを作るね!」


 柔からな床には空色のペンギンが一体いた。きっとあの子の言う子供ペンギンなのだろう。子供の後に親が生まれるなんてフクザツ。その近くにはドラゴンがいた。いくつもの色合いが混じり合っており格好良かった。それを男の子が手に取り、岬ちゃんの顔の前へ持っていく。


「このドラゴン作りたい!!」

「うーんと、そのドラゴンさんは作るのが難しくてね……そうだ」


 岬ちゃんは紙袋からキラキラとした一枚の紙を取り出す。


「金色!」

「これで別のドラゴンさんを作ってみない?」

「作るっ。あ、でもオレ銀色の方がいいや」


 その言葉に彼女は微笑みながら、銀色の紙を渡す。

 余った金色の紙を見て僕は突撃する。

 

 いまだ!


「ぼく金色の紙でどらごんつくりたいなぁ~」


 自分史上最高のショタボイスで攻め込む。


「うん、いいよ。……あっ」 


 岬ちゃんが見事に騙されてくれる。

 だが、顔を合わせた途端に気まずい空気が広がっていく。ええい、ままよ! 僕は勢いを失くす前に思いっきり頭を下げて謝った。


「ごめん!」


 頭を下げ続ける。

 そのままの状態で一秒二秒と……時が進んでいく。少しの間を置いたあと、彼女は小さく息を吐き呟いた。


「私こそごめんね」


 静かに頭を上げると、申し訳なさそうな顔が目に入る。

 

「許してくれる……?」

「もちろん。ごめんね、本当はさっき謝ってくれただけで充分だったのに」

「こっちが悪いことをしたんだし、気にしないで!」


 岬ちゃんそっと微笑む。

 正直知りたかった。彼女の口から約束に拘る理由を聞いてみたい。だけど、今聞いたとしても教えてくれるとは思えない。ここはグッと我慢しよう。


 広場に立てかけている傘を指差す。


「さっきはありがとう。おかげで雨に濡れずに済んだよ」


 お礼を言いつつ、チケットを手渡す。


「それとこの前のお詫びとして、よければ一緒に試合観戦に行かない?」

「もう、気にしなくていいのに」


 彼女は苦笑しながらチケットを静かに受け取る。

 落ち着いた様子で中身を確認していると――豹変した。


「ど、ど、どうしたのこのチケット!? すごいよ! 絶対に行く!!」 


 思わず吹き出しそうになりながら、事情を説明する。


「聖先生にお礼を言わないと! あ、でもその前に(れん)くん何時頃に集合しようか?」

「岬ちゃんの希望に全部合わせるよ」

「それなら二時間前……ううん、グッズを買う時間も含めて三時間前……」


 中々に大変そうなことを呟いておられる。

 疲れそうだけど前は悪いことをしたし希望には応えていこう。観戦時間も長そうだし、試合後に彼女がゆっくり休めそうなお店とかも探しておかないと。体に優しそうなカフェとかがいいかなと考えていたら、周りにいた子供達がきゃっきゃっと騒ぎ始める。


「みっちゃんデートするんだ!」

「ち、違うよ。ねっ?」


 彼女は頬を上気させながら尋ねてきた。

 一瞬ドキりとする。潤んだ瞳に赤い頬、誤解を招く表情をしていた。もちろん試合の事で興奮しているが故の表情だろう。だけどなんだか疚しい気持ちになる。うぅーん、やっぱり柑崎さんに知らせておいた方がいいのかな。でも、なんて言えばいいのだろう。『女の子と遊びに行ってきます』とか――いやいや、これじゃ完全に喧嘩を売っている。なら女の子という部分を伏せて『入院生活中に仲良くなった子と試合を見に行ってくるよ』って、これじゃ疚しい気持ちが残ったまんまだ! わからない……彼女がいる時に女の子と遊ぶ場合って報告するべきなのか……? あ、そもそも遊ぶべきじゃないのか。でも今回は僕が悪いしなぁ。恋愛経験値が低すぎてわからない!


「蓮くんっ! どうしてそこで黙っちゃうの!?」

「「やっぱりデートだ!」」


 考え事をしているうちに、どんどんと状況が悪化していた。

 岬ちゃんは頬を更に上気させ、目をグルグルと回しながらあたふたしている。珍しい表情だしもう少し見ていたい。でも僕の名誉もかかっているし、気持ちを切り替えて宣言することにした。


「デートではありません!」


 可愛らしいブーイングを聞き流しながら、岬ちゃんとのプロレス観戦に思いを馳せた――








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