29話 彼の日常、少女の諦め
退院してから一週間が経った。
最初はクラスメイトや先生にも心配をかけたが、今では授業の風景に馴染んでいると思う。入院生活による体力の衰えはあるけれど、平穏そのものだ。
しかも今日は久々の晴天。
窓越しから溢れる陽光に思わず目を細め、
「ふぁ」
思わずあくびが出る。
退院した当初は遅れを取り戻すため授業を真剣に受けていたけれど、今ではその緊張感も薄れてしまった。先生の話を右から左に聞き流しながら、物思いにふける。
ここ最近二つの物事が頭を悩ませていた。
一つは秋ちゃんとのやり取りだ。結婚して欲しいとか、その代わりに寿命を引き伸ばしてくれるとか。そんな感じの言葉が頭の中で渦のように回っている。寿命をどうこうするなんて可能なのか? 可能だとして僕は簡単に柑崎さんと別れて秋ちゃんと付き合えるのか? いや、そもそも秋ちゃんがそこまでして僕と結婚したい理由がわからない。火災の時に助けたからだろうか。うーん、そういうタイプにも見えないし。
「イエスか、ノーか」
別れるか、死ぬか。
秋ちゃんから連絡が来るまでに答えを出さなくてはならない。
だけど一週間経ってもなお気持ちはまとまらなかった。きっと僕みたいなタイプは当日を迎えない限り、答えを出せないように思える。
……
隣の席に視線を向ける。
そこにはもう一つの悩みがあった。……ある意味存在していないが。
幼馴染の心が再び休み始めた。どうにも僕が入院し始めた頃から――お見舞いの時に私服だった――ちょくちょく休んでいるらしい。最初に決めた三つの願いごとの内、一つ目の願いは叶った。二つ目の願いである『幼馴染が学校に毎日通ってくれるように性格を変える!』は自然と叶いそうだったが、そう上手くはいかないみたいだ。どうしたものかなと頭を悩ませる。まずは理由を聞くべきかな、想像はつくけれど。
放課後になった。
あれこれ考えていたせいか時間の流れが早い。席を立ちざっと見回す。心は休みだし、野山はアニメショップ、皇さんは席にいるけどモデルの仕事がどうとか言っていたはず。なら今日は僕一人で見舞いに行こう。まだ青い空を背にしながら教室の外へ出ると、そこには火坂がいた。
「ういっす。時間あるか?」
「今日はお見舞いに行く予定で」
火坂は間髪入れずに約束したのかと尋ねてくる。
「いや、約束はしてないよ」
「よし、なら今日はお前の時間を頂くぜ」
「ちょっ火坂どうしたのぉおおおおお」
彼の細マッチョな腕で首を抱えられ、ズルズルと引きずられる。
やだっ強引……。
二人目の脱落者は、僕だった。
「あっちょっと心! ブリューを使うのは卑怯でしょ!」
四人での対戦型アクションゲーム。
ネタキャラを使い早々にやられた(自滅した)火坂。その次に狙われたのは自分であった。いや、狙うというより右隣に座る心が手下であるブリューを用いて妨害工作を仕掛けてくるのだ。そのやり取りを聞いていた野山が「手こずっているようだな、手を貸そう」という言葉に反して、何故か僕のキャラに集中砲火を浴びせてくる。余裕があったはずの体力は既にデッドゾーン。二体に挟まれた僕は決死の技を試みる。
「ファイナル○ラッシュ!」
的な雷を放つ。
だが、それは簡単に防がれ、二人のスマッシュ攻撃によってやられた。ため息と共にVRヘッドマウントディスプレイを外す。
胡座をかいた太ももの上にはエサを加えたブリュー。
左隣には休憩中の火坂がいた。彼に習って自分も壁に背中を預け、部屋を見回す。我が部屋ながらカオス。こけしに商売繁盛の招き猫、小型犬サイズのシーサーに封印されしおちょこ。全国津々浦々の名産品が勢揃いしている。これも心のお父さんである誠彦さんが事ある毎にお土産を買ってくるからだ。あ、そろそろ気になるリンゴの賞味期限が近いはず……皆に三時のおやつを提供するため、キッチンへと降りた。
全員で雑談をしながらおやつを食べ終える。
そのあとは野山と心は対戦ゲームを続け、火坂はタブレットでファッション雑誌を読んでいた。ゲーマー度がよくわかる光景。ちなみに自分は三番目だ。にしても、なんだろう……随分と久しぶりの光景だ。入院する前、柑崎さんと付き合う前――中学時代は週に何度も――高校生になって忙しくなってからも週に一度は皆で遊んでいた。だいたいは自分の部屋。一人暮らしで、遊ぶ道具も多いから自然と都合の良い遊び場として選ばれる。
思い出を振り返り、僕は自然と笑ってしまう。
最近は考え事ばかりしていたせいかだろうか。どういう理由にせよ今のこの状況が妙に楽しく嬉しく感じられた。すると、火坂が不意に声をかけてくる。
「なぁ一階のリビングにあるテレビと入れ替えないか」
自室にある小さめのテレビを指さしながら言った。
リビングにあるテレビはこの部屋の物に比べて二回りか三回りくらい大きい。
「そらまたどうして」
「いい物を持ってきたんだ。折角だし大画面で見ようぜ!」
そういって彼はハンドバッグから物を取り出す。
派手なパッケージデザインのそれは最近販売が開始されたばかりの大作アクション映画だった。確かにと彼の言葉に頷く。だけどそれならリビングで見ればいいだけじゃないのと尋ねたら、
「リビングでテレビなんて滅多に見ないだろ?」
「大体この部屋で見てるかな」
ご飯を食べる時には見たりもするけど、お隣の餅月家で夕食をお世話になる機会が多々あるので、結局の所ほとんど見ていない。
「ならこの機会に変えちまおう」
彼の言葉に頷き立ち上がる。
僕は野山の大きな背中にゲームを片付けておいてと声をかける。うめき声にも似た返事が返ってくる。昔は充分な大きさだと感じていたテレビも今では小さく見えた。
テレビの電源コードやら何やらを抜き、僕達は階段を登る。
手には大きなテレビ。上を歩くのは火坂だった。
「曲がり角だからゆっくり押してくれ」
「了解ー」
結構重い。
「つうかアイツら片付けてると思うか?」
「片付けてないに百円」
「俺もそれに百円。……おっ、この壁についた引っかき傷って小学生の時に野山がつけたやつか」
「見えないけど、多分そうだよ。火坂と野山が確か――遠足のお菓子で必須なのは『ポテチ』か『コア○のマーチ』っていうしょうもない理由で喧嘩した時の遺産」
「レン、それは違うぜ。ポテチじゃなくてチップ○ターだ。間違えるな」
言葉と共に、火坂が髪をかきあげる。
当然テレビから片手を離しているためバランスが崩れる。非難の声を上げたものの、火坂は「これくらい問題ないさ」と余裕綽々な声で答えた。
ゆっくりゆっくりと階段を登る。
「なぁ」
赤い髪が揺れる。
僕はどうしたのと尋ねた。
「退院したのに病院へほぼ毎日行っているみたいじゃないか」
「入院中に仲良くなった子がいるから、その子のお見舞と自分の診察でね。特に体調が悪いとかそういうのじゃないよ」
「……」
火坂が何を考えているのかわからない。
下からテレビを支えているため、僕の視界からはテレビと彼の燃えるような赤い髪くらいしか見えないのだ。自分の体調を心配してくれているのかと思ったけれど、どうにも違う気がする。
「そりゃ安心した」
だが、と言う。
「他に心配してることもある。わかるか?」
「いや……」
「彼女を蔑ろにしていないかって心配だ。余計な心配だとは思ってるが、気になってな」
心配する事なんてないよ。
そう口にするのを少し躊躇った。だからだろうか、火坂は言葉を続ける。
「なんとなくだ。柑崎ちゃんにあれこれ聞いちゃいないが、なんとなくレンの柑崎ちゃんに対する態度が少しよそよそしい気がする」
頭がクラっとした。よく見ている。
「同じクラスだからさ、お前が入院してる時の彼女の様子を見ちまって、余計にお節介をしたくなる。両方にとってな。まぁ俺が柑崎ちゃんと二人で話そうもんなら悪い噂が立つからやらねえけど」
到着だ、火坂はそう言って僕を待つ。
「俺のようになって欲しくない。こう見えてもレンの幸せを願っているつもりだ」
「……大丈夫。だって週末にデートの約束をしているから」
階段を登りきり、火坂と視線を合わせる。
彼がニヒルな笑みを浮かべた
「だよな! 余計な心配をした。レンなら大丈夫だ! 違いない」
……………………
…………
……
「『火坂抹殺作戦』を実行」
心の一言で火坂に攻撃が集中していく。
予想通りゲームを片付けていなかった二人に誘われ、映画を見る前にもう一度対戦することになった。使用しているキャラクターには個性がある。僕はバランス型かつ一撃必殺系のファイター、心は手数で押す剣士系、野山は遠距離系のガンナー。個性豊かな攻撃が画面一点に集中し、火坂の残機が次々と減っていく。
「おいっ! なんで俺なんだよっ!」
こういうのは弱い者同士がやるもんだろ! 俺が一番弱いわ!
と叫びながら必死に攻撃を避けていた。……避けきれてないか。
「さっきレンをいじめてたから」
「はぁっ!?」
理不尽な理由で火坂の命は風前の灯。
というか心が言っているのって、さっきの階段での話かな。少しだけ物思いに耽っていると、午前中の考え事を思い出し、心にどうしてまた休み始めたのかと聞いた。
「だるいから」
本当の理由かはわからない。
だけど、らしいなぁと思わず笑ってしまった。
翌日、学校帰りに病院へと訪れていた。
懲りない? 今日は自身の診察も兼ねていたから大丈夫なはず!
なんにせよ、もう仲良くなってしまった子に対して冷たくはできない。比較的空いている道を選びながら、岬ちゃんが寝泊りしている療養型病棟へと移動する。
今日は見舞い品として、気になるリンゴを持ってきた。
ちなみに気になるリンゴとは……
1.リンゴを丸ごと焼き上げたアップルパイ
2.株式会社ラグノ○ささきの商品であり、青森産「ふじ」をシロップに漬け、まるごとパイで包んだアップルパイ(ダイマ)。見た目の衝撃度は相当なもので、最初はどう食べればいいのと困惑したことがある。後日、大人しく切り分けて食べたことを火坂に話すと男らしくねえ! と文句を言われたので、かじりついて食べたら美味しかった……が、後半は若干涙目になりながら食べたのは言うまでもない。
今日は切り分け用のナイフも持ってきました!
あ、はい、先日食べきれなかった分です。とはいえ新品だしセーフ。でも何度か見舞いの品として食べ物を持ってきたけれど、スイーツよりも――
食堂から肉肉しい匂いがしてくる。
そう岬ちゃんは意外なことに肉系の方が喜ぶのだ。僕や心と同士になれる予感。あと、子供達と一緒に食べられるものも喜ぶ。これはイメージ通りか。つい匂いに誘われて食堂内へ視線を向けてしまう。今日の日帰り定食は焼肉に違いない。お腹空いているし、食べていこうかな……なんて思っていたら、岬ちゃんがいた。
食事を取りつつお見舞い!
いいですね~なんて考えながら、食堂内の席に座っている彼女に声をかけようとする。だけど対面に見知らぬ女性がいたため立ち止まる。
「……」
岬ちゃん達のいる空間は重苦しい雰囲気だった。
声をかけづらい状況だったため、思わず柱の影に身を隠す。傍から見たら探偵に……見えたりしたらいいな……。そうこうしているうちに会話が漏れ聞こえてくる。
「夏用のお洋服。それとお金は足りているわよね。足りないなら――」
「大丈夫だよ。いつもありがとう」
「そう」
余所余所しい光景だった。
他にもいくつかの話が出るがどれも事務的な物だ。だが岬ちゃんが口にした「最近の調子はどう……?」という言葉のみが唯一温もりを感じられた。しかし、その言葉も女性の機械的な対応で直ぐに消えていく。どういう関係だろうか。女性の薄い青色の髪や目元は岬ちゃんにそっくりだ。母親だろうか、それにしては冷たい気がする。
これ以上覗き見るのはよくない。
立ち去ろうとしたところで岬ちゃんが僕の姿を認め、薄く微笑む。女性は彼女の視線を辿り、自分の存在に気付くと立ち上がり無言で頭を下げ立ち去っていった。
「ごめん、立ち聞きするつもりはなかったんだけど」
頭を下げ、岬ちゃんの元へ近寄る。
すると悲しげに「ううん。気にしなくていいんだよ。お互いに離れるきっかけを探していたから」と口にした。言葉には悲しみが滲み出ている。
何も言えず立ち尽くす。
彼女を見ていた。だけど目を直視することはできなかった。
……
空気を読まずにお腹の音が鳴る。ごめん……。
「さっきのは私のお母さんだよ」
岬ちゃんは話す。
表情を見るに僕のお腹の音が悲しみをいくらか緩和したに違いない。笑ってくれたし! すみません調子に乗りました。心の中で謝罪をしつつ、食堂で買ったサンドウィッチを食べる。対面に座っている岬ちゃんは紙コップに注がれた紅茶を飲みながら、話を続けてくれる。
「昔はお母さんとも仲が良かったんだよ。小さい頃、それこそ小学生になる前から体が弱くて何度も入退院を繰り返していたけれど、お母さんもお父さんも大切にしてくれた」
もちろん今もだよ?
そう言葉にするけれど、さっきの姿を見ていたせいで信じ切れなかった。
「でも中学生くらいの頃にね、病気の症状が悪化しちゃって。何度も手術を受けたんだけど全部上手くいかなくてね。手術を受けて、失敗して……その繰り返しの中でお母さん達も疲れちゃったんだ」
岬ちゃんが苦笑いを浮かべる。
お母さんだけでなく、きっと彼女も疲れ諦めているのだろう。公園での老人のような姿が自然と思い出された。大変だねという言葉が頭を過ぎるが口には出せない。
「だからお母さんのことを悪く思わないでほしいな」
悪いのは私だから。
口にはしていない、だけどその姿を見て僕にはそう聞こえてしまった。
だからか――
「悪くない。岬ちゃんも悪くないよ」
「……えっ」
「いや」
おかしなことを口走ってしまった。
話題を変えようか、もう少し深く聞こうか迷う。
「岬ちゃんって今どういう病気に?」
可能であれば教えてほしいと言葉を添え尋ねた。
彼女は紙カップを机に置き肩の力を抜いて話す。
「吸収不良症候群って病気だよ。症状が類似しているだけで、具体的に話すともっと違うみたいなんだけど」
「名前からして……栄養を吸収できない的な?」
「うん、正解。流石蓮くん。食べ物から栄養をほんの少ししか吸収できなくて」
じゃあどうやって栄養を摂取しているのか。
僕の疑問を察してか彼女が答える。
「専用の栄養剤とか、時々点滴も打ってもらってるんだ。一日に必要な栄養を考えてもらってるから、蓮くんより健康的かも」
冗談めかして笑う。
ほっそりとした体に目を向けてしまうが、直ぐに視線を戻し「ありえる!」と笑いかけた。少しだけ明るい雰囲気になったところでもう一歩だけ心に踏み込む。
「もう手術は――」
「手術は受けないよ。少しずつ体が弱っているみたいだけれど、受けるつもりはないの」
「それって」
岬ちゃんは自身のか細い体を軽く抱きしめた。
彼女は僕から視線を外し、深呼吸をしたあと、再び口を開く。
「今すぐに問題が起きることはないから。お医者さんが手術をしなくても成人式は迎えられるって」
それ以降は――
僕にはとても聞くことができなかった。どうして手術を受けないのか、生きたくはないのか。諦めているが故の穏やかな表情を思い出す。僕よりは長く生きられるのかもしれないけれど、でもそう遠くないうちに彼女にも死が訪れるのだろう。でもまだ手術が受けられるような状態だ! なのに――
はっ、と頭に血が上っていることに気づいた。場の暗い雰囲気が自制を促す。僕ってこんなに熱くなりやすい人間だったけとか彼女にも理由があるから手術を受けないんだと冷静に考え直した。
その後に今の空気を打破するため泥川先生から聞いた話を持ち出す。
「今週の土曜日に岬ちゃんが泥川先生と外出するって聞きました」
僕も仲間に入れては頂けないでしょうか?
軽く、笑顔で彼女にお願いをする。
「えっ、折角のお休みの日なのにいいの……?」
「もちろん。というか僕がお願いする立場だから。確か夕方からの外出だよね」
「う、うん。だけど外出って言っても病院の近くに出かけるだけで」
「自慢じゃないけど体力はありません! それくらいの方がありがたい!」
柑崎さんとのデートはある。
だけど午前中までに終わるものだし大丈夫だろう。
岬ちゃんはさらっとしたロングカーディガンの着崩れを直したあと、戸惑いながらも表情を綻ばして口を開く。
「えっと、じゃあ土曜日待ってるね」
「忘れずに絶対行くよ! あ、そういえばお土産のお菓子を持ってきたんだけど食べれるかな」
栄養を摂取できないという話を聞いた時から気になっていたのだ。
すると岬ちゃんは普段あまり食事を取ろうと思わないから嬉しいと答えてくれた。ただ味覚が敏感らしく塩分や甘さが抑え目の物が良いと冗談口調で言う。これは……。学生鞄から例の物を取り出す。
「アップルパイはセーフ?」
「ギリギリ……セーフかな」
じゃあ、と病棟の方へと顔を向ける。
そして遠い視線の先にいるであろう子供達のことを想いながら、皆で食べようかと提案する。彼女は嬉しそうな顔で頷いてくれた。