27話 彼の余命
先川 岬は幽霊。
病院内を歩きながら脳内に非現実的な考えが浮かぶ。
入院生活三日目。
幼馴染が持ってきたアニメを見尽くしてしまい、再び院内探索の旅に出た。
前回と違い今回の探索には目的がある。岬ちゃんに会って、お礼を言うことだ。だが全くもって会える気がしない。彼女と初めて出会った小児科病棟を中心に、昨日今日と探してはいるものの一向に見つからない。看護師に聞いてみるものの守秘義務が云々で答えてくれないし、子供達に聞いても「み、さき……?」みたいなリアクションをされてしまった。この前の光景を思い出すに、だいぶ場馴れしていそうな雰囲気だった。なのに名前すら知られていない。そんなのってありえる……?
背筋がゾッとした。
まさか幽霊なんてありえない。けれど病院という雰囲気がそれを信じ込ませようとしてくる。よ、よし落ち着こう。仮に彼女が幽霊だったとしても良い幽霊だ。道案内はしてくれるし、謝罪もしてくれた。年下だけど、お姉さんみたいに優しかったのだ。
でも、やっぱり怖いものは怖い!
幽霊から話題を切り替え、見舞い客について考えることにしよう。
短い期間の間に、多くの人が来てくれた。餅月夫妻はもちろんクラスメイトも来てくれたし、なんと火災時に出会ったコックさんも見舞いへ訪れてくれたのだ。見舞いの品として系列のショッピングモールで使用できるタダ券をくれたのだけど、”あの”部屋を見て『こんなのいらないよな……』と落ち込んでいた。自分はお金持ちじゃないと説明したけれど、たぶん納得してくれていない。今度会う機会があればもう一度話し合おう。と、ここまでは平和なお話。
担任のげんちゃんが来てからが大変だった。
心配してもらったあと、いつ学校へ戻ってこれるのか~的な話をしていたら、そこに警察乱入。叱られる自分。巻き込まれる担任。黄色いロープが張られる前だからセーフみたいな理論は通用しませんでした。燃えている店に入っちゃダメですよね、はい。それから一時間以上こってり絞られる始末。……一番大変だったのは偶々居合わせた担任に違いない。学校に戻ったらまた謝ろう。
そう考えている内に診察時間だ。
小児科病棟から診察室まで十分近くかかるし、そろそろ移動しないと。近いうちにおじいちゃんがまた来てくれるみたいだし、少しでも体調を良くしておかないとな。
頭の片隅に浮かび続ける雑念を追い払いながら、診察室へと向かった。
扉を開くと芳醇なぶどうの香りがする。
最初は抵抗感のあった匂いも、今では実家に帰ってきたような安心感すら感じた。将来お酒を飲む機会があったのなら僕はワインを飲んでいたいに違いない。心の中でしみじみと思いながら、挨拶を済ませ、席に着く。
「部屋の居心地はどう?」
白衣を羽織っているグラマラスな人。
泥川先生が目を細めながら尋ねた。
「ホテルみたいで凄いですけど、少し落ち着かないです」
僕の返答内容にご満悦の様子。
笑っている先生とは裏腹に、大変心配な問題がある。そう、宿泊代金の支払いについてだ。一日三十万円もする部屋。もし自分が支払うようであれば今すぐにでも部屋を変えたい! というか今変えても既に百万円コース……! ビビリながら先生に尋ねると、
「心配する必要はないわ」
もう秋華院さんが支払いの手続きを済ませているから。
先生はそう言ったあと、支払いって言うのも違和感があるけれど、と言葉を続けた。
「どういうことですか?」
「だって響谷病院はSKI――秋華院グループが所有している病院の一つだもの」
「ええっ」
お金持ちなのは知っていたけれど……。
広々とした病院の風景を思い浮かべて、頭がクラっとした。
「私は水原くんが知らないことに驚きよ。元カノじゃないの?」
「ええっ」
つい同じリアクションを取ってしまう。
すると、先生は天井を見上げながら「……なるほどね」と呆れるように呟いた。にしても、今とんでもないことを言わなかったか。元カノとかどうとか。なんて考えている内に先生が話を戻す。
「病院の令嬢を助けたからこその待遇よ。受け取って上げなさい」
今から部屋を変えるのも大変だし。
身も蓋もない言葉を言ったあと、長い足を組み、悪戯げに言う。
「火災現場から秋華院さんと一緒に脱出できていれば、紙面を飾っていたかもね」
机の上に置かれていた新聞を渡される。
先生って古風なんだなと思いながら、紙面を見た。そこには地震に関しての情報が書かれている。自分が思っていたよりも被害は小さいらしい。
「キミがこの辺で一番の負傷者」
「みたいですね」
新聞を返しながら同意する。
「それと、水原くんの余命が判明したわ」
「っ……いつですか?」
「七月三十日よ」
あまりに唐突で、なのに平静な言葉。
一瞬呼吸を止めてしまったが意外と動揺はしていなかった。
「やっぱり事故の影響って」
「もちろんあるわ。寿命が縮まった結果、具体的な日時が判明したのでしょう」
先生はいつの間にか姿勢を正し、僕を見つめる。
そこに同情や哀れみはなく毅然とした態度で相対していた。だからだろうか、僕は色々な感情に支配されるよりも先に、ふと思ったことを口にする。
「誕生日は迎えられそうで、安心しました」
先生の表情が崩れ、ふふっと笑いがこぼれた。
「女性に比べて男性は記念日を前にして亡くなることが多いから、頑張るのよ」
「はい。筋トレでもしておきます」
「そういうのじゃなくて……まったく」
笑いからか、目尻に溜まった涙をハンカチで拭いさる。
そして一つ咳払いをしたあと今後の治療方針について話していく。
「基本的には退院後も今までと同じ生活を続けられるわ。ただし、薬は必ず飲むこと。わかった?」
「わ、わかってますよ」
どうにも火災云々よりも、薬を飲まなかった事が寿命に大きく影響を与えてしまったらしい。でもあれは仕方がないし……と心の中で言い訳をした。
「それと余命最終日の一週間前には入院して貰うわ」
最初の頃にも聞いた話だ。
頷いたあと、少しだけ沈黙が続く。
……
先生は悩んでいるような仕草を終え、口を開いた。
「水原くんの病気も数年前に比べると研究が大幅に進んでいるの。それこそ、抜本的な治療法がいつ見つかってもおかしくないほどに」
ただ、と言葉を続ける。
「見つかっても実用化までに数年かかるわ。だから残酷なことだけれど、遠い先への希望は捨てて」
「……わかっています」
少し前の自分なら気にも止めず、軽く流していたと思う。
仕方がないことだし、三つの願いを叶えることに集中しようと改めて決意するくらいだ。だけど、今は違う。もう知ってしまった。力が抜け、歩けなくなる恐怖。燃える炎はいとも容易く自分を死へと追いやってしまうこと。なにより、死というものが暑くて、痛くて、臭いことを。
先程まで封じ込められていた死への恐怖。
それが開きかけたところで、先生が口を開く。
「治療法が見つかるよりも先に、コールドスリープ装置が実用化されるかもね」
「随分とSFチックな話ですね」
考えることをやめて、先生の話に乗った。
「それがこの業界に勤めていると聞く話なのよ。しかも最近よく頻繁に聞くの」
「冷凍系ですか?」
「耳にする話だと擬似的な無重力空間での冬眠ね」
ま、誰も実物を見たことはないのだけど。
先生は話を締め、質問が無ければ診察を終えると口にした。
……折角だし、聞いてみよう。
「初日に言っていた『死人が助ける命に価値なんてない』って、どういう意味ですか」
「予想外の質問だけど、そうね――」
じっと僕の目を見つめる。
……
先生は肩の力を抜き、姿勢を崩した。
「いつか話すわ」
悟られたような気がする。
僕の中で変化し始めている死への心境、恐怖を。
「他に質問があれば答えるけれど」
でも今はそれを考えるときじゃないのかもしれない。
頭を切り替え、色々な意味で気になっていることを質問してみた。
「この病院って幽霊が出たりします?」
お昼過ぎの晴れた空の下。
病院の敷地内にある公園では、多くの子供達がいた。遊具は鉄棒や小さなすべり台くらいしかないものの、サッカーボールやゲーム機、見慣れない遊具を持参し、楽しそうに遊んでいる。
ここは珍しく球技禁止じゃないんだな。
なんて思いながらボールが転がる方へと視線を向ける。
そこには多数のベンチが設置されていて老人達が座っていた。読書や子供達を穏やかな瞳で見守っている。そしてその瞳を向けている中の一人に、探している人がいた。
「……」
木陰にあるベンチで子供達を見守っている少女。
子供のはずなのに、僕には老人と同じような存在に見えた。
薄青の髪が寂しげに空を泳ぐ。
「岬ちゃん」
小さく肩が揺れる。
こちらへ振り向き「君は……」と呟く。
「この前案内してもらった水原 蓮だよ」
「あぁ蓮くん!」
思い悩んでいた瞳を輝かせる。
見上げている格好も相まって、主人を出迎える犬のように見えた。
……我ながら失礼だなと思っていたら、岬ちゃんが隣に座るよう手で招いてくる。幸い両隣共に空いていた。お言葉に甘えて隣に座る。彼女の嬉しそうな笑顔に、思わず頬をかいてしまう。
「もしかして私を探してくれてたのかな?」
歳をいくつも重ねたような瞳。
花柄のシックなワンピースにガウンと、大人びた格好。
それに反して声は凄く可愛らしかった。
「お礼と謝罪をしたくて」
「謝罪?」
「ほら、前回案内してもらったあと友達と話し込んじゃったから」
頭を下げる。
「ううん、気にしなくていいんだよ。友達と会えたら嬉しいもの」
可愛らしくも柔らかな声。
とても中学生とは思えない包容力だ。
これで見た目もお姉さん系なら危なかったかもしれない……なんて冗談はさておき、もう少し岬ちゃんと話してみたいと感じた。
……
岬ちゃんの視線を自然と追ってしまう。
視線の先には子供達。なんとなく彼女がここにいる理由がわかった。
「もしかして子供達の付き添いでいたり?」
岬ちゃんは「わっ」と驚き口元を一瞬覆う。
「よくわかったね」
「岬ちゃんの視線と前回の事を思い出して推察してみました」
「ふふ、探偵さんみたい」
楽しそうに微笑む。
僅かな時間を共にしただけでも、彼女の優しさは大きなものだと感じた。だけど待てよ。それならどうして子供達に名前を知られてないんだ? やっぱり幽霊……? 改めて感じた疑問をぶつけてみる。
すると、解答はあっさりとしたものだった。
「さっちゃん?」
「子供達や看護師さんにはそう呼ばれてるよ。むしろ、岬ちゃんって呼ばれる機会って殆どないかも」
「なるほどね……」
納得した。
どおりで小児科病棟で探していた時も見つからないわけだ。
僕は気持ちを緩めながら言葉を続ける。
「岬ちゃんを探しても全然見つからなかったから、てっきり幽霊なんじゃないかと思ってたよ」
「もう、酷いなぁ」
彼女は苦笑しながら、ちなみにと言う。
「私は高校三年生。蓮くんより年上だよ」
「ええっ」
二度あることは三度ある。本日三度目の驚き。
でも今までの行動や大人びた雰囲気を見るに納得はできた。まぁ容姿や状況から見て中学生か小学生高学年かなぁと思ってたけど。やっぱり人を見た目で判断してはいけないね! と反省していたら、彼女が苦笑いをする。
「やっぱり。お互いに勘違いしてたみたいだね」
「みたい……」
お互いに顔を見合わせる。
茶色の瞳がパチパチと動く。僅かな時間を経て、苦笑は微笑へと変化していった。
「なんだか面白いね」
「そうだね。親近感を感じるというかなんというか」
不思議な感覚だけど、悪い気はしない。
穏やかな木漏れ日の中でしばらく話したあと、また会えないか提案してみた。二週間の入院生活、病院内に話し相手がいてもいいだろう。それになぜか岬ちゃんを放っておけないと感じた。彼女の寂しげな姿が脳裏に焼き付いて離れない。昔どこかで見たことのある寂しげな姿と笑顔……どこで見たんだろう。
そう思っていると岬ちゃんが嬉しそうに頷いてくれた。
「同年代の子と話す機会ってないから嬉しいよ」
大人びた人だと思う。
それと同時に素直な人だとも感じた。表情がコロコロと変わって喜びの言葉を素直に言ってくれる。一緒にいて居心地が良いなと考えていたら、不思議そうな表情をして尋ねてくる。
「よければなんだけど、蓮くんが入院した理由を教えてくれる?」
「あぁ――」
ショッピングモールでの一件を話す。
それを聞いた彼女の反応は――
「ええっ」
楽しい入院生活になりそうな予感がした。




