26話 彼と幽霊少女
「まだ死ぬには早いんじゃない?」
風が吹く。
太陽の光を浴びたカーテンと、熟した赤ワインのような長髪が揺れる。
ぼやけていた視界が徐々に開けていく。
「ここは、天国ですか」
豪華絢爛な部屋。
自分のような人間が泊まれる場所じゃない。
おまけに目の前には白い服装に身を包んだ美人さんが足を組んでいる。だがその女性は立ち上がり、寝ている僕に近づきながら笑った。
「まさか」
そして自分の隣にある物々しい機械や、点滴台を確認していく。
ヤバイ。今の自分めっちゃサイボーグ。なんて思っていたら、女性は窓際にある丸い椅子に再び腰掛けた。
「火災当日のことは覚えている?」
火災……?
目を覚ましたばかりのせいか、考えがまとまらない。
濁った意識の中で少しずつ言葉を探していく。
「初デート、ショッピングモールに行って、彼女を……泣かせて別れて。秋ちゃん達を助けに行きました。それで、最後は炎に飲み込まれて……?……なんで生きているんですか」
終わり際の記憶は曖昧だ。
けれど、地面に倒れ伏した痛みと押し寄せる熱は体が覚えている。鳥肌が立った。恐怖が引き金となり脳が必死に動き出す。足りない情報を求めようとしている。
「あのっ、秋ちゃんと栗田さん達は無事ですか」
「あなたが一番重症よ。栗田さんは別の病棟で入院中、一週間もすれば自宅療養ね。秋華院さんは……」
隣にあるこぢんまりとしたベッド。とても不自然だ。
なにが不自然かと言うと、個室らしき雰囲気なのにベッドが二つあること。そしてこれだけ広い部屋だというのに、ベッド同士が密着し合っていること。
僕は呆れた。
「隣で寝ているんですね。そんなのいいんですか」
「彼女元気だし、権力はあるし。ナースコール係りだと思って認めたの」
「泥川先生ぇ」
ため息をこぼす。
段々と記憶がハッキリとしてきた。このグラマラスな美人さんは泥川 聖先生。
昔から僕を診てくれている主治医だ。ちなみに初恋の相手だったりする。余計なことも思い出してしまった。
「でも彼女なら昨日の夜に退院したわ。やることが沢山あるって喚きながらね」
ベッドはあとで片付けさせるから。
そう言って先生は白衣を揺らしながら立ち上がる。
ん? 昨日の夜?
「あの自分、何日寝ていました……?」
「二日間。それと最低三週間は入院ね」
ガーン。
壁にかけられた電子カレンダーを見る。今日は月曜日、五月の二週目。
つまり退院は早くても六月の頭。遅ければ、もしかして死ぬまでここで入院生活……?
「あともう一日寝たっきりなら、アソコに管を入れていたのだけど」
残念と呟き、釣り上がった瞳を怪しげに光らせる。
僕は命を取られたような気持ちになった。
「疲れているだろうし病状や今後の予定については後日話すわ」
先生は立ち去っていく。
聞きたいことはあるけれど、確かに疲れているし眠い。
意識が再びボヤけていく。
途中、先生が立ち止まり振り返る。
そして伝えたいことがあると口にした。
「『死人が助ける命に価値なんてないわ』」
それと、
「女遊びは程々にしなさいね」
「どういう意味ですか……?」
返事はなく、先生は去っていった。
それと同時に部屋に入ってくる人を見て、一つの疑問が雪のように溶けて消える。
「水原さんっ!」
うわずった声。
瞳に涙を浮かべながら、僕に抱きついてきた。恥ずかしがり屋の柑崎さんにしては意外な行動。それだけ心配していてくれたのだろう。彼女を受け止めた。不意に自分の顔が鏡に映る。口元はなぜか、苦い笑みを浮かべていた。
暇だ。
マイラブリーガール・柑崎は、花瓶に花を生けたあと、学校へ向かった。
最初は「看病しますっ!」と言ってくれたが、僕は「ベタベタする彼女とかムリ」と言って断ったのだ。……そんなことはなく、丁重に断った。流石に学校を休ませるのは申し訳ない。
というか、朝の登校前にわざわざ病院へ来てくれた彼女まじラブリー。
彼女自慢をしてみたものの、暇だ。
一眠りする。起きたらランチタイム。点滴が僕のご飯。そう思っていたら、看護師さんが針を取り外し、点滴台を持っていく。
夕飯からはおかゆ等の食事ができるらしい。えっランチは……?
お腹が空いた。
暇つぶしに、天井から吊るされたモニターをタッチしてみる。わぉどの商品も値段が書かれていない。試しにジャ○プを買ってみた。
物の数分で黒服の人が雑誌を届けに来てくれる。支払い方法を尋ねてみた。
「いいえ、お金は一銭もいただきません」
どこかで聞いた台詞に、恐怖する。
いやぁああっ! 栄養ドリンク中毒になったり、赤ちゃんプレイしたり、特に悪いことをしてないのに「ドーン!!」って破滅に追い込まれちゃぅううっ。でも暇なのもいやぁああっ!
僕はお礼を言いながら足早に病室を出た。
院内探索なう。
ここSKIグループ響谷病院は、市内もとい周辺地域において最も大きな病院だ。
火災のあったショッピングモールよりも一回り大きい。ゆえに見て回るところも多く、暇つぶしには最適だ。ちなみにスマートフォンは修理中らしい……。
人のまばらな院内を歩く。
吹き抜けの天井は解放感があり、周囲の壁や床は白とベージュを基調としており清潔感がある。更に随所に置かれた観葉植物が心を穏やかにしてくれた。それにしてもSKIって何の略称だろう。スーパー、スペシャル、スプラ○ゥーン……? まさかスプラトゥーンキューバンボムインク回復? 暗号みたいになってしまった。人名あたりが妥当かな。
適当なことを考えながら、院内を歩き、時にはエレベーターで昇り降りをしていたら……
「ここはどこ、僕はだれ?」
迷子になってしまった。
現在地もわからず、なおかつ慌てて部屋を出たせいで、元いた場所すらわかなかったりする。意外とヤバイ。
とはいえ受付に行って名前を出せば万事解決するだろう。
長椅子に腰を落ち着ける。
そして一息ついたあと、周囲を見渡す。子供ばかりだ。道行く人の殆どが僕と同じか、それよりも若そうな子達。近くにいる大人といえば看護師か医者くらい。
ここ、もしかして小児科病棟?
なんて思っていたら、視線の先にある小さな広場が目についた。
広場の床は柔らかそうな素材で作られており、遊び道具がいくつも置かれている。そこに子供たちは靴を脱いで上がったあと、そこで絵を描いたり走り回っていた。
子供達の明るさやパステルカラーで染められた床や壁。
病院という場所において、とても物珍しい空間に思えた。ぼんやりそれを眺めていると、一人の少女と目が合う。ついさっきまで数人の子に絵本の読み聞かせをしていた子だ。色素の薄い、青い髪をしたその子は、周りよりも幾分か大人に見える。とはいえ、僕よりも下の年齢だろう。たぶん、中学三年生! 適当な予想をしていると、彼女が靴を履いて近づいてきた。
まずい、ジロジロと見すぎたかな……? 肌が湿っていくのを感じながら、居住まいを正す。
来なさい! 僕は不審者じゃない!
目の前で立ち止まった彼女に力強い瞳を向ける。すみません、どちらかといえばつぶらな瞳です。上目遣いです。チワワのような瞳です。えっそれはキモい? そんなー。雨に濡れた捨て犬のような気持ちになっていると、彼女は視線の位置を合わせ、白く細長い手を差し出した。
「今日から入院する子だよね? 大丈夫、怖くないよ」
暖かく包み込むような笑顔に、思わず首を傾げた。
老人率、驚異の百パーセント。
通路を歩けば出会うのは老人ばかり。さっきの光景はひと時の夢だったのではないかと思いたくなる。
でも隣を歩く一回り小さな少女がそれを否定していた。
「ごめんなさい。勘違いしちゃって……」
何度目かの謝罪を受け取る。
どうにも少女、岬ちゃんは僕を今日から小児科病棟に入院する子供だと勘違いしていたらしい。いや、それは問題ない。勘違いは誰にでもあるもの。お詫びとして迷子の自分に付き合ってくれてまでいる。ただ……
悲しみを胸の奥に閉じ込めながら、尋ねる。
「いつもあんな感じで声をかけているの?」
「うん、見かけたときは必ず。親御さんが手続きしている間、えっと蓮くんでいいんだよね」
頷く。
さっき自己紹介をした時に、下の名前で呼んでいいか聞かれた。
それに対しオッケーと返事したことを思い出す。
「よかった。それで手続きをしている間、子供は一人で――さっきの蓮くんみたいに座ってることが多いの」
彼女はそっとなにかを思い出すように目を瞑る。
きっと声をかけている理由は、彼女が優しいからだ。これから入院する子の不安を少しでも和らげようとしているからに違いない。
「……優しいんだね」
自然と口に出た。
岬ちゃんは一瞬戸惑ったあと「ありがとう」と口にする。
「昔ね、私が入院した時も声をかけてもらったの。凄く不安で怖くて、でもお姉さんに『大丈夫? これからよろしくね』って言ってもらえて、安心したんだ」
その時のことを思い出すようにして、語りかける。
「だから私もやっているの。優しいとか、そういうのじゃないよ」
「ううん。やっぱり優しいと思う」
「……ありがとう。蓮くんも優しい子だね」
白くほっそりとした体。
肉体的な存在感とは裏腹に、僕は彼女をとても大きな存在だと感じた。
「でもそれはそれ。ごめんね、年齢を勘違いして」
グサッ。
胸の奥に閉じ込めた悲しみが花開く。
「いいんだ、若く見られること多いし……」
震えながらも笑顔を見せる。
そう! 小児科病棟は中学生までしか入院できないのだ!
僕高校二年生! why? なぜ? 自分を年上として見てくれるのは秋ちゃんしかいないのかぁアア!
心の中で叫び、スッキリした。
仕方がない。若く見られるものは若く見られるんだ。受け入れるしかない。
そう思っていると岬ちゃんが静かに呟く。
「私もよく勘違いされるから気をつけていたのに……反省しなきゃ」
……もしかして僕も謝罪しなくちゃダメ?
自分の見立てだと岬ちゃんは中学二年生と見た。でも本当はもっと上……いや、小児科病棟にいたんだしその可能性は低いか。
つまり精神的には熟しているけど肉体的には幼い。
ふっ、小学生か――
「ごめんなさい」
彼女は不思議そうな顔をした。
「あっ、それで蓮くんのいる部屋番号は思い出せた?」
わからなければ受付で聞いてくるよ。
岬ちゃんの提案に周囲を見渡す。いつの間にか通路を抜け、正面玄関近くのロビーに来ていたらしい。
見ろ! 人がゴミのようだ!! 二階から見下ろしたらたぶんそんな感じ。
「部屋番号は思い出せないんだけど、特徴は――」
ロビーから東側へと歩く。
途中三つのコンビニとカフェ、それに食堂を通り抜け、ガラス張りのエレベーターに乗る。他の物と比べ狭めで、ストレッチャーが入る余地はない。それで最上階である二十五階まで行きエレベーターを降りた。
「部屋にキッチンがあって、高級そうで、眺めのいい景色……たぶんこの階にある部屋じゃないかな」
「あーなんか見覚えある」
妙に落ち着かないのだ。
部屋にいた時もこんな気持ちになった。内装や備品のどれもが高そうで、触れてもいいのかな……と不安になるこの感じ。間違いない。ここだ。
案内図をぼーっと見ているたら、看護師さんが来て「水原さん、なにかお困りですか」と聞かれた。大丈夫ですと答えてから数瞬後、某黒服の人が「水原様、なにかお困りですか」と聞いてきた。
ビビリながら「だ、大丈夫っす」とエセ後輩口調で返事をした。
「お部屋のこと聞かなくてよかったの?」
「さっき暇つぶしで、雑誌を買いに行かせてしまった申し訳なさがあって……」
「コンシェルジュさんのことだよね。気にしてないと思うよ」
そう笑ったあとに、手を差し出してくる。
「蓮くんのお部屋探そっか」
彼女がお姉ちゃんのように見えた。
部屋探しには苦労しなかった。
理由は単純。空き部屋ばかりだから。清掃のため扉が開けられている部屋を流れ作業のように見ていく。どこも共通しているのは高級マンションやホテルのような内装かつ、人が生活している気配がないということ。二室だけ扉の閉まっている部屋があったけれど、そこには裕福そうな老人が入っていくのを目撃した。
案内図を見る。
残りは、一室! 絞られた。見た限り一番大きな部屋だ。
あれ、こんなに大きかったけ? そう思いつつ、足を進めていく。
歩きながら隣にいる岬ちゃんを見た。
上京したての子のような、落ち着きのなさを感じる。……それは僕か。
頬をかきつつ、口を開く。ちなみに恥ずかしさもあって手は繋がなかった。
「部屋を見ていると病院って感じがしないよね」
自分の服装を見る。
この青い病院服と看護師に医者がいなければ、とても病院だとは思えないだろう。
「噂には聞いていたけど、ちょっと驚いちゃってるかも」
あはは、と岬ちゃんも同じ仕草をする。
彼女の病院慣れした様子や私服を見るに、長く入院しているのだろう。
だからここにも来たことがあるのかと思ったけれど、そうでもないらしい。考えてみれば関係のない病棟に行ったりしないか。
足を止めて、たぶん彼女が気になっていることを話す。
「ちなみに僕はお金持ちじゃないよ。心当たりはあるけどね」
苦笑いしながら言った。
岬ちゃんの性格からして聞いてこないだろうし、先に言っておくに限る。
誤解されたら大変そうだし。
「ほっ、そうなんだ」
お互いに肩の力が抜けた気がした。
小さく笑みを浮かべあったあと、彼女は茶色い瞳を好奇心で輝かせながら聞いてくる。
「お部屋からなんでも、無料で頼めるって本当?」
「なんでも、無料で」
雑誌の一件を思い出す。
お金を払わなくていいっていうのはそういうこと……。たぶん無料というよりは元々の個室料金に含まれているのではなかろうか。モニターには食事や雑誌、ゲームなんてものも注文できたはずだ。折角だしこの機会に買っちゃおうかな……!
いやいやいや!
邪心を振り払いながら「本当といえば本当かな」と返事をした。
岬ちゃんと別れるのことに少し名残惜しさを感じながら、部屋へとゆっくり向かう。
部屋の前には見慣れた幼馴染たちがいた。
火坂たちは制服姿をし、心は固めの私服姿だ。窓を見る。見晴らしの良い景色と傾いた太陽が目に映った。
いつの間にやら授業が終わる時間になっていたらしい。
心が無表情で首にかけている面会者カードを揺らす。
その後ろで火坂が真横に指を差した。おそらく僕の部屋に繋がっているであろう扉だ。
「本人がいないと入れねーんだとさ」
彼はそう言ったあと、いつもの最高に格好いい笑みを浮かべる。
「元気そうで安心したぜ」
本心から嬉しそうに言ってくれた。
普段は冗談ばかりの彼だからこそ、今の言葉が心に染みる。
自分も「ありがとう」と気持ちを込めて言う。
彼はウィンクをして見せながら、笑う。
「レンも忙しいな。初めて彼女が出来たと思えば、火災で死にかけて。盆と正月が一緒に来たってやつか?」
「……死にかけるのは嬉しくないだろう」
火坂の隣にいる野山がツッコム。
相変わらずの巨体ゆえ黙っていようが目立つ。ツッコミを入れても目立つ。
野山の手には学生鞄と茶色の紙袋。おそらく紙袋には漫画かアニメが入っているね。間違いない。
馴染みの光景に思わず笑みをこぼしたあと気づく。
そういえば岬ちゃんをほったらかしだ。慌てながら隣を見る――いない。後ろにも振り返るが結果は同じだった。
「なにしてんだ? 部屋に入ろうぜ」
「あ、いや、僕の隣に女の子いなかった?」
「ったく。まだ怪談話には早いだろ」
野山たちも心当たりはなさそうだ。
腑に落ちない気分になりながらも、彼らの元へと駆け寄る。そして扉の認証機器に、いつの間にやら首にぶら下げていたICカードをかざす。
どうやらここで正解らしい。部屋からヒンヤリとした風が流れ込む。
まさか、ね。
夕焼け差し込む廊下を振り返ったあと、彼らに急かされ部屋に入った。
暫く入院生活は続く。岬ちゃんに再び会う機会もあるはずだ。その時にでもお礼を言おう……。
部屋を見て驚く幼馴染たち。
その中で唯一冷静な心。彼女は僕たちに更なる恐怖を与えるべく、スマートフォンを見せてきた。
このお部屋なんと、一日三十万円(税別)。
お読み頂きありがとうございます。
更新を再開致しました。
二部完結まで、どうぞよろしくお願い致します。




