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24話 彼と彼女の別れ

「さっきはごめん。冷静じゃなかった」

 

 三階のエスカレーター前。

 店内にある大部分の照明と同様に、上下合わせて六本あるそれは全て停止していた。だけど降りることは可能なようで人々が順序よく――若干(せわ)しないが――降りていく。

 僕たちもあと少しで二階に降りられるだろう。


水原(みずはら)さんが心配してくれたこと、わかってますから……」

「ごめん……ありがとう」


 彼女は泣き止んでいる。

 でも、どうしても気まずい空気が漂っていた。


 自身の鞄にしまい込んだ彼女へのプレゼント(ぼうし)を思い出す。


 なにをやっているんだろう。まったく。

 心の中でため息を吐きつつ、彼女から視線を外す。


「……」


 周囲は落ち着きを取り戻しているように見えた。

 理由は店員さんや警備員さんがエスカレーター近くで誘導・整理をしてくれているからだろう。

 それとなによりもさっきから炎が見えないのだ。だから火事が起きている実感が沸かないし、恐怖も感じない。


 鳴り止まない火災警報器に耳が慣れていく中、警備員さんに誘導されていく。


「足元が不安定なので、注意しながらゆっくり降りてください」


 僕たちは揃って首を縦に振る。

 そして肩を並べ一歩一歩、足元を確認しながら降りていく。もしかしたら火事というのは誤報かもしれない。そんな甘い期待を抱きながら。


 


 当然といえば当然だった。

 二階は三階よりも人で溢れかえっていて、身動きがほぼ取れない。

 エスカレーター前には列が作られており、僕たちがそのまま降りるなんてことはできなかった。仕方がないとはいえ、相当な時間が掛かりそうだ。二階から外に通ずる出口もないし、ここは別のエスカレーターかもしくは階段、避難階段を探して降りたほうが早いのかもしれない。


 別の道を探していると、嫌な出来事が続く。


「その、煙が……」

「火事は本当みたいだね」


 甘い期待は砕かれた。

 薄い乳白色の煙と微かに焦げ付いた匂いがする。

 でもどこから出火しているのだろう。二階に火を使うお店、飲食店はないはずだから、一階か三階のどちらかだとは思うのだけど。上下を見渡す。

 すると、一階の西側の方で激しい水飛沫のようなものが見えた。反対側も見てみるが、そちらは物が倒れているくらいだ。つまり……


「柑崎さん」


 このまま待っていても埓が明かない。

 僕は彼女の左手を握る。


「ここは時間が掛かりそうだし、別の降り口を探そう」


 手先からは震えが伝わってきた。


「水原さんを信じています」


 でも、柑崎さんは綺麗で穏やかな瞳を自分へと一心に向けてくれる。

 

 その信用に応えたい。

 彼女の手を”絶対に離さない”と決意して、安全であろう東側へと足を動かす。

 



 正解だった。

 人混みに流されつつも案内図を確認して方向を修正する。

 それを何度か繰り返すことにより、屋内にある避難階段へと着実に近づいていた。嬉しいことに階段へと近づく度、人の流れが大きく緩やかなものになっている。多少体を動かしても人に当たらない。

 なにより煙の匂いもしなくなっている。当然、炎の気配もなかった。


「ひとまずは安心かな」

「このまま出られれば嬉しいです……」


 彼女がぎゅっと手を握り直す。

 恐怖や不安を押し殺すようにして。


「柑崎さんの手は柔らかいね」

「っ! いいいきなりなに言ってるんですか!」

「いや、柔らかいなぁと思ってさ」

 

 実際柔らかくて気持ち良い。

 ぷにぷにもちもちとしていて、一生触っていたいくらいだ。


「……あ、あの」


 通路を少しずつ歩いていると、彼女が申し訳なさそうに尋ねてくる。


「手の、そのあれとか、大丈夫ですか……?」


 言いたいことはなんとなく伝わった。そして笑う。


「どうして笑って、やぁんどうして揉むんですか」


 手です。

 場所が薄暗いせいなのもあって、揉むという単語に周囲の人が反応した気がする。揉むように優しく手を握り返しているだけです。変な所は触っていません。


 心の中で弁解しつつ、暫くの間、無言で揉み続ける。


「ん……んっ……」


 や、やめよう。

 隣から妙に色っぽい声が聞こえ始めた。彼女のこんな声を聞くのは初めてだ。

 若干もとい結構焦りながら言葉で誤魔化していく。


「あははー。手を揉まれるとリラックスできるんだって!」 

 

 リラックスできた?

 と尋ねたら、彼女は「はい……」と荒い息遣いで口を開いた。

 ど、どうしてこんなことに。そう思いつつ、さっきの返事をする。


「手汗とか気にしなくていいから」


 それよりも、


「手を握っていたい。ダメかな?」


 柑崎さんは首を横に振る。

 そしていつもの瞳を僕に向けてきた。


「私もです。……水原さんは優しいですね」

「彼氏と彼女だから。というか、僕の方こそ汗をかいてて申し訳ないなと思ってました」


 ごめんなさい。

 小さく頭を下げると、彼女はくすくすと笑みを浮かべる。


「いえいえ。冷房も止まってますし、暑くて当然ですよ」


 彼女はもう一度手を握り直す。

 さっきとは違い、優しさが伝わってくるような感触だった。

 手を繋いだきっかけは物悲しいものだったけれど、それでも今感じている幸福感は本当だ。あぁ本当にいつまでも手を繋いでいたい。

 

 前を見て共に道を歩いていく。


 ……


 滑りの良いゴム床で作られた通路。

 通路は広く大きく作られており、左右にはアウトドア用品や衣料品店などのショップがある。歩きながらショップを覗いてみるとマネキンや棚が倒れいて大変な状態になっていた。そんな店内から時折人が出てきて列に加わっていく。

 通路に余裕があるため後ろから並び直しということもない。

 後ろを見てみると、最後列には店員さんが複数人いた。各々違う制服を着ているけれど、動作は同じだ。店内に人がいないか確認しながら歩いている。彼女らが声を上げ、時に店内へ立ち入っているからこそ、救われた人もいるのだろう。

 ……自分も一応探してみる。人目は多い方が良いはずだ。


 ……


 柑崎さんに気を配りながらも、人を探して数分。

 地面が揺れる。先ほどのものよりもずっと小さい地震だ。

 だけど念のためスマートフォンを取り出し、震度を確認する。

 

 震度は三だった。

 先ほどの地震は震度六弱もあり、大きな違いがある。

 しかし皆、揺れに過敏になっていた。いくつかの悲鳴と歩く速度が早まっていく。それと、スマホのバッテリーが切れてしまった。……ふぅ。


「僕たちまで焦る必要はないからね」

「は、はいっ」


 彼女は動揺しながらも首肯する。

 あまり早くならないよう――といっても少し早く歩かないといけないが――注意しよう。急ぐ気持ちはわかるけれど、転んだら元も子もない。それに早く歩けば店内にいる人を見落とすかもしれない。

 そう思い、視線を左側にあるアパレルショップへと戻す。


「あれは……」


 暗く広い店内。

 その中の最も奥まった場所に、




 人影が見えた。

 


 

 視線を一点に集中させる。

 巨大な柱とハンガーラックがあるせいで、ハッキリとは見えない。

 でもたぶん恐らく人がいる。それも二人。実際に確認してみた方がいいか。まだに店内にいるということは、他人の助けが必要な状態なのだろう。


 そう考えたところで、心配そうな声が聞こえる。


「水原さん……?」


 あっと。

 いつの間にか、列の流れに乗り遅れていたらしい。


 ……


「大丈夫。心配かけたね」


 店内に行こうか迷った。

 行くのなら自分一人だ。柑崎さんを巻き添えにするのには、抵抗があったから。

 でも彼女の手は”絶対に離さない”と決めている。


 だから、自分は彼女と一緒に外へ出ることを優先した。

 

 僕は僕に出来る範囲のことをやろう。

 最後列の店員達に人影が見えたことを伝えようとして、揺れる。

 またしても地震だ。先ほどよりも強い揺れの地震だった。


 地震により大勢の人が慌てる。

 店員に声をかけようにも後ろへ振り向く余裕がない。移動する列の速度はもはや、歩くというよりも走ると表現したほうが相応かった。

 自暴気味に叫ぶ。その声さえも耳が痛くなるような悲鳴にかき消されてしまう。


 視界の隅へと店が消えていく。

 消える前にもう一度振り返ると、店内にある鏡が反射する。

 そこには老女を支える――少女の姿があった。





 

 外の空気は乾いている。

 息をするのさえ辛く苦しい空気。

  

「あんなに燃えるものなんだねぇ」「うわっ他の場所でも火災があったみたい」


 ショッピングモールは燃えていた。

 その規模は想像の数倍以上だ。三階の半分は炎に覆われており、その炎が徐々に二階へと広がっていた。一階も点々とだが燃えている。おそらく三階の炎とはまた別物だろう。

 僕たちもあと少し遅ければ火災に巻き込まれていたのかもしれない。


「駐車場にまで燃え移らないよな」「んなこと言ってないで、とっとと離れるぞ!」


 天へと昇る黒煙。

 周りの人々はそれから逃げるように動く。方法は違うが、行動は同じだった。

 でも時には、写真や動画を撮る野次馬や僕たちのように立ち尽くす人もいる。


 右手を見た。

 握っていたはずの手はもう離れている。彼女と外へ出た時に、たぶん僕から手を離したのだろう。


 ……


 消防車は来ていない。

 火災がまだ続くのは素人でもわかった。


 ……

 

 三度目の出会いは必然。少女の言葉を自然と思い出した。

 警察が入口を塞ぐようにしてロープを張ろうとしている。迷っている時間はない。今日の自分は異様に決断が早かった。


 二つの()()が入っている鞄を柑崎さんに渡す。


「また、一緒にデートをしよう」


 そして、駆け出した。

 彼女や警察官の声を背に、燃え上がるショッピングモールへと飛び込んでいく。






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