20話 彼と後輩の運命
街の景色が霞んで見える。
車の排気ガスがいつもより鼻につく。
「あー……はぁ」
恋は麻薬と一緒だ。
キメている時は最高に気持ちいいけれど、終われば倍の虚しさに包まれる。
まぁ麻薬をキメたことはないし恋をしたのも最近ですけどね。あはは。
「はぁ」
振られたわけじゃない。
昨日の柑崎さんの言葉を信じるなら”考えている”最中だ。
でも、なんかこう雰囲気的にオッケーな感じがしただけにダメージが大きかった。
もう恋なんてしないなんて言わないってこともない。つまりどっち。
「期待しちゃうよなぁ」
覚束無い足取りで街を彷徨う。
平日のお昼時ということもあってかサラリーマンが溢れかえっていた。
その中にも僅かにいるカップル達に目が行って、叫びたくて仕方がな。んぁああああ! カラオケに行くか……カラオケ……デュエット……柑崎さん。
我ながら重症だった。
仕方なしにスマートフォンへと意識を逃避させる。
だけど、こっちはこっちで僕に現実を押し付けてくる。
チャットには鬼のような書き込みの数。
相手は自分の恋愛事情に詳しいお二方――火坂と皇さんだ。
この二人にはデートの準備をする際にお力添えを頂いた。その代償として告白した場合は結果を教える約束をしている。
でも、言えなくない? 振られた付き合えたなら言えるけど、保留って言いづらい。二人も反応に困るだろうし、柑崎さんにも申し訳ない。あと告白の結果を伝えるのはやっぱり恥ずかしい。
うむむと唸りながら、メッセージの一部を見る(既読は付かないように)
火坂:
『どうだった? もしや、これからホテルか笑』
『結果教えろよー。二人で朝日を浴びてるってんならお邪魔したな』
『大丈夫か……? もうお昼ですよ、お昼。告白のことは聞かねーから、とりあえず飯にでも行こうぜ』
皇:
『お疲れ様。で、結果は? 大丈夫。あんだが振られるのは折り込み済みよ。火坂の余計な入れ知恵もあったみたいだし』
『夜ふかししちゃったんだけど……寝る。結果くらいパッと言いなさいよね……本当』
『ありえないから! 結局寝てないのよ!? ありえないから、本当ありえないから!』
二人は似ているようで違う。
それはチャットの内容にも表れていた。
火坂は冗談で固めつつも、後半に行くほど心配を表に出している。皇さんは……皇さんだ。思わず頭を下げてしまいたくなる。
「結局……」
二人共、心から心配してくれていた。
憂鬱さの欠片もない、晴れた青空を見上げながらそう思う。
……
返信するのが筋だし、礼儀だ。
だけどどうしても返信する気にはなれなかった。ため息と共にスマホをポケットにしまう。ごめん。といっても、文化祭の代休は今日で終わり。明日から学校だ。クラスが違うとは言え柑崎さんと顔を合わせるかもしれない。
それ以前に皇さんとは絶対に顔を合わせる。
「……」
渋い顔をしながらスマホを取り出す。
そして『ごめん』とだけ二人に連絡をしておく。
……! もう既読が付いた!
急いでスマホの電源を消し、目に付いた本屋へと潜り込む。
「ありがとうございましたー」
適当な本を買った。
嘘です。恋愛本を買いました。
作者はあの『ドキッ✩死ぬまでに叶えたい3つのことっ!』を書いた人だ。街を彷徨うのも疲れたし家に帰って読もう……。
店を出たところで、人とぶつかった。
「「っ……」」
互いに小さな悲鳴を上げる。
目の前には自分と同様に尻餅をついている人がいた。
ぼーっとしてたな……。急いで制服姿の少女に謝ろうとする。
だけど、彼女が先に立ち上がり、
「失礼しました。お怪我はないですか?」
謝られてしまった。
彼女の言葉に返事をしつつ、自分も立ち上がる。そして謝罪をした。
「お気になさらず。私も気を抜いていました」
自身の鞄と、袋から出てしまった僕の本を拾い上げる。
そして汚れを払ってくれたあと、
「どうぞ。本に汚れや破れがありましたら弁償致しますので」
「そんな大丈夫ですよ。丁寧にありがとうございます」
彼女の秋を想わせる茶色い瞳と目を合わせた。
本を受け取ろうとする直前――
「……!?」
唐突に本が引っ込められる。
驚く自分をよそに、彼女は冷静な表情のまま後ろへと数歩下がった。
そして顎に手を置き僕の全身をくまなく見つめたあと、信じられないことを口にする。
「惚れました。私と付き合ってみませんか?」
「親に用事があるからって呼び出され、わざわざ学校を早退したんです。なのに、ドタキャンですよ。ありえなくないですか!?」
昼下がりの喫茶店。
陽光に照らされたカーテンが、気持ち良さげに揺れる。
その中で、なぜか少女の愚痴を聞かされていた。
おかしい……。
告白され、強引に喫茶店に連れて来られ、愚痴を聞く。
色々と過程がすっ飛んでいるような気がした。あれか、カンザキショックを受けたことにより、僕は白昼夢を見ているとでも言うのか。考えてみるといきなり告白されるなんてありえない。
というか、ここちょっと前に火坂と来たお店だ。
思い出している内に紅茶とケーキが運ばれてくる。
そして店員が去っていくのを見計らって、少女が口を開く。
「で、どうです。付き合いません?」
困惑。
あれ、愚痴は終わり? 夢じゃない? 口調変わってない?
なんて思っていたら少女が畳み掛けるように喋る。
「私って超優良物件なんですよ! まず制服を見てくださいな」
自身の胸元を指差す。
見覚えのある制服――火坂が前に言っていた――お嬢様学校の制服だ。
「この学校に通ってる生徒は十中八九、親がお金持ちなんですよ。その中でも私の家は五本の指に入るくらいにはすっごいんです! 俗に言う大物実業家の娘ってやつですね。祖父も某病院グループのトップですし。ただまぁ家格っていう面だと総理大臣の娘がいたりして、もう少し劣るんですが」
彼女はカップを口につける。
その動作には不思議と品を感じた。
「それで、次は胸についてなんですが」
!?
「揉んで楽しめる程度にはありますよ」
決して胸を強調する仕草をしているわけではない。
それでもどうしてもそこに視線が行ってしまう。ついムラッとしてしまった……。ごめん、色々とごめんなさい。
「手入れにも気を使ってますから、きっと満足できます」
さて、
「次は身長! 男性が好ましいと思ってる百五十八センチ。あなたの隣を歩いたら良い感じに収まりますよ。ハイヒールも……うん、物を選べば大丈夫そうですね。
いやー、身長ばかりは調整するの難しいんで止まってくれて良かったです」
アンバランスだ。
本屋で会った時の彼女と同じ存在だとは思えない。
「あ、店員さん。紅茶のおかわりお願いしまーす。それで顔……については、言う必要ないですよね」
ググッと顔を近づけてくる。
セミショートのカールされた髪が揺れ、甘い香水の香りがした。強いその匂いは本来なら避けようとさえ思ってしまうかもしれない。
なのに、魅力的だった。媚薬を混ぜた香水だと言われても不思議に感じないほど、彼女の存在を魅力を強く認識して感じてしまう。
卵型の顔と艶のある肌に、クリッとした茶色い瞳。
僕はそこに自然と吸い込まれていき――
「おかわりをお持ちしました」
「はい、どうもです。……どうしました、先輩?」
目が覚める。
彼女は小悪魔のような笑みを浮かべ、僕を見ていた。
「というか先輩って……」
「あれ、違いました? 平日の火曜日に着飾った私服。大学生かなって思ってたんですけど」
「今日は文化祭の代休日なんだ。だから僕はまだ高校二年生」
年上に思われたのなんて初めてだ。
ちょっと嬉しいな……と思いつつ、咳払いをする。
そして、平静を装いながら顔を元の位置に戻した。
「じゃあどっちにしろ先輩ですよ。私は一年生ですから」
「そう、なんだ」
「なんか疑ってません? 失礼しちゃうなぁー」
……
「で、どうです。付き合いましょうーよ。もしかして、もう彼女さんがいたり?」
「いや……」
カップを口元に近づける。
香水は、紅茶の香りによって消えていった。
「付き合えない」
「どうしてですか。さっきのタイトルを見た限り、付き合っている人はいないと思ったんですけど」
自分の隣にある本へと視線を微かに向ける。
「君は鋭いね。僕よりもずっと賢いんだと思う」
柑崎さん……
「好きな人がいるんだ。付き合えるかはわからないけど、付き合いたい人がいる」
「私だったら即付き合えますよ。そして意外と尽くすタイプです。隣にいてくれるのなら見返りは求めません」
「……ごめん。君が僕に惚れた……告白してくれた理由は聞かない。でも、告白してくれてありがとう」
「その彼女さんへの気持ちに気づけたから”ありがとう”ですか」
小さくため息をつく。
「はぁ、先輩と出会ったタイミングって相当悪かったみたいですね。うーん」
彼女は伝票を持ち、席を立つ。
「僕が払うよ」
「いいんです。惚れた人のお金は払いたいものなんです」
ご迷惑もおかけしましたし。
その言葉と共に、彼女は僕の伸ばした手をそっと握り、ささやいた。
”先輩の恋が実らないことを祈っています”
「……とんでもないことを、言うね」
「だって、そうじゃないですか。顔も知らない人の幸せより、自分の幸せの方が大切ですから」
握った手をあっさりと離し、彼女はゆっくりと去っていく。
人生初体験だ。
初対面で告白されて、お金持ち自慢され、不幸を祈られたのは。
違うか。不幸を祈ってるというより、自分と付き合った方が私もあなたも幸せだって思ってる……気がする。
凄い子と会っちゃったなと思っていたら、声が聞こえてきた。
「せんぱーい。私、信じてることがあるんです。人との出会いは『一度目は運命。二度目は偶然、三度目は必然』だって」
だから、
「もしまた会えたら名前教えてくださいね!」
彼女は会計を手早く終え、店の外へと出ていく。
「あぁ僕と彼女って名前すら知らないのか……」
妙なことに感心してしまう。
初対面で、名前すら知らない後輩。なのに話しやすかった。
もしかしたら。違う状況、違う場面なら付き合うっていう選択肢があったのかもしれない。でも、今の僕には彼女のことしか頭になかった。
柑崎さんと付き合いたい。
落ち込んでいた気持ちは、いつの間にか行動するエネルギーへと変わっていた。
スマホを取り出し電話をかける。
「もしもし水原です。……うん、電話に出てくれてありがとう。
あの、もし柑崎さんの都合さえ合えば」
――今日、もう一度会いたい
「よかった。じゃあ今日の二十時に響谷公園で」
緊張、したな。