番外編2 彼女の気持ち
「また、アイドルをやってみない?」
文化祭の熱が残っている体育館。
昔を――さっきの気持ちを思い出すには充分な熱気と人がいた。
周りの喧騒が、私の鼓動を高めていく――
◇
怖い。
歩くたびに足が重くなって、心臓が壊れてしまいそうになる。
「はぁっはぁ……」
舞台の中央が近づいてくる。
違う。私が近づいているんだ……。
足元の景色は暗くて狭い。
なのに、視線が集まっていくのを体で感じる。
それを感じる度に逃げたくなってしまう。でも――
「あっ」
着いたんだ。
スポットライトの光を浴びて、それに気づいた。
「――それでは柑崎さん、よろしくお願いします!」
委員長さんの言葉に、頷く。
歌わなきゃ、挨拶しなきゃ。
マイクを――『自分の命と同じ物』と教えられた――それを握り締めた。
そして視線をお客さんの方へと向ける。
大勢いた。
「……あっ、ぅっ…………」
声が出ない。
あの日と同じように。
水原さん……水原さん……。
逃げたくて泣きたい気持ちを堪えてあの人を探す。
でもどうしても見つけられない。必ずいるのに……。
水原さん……。
ごめんなさい。
今の私じゃ見つけられないみたいです。
……
景色は暗くて狭いものになっていた。
走馬灯のようにあの人との――出会った時やカラオケに行った日、そしてリハーサルの時に――学校生活が思い出される。
自分には無縁だと思っていた学校生活。委員会の活動で頭を悩めて、時には笑いあって。そんなささやかな幸せが、あの人の近くには当たり前のようにあって。
あなたに私の歌を聞いてほしい。
でも、だめなのかな。歌えない声が出ないよぉっ。
……
光だった。
私にとってあの人は足元を照らしてくれる光で、
「――ええっ! ――見てる! ――くれぇぇぇぇっ!!」
そばにいてくれる暖かな光。
「僕だけを見ろおぉぉぉっ!!!」
……はいっ!
顔を上げた先には彼がいた。
歌うからには多くの人に聞いて欲しい。
本心だった。昔から、それこそデビューした時から気持ちは変わらない。
でも、今この瞬間だけは――
「最後の曲は『君のための物語』です。聞いてください」
あなたのために歌いたいです。
……
水原さんは私を見ていてくれた。
だから、私もあなたを見失わずにいられる。
『おめでとう。君が生まれた日のことを今でも覚えているよ』
優しい歌。
初めてあなたと出会った日に聞いた歌。
……恥ずかしいこともあったなぁ。うぅっ。
『ありがとう。君が生まれた瞬間、世界が変わり始めた』
でもなぜか、水原さんは苦しそうに悲しそうに歌を聞いている。
鼻歌を歌っている時もそうだった。教えてほしい、あなたの悲しみを教えてはくれませんか? 今はその想いは届かない。
だからせめてその痛みが癒されるようにと祈りを込めて歌う――
体育館全体が明るくなった。
それと同じタイミングで、もったいないくらいの拍手が沸き上がる。
そっか、
「ありがとう、ございました!」
私、歌い終えたんだ。
……
やりました……やりましたよっ。水原さん!
笑顔で大きく手を振ってくれている彼に、心の中で大きな大きな声で伝える。
ほっとした笑みが浮かぶ。その笑顔を見てとても満たされた。
もう一度お礼を告げる。
その時に安堵して水原さんから目をそらしてしまい、気づく。
マネージャーさん……?
◇
「まさか彩乃の歌う姿をまた見れるなんてねぇ」
体育館の片隅でしみじみと言った。
「あ、あのマネージャーさんはどうしてこの学校に?」
ピンク色のシャツに、ビジネススーツを着込んだ女性。
私の元マネージャーさんに尋ねた。
「彩乃に会いに来たの」
心臓の鼓動が更に早くなる。
引退して二年。もう会う機会はないと思っていた人。
その人が私に会いに来て、なにが理由で、どう話せば――
「――って言いたかったんだけど。実は出張でこっちに来て空き時間にたまたま寄ったわけ」
ここの演劇部の子は粒揃いで有名だから、視察も兼ねてね。
「そしたら彩乃がいるんだもの! もう他のことなんて全部忘れたわ」
「あはは……偶然だったんですね」
「そりゃそうよ。あなたには負い目もあるし、もう会えないかなって」
申し訳なさそうな顔をする。
だけど、それは私の方だ。
「ごめんなさい。今でも最後に歌えなかったこと、後悔しています」
引退ライブをする予定だった。
でもリハーサルの途中で歌えなくなって、会社にもマネージャーさんにも大変な苦労をかけた。
歌えなくなったあの日のことは今でも夢に出てくる。
ごめんなさいともう一度頭を下げて謝った。
するとマネージャーさんは「ノンノン」と明るく冗談を言うように話す。
「小学四年生から中学三年までやりきったじゃない! 九州のローカルアイドルが果てには全国区の歌姫。今でもあの時のことは夢のように思えるわ」
「懐かしいですね……。覚えてますよ。最初はマネージャーさんが変わった仕事ばかり選んできたこと」
「仕方ないじゃなーい。あの時は私も新人だったし? あ、そうそう。出世したのよ。見てみて!」
名刺を一枚差し出してくる。
「統括マネージャー……?」
「そ。彩乃の功績が認められて無事出世! だから謝ることなんてないの。引退ライブも公には告知してなかったから、損害も大したことなかったし。むしろ電撃的に引退したから、今でもあなたは伝説の存在」
ネットで自分を調べたことある?
「いえ、そういうのは怖いですから」
「見たら腰を抜かすわよ。良い意味で」
マネージャーさんはそこで喋るのを止めた。
そして一呼吸して、頭を下げる。
「ごめんなさい。あなたが歌えなくなるまで追い詰めてしまったこと、苦しみに気付けなかったこと。謝らせて頂戴」
「……顔を上げてください。こちらこそ迷惑をかけてごめんなさい」
「ありがとう。でも彩乃は謝らなくていいのに……」
ま、相変わらずで安心した。
そう言ったあと晴れやかに笑う。
「今日のライブ最高だったわ。あの子も連れてくればよかったかしら」
で、
「立ち直れたきっかけは彼のおかげ?」
「彼……?」
「いたじゃない! 桜色の棒をブンブン振り回しながら『好きだー。結婚してくれぇ!』って言ってた子」
水原さんのこと!?
えっ、見てくれって聞こえたけど……。
でもマネージャーさんの方が近くにいたし、どどどうしよう。告白されてたなんて。
あ、思い返してみたら打ち上げって言葉の前にデートって言ってたような……。
じゃあ初めての初デート!?
でもでもまだお返事してないし、だけどデートに行くってことはもう付き合いますってことになるのかな!
「どどどうしましょうマネージャーさん!」
「あ、ごめん。『結婚してくれ』じゃなくて『見てくれ』って言ってた気がする」
「ま、マネージャーさぁん……」
ごめんごめんと軽く返事をする。
この人は昔からちょっと適当だ。
「水原さん……相手に失礼です。そういうの」
「ごめんなちゃい。でも、付き合ってないのか、そうかー」
うん。
マネージャーさんはひとりでに頷いたあと、私を見る。
真剣な話だとすぐにわかった。
「また、アイドルをやってみない?」
心臓の鼓動が高まる。
不安じゃなく期待への鼓動だ。
「今日の彩乃を見て確信した。あなたほどの歌声とは、私が生きてるうちにもう会えないってね」
マネージャーさんと会った時から期待していたのかもしれない。
「どうかしら……? 正直今人生で一番緊張してるわ。ゼク○ィ読んで結婚式場でイケメンから告白されるのを妄想してる時並みに」
もう一度歌える。
多くの人に私の気持ちを歌を届けることができるって。
「その――……」
先の言葉が言えない。
もう一度アイドルをやりたいと言えなかった。
水原さん……。
彼の苦笑いと優しい幸せの詰まった笑顔が、なぜか思い浮かんだ。
「彼よね。うん、認める。いい男だと思う。ちょっとやそっとの気持ちじゃあんな観衆の前で叫べないもの」
「付き合ってるわけじゃ……」
「わかってるわ。だから、あなたを勧誘してる」
でもね、
「私にはどうしても彼が愛を叫んでるようにしか聞こえなかった」
「……」
「あー私も愛を叫んでくれる彼氏欲しい! 欲しい!」
子供のように地団駄を踏む。
マネージャーさんは場を重くしないために気を使ってくれている。……それと本音も半分くらいあるかも。
苦笑いをしたあと、少し躊躇いつつも念のため聞いてみる。
「その……システムというか、制度って昔のまま」
「残念ながら変わんないわ。アイドルは一律二十歳まで彼氏彼女禁止」
文句言ってるんだけどねー。
と言ったあと、マネージャーさんは悪戯な笑みを浮かべた。
「でも、彩乃の再デビューはアイドルってより歌手として売り出すつもり。だから高校を卒業したあとは自由よ」
ふふっと不敵な笑みをこぼす。
「じゃ、じゃあ大学に行くことも」
「もちろん。学業優先でいいし、彼とのキャンパスライフもね」
もし文句言うやつがいたら、社長でもこうよ!
壁に向かってパンチをする姿は昔と一緒で頼もしかった。
水原さんと……
キャンパスライフ……大学生活かぁ……。
♪
『あなたとこの桜並木を歩くのも何度目でしょうか?』
『大学も一緒の場所に行けてよかった……。しあわせ、です』
『今日はお弁当を作ってきたんですよ。この桜の中で一緒に食べれたら嬉しいな……なんて』
『はいっ! 好物を沢山作ってきたので、楽しみにしていてくださいね!』
♪
うわぁぁあああんんっ!
考えてみたら水原さんの好物を知らないよぉ!
「いたっ」
ベットで転がっていたら床に落ちてしまった。
うぅいたい。というか、私なに考えてるんだろう。
お弁当よりも先に考えなくちゃいけないことがあるのに。
「アイドルか水原さんか……」
白い帽子を見る。
フックにかけられたそれには、昨日の思い出が詰まっていた。
「うさぎさん可愛かったなぁ、パフェも綺麗で……」
楽しかった。
なにより私の為に動物園や植物園を選んでくれたことが嬉しくて。
水原さん、退屈じゃなかったかな。今度は私が合わせよう。
あ……
今度なんてないのかもしれない。
告白してくれたからこそ。
「アイドルか水原さんか……」
もう一度同じ言葉を呟く。
嬉しかった。好きだと言ってくれて。私も自然と言葉が浮かび上がっていた。
”好きです”
でも、言えなかった。
水原さんと付き合えばアイドルの道は途絶える。
アイドルになれば、水原さんとは一緒にいられなくなる。
……そんなことない。
「アイドル活動を再開して、水原さんには高校卒業まで待ってもらって、そのあとにお付き合いすればっ……両方!」
って、そんなの身勝手すぎるよ!
本当にどうすれば……どっちかを選ぶかしかないんだよね。明日には学校があるしできれば今日中に決めないと……なんて思ってたらもう夕方……。
「はぁ」
アイドル水原さんアイドル水原さん……。
二つの言葉を頭の中で繰り返していると、ある光景が浮かんだ。
舞台で歌を歌う自分の姿が――
……
「……」
ごめんなさい。
「……ひぇっ。電話?」
水原さんに連絡しようとした時。
スマートフォンの着信音が耳に届いた。




