19話 彼の告白
まるで別人のようだ。
鏡の前に立つ自分自身を見てしみじみと思う。
流行りの髪型に、春という季節を意識したオシャレな服装。おまけに香水を微かにつけているため、良い匂いすらする。それもこれも昨日行われた皇アドバイザーによる指導の賜物だ。
正直ちょっと落ち着かない。
だけど、いまの自分は控えめに言っても、バリモテシャレオツ男子の称号が頂ける感じだ。
「あ、すみません」
悦に浸っていると後ろに人が並んでいることに気づいた。
いかんいかん、危うくナルシストになるところだったな。
鞄の中にある白いタオルを確認したあと、駅のお手洗いを出た。
めちゃくちゃ緊張する。
お手洗いを出たあと、待ち合わせ場所へと来ていた。
改札口付近は人が多い。ここで彼女を待たせるのは悪いと思って、待ち合わせの三十分前に来たけど……。
流石に早すぎたかなと思いつつ、念のため周囲を見渡す。
あれ、もしかして……?
コンビニと改札の間。影に隠れた絶妙な潜伏スポット。
ものすごーく目立たない位置に、ものすごーく目立つ白くて大きな帽子を被った少女がいた。
あれか、あれなのか。道行く人に結構見られているけれど、大丈夫なのかな。
心配を胸に少女の元へと歩いていき、声をかける。
「おはよう。柑崎さん」
「おはよう……ございます」
彼女はちらっと顔を上げて返事をした。
「待たせちゃってごめんね。疲れてそうだけど、大丈夫?」
「ふふっ……人混みの中は、やっぱりダメですね……」
儚げに呟き、瞼を伏せる。
気をしっかりもって! と言いながら、彼女を外へと連れ出す。
落ち着いたところで、動物園&植物園に向かうためのバスへと乗り込んだ。
◇
夕日が沈み行くように、文化祭も終わりを迎えようとしていた。
それは僕たちの関係も同様だ。文化祭が終われば二人が会う理由はなくなる。他人のような――出会った頃のような関係に戻っていくのだろう。
柑崎さんは校舎へと走り去っていく。
自分はその姿を見て……
『声をかけた』
『思い止まった』
声をかけた。
出会った頃のような関係になんて戻りたくない。
――もっと仲良くなりたい。
振り返ってくれた彼女に、気持ちを吐露する。
「その、ここまで委員会活動も歌も頑張ったんだしさ」
頬をかく。
この先を言うのが恥ずかしい。
「デート……二人で、打ち上げをしない?」
驚いたように見えた。
彼女は少し俯きながら、とことこと戻ってくる。
そしてこちらを見上げた。
「私でよければ、打ち上げ……したいです」
返事からしてデートって言葉は聞かれていなさそうだ。
安心したけど、残念でもあるような。
……
夕日が赤く燃えていく。
照れや恥ずかしさを包み込むように。
僕たちは連絡先を交換したあと、また会うことを約束して別れた――
◇
今日、告白をするかもしれない。
でも今はそんなことよりも、あの時に勇気を出して良かった。
「わっ、うさぎが沢山集まってきました!」
いまの柑崎さんを見て思う。
彼女の格好はファンシーだ。
つばの広い丸くて大きな白い帽子を始めとした、可愛らしさ重視の洋服。
でも、その中にも彼女の「肌を見せるのは恥ずかしいので……」という気持ちが格好に表れていた。
新鮮かつ彼女らしくて可愛い。
しかも、極めつけにうさぎと戯れる無邪気な姿! ファンシーな格好と相まって、童話の世界にでも来たかのような気分だ。
夢心地に浸っていると彼女が楽しそうに餌を与えていた。
「水原さん! うさぎさんが私の人参を食べてくれてますっ!」
体調が悪かったのは過去のこと。
彼女は動物園に来てからというもの、動物を見るたびにテンションが上がっていった。
そしてここ――ふれあい広場に来てから更に顕著になっている。
「可愛いね……ッ」
「はい! こんなに近くで、こんなに沢山のうさぎを見たのは初めてです」
新鮮なのは格好だけじゃない。
その性格も普段とは違った魅力がある。まさかテンションの高い柑崎さんがこんなに可愛いとは……!
色々な意味で悶え苦しんでいると、彼女がうさぎを抱きしめようとしていた。
しかし抱きかかえてもすぐに逃げられてしまう。その姿を――徐々に涙目になっていく彼女を――何度か眺めたあと、助け舟を出す。
「柑崎さん。ちょっと見てて」
僕は適当なうさぎを選ぶ。
ブリューに似た赤茶けたそれの首根っこを掴み、丸めるようにしてお尻を支える。
「はい、これで完成。うさぎ饅頭の出来上がり」
そのお饅頭を渡す。
彼女は慌てながらもしっかりと抱き抱えてくれた。
「わぁ、逃げません。それに暖かくて柔らかいです……」
至福の表情を浮かべながら、うさぎに頬ずりする。
僕は無言でスマートフォンを取り出した。そして撮る直前に、
「一枚、撮ってもいいですか……!」
最後の理性を振り絞って確認を取る。
彼女は恥ずかしそうにしながらも「うさぎと一緒なら……」と答えてくれた。
パシャリ……
パシャリ パシャリ!
一枚と言ったな。あれは嘘だ。
彼女と(うさぎ)のツーショットを何枚も撮っていると、飼育員さんから「よければお写真撮りましょうか」と声をかけられた。
僕はそれに必死で頷き、白いうさぎを抱え、彼女の隣に立った。
「み、水原さん!?」
「写真を撮ってくれるみたいだから、ねっ!」
「はっはい!」
柑崎さんはいつものように緊張し始めていた。
僕もそれを見て緊張する。
でも、いつもより距離はずっと近くて……
パシャリ
飼育員さんはそれを見て笑っていた。
「次はどこに行きましょうか」
柑崎さんはパンフレットを見ながら尋ねてくる。
うさぎやモルモットとの触れ合いを終えたあと、僕たちはまた園内の散策を再開していた。
ちなみに彼女のテンションはもう落ち着いてしまっている。残念。
「ペンギンにライオン、カピバラにキツネさんもいるみたいです」
うーんと迷いながら彼女が尋ねてくる。
「水原さんは気になる動物、いますか?」
「そうだな……」
なんでもと言いかけて止める。
こういう時はしっかりと答えを出すように、って言われたな。
頭にいくつかの動物を思い浮かべたあと口を開く。
「ライオンを見てみたいな」
「ふふっ、なんだか男の子らしいですね」
「あー言われてみればそうかも。別のにしようか」
「いえいえっ。ライオンを見に行きましょう!」
彼女は僕よりも少し前を歩く。
め、珍しい。普段は淑女よろしく斜め後ろを歩いているのに……!
「……ふ……ッ」
折角だしと隣を歩こうとする。
しかし、絶妙な速度で躱されていく。
前に出たと思えば彼女はサッと後ろに、速度を落とし後ろに行けば彼女は前に。
なんだこれ。
僕はまだ一緒に歩くことを許されていないのか……ッ!
心の中で悔しがっていると、
「み、水原さん?」
不審に思われてしまった。
いかん。これでは隣を歩くどころじゃなくなる。
僕は「ごめん、ぼーっとしていて」と謝り、引き下がった。今日のところはね!
自分たちにとっては文化祭代休日。
でも、他の人からしたら普通の月曜日ということもあり人はまばらだ。
来ているお客さんも学生より、家族連れや孫を連れたお爺ちゃんお婆ちゃんが多い。
「どうしてレオ起きないのー」
百獣の王たるライオン。
自然を模した檻の中にいる彼は流石の人気を誇っているのだが、いまはお休み中。
子供が目の前を通っては残念そうな顔をして去っていく。
その中で僕たちは結構粘っている。五分くらい。
「こりゃ起きないかな。別の所に行こっか」
「そうですね……」
頷きつつもその場を離れない。
彼女が見守っているのはライオンではなく、子供だった。
「がおーって吠えるところみたい!」
「そうだな……でもライオンさんも疲れてるんだ。また、今度来よう」
「うーーっ……」
僕たちよりも前にいた親子。
子供は残念そうにしながらも、父親と重い雲の浮かぶ方へ足を向ける。
沈痛な面持ちを浮かべたあと柑崎さんは何かを決意したような表情を浮かべた。
雲間から太陽の光が差し込む――
「が、がお「ゥンガァォオオオオオォン!!」ー」
「わぁレオ起きたっ! がおーって吠えたよ!」
子供が嬉しそうに檻の方へと駆け寄る。
後ろにいるお父さんもほっと笑顔を浮かべていた。
柑崎さんといえば……
「……」
頬を赤く染めながらも、微笑んでいた。
「よかったね」
「はいっ」
彼女とライオンをたっぷり観賞したあと、乗馬体験をし、園外の昼食先へと向かう。
僕は改めて彼女と付き合いたいと思った。
火坂お勧めの場所で昼食を終え、動物園に隣接する植物園へと場所を移した。
天気は曇り空から雨空へと変化していき、小雨がパラパラと降り注ぐ。
場合によっては焦る場面。だけど、大丈夫!
「雨が降ってきましたね」
彼女はガラス越しの空を見上げながら呟いた。
そう、ここの植物園は温室メイン。雨が降ろうとも全く問題ない。天気予報のお姉さんありがとう!
「水原さんの言う通り、動物を先に見に行って正解でした」
そして自分ナイス判断! 今日は褒めます!
まぁ植物園を後へ回したのには、もう一つ理由があるのだけれど……。
僕たちは園内をゆっくりと歩いていく。
鮮やかな赤や黄色の花々に、緑豊かな植物たち。遠目で見れば似ているようなものも、実際に近くで見てみれば形や色合い、匂い。そのどれもが全然違う。
こうやって花や植物をしっかり見るのなんていつぶりだろう。とても贅沢な時間だ。
冷房室に足を踏み入れてみると、
「あっ、ケシの花。赤に白に、青も!」
彼女は花壇を眺めながら感嘆としていた。
「これって珍しい花なの?」
「青い色のものは特にっ。このお花はブルーポピー、ヒマラヤンブルーとも言われてて、高地でないと咲かなくて仮に低地で開花してもあまり鮮やかな色にはならないんです。こんなに綺麗なのは初めて見ましたっ……。って、青いケシの花を見ること自体初めてなんですが」
いつか自分でも育てて見たいなぁ。
そう呟いたあと、小さく笑みをこぼす。
「柑崎さんが楽しそうで、僕も嬉しいよ」
ここに来て正解だった。
冷房室を出たあと、視線を樹木へと移す。
「あの木に実ってるのは……おぉカカオだって」
ラグビーボールのようなサイズの物が実っている。思ったより大きい。
「あそこからチョコレートが取れるなんて、不思議ですよね」
「うんうん。イメージできない」
花や緑に囲まれた道を歩いていく。
時には柑崎さんに花々の説明をしてもらい、時にはお互い驚き合った。
そうした時間を重ねていく中で彼女から質問をされる。
「どうしてここを選んだんですか?」
意図がわからず聞き返すと、柑崎さんは話を続けた。
「えっと、打ち上げという言葉を聞いたときはカラオケやそういったものを想像していて」
「確かに植物園とかをイメージしないよね。あはは」
思い出す。
ここを選んだ理由は単純明快だ。
「自己紹介の時に柑崎さんが花を好きって言ってたから」
だから打ち上げという名目の――デート。
そこで行く場所は植物園と最初から決めていた。
場所を決めたあとはお二方の力を存分に借りたわけだけど。借りた代償として、告白した場合は結果を教える……なんて約束は忘れたい。
ほんの少し現実逃避をしていたら、彼女が静かに呟く。
「覚えていてくれたんですね。すごく、嬉しいです」
胸の前で手を組みながら微笑んでくれる。
少し残念なのは帽子のつばが広くて、あの黒曜石のように綺麗な瞳がちょっとしか見れないことだ。
思い返せば、あの瞳をを見たときに僕は彼女を意識し始めた。
「そうだ。覚えているといえば、柑崎さんが花に謝ってる姿は」
今でも印象に残っている。
そう口にしたところで、時間が止まる。
もしかしなくても、喋っちゃいけなかったやつ……?
そーっと彼女を見る。
わなわなと震えていた。
「ど、どどこでそれを見てたんですか!?」
「朝、クラスで花に水やりを、してるとき」
柑崎さんに胸元を掴まれながらも質問に答えた。
力強くないから痛くはないのだけど、距離がめちゃくちゃ近い。彼女とは違う意味で動揺する。
「……ぅあ」
そんなうめき声と共に、解放される。
すかさず距離を取り呼吸を整えて動揺を隠していく。
彼女はといえば……
「水原さん、あれは違うんです。たまたまなんです。私のミスで花にダメージを与えてしまってごめんなさいっ! と思っていたら体が自然に反応してしまったんです。つまり普段から花と会話してるなんてことなくて――」
必死に弁明をしていた。
そこで僕はクールに対応する。
「そそそそういう時もあるよね!」
我ながらこういう所は成長してません!
お互いに「あはは」と乾いた笑みを浮かべたあと、吹き出すように笑い合う。
僕たちの焦る場面や驚く場面が似ていて、そこがどうしようもなく面白かった。
彼女は笑いを残しながらも口にする。
「少し、疲れましたね」
「なら――」
前方を指差した。
「柑崎さんの、もう一つ好きなものを食べに行こうか」
温室内にある開放的なカフェ。
そこで名物のフルーツパフェを注文したあと、周囲の景色を眺める。
遠くでは滝が流れては水しぶきを上げ、近くでは鳥や蝶が青々とした緑や花々に集まっていた。
あぁマイナスイオン。マイナスイオンを最高に感じる。
でもそれ以上に最高で素敵なことがあった。
「それって編み込みだよね」
対面に座る柑崎さんへ尋ねた。
彼女は席へ着いた際に白くて大きな帽子を脱ぎ、淡い薄紫色の長髪を晒していた。
花にも負けない美しい髪に、今日は側面から後頭部にかけて――羽を閉じた蝶のような――綺麗な模様が編み込まれていた。
美しい、綺麗、ビューティフォー。
なのに、なぜだ。
「は、はい。折角のお出かけだったので……その変じゃないですか?」
「まさか。なんで隠してたのか不思議なくらい、似合ってるよ」
「……っ」
彼女は小さく呟く。
やってみてよかった、か。こちらこそやってくれてありがとう。
心の中で感謝を告げている間に、パフェが運ばれてくる。
「「わぁーっ」」
二人揃って感嘆の声を上げた。
「綺麗ですっ」
「大きいね!」
アイスや生クリーム、フルーツが盛り沢山
その上ここの名物たる所以、食べられる花――エディブルフラワーが、パフェを芸術的なものへと昇華していた。
食べることに戸惑いはある。
でも、食べてみたい! ということで、スプーンを手に取った。
一つのグラスを二人でつつきあうので許可を取っておく。
「食べていい?」
「あ、もちろん。お先にどうぞ」
ちなみにこのパフェは”カップルにお勧め”の一品だったりする。
傍から見たらもう! なんて思いつつ食べようとして――
「ぅ……」
止めた。
引っ込めた手をもう一度グラスへと伸ばし――
「あっ……」
彼女がビクつく。
花か、もしかして花を食べられるのに抵抗感があるのか。
もう一度花へと手を伸ばし確認してみる。……いい反応だ。あれだね。柑崎さんはマリ○カートとかやったら、体も動くタイプに違いない。
このまま反応を楽しむのもいいかなと思いつつ、口を開く。
「食べて、いいですか」
「も、もちろんです」
彼女は目を閉じ下唇を突き出す。
まるで自分が食べられるかのようなポーズ。
か、可愛い。
けど!
「こんな味するんだ。シャリシャリしてシロップにつけてあるのかな。お、桜の花はしょっぱい。甘いのと食べると良い感じ。この大きな花びらは……」
容赦なく食べる。
五種類あった花を一通り食べたところで、柑崎さんにも勧めた。
「うぅ、そうですね。食べてみます」
いただきます。
そう口にしたあと、パクリと食べる。
「あ、おいしい」
「だよね!」
会話に花を咲かせながら次々と食べていく。
食べ終わる頃には申し訳なさそうな表情は消え去っていき、
「晴れてきましたね」
晴れやかな青空が広がっていた。
カフェを出て小一時間。
僕たちは植物園の中にある小さな山を登っていた。
ぬかるんだ足元に気をつけながら、後ろを振り返る。
「少し休む?」
問いかけに彼女は首を横に振る。
表情から察するにだいぶ余裕があるように見えた。意外だ。
「体力あるんだ」
「どちらかといえば。運動は苦手なんですけどね」
舗装された道を進んでいく。
上も左右も緑が深く、薄暗い道が続く。
だが、徐々に視界は開けていき――眩いオレンジ色の空に言葉を失う。
街を一望できる場所。
周囲は場所柄か花や緑の手入が行き届いている。
絶好のロケーション。告白をするにはうってつけだ。
そう、僕は柑崎さんに告白をする。
「こんな場所があったんですね……」
植物園を最後に選んだ理由。
それはここで告白するためだった。
「……」
雨が降り続いていれば告白はしなかっただろう。
でも、幸いなことに止んだ。そして雨が降っていたおかげで周りに人はいなかった。
まるで神様が背中を押してくれるようにさえ思える。
今日デートをして改めて実感した。
僕は柑崎さんが好きだ。
「水原さん?」
雨の匂い、濡れた花の匂い。
夕焼けのオレンジに彼女との思い出を浮かべる。
「柑崎さん」
彼女の穏やかな瞳が好きだ。
でも、歌を歌っている時のキラキラしている力強い瞳も好きだ。
ふわりとした長いまつ毛も魅力的で、薄紫色の艶やかな髪も好きだ。花に謝っている姿も、時折見せてくれる笑顔も、舞台の上で必死にもがいて戦い続けたあの時も――。
好きな理由を思い浮かべたあと、最高の笑顔を浮かべる。
「――大好きです。付き合ってくれませんか?」
瞳が驚きの色に染まる。
僕自身も唇が震え、手足も落ち着いてないことに気づいた。
でも笑顔だけは浮かべていたい。
「あ、あの」
彼女が息を漏らすように言った。
「私でっいいんですか……?」
「そうだよ。か、柑崎さんがいいんだ!」
特別な出会いなんかじゃない。
でも君に興味を持って、好きになっていた。
「わ、私も」
本当は理由なんてないのかもしれない。でも好きになったのは柑崎さんだった。
……
「私もあなたのことが――」
風が吹く。咲き終わったはずの桜が、僕たちの間を舞った。
「あなたの……ことが……」
言葉が尽きる。
「……ごめんなさい。考えさせて下さい」