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18話 彼と彼女の文化祭

 彼女の瞳が不安げに宙を彷徨っては、僕を捉える。

 そんな動作が何度も繰り返されていた。


 わかっている。わかっていますとも。

 こう言いたいのでしょう。いつまでそんなところにいるんです……! と。


 僕は深呼吸をして口を開いた。


「次は料理部の”三分クッキング”です。また、本館一階では郷土料理も振舞っております。そちらにもぜひ足をお運び下さい。それでは準備も整ったようなので、よろしくお願いします」


 下手(しもて)側の明かりは消え、体育館の舞台中央に明かりが灯る。

 それを確認し、下手側にある階段から急いで客席へと降りた。そして待っていましたと言わんばかりの委員長にマイクを渡し、客席中央へと向かうため、照明の消えた通路を走る。その際――舞台の方へと一瞬振り返る。柑崎(かんざき)さんが舞台袖から僅かに顔を出していた。先程よりも不安そうに舞台や客席を見る彼女にガッツポーズをする。見えてはいないだろうけど、今はそれでいい。


 残り時間は三分。

 この短い時間で、僕は誰よりも目立たなくてはいけない――

 

 


 油のはじける音に、肉の香ばしい匂い。

 料理部のノーカット版三分クッキング。部員二十人以上×三分で、日本料理から中華料理、果てにはフランス料理を作るという無茶な企画。舞台上からは怒声、観客席からは歓声が湧き上がっていた。

 凄い気になる。めちゃくちゃ見てみたい。食べてみたい。だけど、僕にはやるべきことがある……!


 グッと拳を握り締めがら、暗い体育館を走る。

 そして料理部の催し――三分が過ぎる前に、客席中央の最後方にある立ち見席へとたどり着く。


「よっ、待ってたぜ」


 そこには火坂(ひさか)を始めとする幼馴染三人組がいた。


「体育館で火気ってすげえよな。うおっ、火柱立ったぞ」

 

 彼の声と共に、観客が本日一番の歓声を上げる。

 さっきまで怒声を上げていた料理部員達は静かになり――感謝の言葉を告げていた。

 もう時間がない。三人に向かって「準備は?」と尋ねる。


「ケミカルライト」


 (こころ)はそう答えたあと、白い棒状の物を折った。

 するとその棒は桜色の光を放ち始める。


「ありがとう」


 それを受け取っていると、火坂が「じゃあ次は俺だな」と謎の物体を差し出してきた。


「これなに……?」

「光るサングラス」

「却下」


 怪しげな光を放つサングラスを受け取らなかった。

 確かに目立ちはするけれど、そもそもこれを付けたら柑崎さんが僕だと気づけなくなる。 

 火坂の「これのために恥を忍んで輪投げをしたんだぞ」と言う言葉を聞き流す。


「それで、脚立はどこに」


 僕は今回三人に『暗所(あんしょ)で目立つもの』と『脚立かそれに近いもの』の用意をお願いした。

 だけど、それは叶わなかったらしい。火坂が近くにある出入り口付近を見ながら「先生に没収されちまってな」と呟いた。

 

 どうすれば……と頭を悩めていたら、野山(のやま)が口を開く。


「使え。そのための巨体だ」


 彼は腰を下ろし膝を折り曲げる。

 そして首を小さく丸めた。これは、もしかして……。


「ごめん、お願い!」


 野山の肩に乗っかる。

 すると彼は「ふんっ」と声を出しながら、立ち上がる。

 視線は瞬く間に高くなっていき空へと飛び立つような感覚を受けた。流石は身長百九十センチメートル。


「まさかこの歳で片車をしてもらうなんて。懐かしいな」

「ふっそうだな。小学生の時にはよくやった」


 火坂はからかうように、懐かしむように言う。


「ちなみに、脚立を没収された理由は野山が素直に使用目的を話したからだ」

「……すまん」

「構わないさ。充分だよ」 

 

 さて――

 ケミカルライトを片手に、舞台に視線を向ける。

 料理部員は去り、調理機器はもう片付けられていた。


 司会を代わってもらった委員長がアナウンスをしている。

 すると、舞台袖から柑崎さんが出てくる。薄紫色の長い髪を揺らしながら、体を小さくしながら。


 緊張している。

 そう思ったのは、僕だけじゃないだろう。


 

 ……



 彼女は歩くたびに緊張のせいか、歩く歩幅が小さくなっていく。

 やっと歩き終わった。舞台中央へと姿を表す。多くの視線が彼女に集中していた。

 運が悪いことに体育館の座席は満員御礼。僕らのような立ち見客さえ多くいる。


 こんな中だけど、でも頑張れ。

 昨日の彼女の歌う姿を思い出しながら、今の彼女を見つめる。


 委員長が柑崎さんの姿、それに時間を確認したあと「――よろしくお願いします!」と口にした。彼女は小さく頷いたあとマイクを両手で握り締める。

 そして前へ――客席を見る。


 頑張れ、頑張れ。

 僕は心の中で何度も呟く。


 だけど「……あっ、ぅっ…………」と微かな声が響くだけ。

 

 料理部のパフォーマンスで盛り上がっていた体育館。

 それが嘘のような静けさに包まれる。だが、それも一瞬のこと。

 次第にざわめきたっていく。


 委員長がフォローしようとするけれど、焼け石に水だった。


 柑崎さんはもう前を見ていない。

 いつかのように、足元の狭い場所を何度も彷徨っているだけだ。


 ダメなのか。自分も視線を落とす。

 いや、自分が信じないでどうする。なにか出来ることは。


 ……


 頑張れ、頑張れ、僕も、頑張る。

 顔を上げ彼女のことだけを見た。そして声を上げる。


「がんばれぇええええっ! 僕が見てる! 僕だけを見てくれぇぇぇぇっ!!」


 はずかしぃいいいい!

 桜色のケミカルライトを振り回し、声を上げる。

 近くにいる火坂たちの観客の視線が僕に集まっていく。


 羞恥心が高まっていく中、もっともっと声を張り上げて叫ぶ。


「僕だけを見ろおぉぉぉっ!!!」


 観客の視線が全て集まったと確信した時、柑崎さんが顔を上げた。

 そして――重なり合う。 


 ……


 時間が止まった。

 そこには僕と彼女しかいなくて……。

 黒曜石のような綺麗な瞳が、僕を貫いた。 


 ……


 死ぬ。恥ずかしさで死ぬ。力尽きた。

 間の抜けたことを考えていると、待ち望んでいた声が聞こえてくる。


「あ、あの、すみませんでした。時間も押しているので、一曲目、お聞きください」


 たどたどしい言葉。

 でも彼女は前を向いてしっかりと喋っていた。

 あとはもう大丈夫だろう。彼女のことだ。歌ってしまえば堂々と楽しく歌うに違いない。


 へにゃりと体の力を緩める。

 あぁまだ見られてる。柑崎さんの気持ちが少し理解できた……。

 そう思っていると下から「ぬっ、くッ」という声が聞こえてくる。


「あ……ごめん」


 野山の側頭部をケミカルライトで叩いていたらしい。


「いや、いい。よかったな」

「うんっ」


 見上げてきた彼に対して返事をする。

 よかった、本当によかった。


「ふぅ」


 明るい音楽が流れてくる。

 僕は体に力を入れ直し、スポットライトを浴びた彼女を見つめる――




 一曲目が終わりを迎えようとしていた。

 ノリのいいポップな音楽のおかげか、会場も楽しげな雰囲気へと戻っている。


「ありがとうございます」


 柑崎さんは無事に曲を歌い終えた。

 残り二曲あるけれど、とりあえず一安心かな。

 僕は野山にお礼を言い、背中から降ろしてもらう。その降ろしてもうら最中も、彼女を見続けた。彼女もそうであれば……素敵だな。


 大きく深呼吸をしながら、背筋を伸ばす。

 そのあと肩の力を抜いた。


 二曲目を聞く準備はバッチリ。

 柑崎さんから聞いた曲順を思い出す。一曲目は明るくポップな有名曲、二曲目はスピード感がありシリアスな曲、三曲目は父さんと僕が作った曲……。

 曲順を聞いたとき、彼女に一曲目の選定理由を尋ねたことがある。他二曲とは違い、カラオケで歌ったことや特別な理由もなかったからだ。

 

 すると、彼女は意外な言葉を口にした。



 ”歌うからには多くの人に聞いて欲しくて”



 今でも印象に残っている。

 大勢の前で歌うことをあれだけ怖がっていた彼女が、大勢の人に聞いて欲しいと言う。

 矛盾しているようにさえ感じた。

 

 でも、そんな矛盾した気持ちを彼女は乗り越えたのかもしれない。

 二曲目の音楽が流れ始めた。


 


 体育館が静まり返る。

 息を呑みこむことさえ躊躇するような、張り詰めた空気。

 さっきまで曲を聞きながら会話を繰り広げていた火坂たちさえ沈黙を保っている。


 僕たちは圧倒されていた。

 舞台の上に立つ彼女の歌声に。


「ありがとうございます。三曲目、」

 

 異様な空気の中でさえ、柑崎さんは平静を保っていた。

 さっきの彼女はもういない――


 そんなことはないか。僕を見てくれている彼女に、笑みがこぼれる。  

 

「最後の曲は『君のための物語』です。聞いてください」 


 ……


 穏やかな音が流れていく。

 素朴で、飾り気のない曲。僕の技量ゆえにそうなってしまったのか、それとも父さんが意図して作ったのか……亡くなった今になってはわからない。

 ただ、この曲を聞くたびに胸が締め付けられて泣きそうになる。悲しくなった。


 生まれた頃から耳にしていて――弾き手が亡くなったあとも口笛を吹き――いま彼女がそれを歌っている。


『おめでとう。君が生まれた日のことを今でも覚えているよ』

 

 未完成だったという楽曲。

 終わることのないはずだった曲は、終わりを迎えようとしているのかもしれない。


「……っ」


 彼女と目が合う。歌声が届く。

 胸が締め付けられるような感覚は、天使のような歌声によって癒されていく。

 なのに、泣きそうだった。だけどこれは悲しみとか、そういうのじゃなくて。


『ありがとう。君が生まれた瞬間、世界が変わり始めた』


 救われたから。

 この悲しい感覚は簡単に癒されるものじゃないのかもしれない。

 それでも彼女が歌っているこの瞬間だけは心が救われた。


 あぁ、どうしてこのピアノの音を聞くと悲しく罪悪感に駆られるのだろう。

 そんな答えの出ない罪の意識を彼女が許してくれる。


 二分十秒。

 甘美で贅沢な時間の流れに身を任せた。




 


 柑崎さんは盛大な拍手で包まれる。

 そして僕と彼女は熱い抱擁を交わした(妄想)。……正直に言えば彼女は大勢の人に囲まれたあと、クラスの出し物を手伝いに行った。

 自分はそれを遠目で泣く泣く見守りつつ、司会業へと戻った次第である。


 隣にいた心が曲を聞き「むちゃくちゃよかった」と言ってくれたのが、せめてもの救い。


 夕日がしみる。時間はもう放課後だ。

 閉会式も終え、文化祭委員は片付けに追われていた。校庭で重い機材をえっちらほっちらと運んでいる。柑崎さんに会いたい。

 でも、女子は基本的に体育館での片付けだ。つまり校庭にはいないし、会えない。


「うぅ……重い、疲れた、会いたい、はぁ」

 

 なんかこう……ないの!?

 疲労とお祭りテンションイェーイにより、考えることをやめていた。


「お疲れさまです。あの、よかったらこれどうぞっ」


 幻覚? 幻覚か……?

 機材を置いた先には、僕の元へ駆け寄りタオルを差し出してくれる柑崎さんの姿。

 夢現(ゆめうつつ)かもしれないと思いながらもそれに手を伸ばす。


「ありがとう……」

「いえいえっ。少しでもお役に立てたのなら、よかったです」


 緊張から解放されたためか、彼女の笑顔はとても晴れやかだ。


「あ、ヘアピンの位置をずらしてたんだね。どうりで今日はよく目が合ったわけだ」


 柔らかなタオルで汗を拭う。

 涼しくて心地の良い風が吹く。


 僕はしょうき に もどった!


「ごっごめん。タオル遠慮なく使っちゃって! 洗って返すから」


 汗を拭う手を止めて弁明をする。

 あとなんか恥ずかしいことも言った気が……!

 焦る自分に反して彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。


「気になさらなくても……。でも、嬉しいです」

「……?」

「今日は勇気を出して、客席の皆さん――水原さんがよく見えるようにと、髪を少し上げてみたんです」


 気付いてくれてありがとうございます。

 彼女の言葉は風に運ばれて、優しく伝わってくる。

 

「どういたしまして。柑崎さんの歌、よかったよ」

「あ、ありがとうございます。すごく嬉しいです」


 夕焼けが二人の間を照らす。

 きっと僕も柑崎さんも同じ笑顔を浮かべている。そんな気がした。


 ……


 心地の良い無言の間、それを共有していると校舎側から女子生徒の声が聞こえてくる。


「柑崎さん、お客さんだってー」


 お客さん? 

 僕たちは揃って首を傾げる。


「先生、でしょうか」

「さぁ……。でも、お客さんって言うなら家族とかじゃない?」

「なるほど。ありえなくはない、かな」


 不思議そうな表情を浮かべていた。

 柑崎さんに早く行ったほうがいいと伝える。すると彼女は「そうですね……」と答えるものの立ち止まったままだ。

 その姿が今の時間を惜しんでいてくれるようで、嬉しかった。


「あの、水原さん」


 真剣な面持ちの彼女。

 僕もそれを見て表情を引き締める。


「今日は本当にありがとうございました」


 自身の両手を胸の前でぎゅっと握り締めながら、話を続ける。


「あなたが頑張ってくれたから、あんなに広い場所で、大勢の人の前で歌えました。……ふふっ少し前の私なら人前で歌うなんて考えられなくって。

 でも、今日歌ってみて楽しかったんです。

 歌うことも、それを聞いてもらうことも。緊張や不安もありましたが、それ以上に楽しかったです。少しでも皆に気持ちが伝えられたかな……。

 水原さん、こんな私に勇気を与えてくれてありがとうございました」

 

 綺麗な所作で頭を下げ、校舎へと走り去っていく。

 自分はその姿を見て……



『声をかけた』



『思い止まった』  


 

 



 


 

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