16話 彼の笑顔、彼女の涙
探す。彼女を追い求めて。
結局委員長と会話を終えて数分後、柑崎さんのことが心配で体育館を出てきた。もちろん委員長には話を通している。というか委員長に司会を代わってもらっていた。……委員長って大変だな!
すみませぇぇん!
と心の中で再度謝りながら、校内を駆けずり回る。
保健室、小部屋、柑崎さんのクラスとめぼしい場所を一通り探してみたが、目撃情報すらない。
「うーむ……」
もしや!
女子トイレ……。
「行くか……?」
文化祭前日。
校内では人が活発に動いていた。この中でやるというのか。
水原 蓮、女になる。
「ないない」
お祭り騒ぎに当てられてテンションがおかしい。
というか、人がいようがいまいがやらないから。絶対!
あぁかれこれ彼女を探して二時間。時刻は十六時になろうとしている。
委員長から十六時には一度戻るよう言われていた。ステージ終了間際の作業は独特だから経験しておく必要があるらしい。
柑崎さんの連絡先くらい聞いとくべきだったな。
そう思いながら、体育館へと戻った――
体育館での作業を終える。
終えるや否や急いで柑崎さんのクラスへ行き、鞄が残ってることを確認した。
そしてまた校内を歩き回る。誰にも連絡なしに、どこへいっちゃったんだ……。
大丈夫なのか、倒れていないか。
そう思いながら僕はトイレに入った。……もちろん男子トイレだ。
鏡を見ればめちゃくちゃ心配そうな自分の顔。
笑おう。
こんな顔で柑崎さんに会ったらきっと彼女は落ち込む。
鏡に向かって何度か笑顔を浮かべたあと、今度は校庭を探すことにした。
本館、文化棟、部活棟、野球場に室内プール……。
まず彼女が行かないであろう場所も探したあと、校庭へと戻ってきた。
歩き回ってしみじみと思う。この学校は広すぎる。いつも必要最低限の移動だけしていたから、結構な驚きがある。というか疲れた。
空を見れば太陽がだいぶ傾いている。
校舎の窓を覗けば室内にチラホラと明かりが灯っていた。きっと居残りで準備をするクラスの明かりだ。ついさっきまで騒がしかった学校は静けさに包まれている。校庭も人気がなく夕日に反射する地面が妙に切なく見えた。
うわーん柑崎さんどこにいるのっ。少し泣きたくなりながらもスマーイル。
自分、疲れているな。
本当に女子トイレへ探しに行くべきかなと思いつつ、足を動かす。
校庭の隅から隅まで探してみて、それでも見つからなければ皇さんや心に頼ってみよう。ほんとに危ない状態かもしれない。表情が曇りそうにながら歩き続ける。
そして――見つけた。
校庭の隅、なだらかな丘の上。黄色い花がいくつも咲いている。そこに、彼女はいた。
木陰に座り込み落ち込んでいた。泣きそうな表情だった。
「やっ」
膝を抱え込んだ彼女がこちらを見る。
泣きそうな表情が更に深まっていく。僕は笑えているだろうか。
「水原さん……っ」
薄紫色の長髪が揺れる。
隠れていた瞳は夕日に照らされ、涙を映し出す。
どうして泣いているの。リハーサルを休んだことなら気にしなくていい。そんな言葉の前に、聞きたいことがあった。
「体調は大丈夫?」
……
……
いくつかの時間を重ねたあと、彼女は頷く。
「よかった」
そう口にして彼女の隣に座り込む。
委員会活動を始めた当初はぎこちなかった距離も、いつの間にか自然なものへと変化していた。
「すみません……」
俯きながら小さな声で喋る。
それに対して返事はしなかった。きっと彼女は「気にしてない」とか「いいんだよ」なんて言葉を求めてはいない。
だから静かに耳を傾けた。
……
草花が風に揺れる。
僕たちを覆う影が微かに動き、彼女はそれから逃げるようにして叫ぶ。
「こわかったんですっ。たくさんの人の前で歌うのを想像して、こわくて!」
切実で激しい気持ち。
そんな彼女の気持ちとは裏腹に、人前は苦手だもんねと心の中で苦笑いを浮かべる。
「歌うのは、好き?」
ある種の答えを確信しながら尋ねた。
彼女は唐突な問いかけに間の抜けた言葉を発し、そしてこちらを伺うように見てくる。
僕と柑崎さんの目が初めて交わり合う。彼女の瞳は潤んでいて、自分は笑顔を浮かべているように見えた。
「僕は好きだよ。柑崎さんが歌う姿。とても楽しそうで、やりたいことをやっているんだなって感じるよ」
「本当ですか……?」
「もちろん」
自信を持って答えると、彼女は深呼吸をする。
そして瞳を閉じ、昔を思い出すように考え込んだあと、また瞳をゆっくりと開けた。
彼女は何かを訴えるかのように自分を見つめ、それを言葉へと変化させる。
「私も好きですっ。歌を作った人の世界にのめり込むことも、歌を聞いてくれて皆が笑顔になる姿も好きです。気持ちを伝えるのが苦手で、でも歌がそれをずっと助けてくれました」
でも!
「いまはこわいんです! 歌を歌う楽しさや興奮、気持ちを伝えることよりも……人前で歌うことがこわくて」
喜怒哀楽が詰まった言葉。
僕は思わず「辛いなら、ステージに出場するのは辞めても」と言いかけて止めた。
そして、彼女に負けじと素直な感情をぶつける。
「歌ってほしい! ここで立ち向かわなきゃもっと辛いよ」
だから、行こう!
立ち上がり、柑崎さんへと手を差し伸べる。
「あ、あの……えっと、はい」
戸惑いながらも握り返してくれた。
僕は彼女の手をもう一度確かめるように握りしめたあと、立ち上がらせる。
そして、夕日の差す花咲く丘を走っていく。
「あの! どこに行くんですか」
丘を抜け、お祭り前夜の校庭へと出る。
柑崎さんは息を軽く切らしながら尋ねてきた。
僕も呼吸を乱しながらも楽しい気持ちで返事をする。
「体育館で! リハーサル!」
「でも、もう時間は過ぎていて」
戸惑う彼女。
僕は悪い笑顔を浮かべながら、ポケットから鍵の束を取り出す。
「体育館の戸締りッ、任せてくださいってお願いした! だから練習し放題!」
彼女は呆気に取られた表情をしたあと、くすっと笑みをこぼした――
昼の喧騒を忘れた体育館。
普段とは違い、臨時の客席が設けられていた。
規則正しく並べられたパイプ椅子の一つに腰を置き、苦しんでいる彼女を見つめる。
「はぁっ……はぁ」
薄暗い舞台に立つ彼女は息切れを起こしていた。
歌を歌ったせいではない。ただ、舞台に立ちマイクを握って客席を見回しただけで、あんなにも苦しそうな表情を浮かべている。
「――――」
何度も歌おうとしていた。
でも、歌えていない。声すら出せていない。
荒く苦しい息が体育館に響き渡る。彼女はマイクを必死に握り締めながらそれに縋るようにして歌おうとする。
だが、漏れるのは呼吸音のみ。
もう見ていられなかった。抑えていた感情が溢れ出る。
「ごめん。もうやめよう……次があるよ! 次の機会に楽しんで歌えれば」
客席を立ち、なんとか立っている状態の彼女を迎えに行こうとする。
でも彼女はもがくように首を横に振り「曲を、お願いします」と呟く。
僕は立ち上がったまま、再生ボタンを押す。
穏やかな曲は最初のフレーズを置き去りにしていく。
彼女は歌えなかった。
「……」
無言で彼女の元へと歩いていく。
足音と荒い呼吸が、穏やかな曲と混じり合いミスマッチを起こしていた。
舞台へ上がる階段を登っている途中、彼女は叫ぶ。
「こないでください! いま辞めたら、歌もあなたも嫌いになってしまいますっ」
悲痛な叫びと共に、曲は終わりを迎える。
そして彼女はまたしても「曲を、お願いします」と僕に告げた。
立ち尽くす自分にもう一度彼女は同じ言葉を繰り返す。
再生ボタンは、押せない。
このまま続けてもダメだ。深呼吸をして彼女と向き合う。
どうして歌えない?
カラオケ屋では歌えて、ここでは歌えない理由。
彼女の仕草の一つ一つを見つめていく。荒い呼吸、マイクを握りしめ、顔を客席へと向ける。そして見回して……。
”たくさんの人の前で歌うのを想像して、こわくて”
校庭での会話がふと思い出された。
もしかしてと思いながら、客席中央の席に急いで戻り声を上げる。
「僕だけを見て! 柑崎さんの歌を聞きに来ているのは僕なんだよ」
他の人なんて見ないで。
俯き震える彼女に声は届いていない。
それなら彼女が見てくれるまで、想いが届くまで何度も伝える。
視線が、混じり合った。
……
……
無言で見つめ合ったあと、僕たちは心を重ね合うようにして深呼吸を同じタイミングで行う。
そしてもう一度視線を交わした時、彼女が照れているように見えた気がする。
――でも、次の瞬間には空気が一変していた。
震えていたはずの柑崎さんは威風堂々と舞台の上に立っている。そして消えているはずのスポットライトが光差しているように見えた。
彼女の様変わりした圧倒的な姿に呼吸の仕方を忘れてしまう。
そんな自分に彼女は「曲を」と凛とした声で呼びかける。息を吸う間もなく、再生ボタンを押していた。
誕生を祝う曲が流れ、固唾を呑んで見守っていた自分に呆れてしまった。




