13話 彼と名前のない楽曲
玄関の扉を開く。
家の落ち着く匂いと夜の空よりも暗い空間が出迎えてくれる。
僕は玄関の明かりをつけ、洗面所で手洗いうがいを済ませた。
リビングの明かりをつける。
心が居たりは……しないか。ひと息ついたあと、部屋の外れに向かう。
「あるといいんだけど」
今日の放課後、早速委員長に話を伝えた。
文化祭で空いた枠を僕たちが使いますと。その際、委員長に三十分の空き枠のうち十五分だけ使うことも話した。それに対して特に問題ないと答えてくれたあと「まさか柑崎さんが歌うなんてねー」と驚きながら、絶対に見に行くと言っていた。
「ふふ」
あの時の柑崎さんの表情は面白かった。
見て欲しそうな、でも恥ずかしそうな複雑な表情。
そんな表情を浮かべていた彼女からお願いされたことがある。
”いつも歌っている鼻歌を文化祭で歌わせてください”
彼女は珍しく強気だった。
ハッキリとした口調と勢いに、つい承諾してしまった。
「でも、わっかんないんだよな」
鼻歌の正体が掴めない。
音楽検索アプリを使っても引っかからないし、クラスメイト……心や野山、果てには皇さんにも鼻歌の原曲に心当たりはないかと尋ねた。だけど、返答は「知らない」という答えのみだ。でも、心が言うには小さい頃――それこそ小学生の頃から鼻歌なり口笛なりで吹いていた曲らしい。
だからこそ、ここに来た。
「……」
リビングから隔離された場所。
光や馴染みの空気さえも遮った先には、一台のピアノがある。
薄暗い空間の中でそのピアノは庭先に続く扉から月光を微かに受け、神秘的な存在かのように見えた。
息が詰まる。
ビアノが発する強烈な存在感に昔の思い出が蘇っていく。
『まだレンには早すぎたか』
『もっと指が長ければなぁ』
『ふっ、直に届くさ……』
昔の――家族――ピアノに関する記憶が思い出される。
それと同時に気分が悪くなって、目を逸らした。
でも……もう一度だけピアノを盗み見る。
それは以前と変わらずに美しい状態を保っていた。理由は誠彦さんが月に一度の頻度で整備をしてくれているから。もう使い手のいないそれは、きっと今でも素晴らしい音を奏でてくれるに違いない。
あぁそういえば誠彦さんに引っ付いて心も整備・調律の手伝いをしていたな。もし僕がピアノを続けていたのなら、本当に父さんと誠彦さんのような関係になったのかもしれない……。
体から力が抜けて床へと座り込む。
フローリングの上に敷かれた赤いカーペットは暖かい。
なにをしようとしていたんだっけ。
……
ピアノから目を逸らすと箱が目に付いた。
父が亡くなった時に音楽関係の物を詰め込んだダンボール箱。いくつもあるそれには、楽器以外の全てを入れたはずだ。床を這うようにしてのそのそと動く。
そして一つの箱の中を漁る。今回の目当ては楽譜だ。だから自然とバインダーに手をつける。ざっと読み終えたら、箱から出しておく。父さんのこだわりで楽譜を入れるバインダーのデザインは、必ず黒の下地に白いラインが一本入ったものだけを使っていた。そのせいで見分けが付かない。だから区別する。
……
取り出したバインダーの数が十を超え、読んだ楽譜の数がそれの三倍四倍を超えたとき、鼻歌が自然と出た。
「あぁこれだ」
名前のない楽曲。
それでも、五線譜の上を踊る音符たちが自分の探し求めていたものだと教えてくれる。うさぎのブリューが僕を見つけるまでそれを延々と眺め続けた。
放課後の小部屋。
隣にいる柑崎さんは困惑の表情を浮かべていた。
「この楽譜に続きは……?」
首を横に振る。
彼女も違和感に気づいたらしい。僕は頭を掻きながら口を開く。
「探してはみたんだけど無かったんだ。紛失しちゃったのか、そもそも続きがないのか」
真意は不明だった。
どうして父さんはこんな中途半場な物を作ったのだろう。
もしかして、試しに作ったものなのかな。あ、でもそれならどうして僕はこの歌を知っているんだ?
疑問が疑問を呼ぶ中で、彼女は当然の質問をしてきた。
「作成者はどなたでしょうか。もしわかれば、私も調べてみます」
「それは……」
答えることに躊躇した。
作成者を伝えれば、自ずと両親が亡くなっていることを話さなくちゃいけない。話して雰囲気が重くなるのは嫌だった。相手が彼女だからこそ、そう思ってしまう。
沈黙が続いていると彼女は慌てる素振りを見せた。
「あ、あのこの状態でも充分歌えますっ。だから、続きがなくても」
彼女は激しい身振り手振りで必死に話をする。
……結局、気を使わせてしまったらしい。苦笑いをしながらも感謝を告げた。
そしてこの曲の問題点について話を切り替える。
「この曲って歌詞はもちろん題名もないんだよね。そのうえ音源もたぶんないと思う」
だから、と言葉を続けた。
「歌詞を考えて、タイトルも決めて、音もなにかしら自分達で作らないといけない。唯一の朗報は著作権の申請はいらないってことかな」
文化祭まで残り二週間を切っている。
無難に考えてこの曲を使おうとするのは正気の沙汰じゃない。
だというのに、柑崎さんは燃えていた。
「やってみましょう。音は打ち込みでなんとかなりますし、タイトルや作詞は……」
そこで彼女は立ち上がる。
長髪から秘かに見える瞳はキラキラと輝いていた。
「水原さんにお願いしたいです。そのきっと」
息を吐き出すように呟く。
「素敵なものになりますから」
思わず言葉を失った。
なんというか凄く想いの詰まった言葉で……。
僕は息を飲み込み、喋れなかった時間を取り戻すように喋ってしまう。
「その、わかった。タイトルも決めるし歌詞も考えてみて、あ、あとは打ち込みなら友達に聞きながらなんとか自分でやってみて。でも残り二週間もない!?」
あわあわとしゃべり続ける。
すると彼女も同じようにあわあわし始めた。
「わ、私も手伝いますから、おおお落ち着いてください」
……
…………
そんなやり取りを続けて数分。
「疲れたね……」
「はい……」
やっと落ち着きを取り戻した。
お互い席へと座って話を戻す。
「この曲を除いて、残り二曲ってもう決めた?」
「はい。以前一緒にカラオケへ行った時の曲も含めて二曲に絞りました。あと」
ぬいぐるみの付いた鞄から、妙に厳ついものを取り出す。
「もしかして、そこには歌が入っていらっしゃる」
さも当然かのように頷く。
そして彼女は「残りの期間も短いので準備だけは」と口にした。
「柑崎さんって歌のことになると別人みたいだね」
今日の出来事とカラオケに行った時のことを振り返りながら思う。
普段は穏やかで物静かなのに、こと歌に関しては楽しげで情熱的だ。一言でいえばテンションが高い。なんだろうお気に入りのアニメを見てる時の野山に近い。
僕が遠い目をしていると彼女は泣きそうな声で喋る。
「おかしいですか……っ? 自分だとわからなくて」
まずい。
瞳を潤ませる彼女を見て冷や汗がじわり。
「まさか! むしろ柑崎さんの新しい一面が見れて良かったし。ほら! そもそも歌ってみないって誘ったのは僕だよ! Me! 柑崎さんの歌ってる時の姿が好ましいからこそ誘ったわけで」
で、でして。
あぁ。僕もいつの間にかテンションがおかしくなっていたらしい。
「あっありがとうございます……。そ、そういえば楽譜を読めるってことは、水原さんは何か音楽をしていたんですか?」
「ピアノを少しだけ……昔にね」
あははうふふ。
適当に返事をしつつ、頭の中にはお花畑が浮かんでいた――。
歌は決まった。でも練習場がない。
ということで、この方に助力を仰いだ。
「昼休みと放課後なら文化祭が終わるまで抑えてある。あとあれだ、合唱部の連中に基礎練に混ぜてもらえるよう頼んでおいた。今日の放課後にでも顔を出しといてくれ」
流石は火坂さん。
最近ちまたでは火坂より皇さんの方が良くない? なんて噂が流れて気がするけどけど、気のせいだった。彼が柑崎さんにマイクなどの機器の説明をしているうちに、部屋を見回す。
音楽準備室。
音楽室よりも手狭だが柑崎さん一人が使うには贅沢な部屋だ。防音はもちろん「ひま」ピアノからドラムにギターと一通りの楽器も揃っている。
この部屋って文化祭のようなイベントがある時はだいぶ人気なはずなのに「特にやることがないからな」どうやって確保したのだろう。……運が良かったってことにしておこうかな。
まぁ、それよりもだ。
僕はとうとう耐え切れずにツッコミを入れる。
「どうしてみんないるの!?」
壁際にゾロゾロといる総勢四名に声をかけた。
火坂には案内や説明をお願いしたが、他の人には一切声をかけていない。というか、ここに行くことすら知らせてない。
僕が頭を悩めていると心はぼーっと立ったまま口を開く。
「光あるところに、影あり」
「我ら推参」
皇さんは心と野山へ呆れた視線を向けていた。
「あんたら仲いいのね。……って、なにその目。私はレンの後ろをつけてる怪しい二人組を追っかけてここに来ただけ。同じにしないでよ」
「まぁ、私はそんな怪しい”三人組”からレンくんを守ろうと思ってさ」
「ちょっと楓!」
わいわいがやがやと騒ぎ始める。
ため息をついたあと、扉を開けてお帰り願った。みんな壁を這うようにして歩き扉を出る途中に「レンクール」と褒め称える声や「野山くん、離れてくれないかな」と罵声していった。……野山は大きいからなぁ。
ぬぅ、とうめくを野山を見送り、火坂に目線を送る。彼も説明が終わったようで部屋を立ち去る。
僕もそれに続いて部屋を出て――途中でガッツポーズを見せて――扉を閉めた。
「あれ、柑崎ちゃんは?」
火坂が疑問を問いかけてくる。
それに対して「少しでも練習しておきたいみたい」と答えた。
「昼休みも終わり際なのに、そりゃ熱心だな」
感心した声を上げながら教室へと歩いていく。
たぶん元凶が自分自身なのをもう忘れているに違いない。
……
歩いている途中、心が裾を掴む。
「レン、歌の正体わかった?」
静かに頷く。
そして「アドバイスのおかげで楽譜は見つかったよ。ただ……」と言葉を濁す。
そのニュアンスだけで、彼女には意味が通じた。
「もし、もっと詳しいことを知りたいならお父さんが知ってるかも」
「あ、確かに」
父さんが作った曲なら誠彦さんも知っている確率が高い。
夕方頃に心の家へ顔を出すことを伝えると、後ろで変な声が聞こえたけど気にしない。
「お礼に、しし唐食べて」
彼女のいつも通りの言葉に、僕もいつも通りの言葉を返した――
お読み頂きありがとうございます。




