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ハナミズキ

第二弾でございます。


ハナミズキ、花言葉は、『私の思いを受けてください』、『公平にする』、『返礼』、『華やかな恋』

「結婚いたしましょう」

「…………私は」

 とある国の町一番の大きさの屋敷。その屋敷の広大な庭の一角にあるテラスで、貴族とおぼしき格好をした青年が、金の髪と同色のドレスを身に纏った少女に求婚していた。

 青年の名はグラム・ティーブル。一方の少女の名前はエリス・バーケンライト。お互いに貴族と呼ばれる身分に属するが、実質的にはまったく違うものだった。

 ティーブル家は代々国より命を受け、地方一帯を統治している上級貴族である。しかし、バーケンライト家は地方の町一つ任せられる程度の下級貴族でしかない。

 本来バーケンライト家の人間はお上から顎で使われるほどの雑用係に等しい。しかし、ティーブル家長男グラムが妻を募集していると聞いたバーケンライト家当主が娘であるエリスの写真を送ったことが始まりだった。


 グラムは写真を見て、一瞬で心奪われたのだ。


 昔から望んだ全てを与えられてきた男には、考えというものは無かった。急いで部隊を作り、ただエリスに会うためだけに町へとやってきたのだ。

 父親は娘をグラムと二人きりにさせ、本題を切り出しやすいようにお膳立てし、去っていった。エリスは心底父親に愛想を尽かしながら、目の前に座るグラムに向き直る。

 青の瞳に、短く揃えられた茶髪。目鼻立ちは決して悪いものではない。

 普通のエリスなら、父親や町の発展を考慮し、嫁ぐことに何の抵抗もなかっただろう。


 だが、今のエリスに嫁ぐことはできなかった。


 できないのではなく、不可能。そう置き換えることができるかもしれない。何故なら、彼女は既に心に決めた男がいるからだ。

 名前も知らなければ、家も、年も、何も知らない。それも当然。その相手とは、こちらがいくら話しかけてもただ困った顔をして首を振るだけなのだから。

 彼には、学がなかった。

 話さないのは幼い頃に自分を捨てた親に喉を潰されたから。字を書かないのは生きる上でもっと必要なものを詰め込むうちに、どこかに忘れてきてしまったから。

 しないのではなく、できないのだ。

 彼女は、人という生き物は物を書き、話せると知ってはいた。

 だが、それが後天的なものだとは知らなかっただけ。だから、何度もめげずに彼に尋ねた。しかし、その度に彼は困った顔をする。

 そしてその後、不機嫌になった彼女の機嫌をとるためか、必ず微笑むのだ。

 それが、彼女が彼を好いた理由。あどけなさが残る笑顔に、彼女は自分がその笑顔をもたらしたとは知らず、ただ惹かれた。


 だから、この縁談を受けることはできない。

 私は、彼にまだ自分の気持ちを伝えていないのだから。


「……私は」

「エリス。そんなに緊張しなくてもいい。ただ君が思っていることを口にしてくれればそれでいい」

 グラムは真剣だ。それと同時に、一つの答えを強要している。だが、屈するわけにはいかない。

「私は、この縁談を断らせていただきます」

「…………」

 グラムはじっとエリスを見ている。やがて、

「……ふ、やはり貴女はそう言いますか」

 エリスにとって、まったく予測していなかった返事を、グラムは言った。

「まあ、それも当然でしょう。いきなりけしかけられて婚姻を迫られても、すぐに返事などできるはずもありません」

「はあ……」

「ですが、私は諦めませんよ。必ずや貴女を我が妻としてティーブル家に迎え入れましょう」

 グラムはショックを受けた様子を見せずに、椅子から立ち上がる。

「それでは姫君。また後で、あぁ、それと忘れていましたが……」

 グラムはテーブルの下から何かを取り出した。

 それは、花瓶に挿し木してある、見たこともない花だった。

「なんでもハナミズキ、と呼ばれる花だそうです。花言葉は『華やかな恋』だとか――」

 得意げに話をしているグラムだったが、エリスが自分の話よりも、目の前にある花に釘付けになっているのを見て、邪魔をしないようにゆっくりと立ち去った。

 昔から、花が好きだったエリスはハナミズキのことは知っていたが、実物を見たのはこれが初めてだった。

 花言葉も知っている。『華やかな恋』、『私の気持ちを受けてください』、『公平にする』、など。

 見たこともない花を目の前に花言葉を思い出しながら、エリスは先程までいた男のことなど忘れ、花に魅入り続けていた。



「ふう。姫君の相手は疲れますね」

 一人言を漏らしながら、グラムは今日初めて入った屋敷の廊下を歩いていた。

 彼の屋敷から比べると、話にならないぐらい大きさが違うのだが、やはり慣れない場所となると、体力よりも先に心が滅入ってしまう。

「おっと、さっきの通路を左だったか」

 何度目かの間違いを乗り越え、玄関まで辿り着くのには相当な時間を要した。傾きかけていた陽は完全に傾き、空は東から橙に染め上げられている。

 明日は雨か、と心配していると、視界の端に誰かが映った。

「エリス……?」

 エリスは自分の部屋に戻ったのか、窓枠に肘をつき、脇にある望遠鏡も使わずに、どこかを眺めている。視線を追うと、その先には丘があった。

 グラムは使用人に頼み、望遠鏡を持ってこさせた。覗いてみると、丘にはアカシアの木が一本だけ生えており、その下には、目が空ろな青年が座っていた。見るからに平民で、吐き気がするとグラムは思った。

 彼は、平民なんてものは消えてなくなればいいと考えている。所詮世界を回すのは貴族であり、平民ではない。だったら、存在している意味などないのではないか。

「……まさか」

 彼女の視線の先。空ろな目をした男。グラムの頭の中には、ありえないであろう展開が繰り広げられている。平民が貴族に恋をし、貴族が平民に恋をする。そんなことは、あってはならないし、あるはずもない。なのに、頭から離れない。

「危険要因は早めに排除しろ」

 父親がよく言っていた。例え1パーセントの確率でも、脅威になりうるのなら、一刻も早く消し去るのだと。

 決断には、そう時間はかからなかった。

「丘に行け。やりたいことがある」

 馬車が揺れ、動き出す。

 彼の手には、家紋が刻まれた短剣が握られていた。



「ふん。存外に不愉快だったぞ。平民」

 グラムは吐き捨てるように口にする。アカシアの木の幹には、心臓を短剣によって穿たれた男の死体がよりかかっていた。孔が空いた心臓からは、未だに血が零れ続け、地面と木を濡らしてゆく。

 粘り気がある血の臭いに、グラムは自らの行いを悔いるどころか、醜く顔を歪めた。

「姫君が惚れるほどの男と思い期待したのだがな。物書きもできぬ輩だとは」

 人格者ならば見逃してやろう、と妙な考えを抱きながら、グラムは青年に話しかけた。

 しかし青年は話すどころかこちらに見向きもせず、ただ空ろに夕焼けを眺めていた。

 無視されたということが癇に触ったのか、グラムは何のためらいもなく、左腰に下げていた短剣を青年の心臓に向かって振り抜いた。

 バターにナイフを通すような手応えの無さだったが、確かに青年の胸からは短剣が生えていた。ここで、青年はやっと気付いたのか、ゆっくりと短剣に視線を移し、動かなくなった。


 これ以上いては血の臭いがうつる。と、刺さったままの短剣を抜くこともせず、グラムは丘の下にある馬車の元へと戻った。ゴトゴトという振動と共に、馬車は進み始める。

 丘も遠ざかり、屋敷も近くなってきた頃、グラムは不意に口を開いた。

「ああ、運転手。私が屋敷に戻ったあと、さっきの丘で短剣を取ってきてほしいのだが、頼めるか?誰にも見られないようにだ。礼ははずむぞ」

 彼の口角は、楽しげに吊り上げられていた。



 朝は、屋敷の喧騒によって目が覚めた。何事かと近くにいた侍従を掴まえると、どうやらエリスの姿が見えないらしい。

 グラムは昨日の出来事を思い出したが、死体は屋敷から死角になる場所にあるので、まあ自分には責はないだろうと楽観していた。

 朝食、昼食、夕食。

 時間を重ねてもエリスの姿は一向に表れない。使用人等の不安は募り、夜になっても周囲は慌ただしいままだった。

 エリスの父親はただグラムに頭を下げていたが、下げている暇があるなら早く探し出せ、としかグラムは思わなかった。


 闇も眠る夜半過ぎ、グラムは一人月見をしていた。

 特に意味はないが、ただ美しいものを見ると愛でたくなるのがこの青年の性分だった。

「……今宵の月は三日月か」

 ワインを一口飲む。

 ワインの水面に映る月を見て、紅い月も乙なものだ。などと物思いにふけっていると、部屋のドアがノックされた。

「……誰だい。鍵なら開いてるよ」

 返事はなく、再びノックが返ってきた。

 このままではいつまでも進展しないので、グラムはドアノブを回し、ドアを引いた。


 月明りが、黄金の髪と、裾が赤く染まったドレスを濡らしている。声をかける前に目に入ったのは、彼女の振り上げられた腕。

 その手には、家紋が刻まれた赤黒い短剣が――!


 銀光が迅る。迷わずに振るわれた剣筋は、目前のグラムの命を刈り取るために、左胸を目指す。

 剣筋はあくまでも幼稚。生まれて初めて持った凶器を振るうのならば、覚悟を決めていようとも萎縮するのが道理。その一瞬のためらいが、

「――ッの!」

 狙った命を、殺意の範囲から逃がしてしまう。

 無意識のうちに、グラムはエリスの体を受け流して部屋の床に叩き付けると、ドアを閉め、震える足を無理矢理に動かして、とにかく部屋から離れた。

 思考はとうに無い。

 ただ考えるまでもないことが、イメージを作り、頭の中に渦を作っている。


 殺したことが、バレた。


 逃げる理由など、その事実から発せられる恐怖だけで十分だった。



「ハ――ハ、ハッ」

 息を切らし、グラムは立ち止まった。場所は玄関。扉を乱暴に開け、倒れるように外に出た。

「どこに行くのですか?グラム様」

 扉の外には、エリスが立っていた。

「な……!」

「グラム様。夜の町は危ないです。ほら、屋敷に戻りましょう!」

 一閃。今度は先程のような偶然は起きず、短剣の刃はグラムの右肩に深々と突き刺さった。

 筋を断ち、血が滴る。青のマントはみるみる血にまみれて色を変えていく。

「ひいッ!あ……!ぁ……!」

「彼は、アカシアの木の下で死んでいました」

 エリスは、自分が人に刃を突き立てているように感じさせない口調で、一人話し始めた。

「最初は、強盗か何かが彼を通りすがりに殺していったのだと思いました。それならまだ見つかるはずの無い恨み処を探して、紛わせたんです。けど、違った」

 エリスはうつむいたまま、肩に刺さっている短剣を振り抜いた。

「っぎゃああああああああああああ!」

 叫ぶグラムなど気にも止めず、返し手に短剣を振るい、今度は右胸を力の限り貫いた。

「いあああああ!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!!」

「彼の左胸には、穴が開いていて、近くにいた馬車の運転手が短剣を持っているのを見て、彼はあなたに殺されたんだなって漠然と感じました。だから、せめて同じ短剣で殺そうと思って、それをくださいって頼んだんです。そしたらその運転手さん。思い上がって私の体が欲しいって言ったんです。笑えるでしょう?」

 クスクス。

 気が狂ったような叫び声と、少女の笑い声。夜の闇にはその二つの音しか響かない。

「だから、私、初めてをあげちゃったんです。見ず知らずの赤の他人に。すごく痛くて気持ち悪くて、腹が立って、事が終わると、もらった短剣で一突きして終わり。呆気ないでしょう?」

 エリスは尋ねるが、グラムの耳には届いていない。それどころか、グラムは笑っていた。

「はは、はははははははは!!いたいいたいいたいいたいいたい!!夢だこれは夢だこれは夢だこれは夢だ!!」

 右の肺は使い物にならないはずなのに、何故ああも楽しそうに出来るのか、エリスは不思議に思えて仕方なかった。


 不思議に思うと同時に、酷く滑稽なので、さっさと殺すことにした。


 右胸から左胸にかけて、突き刺さった剣を走らせる。途中自分の腕が折れる音を聞いたが、気にせずに最後まで抉ると、グラムは力無く倒れた。

 その様を見てエリスは微笑み天を仰いだ。そして、


「今、そっちに行きます」


 鮮血のついた短剣で、自らの首を掻き切った。

 飛び散る紅は全てを染める。黄金のドレスも、地面に倒れた彼の仇も。

 足が限界を訴え、彼女もまた地面に倒れた。そもそも、人を殺すために二階から飛び下り、形が変わってしまった足で、今まで立っていれたことが奇蹟だったのだ。

 体のありとあらゆる感覚が薄れ、消えていく。その中でエリスは、一つの暖かさを感じた。

 瞼の裏には、手を振り自分の名前を呼んでいるあの人がいた。

 今度こそ離れぬよう、全力で彼の元へと向かう。それは遥か遠い道のりではなく、近く夢見た、今度こそ叶う現実だった。


 息を吸い、吐く。その行為も億劫になり、エリスはただ横たわっているだけ。

 やがて、彼の元にたどり着いた。

 彼と手を握り、歩きだす。その幸せに、微笑みを浮かべたまま。彼女は息を引き取った。



 ハナミズキ。花言葉は『華やかな恋』、『私の気持ちを受けてください』、『公平にする』、そして、



 『返礼』



 テラスの花瓶には、四枚の花弁をつけたハナミズキ。その花は、純潔の白から、罪の赤へと彩りを変えていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] イデオロギー的なものが強い、というかそれ以前に作者の都合で話が進みすぎです。適当に書いてませんか?いくら夜でも上流貴族の嫡子に警護がつかないわけないでしょう。主が起きてるのに人の気配に気づか…
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