サイレント・テーブル
とある場所の、とある食堂。
お昼時ともあって人で溢れかえり、喧噪が耳につく。
そんな中の一つのテーブル。六人掛けの席はすべて埋まっており、一見すると周りと同じで何とも無いようなありふれた食事風景の様に思える。
しかしよく観察してみると、この席は周りの席とは何処か違う事が分かってくる。
会話がないのだ。
周りはワイワイガヤガヤと、それぞれ会話をしながら食事を楽しんでいる。恐らくコレがごく普通のお昼時の光景だと思う。まぁ、余りに五月蠅すぎると少しボリュームを押さえてくれないものかとイライラしてくる時もあるが……。
しかしこの席は――
一人は耳にイヤホンをし音楽を聴いて
一人はスマートフォンを片手に
一人は食事の時間にも関わらず仕事をしているのか、パソコンのキーボードに指を走らせ
一人は食事の傍ら本を読み
一人は物思いに耽ているのか、心ここに在らずといった感じにぼーっとしながら食事をとり
一人は只ひたすら、まるで機械のように、作業のように料理を口に運んでいる。
もちろん全員無言だ。誰も声を発する気配もなく、向かいや隣の者に話しかけようとなど思ってもいないだろう。
六人掛けのテーブルの筈なのに、一席ごとに、見えない敷居で囲われている様に見えてくる。
周りの喧噪の中、この席だけが何処か孤立した、離れ小島のように思える。
さらにその小島からそれぞれ一人ずつ、他人に立ち入られないように六つに境界が敷かれているのだ。
人とは元来社会的動物であり、他者との繋がりを必要とするモノである。だから群を、集落を、国を、コミュニティーを作ってきた。昔から続くこの流れは途切れることなく先も続いていく。人は孤立する事なんて出来ないのだ。
たとえ引きこもっていたとしても、今の情報ネットワークが発達した現代社会ではTwitterやFacebook、line、mixiなど顔を合わせなくとも人と繋がる手段など多く存在している。また、言いようによっては、貴方と私はこの文章を通して繋がっていると言っても良いのかもしれない。
そう考えてみると――
一人は耳にイヤホンをし音楽を聴いて、音楽家と繋がっている。
一人はスマートフォンを片手に、誰かと繋がっている。
一人は食事の時間にも関わらず仕事をしているのか、パソコンのキーボードに指を走らせ、会社と繋がっている。
一人は食事の傍ら本を読み、作家と繋がっている。
一人は只ひたすら、まるで機械のように、作業のように料理を口に運んで、料理人と繋がっている。
とも言えるのかもしれない。
つまりこの席、サイレントテーブルも目の前の人と繋がっていないだけで、見えない何かと繋がっているのだ。
しかし、バーチャルの繋がりに固執し、現実世界に存在する周りの人々に無関心になってしまうというのも些か問題ではあるのかもしれない。
あれ、物思いに耽てぼーっとしている人はどうしたのかって?
それは私です。
そんな私は言葉を繋げています。