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朱き桜の散り逝く刻  作者: 輝血鬼灯
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第八章 暴走

 気持ちが酷く急く。朱莉は自らも両の足を動かして道を小走りに歩きながら、胸の内でいくつもの名前を呼んだ。

(上総、青葉、閏、千足、詠、七尾……)

(私に、力を貸して。あの人たちを見つけて)

 朱莉の願いに応じ、彼女の足元をついてくる影の中からいくつかの気配が消え去った。朱莉の配下の桜魔たちの中には、探索能力に優れた者も多くいる。彼らを総動員して、朱莉はこの広い王都の中で、一刻も早く螺珠たちを見つけようとしていた。

 彼女の傍らには、いつものように紅雅がついてきている。彼は朱莉と同じ道を歩きながらも見落としがないよう桜魔としての力全てを使って、螺珠の姿を探す。

 朱莉が探そうとしているのは、神刃と螺珠、そして辰だ。蒼司王は神刃が辰と旧知の仲だと告げた。王都に慣れない彼が螺珠の居所を探すのであれば、まずは情報屋としての辰を使う可能性が高いという。

(朱莉様、辰を見つけました。誰か燈火の色をした瞳の少年と話をしています)

「!」

 朱莉は往来で足を止めた。踵を返し、一番近い物陰に紅雅と共に潜り込む。誰も見ていないところで、ようやく声を出して配下の桜魔の声に応えた。

「ありがとう、上総。それはどこ?」

(辰の起居する庵です。今、相手の名をシンハと呼びました。間違いありません。それから)

 少し念話が途切れたところで、上総は決定的な情報を伝えてきた。

(今、辰が少年に螺珠という名の桜魔の居場所を伝えました。東の紅葉通りの突き当りに広がる空き地だそうです)

「ありがとう! よく調べてくれたわ!」

 朱莉の言葉に、影を通して使い魔の歓喜の念が伝わってくる。だが朱莉自身は喜んでばかりもいられない。上総という名の配下にそのまま神刃の後を尾行るよう指示し、自らも走り出す。

 抑えておくべき人物全ての居場所が明らかになったのは助かるが、その分事態は切迫しているようだった。昨日の今日だと言うのに、神刃はもう螺珠を殺す気だ。

 辰の庵と朱莉の現在地からなら、庵から螺珠がいるという空き地に辿り着く方が断然近い。朱莉がここから向かうなら全力で走っても神刃と螺珠の殺し合いに間に合うかどうか。

 ぜぇはぁと退魔師のくせに体力のない朱莉が早くも息切れを起こす隣で、彼女に歩調を合わせていた紅雅がついに見かねたように口を開いた。

「……なんでしたら、私が朱莉様を抱えて本気で走っても宜しいでしょうか?」

「本当? できるならお願い、紅雅!」

「では、失礼を」

 立ち止まった朱莉を横抱きにして、紅雅は一っ跳びで民家の屋根に跳び移った。

 こちらの方が人が少なく、誰かにぶつかる心配もない。障害物のない瓦屋根の上を飛ぶようにして、紅雅は螺珠のいるという空き地へ向かう。

 人気はほとんどないとはいえ、まだ街中である。往来で突然人外の跳躍力を発揮した青年の姿に、一部始終を目撃してしまった哀れな通行者は度肝を抜かれた。


 ◆◆◆◆◆


 朱莉が駆け付けたのは、まさに神刃が螺珠にとどめを刺そうという場面だった。

「駄目! やめて神刃様!」

「あの時の……っ!」

 朱莉の喉首を切り裂く直前で、神刃は慌てて刃をとめた。

「馬鹿! なんてことするんだ! あと一歩で間違って死ぬとこだったんだぞ!」

「螺珠をこのまま殺させるくらいなら、その方がマシです!」

 朱莉の口から出た言葉に、神刃は虚を突かれた様子で固まった。彼女の背後に庇われた螺珠自身も。

 朱莉自身には、自分がどんな大胆なことを勢いで言ってしまったのか自覚はない。彼女はただただ、神刃に剣を収めてもらいたくて必死だった。

「もう……もう、やめてください。螺珠が国王陛下をお救いするために桜魔と戦っていたのはあなたも知っているでしょう。人の中にも悪人はいます。それなのに桜魔の中にいる僅かな善人を、桜魔だからという理由で殺さなくてもいいではないですか!」

「……」

 鞘に納めるとまではいかない。だがひとまず朱莉が言いたいことを言い終わるまでは待ってやるとでもいうように、神刃はその細首に突き付けていた刃を身体の脇に下ろす。

「それでも、その男は桜魔……いや、桜人だ。人間じゃない。忌まわしい化け物なんだ」

「それでも……私は螺珠を殺したくありません。あなたに殺させたくもありません」

「――だったら」

 神刃は冷ややかな目を朱莉に向ける。

「君は、この男をどうする気なんだ? 自分の配下にでもするのか?」

「……いいえ」

 蒼司の提案にそのことはあったが、朱莉は螺珠の同意を得てはいない。それに神刃の口ぶりは、螺珠が大人しく朱莉の支配下に降るかどうかというより、朱莉が螺珠を問答無用で服従させる意志があるかどうかを尋ねているようだった。

「じゃあ野放しか。こんないつ人を襲うとも知れない猛獣を。死と言う檻に入れることも、支配と言う名の鎖をつけることもせず」

「神刃様」

 神刃の桜魔に対する憎悪は激しい。けれど彼はもともと人を傷つけるのを好むような性格ではないのだろう。朱莉や螺珠を責め、貶める言葉を吐くたびに、それを向けられるこちらよりも苦しそうな顔をしている。

「何故、私に退魔師になったかとお聞きしましたね?」

 朱莉はだから、正直な気持ちを彼に告げた。搦め手と言う言葉すら知らなそうなこの少年には、真正面からぶつかるのが一番誠実な対応だと思えた。

「その答は、救うためです。桜魔も人も関係なく、私に救える全ての人を」

 かつて自分が殺した桜魔たちの姿は今でも脳裏に焼き付いている。

 花に囚われた哀れな魔物たち。死んで生まれ変わったのに、次の生でなおも憎しみに身を焦がし、人を襲う本能しか知らない。

 私に力があれば、彼らだって救えたのに。

 朱莉の言葉に、神刃は力なく笑った。

「どうやら君の進む道は、俺とは永遠に相容れないようだ」

 彼はいつもどこか悲しげで、だから朱莉も神刃のことを憎みきることはできなかった。

 神刃の育ての父は火陵。寧璃とその兄に仕え、神刃に実父を殺させるために彼を育てた戦場の死神。彼は主君に忠実な部下であり、寧璃とその兄のためだけに生きていた。

 神刃は養父をこの上なく愛し、けれど、彼に裏切られたのだと蒼司は言っていた。火陵が神刃に愛情を注いでいるように見えたのは全て神刃に実父である緋閃王を殺させるためだった。見届けた後、火陵自身も自害した。

 そして神刃は、今でも自分を裏切った養父である火陵の教えに従い、桜魔時代を終わらせるために片っ端から桜魔を殺し続けている。彼にとって憎むべきは殺した実父緋閃王で、自分を父殺しの道具として生かした寧璃も火陵も正しいのだからと。

 けれど朱莉としても、ここで螺珠を殺させるわけにはいかない。

「邪魔をするというのなら、君も俺の敵だ」

 神刃はまっすぐに朱莉へと剣を向ける。

 こうなってはもう、戦うしかない。

「螺珠、下がって。紅雅、怪我をさせないように相手をして」

「朱莉?!」

 朱莉は背後に螺珠を庇ったまま、まずは神刃と同じ剣士である紅雅をけしかけた。

 一口に剣士とは言っても、二人の持つ得物の形状は違う。紅雅は太刀と呼ばれる刀を使うが、神刃は戦闘用というより何かの呪いや儀式に使うような、真っ直ぐな諸刃の剣を使っていた。

「待っ……!」

 二人を制止しかけ、けれど螺珠は途中で口ごもり言葉を途切れさせる。ここで彼が朱莉をとめても、話は解決しない。螺珠だって神刃に素直に殺されてやる気などないのだ。かといって本当に朱莉と神刃が殺し合うような事態になるのも困る。

 紅雅が神刃の注意を惹きつけている間に、朱莉は彼以外の配下の桜魔たちも次々に影の中から呼び出した。

 それらを一斉にけしかけて、紅雅一人の相手をするので手いっぱいな神刃の動きを鈍らせる。

「くっ!」

 燃える羽根を持つ鳥に一つ目の兎、角と翼の生えた猫に七つの尾を持つ狐、幼児程の大きさの小鬼。それらに腕や脚に引っ付かれて、神刃がたまらず苦鳴を上げる。

「この、離れろ!」

 一度紅雅から距離をとって自らの手足にしがみつく小物の桜魔たちを振り払おうとした神刃に、朱莉は懐から取り出した幾つもの霊符を叩き込んだ。

「ッ、だぁあああ!」

 致命傷とは程遠いが小さな爆発を幾つも受けて、神刃がひっくり返る。

「紅雅!」

 その隙に優位な体勢に持ち込んでしまおうと、朱莉は最強の配下の名を呼んだ。

 けれど神刃もただではやられない。もともと彼は、寧璃を一閃で倒すほどの実力者だ。並の桜魔に負けるはずもなく、退魔師としての能力値とて朱莉以上。

 それが、悲劇を引き起こした。

 長い黒髪を引きずり、ぐらりと傾ぐ体。

 紅雅は桜魔ではあるが、朱莉の配下として動く退魔師側の存在だ。彼を殺す気までは、神刃にはなかった。けれど隙のない紅雅の攻撃に、これまで手加減していた神刃もつい本気になってしまったのだ。

 咄嗟に突き出した剣の先が、人間であれば致命傷であろう深い傷を紅雅に負わせる。

 人に似た桜魔は、人が死ぬであろう傷を負えばやはり人のように死ぬのだ。朱莉だってこれまでに何人もの桜魔をそうして殺してきた。しかし。

「い……いやぁあああああああ!!」

 朱莉は悲鳴を上げた。

「紅雅?! 紅雅!! しっかりして!」

 腕に抱えた紅雅の身体から、妖力が滑り落ちる水のように流れ出していく。

「紅雅、紅雅! いや! 死なないで、死なないで、死なないで、お願いよ……! 私を独りにしないで……!」

 どれほど叫んでも返る反応はない。朱莉は呆然とした。

 死ぬ? 紅雅が? そんなこと、考えたこともなかった。

 朱莉が彼を使い魔として捕獲できたのはまったくの偶然と能力の相性、そして何より辰の助力によるもので、普通に戦えば彼の方が圧倒的に強いのだ。これまで出会ったどんな桜魔より退魔師よりも強かった紅雅。朱莉の傍にいつだっていてくれた紅雅。その彼が。

 こんなところで、死ぬ?

「いや! いやよ、そんなの! そんなのいや!」

 紫紺の髪を振り乱し、朱莉は叫ぶ。流れる血の代わりに桜の花弁を散らす紅雅の体に縋りつく。

「お願い、紅雅! 死なないで! 死んでは駄目! あなたが人の死と怨念を必要とするなら今から何人だって殺してくるから、だから、だから」

「朱莉! 落ち着け!」

 取り乱す彼女を叱咤したのは螺珠だった。彼は紅雅の傍らに屈みこんで傷口を覗き込むと、朱莉に告げる。

「まだ助ける方法はある!」

「!」

「それには、君の、君たちの霊力が大量に必要だ」

「君たちって……」

「俺もか?!」

 ぶつくさ言いながらも、多少は罪悪感を覚えているのか神刃も協力した。

 螺珠は二人から霊力を引き出すと、その波形をいったん自分の妖力で打ち消してから紅雅の傷口からそれを分け与えはじめた。もはや消滅する寸前だった紅雅の身体が、与えられた純然たる霊力を次々に自分のものとして取り込み傷を塞ぎ始める。

「純粋な桜魔の肉体なんてものはほとんど妖気でできているからな。核さえ傷ついてなくて、失った力を補えればある程度の傷なら治せるんだ。ここまでの重傷だと普通は難しいけれど」

「あ、ああ、あ……」

 朱莉たちの見ている前で、紅雅の傷口はみるみる癒えていった。朱莉だけでなく神刃までもが驚いた顔でその様子を見ていた。

 当然だ。神刃も朱莉も退魔師で、これまで桜魔を殺す方法は常に模索し続けてきたが、救う方法なんて考えたこともなかったのだから。

「紅雅……ああ、紅雅、良かった!」

 上半身だけを起こした状態で、紅雅は自分の身に起きたことが信じられないという顔で手のひらを眺めた。傷の癒えた胸の中に飛び込んできた朱莉の身体を、反射的に受け止める。

「……良かった」

 螺珠が小さく囁いた。

「よくないだろ。強力な桜魔を殺す絶好の機会だったのに」

 隣でその囁きを聞いていた神刃が憎まれ口を叩く。本気でないのは、先程霊力を分け与えてくれたことでわかっている。だから螺珠は、咎めるでもなく、ただ安堵の息を吐いた。

「彼は朱莉の大切な人だ。彼女が悲しまなくて、良かった……」

 本気で紅雅、そして朱莉のことを案じていた様子の螺珠の言葉に、神刃が黙り込む。

 しかし、異変が起きたのはその時だった。

「紅雅――え?」

 驚いた様子の朱莉の声に、螺珠と神刃は振り返った。

「おい、どういうつもりだお前!」

 神刃の慌てた制止の言葉も届かず、立ち上がった紅雅はそれまで押さえつけていた朱莉の細い首を片手で締め上げる。

「こ……が……っ!」

「ふ、ははは。はははははははは!」

 紅雅は、狂ったような笑い声をあげた。

 それまでの常に寡黙で冷静だった青年の様子とは違う。彼の長い指が首に食い込み、朱莉は苦痛の声を上げた。

「朱莉!」

 咄嗟に短刀で斬りかかった螺珠の攻撃を受けとめるために、ようやく紅雅は朱莉の首を離した。しかしものを放り投げるような乱暴なその動作に、慌てて神刃が投げ出された彼女の身を受け止める。

 激しく咳き込む朱莉を抱いたまま、神刃は剣を合わせたまま睨み合う紅雅と螺珠に目を向けた。

 一度距離をとった二人。紅雅の長い黒髪が妖しく靡く。

 その眼は、飢えた獣のように爛々と光っていた。

「感謝しよう。愚かな人間共よ。呪に縛られた肉体を一度破壊されたことにより、私はようやく彼女の支配下から抜け出すことができた」

「紅、雅……?」

 無残にも紅い手形がくっきりと浮かび上がった喉を手で押さえながら、朱莉は目を見開いて紅雅を見上げた。

「あなたには随分てこずらされましたよ。朱莉様。でももう、主従ごっこは終わりです」

「……そんな……」

 朱莉は唇を震わせる。けれど彼女のどんな言葉も、今この場では意味をなさないような気がする。

 胸にじわじわと染み入るのは喪失の予感だ。先程紅雅が死にかけた時とよく似た、けれどそれとはまったく正反対の予感。

 朱莉は掠れた声で尋ねた。

「あなたがこれまで私の傍にいてくれた。その時間はあなたにとって何にもならなかったの? あなたはもう、私のこと好きじゃないの?」

「ええ。朱莉様」

 問われ、紅雅は微笑む。この上なく優しく。

 けれどその微笑みの内側にあるものは鋭い荊の棘。獲物を引き裂く獣の、歓喜する牙。

「私はあなたを愛してなどいないのです。はじめから、ね」

 朱莉は自分を支える神刃に縋りついたまま、その場に崩れ落ちる。

「紅雅……」

「その名を呼ばないでいただけますか? 解放された以上そう簡単に魅了の力にかからないとはいえ、あなたの囁きが私の神経を引っ掻くことにはかわりない――耳障りなんですよ」

 これまでに一度も、まだ敵同士だった初対面の時にさえ見せたことのない酷薄な眼差しで、紅雅はへたり込む朱莉を見おろした。

 その背に、何者かが刃を振りかざす。

「螺珠!」

 神刃は朱莉を支えている。この場で躊躇いなくそれができるのは螺珠しかいなかった。

「お前の立場としては、朱莉の力から解放されたいと願うのは当然かも知れない。だけど、彼女を傷つけることは私が許さない」

「ほぉ……」

 ぎりぎりと刀身同士が擦れあう。怒りを露わにする螺珠の様子に、紅雅が興味深げな笑みを浮かべた。

「……そうだな。肩慣らしの相手には、お前程度がちょうどいい」

「何?」

 次の瞬間、紅雅は動いた。螺珠への反撃ではなく、神刃と、彼の抱えた朱莉の方に。

「うあっ!」

「きゃあ!」

 不意打ちの打撃に勢いよく弾き飛ばされた神刃が、血の痕を引いて草の上を転がる。ただでさえ紅雅に大量の霊力を分け与えて弱っていたところに、成人男性の体格で思い切り突き飛ばされたのだ。肋骨が数本折れたらしい。

「螺珠とやら。二刻後、首斬りの丘に来い。貴様が来なければ、朱莉様を殺す」

「朱莉!」

 あの一瞬で突き飛ばした神刃の腕の中から、紅雅は朱莉を奪い取っていた。彼女の体を肩の上にかつぎ、螺珠の短刀も神刃の剣も届かない樹上に紅雅は立つ。

「ではな」

「待て! 貴様!」

 螺珠の罵りの言葉も虚しく、朱莉を抱えた紅雅は影渡りの能力で虚空へと消えていった。

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