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朱き桜の散り逝く刻  作者: 輝血鬼灯
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第七章 朱莉

 白い景色の中だ。

 小さな子どもが泣いている。

 子どもはその場所に一人だった。白い雪の舞う中、足元には折り重なる死体。人も桜魔も分け隔てなく転がる中、強い風が吹いて雪を攫う。

 雪……? 違う、こんなにも軽く風に舞い上がるこれは、白い桜の花弁。

 朱莉は夢の中で思い出した。

 そうだ、これは私。八年前、桜魔に両親が殺された時の光景だった。

 血塗られた地に伏す、桜魔に殺された両親の遺体。その上に折り重なる――私が殺した桜魔の死体。

 山の麓の高名な寺は、かつては桜の観光名所だったらしい。それでも桜魔騒ぎは一度も起こってなかったのに、朱莉たちの血族が親族一同でその寺に集まり話し合いをしていた時、桜魔の襲撃があった。

『朱莉!』

 血相を変えた白露が協会の退魔師たちを連れて戻ってきた頃には、もう全てが終わっていた。朱莉以外の家族は殺され、家族を殺した桜魔ももういない。

 両親が殺され、次は自分の番だという絶体絶命の状況で朱莉は魅了者としての力に目覚めた。

 朱莉の人生で最も大きな力を発揮した日、煩雑な儀式も長い呪文も何もなく、ただ相手を見つめて命じるだけで、朱莉は彼らを支配した。

 朱莉は生き残った。朱莉だけが生き残ってしまった。両親もその他の親族も寺の者も、逃げ遅れた人々はみんなみんな死んだのに。大半の者は逃げられたが、人数が多かっただけに犠牲者の数も多い。

 滅多にない親族一同で集まる日だったその日は、次の年からは嫌でも親戚同士で顔を合わせる、両親の命日になってしまった。

 幼い朱莉は理解していなかったが、後に聞かされたところによると、その時親族同士で話し合っていたのは白露の王宮勤めに関することだったらしい。だから嶺家が責任を感じ、両親の死んだ朱莉を引き取った。

 そして白露が連れてきた退魔師たちに能力の発現を見抜かれた朱莉は、退魔師として修行を始めることとなった。朱莉と同じく、両親を桜魔に殺されて力が発現した退魔師見習いとしての蝶々と顔を合わせたのもこの頃だ。彼女は白露が幼い頃遊んだ市井の友人の一人らしく、朱莉にもいろいろとよくしてくれた。

 けれど朱莉の退魔師としての修業は、蝶々や他の見習いと違ってはじめのころまったく上手くいかなかった。

 その理由は、朱莉の力の発現時、両親が殺されたその時にある。

 朱莉の持つ最も強い力は魅了。桜魔の精神を支配し、自らに服従させ下僕として使うことのできる能力。

 それが「支配」ではなく「魅了」と呼ばれるのは、朱莉の能力がその名の通り相手を魅了するものだからだ。つまり朱莉は相手をただ支配するのではなく、相手に自分に服従したい、支配されたいと言う気持ちを植えつけることで相手を操ることができる。

 両親が殺された時、朱莉自身も死にそうになったその瞬間にその力は目覚めた。生命の危機に瀕した覚醒時の能力発現は、その退魔師の人生で最も強い威力を発揮することがある。朱莉は、それだった。

 自分にそんな力があるとも知らないまま、向かってくる桜魔を睨み付けて叫ぶ。

『あなたたちなんて大嫌い! 死んで! 死んでよ!』

 そうしたら、桜魔たちは本当に死んでしまった。

 自らの爪で自らを傷つけて――自害だ。

『え……?』

 流れる血。風に舞いあがる白い桜。桜魔の死体が糸のように解けて桜吹雪となる。視界を雪のように覆う白。

 その瞬間の気持ちを、なんと言えばよいのだろう。

 両親を殺した相手を殺したのに、仇をとったのに、自分の命が助かったのに。

 何も嬉しくなかった。それどころか怖かった。

 ――自分自身が。

 殉教者のような顔をして、自らの胸を裂いた桜魔の安らかな笑みが目に焼き付いて離れない。彼らは朱莉のために、喜んでその命を捨てた。

 その日から朱莉は、悪夢に魘されて眠れない日が増えた。周囲は両親が殺されたことによる精神的な後遺症だと受け取ったが、真相は違う。

『朱莉お嬢さん?』

 嶺家でその様子を見ていた白露が、最終手段として、辰を探して連れてきた。かつて朱莉の家で世話になっていた彼は、回復した後再び旅に出ていたはずなのに、一体どこから連れてきたのだろう。

 精神的に不安定だった朱莉は、彼が嶺家に顔を出した瞬間、一も二もなくその胸に飛び込んだ。昔朱莉に事あるごとに桜魔の物語を聞かせた辰は、朱莉にとってこの時唯一、桜魔について相談できる人物だった。

『辰、私は怖いの。私は私自身が怖いの。あんなことしたかったんじゃないの。知らなかったの』

 自分の一言で、人より強大な化け物をいとも簡単に殺せるなんて知らなかったの。命がこんなにも簡単に失われるなんて知らなかったの。

 魅了者の力は、最大限にまで使いこなせば指一本触れることなく相手を殺せる力だ。なんて卑怯で、冷酷無比な力なのか。

 そんなものが自分の中にあるのが酷く怖い。だから朱莉は初めのころ、どんなに訓練しても退魔師としての能力をうまく使いこなせなかった。

『お嬢さん、そんなに悲しまないで』

 辰は怯える朱莉を外に連れ出して、自らの配下を作るための戦いを行わせた。

 その相手が紅雅。朱莉が初めて、殺すのではなく服従させた桜魔であり、退魔師としての切り札。そして日常生活の些細なことさえも支えてくれる、最も近しい従者である。

『あなたはね、桜魔を殺すだけの人ではないんですよ』

 紅雅は剣の道を志した若者の執着から生まれた桜魔だ。最初はただ剣の腕を試したかっただけのその桜魔は、人を殺すごとに殺しの快楽に目覚め、朱莉が顔を合わせた時は当初の目的も忘れ果て、快楽のままに人を殺す魔物と成り果てる一歩手前だった。

 辰は朱莉が紅雅を服従させることでその運命から解き放てると言った。事実、朱莉の配下になってからの紅雅は人を襲っていない。

『朱莉様。桜魔が何か、退魔師が何か、そしてあなたが何者かなんて問いに、本当は意味なんてないんです』

 紅雅を無事に配下として服従させた朱莉に、辰が言った。

 かつて彼女が雪の中で見つけた、雪のような髪と肌の色と“朱い”瞳の男。

『大事なのは、あなたにとってそれらは何かということですよ』

 朱莉にとっての桜魔。朱莉にとっての退魔師。そして朱莉という、自分自身。

 記憶の中の辰の言葉に、神刃に問われた言葉が重なる。

 ――君は退魔師ではないのか。何故、退魔師になったんだ?

 何故、退魔師になったの。

 それは、救いたかったから。――誰を?

「私は……」

 朱莉は白い桜吹雪の夢から目を覚ました。


 ◆◆◆◆◆


「……莉……おい、朱莉。大丈夫か」

「……お兄様?」

 呼ぶ声に目を覚ますと、傍らに義兄がいた。夢の中、よく遊んでくれた少年と、今目の前にいる青年の顔が重なる。

 嶺家の、朱莉に与えられた部屋の一つ。寝室だった。自分は寝台に横たわり、その傍らに白露が立っている。

 彼は朱莉が無事に目を覚ましたのを見届けると、ようやく安心したように手近な椅子を引いてそこに腰かけた。

「白露お兄様。どうしたの……?」

「それはこちらの台詞だ。魘されていたぞ。通りがかった侍女がたまたま見つけて心配したがなかなか起きないと言うので、私が呼び出された」

「ご……ごめんなさい」

 慌てて身を起こそうとした瞬間に眩暈を起こし、朱莉は咄嗟に伸ばされた白露の腕の中に倒れ込む形となった。

「無理をするな。相当疲れているはずだと、蝶々から聞いたぞ。少し熱もあるようだ」

 帰る途中で別れた相棒は、朱莉より一足先に嶺家に寄っていたらしい。もともと白露の幼馴染である蝶々だ。そろそろお互いに若い男女であることや平民と貴族という壁を感じ始める年頃のはずだが、蝶々が白露に向ける態度は小さなころからまったく変わりないと言う。彼女は螺珠の身を案じる朱莉のことを更に心配して、だいたいのことを白露に報告していったようだ。

「退魔師とはいえ、お前だって人間なんだ。蝶々のように殺しても死なないような頑丈な女とは違うんだから、休むべき時にはきっちり休め」

 何気なく幼馴染相手に酷いことを言いつつも、再び寝台に横たわった朱莉の頭を撫でる義兄の手は優しい。

「大丈夫です。お兄様。これは……知恵熱みたいなものですから」

「知恵熱? 何か悩み事でもあるのか?」

「……ええ、少し。でももう、きっと大丈夫です」

 このように義兄であり、従兄妹でもある青年とゆっくり話すのは久しぶりだ。多忙な彼の休息の邪魔をして申し訳ないが、朱莉は久しぶりに白露と温かい会話を交わせたことが嬉しかった。

 だけど心のどこかで気づいてもいる。頭を撫でてくれる優しい手の感触が嬉しいはずなのに、その感触を、螺珠のぎこちない手つきと比べてしまっている自分に。

 あの人を守りたい。そのためなら何でも捨てられるとすら思った。その捨てられるものの中には、この人たちのことも入っている。

 自分はとても親不孝な上に、兄不孝者だ。

「お兄様、ごめんなさい」

「それは先程も聞いた」

「いいえ、そうではなく……これまでのことずっと」

 朱莉は長年、この家に引き取られてきてからずっと隠していたことを口にした。

「私の退魔師としての魅了者の能力は、少しだけど人間にも作用するの。私はずっと、この家の人たちを騙していた」

 愛されたかった。嫌われたくなかった。

 だから朱莉の力はそういうものなのだ。魅了者。相手に向けられる感情を操作して自分に隷属させるもの。自分を世界で最も愛してくれた両親がいなくなったために朱莉の中に生まれた力。

「知っていた」

「え?」

「そんなこと、とっくの昔から知っていた。お前の両親が殺された時からお前は随分と性格が変わったし、周りもそうだ」

「でも、でも、それだけじゃないの。私……」

 それは黄昏の橋の上で、螺珠の過去の告白を聞いた時から漠然と考えていたことだった。

「私はたぶん、みんなを私の力で愛させるほどには、みんなを愛してないの。私を好きになってほしいけど、嫌われたくないけれど、私は愛されたいと願うばかりで、本当は誰も愛していなかった」

 何故自分が螺珠をこんなにも気にかけるのか、朱莉はその理由の一つにようやく気付く。

 ――私は結局、自分が愛されたいと願うだけのただの子どもだったんだ。愛されたいと願うばかりで自分から与えることをしないなら、それは愛情なんかじゃない。

 あの言葉を聞いた時から、朱莉は螺珠のことが気になって仕方なくなった。それは朱莉が、彼と同じだったからだ。螺珠の言葉はそのまま朱莉にも当てはまる。朱莉が螺珠を放っておけないのは、だからだ。

 白露が深い溜息をついた。

「お前は、馬鹿だな」

「へ?」

「それに、お前が馬鹿な子どもだなんて、外はどうだか知らないが、この家の者はみんな知っているぞ」

「お兄様」

「子どもが周りの人間に愛されたくて何が悪い。そして愛を欲しがる子どもを周りの大人が愛してやって何がおかしい」

 気が抜けたのか、優しいばかりだった手つきが今では若干乱暴に髪を撫でてくる。昔と同じように。

「朱莉。お前の力は確かに人にも影響するんだろう。だが、それだけだ。その力がなくたってお前はきっと愛されたし、そして嫌われたりもするだろう。その力があっても同じこと。人の心なんてもともとそんな簡単に完璧に操作できるものじゃない」

 もし本当に朱莉が人をその力で操っているというのなら、魅了の反動で朱莉を嫌う者など出てくるはずもないと白露は言った。

「それにお前は、自分が愛を欲しがるだけだと気づいて、それを申し訳なく思っている。それはつまり、与えられた愛情の分を私たちに返さなければいけないと思っている――もうすでにお前は、自分を愛する相手を愛しているんだよ」

 ここ数年、こうして雑談のような話をすることすら滅多になかったというのに、今夜の白露はやけに饒舌だ。まるで何かの予感を覚えたかのように、よく喋る。

「それでもお前が身内である私たちに対しても申し訳なく感じると言うのであれば、それは、特別な相手ができてしまったからか?」

「おおお、お兄様? それも」

「蝶々が言っていた」

 朱莉は寝台の中で悶えた。あの相棒は人の兄にどこまで暴露しているというのか。朱莉は白露の顔を見ることができずに、上掛けを顔が隠れるまで引き上げる。

「特別に愛情を与えたい相手ができて、他の者にはそこまで自分が想いをかけていないことに気づいたのだろう。……だが、人間は誰しもそんなものだ。みんなそうやって自分にとって一番大切な相手を見つけることで、大人になっていくんだよ」

 白露は何でもないことのように諭すが、朱莉にはそれでも一つの危惧があった。

「でも、私は退魔師よ。桜魔を殺せるし、その気になれば人も殺せる。私が我儘を通したら、大きな被害が出るかもしれない」

 朱莉は目を伏せた。自分が何気なく口にした言葉が思いもかけない結果を生むのは、両親を殺した桜魔を魅了の力で死に至らしめたあの時に嫌と言うほど思い知った。もうあんな思いはしたくない。

「それを、お前自身がわかっているなら大丈夫だろう。お前の好きにしろ」

「国王陛下に無礼なことを言っても?」

「なんとかしてやる」

「退魔師協会を敵に回しても?」

「まぁなんとかなるだろう」

「蝶々にすごく怒られるかも」

「それは私には荷が重いが……なんとかなるに違いない。きっと」

 だから、と言いながら白露は最後にもう一度朱莉の髪を撫でた。

「お前の好きにしろ」

 立ち上がり彼は告げる。おやすみ、と。朱莉は頷いて、目を閉じた。襖を開閉する音がそっと響き、白露の気配が遠ざかる。

 まだ夜明けは遠く、今は休息が必要だ。明日になれば動き出さねばならない。体調など崩している暇はない。

 神刃にどれだけ責められようと、兄想いの蒼司王を傷つけようと、自分の兄である白露を悲しませようと――螺珠を守りたいと思う、朱莉の気持ちに変わりはないのだから。


 ◆◆◆◆◆


 翌日、朱莉は王城へと向かった。

 仕事の話だと言えば、呆気ないほど簡単に蒼司に引合される。それだけ後宮の桜魔の事件が堪えたのかもしれないが、些か不用心だと思わなくもない。

「これはこれは、朱莉様。一体どうして」

「神刃様のことを教えてください、国王陛下」

 和やかな微笑を浮かべていつもの小部屋で朱莉を出迎えた蒼司の顔が、瞬時に凍りつく。

「朱莉様?」

「私は、神刃様と対峙します」

 先日の依頼は、桜魔・寧璃の消滅で決着したはず。もう関わる理由もないのに王宮にまで足を運んだ朱莉の決意に、蒼司は苦い顔をする。彼の本音としては、自分はともかくもう兄に関わってほしくないのだろう。

「そのためには、まずあの方のことを知らねばなりません」

「……そうですね」

 蒼司は部屋の外の朱色の桜の花を見上げる。

「ちょうど私も、そろそろ誰かに、兄や私自身の話を聞いてもらいたいと思っていたところだったんです」

 先日までの無害で無邪気な少年王の演技を脱ぎ捨てて、蒼司は影のある笑みを浮かべて朱莉を見つめ返した。

 蒼司が語った内容は、神刃の過去だ。事実だけを繋ぎ合わせれば、それは先日も聞かされた話と同じ。けれど蒼司はもっと踏み込んで、自分の目から見た神刃の考えを口にした。

 それは朱莉も神刃に感じたのと同じ、彼は桜魔を殺す者である自分にしか価値を感じてはいないのではないかということ。

 蒼司の中には、兄を心から案じる想いがあった。それを吐露する。

「神刃様のことを大事に思っているのですね」

「ええ。私の初恋の人ですから」

 何かさらりと凄いことを言われた気がした。

 桜人である螺珠や朱莉を敵視している神刃には効きづらい魅了の力が、蒼司には如何なく発揮されていることを朱莉は自覚する。それが通常と少し違うのは、蒼司のこの性格故だろう。

「朱莉様、あなたは不思議だ。あなたには何故か、なんでもかんでも話してしまいたくなる」

「……それは私が、魅了者だからでしょう。あなたもすでに私の術中なのです。国王陛下」

 恥じるように顔を伏せた朱莉に対し、蒼司は意味深な眼差しを向ける。

「一つにはそれもあるのでしょうね。朱莉様。けれど私があなたに話をしたくなるのは、そのせいだけではない」

「え?」

「あなたの心は蝶々様と違い、退魔師でありながら只人と同じように弱い部分がある。あなたが人を惹きつけずにおられないのは、逆に言えばあなたが愛されたいと心の奥底で願っているからではないですか。そのような弱さが、私のように本性は臆病なくせに腹黒い人間にとって、一抹の慰めに感じられるのですよ。退魔師とて、誰もが完璧な人間ではないのだと」

「……」

 例えば蝶々のように強く美しい人には、自分にそこまでの自信がない人間は気おくれしてしまうものだ。それに比べて朱莉は退魔師としての力さえなければか弱く、好んで人と争うような性格でもない。そして自分が孤独だと思っている。その弱さに人は親近感を覚えるのだと。

「蒼司様」

「一年前」

 蒼司は窓の外の朱桜を指差す。

「あの樹の下に、父の死体を埋めたんです」

 朱莉は言葉を失った。

「暗殺者や殺人者ではなく退魔師である兄上の技は、その専門家に見せればある程度術者が特定できてしまうそうですね。だから私は重臣を説き伏せて、その葬儀を出すよりも早く、さっさと父の死体を樹の下に埋めました」

 緋閃王はかつての暴君だ。反対者は少なかった。少ない反対者も、大臣――今の蒼司の摂政の言葉によりすぐに説き伏せられた。

 流したばかりの鮮血が乾くまでもなく、埋められた死体。

「桜の樹の下は根が張って穴など掘れないと思いますが」

「ええ。人間一人分の穴を掘るのは大変でしょうね。だから死体をばらばらに切り刻んで小さな穴にちょっとずつ埋めたんです」

 空恐ろしいことを平然と口にし、蒼司は儚く笑う。

「朱櫻の桜は、人食い桜。そしてこの国の王に立てるのは、身内ですらその鮮血が乾く前に樹の下に埋められるような人間だけです」

 人の血は流したばかりは朱く、渇きかけると紅く、完全に乾いてしまえば黒くなる。朱櫻の桜が朱色なのは、その乾きかける前の血を流す死体を根本に葬り続けて来たからだと。

 もちろんそれはただの伝説だ。実際に桜が死後に経過した時間の違う死体を埋めたことによって花の色を変えるわけではないだろう。

 けれど朱櫻の王族が、身内をも花の下に埋めることは真実なのだと蒼司は言う。

「でも、だからこそ、神刃兄上にはあのままでいてほしいと同時に、桜魔に囚われてほしくない」

 汚れ役は自分の仕事だと、若くして玉座についた少年は宣言した。穢れを知らぬ清らかさを感じさせるその深い眼差しで、いとも容易く血腥い現実を口にする。

「……お父様が、嫌いなのね」

 蒼司は何も答えずに、ただ静かに笑う。そして彼は、新たな構想を朱莉に打ち明けた。

「僕は――いえ、私、蒼司は、朱櫻国王として本格的に桜魔の殲滅に力を入れることを決意したのです」

「殲滅?」

「はい。手始めにまずは協会長にその意向を伝え、これまで以上に王都の警備を強めるよう、退魔師協会を通じて話をしました。具体的には、警吏が真夜中に班を組んで街を巡回するように、退魔師の皆さんにもこれからは組織だって動き、王都の如何なる桜魔事件にも対応してもらいたいと思うのです」

「組織って……」

 組織の中で他人と協調して作業をするのが苦手な朱莉は、曖昧な顔をした。

「退魔師はそんな簡単な人種ではありません。能力によっては私のように他人に忌避される術者もいるし、蝶々みたいに性格にくせのある退魔師も多いですよ」

「それはわかっています。そう言った方々に関しては、これまで通り個人的に活動してもらった方が多くの成果を上げられるかもしれないことも。けれど中には力が弱く二、三人で手を組まねば強力な桜魔に立ち向かうことのできない術者もいるでしょう。それに、退魔師協会に持ち込まれる依頼の中でも、これまで通り退魔師自らが志願するまで放置しておくのでは、貧乏人はいつまで経っても助けてもらえないということになりかねない」

 神刃という兄を想う弟の顔だけではなく、未熟ながらもこの朱櫻と言う国を背負う王の顔で蒼司は言った。

「朱莉様、王都の外の村に赴く依頼を受けたことはありますか?」

「……いいえ、ありません」

「神刃は、そうして見捨てられた僻地の村の依頼をこなすこともある退魔師です。退魔師の数が少ない辺境では、隣家の住人が夜毎に一軒一軒桜魔に食われていくのを知りながら、次は自分の番だと震えることしかできない人たちもいる。そうした人々に手を差し伸べるには、少数の退魔師の厚意に頼るような現在の退魔師協会の仕組みでは不可能です」

 それは以前から協会でも問題視されていたことだった。誰もが知りつつも手を出さずにいたその問題に、蒼司は自分が着手すると告げる。

「だから僕は、朱櫻国王として退魔師協会を変え、そしていつか、人を襲う全ての桜魔を滅ぼし尽くします」

「それが、あなたの決意なのですか。神刃様お一人に悲劇の贖いをさせず、お父様がもたらしたこの桜魔時代を、あなた自身の手で終わらせるという」

「はい」

 すでに決意した者の顔で蒼司は頷く。父王の崩御後、一年に渡って沈黙を保ち続けた当代朱櫻国王が、ついに自ら動き出すことを決めた。

「国王陛下、あなたの志は立派です。それが実現したら今よりも救われる人がいるのも確かでしょう。でも……その時は、例えば私のような魅了者はどうなるのですか。私は配下の桜魔を従えなければ、肉弾戦系の桜魔と戦うことができません」

「朱莉様のような能力者の下僕たる桜魔の存在に関しては、今のところその退魔師の“武器”であるという形をとって黙認するつもりです。もっとも、それが適応される能力者自体が少ないわけですが」

 朱莉が本当に聞きたいのはそのことではない。蒼司は察して、問われる前からそれを口にする。

「……それでも、螺珠殿のように人を襲わない桜魔に関しての例外的な扱いばかりは、通すことはできません」

「……」

「朱莉様、螺珠殿にお伝えください」

「この国から出て行くようにと?」

「……はい。いろいろ考えましたが、それが僕にできる精一杯です。そして僕の権力が届くのは、この国の中までです」

「仕方ありません。あなたがこの国の王として桜魔殲滅を謳うのであれば、その王都にいくら人を襲わないからといって、桜魔が平然と存在するのを見過ごすわけにはいかないもの」

 蒼司個人は螺珠に恩義を感じていても、朱櫻国王としてその処置は仕方のないことだった。

 だが、今ならまだ間に合う。桜魔殲滅とは言っても、戦争のようにいきなり軍隊を率いて出かけるわけではない。まずは夜半の見回りを強化したりとそうしたささやかな事柄から導入していくのだ。それならば螺珠に身の振りを考えさせる時間はまだある。

「色々と話してくれて、ありがとうございます。蒼司陛下」

「いいえ。あなたに伝えたことのいくつかは、私自身のためでもありますから」

 早速螺珠に会いに行くために御前を辞する宣言をした朱莉に、蒼司は彼女の奔放さをほんの少しだけ羨むような表情で言った。

「……すべてが上手くいって、みんなが幸せになれるといいですね」

 蒼司の口にしたそれは希望だ。実際には誰かの思惑の、何もかもが全部うまくいくなんてこと、滅多にない。

「ええ。蒼司陛下も……どうか健やかに、末永くお幸せに」

 この場面で口にするのに正しい挨拶なのかどうかはわからない。それでも万感の思いを込めて捧げた言葉に、少年王は儚い笑みを返すだけだった。

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