お菓子の希望と狼の可能性
俺はぼんやりとしばらく思考の海に漂っていた。仮想の太陽が随分傾いたように感じられる。
と、そこで。
「……ん?」
頭の中に響く電子音に、俺は視界の右端を確認する。コールが来ていた。俺はそれを認識し、「着信」と呟いて許可した。
『レンくん、今どこですか?』
「いつもの丘で昼寝から覚めたとこ。にしてもユウナか。てっきりミンかと思ったよ」
『はい。……ふふ、寝起きだったんですか? 私達も狩りが終わったので、戻りますね』
「え、ウチにか?」
てっきり狩場から直接帰宅すると思い込んでいた俺は、驚いたような声を上げる。たしか二人が行ったのは『邪の森』に隣接する『廃都』だ。『廃都』は、かつて栄えた大都市が『生命樹』の天使たちによって滅ぼされたという設定がある。
そんなわざわざ戻ってくるにはめんどくさい場所にいるはずのユウナが、少し慌てたような声色になった。
『は、はい……この『焔天』のお礼も直接したいですしっ』
「そっか。んじゃ、俺も戻る。戻ったら感想を聞かせてくれ」
『はい。あ、あとミンちゃんが秘蔵ハーブティが欲しいって』
「却下だ、と言っといてくれ」
『わかりました』
くすっと笑いつつもそう言って、ユウナはチャットを切った。
実はこのコールという機能、あまり使われていない。理由は単純で、金がかかるのだ。電話の通話料金のごとくかけた側が一定のゲーム内通貨を払わなくてはならない。それが意外と高く、多用されない原因となっている。しかし『解放軍』の主力として働くユウナには金など吐いて捨てるほどある。
羨ましかった。
「さて、戻りますか」
そう誰ともなく呟いて起き上がろうとし、
ゴンッ。
「…………“ゾーン解除”」
ぶつけた頭をさすって、俺は自らの家に戻るのだった。
タゲられる前に逃げてしまえと、一年間寝起きした小屋へと戻ってくると既にユウナとミンが扉の前で座っていた。森から出てきた俺に気づくと、二人は立ち上がってこちらに手を振ってくる。
それに振り返して、俺は扉の前まで行く。
「おやつはっ?」
「……」
それだけが大事なことのようにそうミンが聞いてくるのに、口を閉ざして微妙な表情。意地悪でもしようかと思ったが、ミンの後ろでユウナも期待に目を輝かしていたため、それもやめておいてやろうと思った。
「あるよ。花の蜜取って来たから、パンケーキにでもしよう」
「やったねっ!」
「パンケーキですか、いいですね」
二人がニッコリと微笑み、それを見て俺は扉を開いた。
「ほら」
「お邪魔します」
「おっじゃまーっ」
かたや行儀よく、かたや元気よく入っていく二人を見て、
「ふわぁ……まだ眠いな」
欠伸を漏らしながら、中に入った。
入ったからといって特になにもない。見る人が見ればなかなか便利な武具が飾られているだけである。俺は客からのチャットが来ていないか横目で確認し、奥の流し台へと向かう。
「ユウナー。ちょっと来てくれ」
「はい? どうかしました?」
ユウナがひょこっと顔をのぞかせる。それを手招きして呼んで、俺は両の手を合わせた。
「パンケーキ、ユウナの《製菓》で作ってくれないか? 《錬成》で作る菓子は結構限度があってさ」
《錬成》は例えば料理のようなろくに使わない分野のものでも、最低限の動作は行われる。それを利用して、今まで二人には簡単なお菓子を出していたが、ユウナの《製菓》スキルの存在を以前聞いて、菓子も食べたくなったのだ。
それを聞いて、ユウナはなぜだか少し残念そうな顔をした。
「どした? なんか都合悪いか?」
「いえ……レンくんのお菓子、食べたかったなぁ、て」
「俺の? 《錬成》だしそんなに美味くないだろ? それよりも《製菓》スキルで食わせてくれよ」
「……本当、レンくんは食いしん坊さんですね」
くすくすと笑う彼女になんだかくすぐったい思いをしながらも、俺はあははと笑った。そのままユウナと二人で笑う。
そこで「そうだ」とユウナが思いついたように言った。
「夕飯の後にしたらどうでしょう? 美味しい店を知っているんです。その後私の家に行きましょう」
「お、いいのか?」
基本NPCレストランは美味しいとはいえない。しかし、ユウナが美味しいというほどの店も存在しているらしい。
しかし、俺は考えてしまう。『解放軍』の連中に目をつけられたりしないか、と不安になる。
「なぁ、本当に俺とかが行っても大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。うちは結構広いです」
はて、なんだか少しずれた答えのような気がしないでもないが、本人が良いというのならいいのだろう。もし目をつけられても、それぐらいの価値はあるだろう。
ただ、なんというか。
「ユウナちゃん、もーちょっと自分の魅力に自覚を持ったほうがいいよっ?」
まったくもって、ミンの言う通りだ。
「レンも狼になるかもしれないし」
まったくもって、ふざけたことを言う。……ならない自信はないが。
「お、狼、ですか……?」
「そ、狼。がおー」
そう言って爪を立てて吠え真似をしてみせるミン。その容姿と仕草が、まるで幼稚園のお遊戯会だ。
いてっ。考えを読まれたのか、脛を蹴られてしまった。
「狼……」
そして、なんだか考えているようなユウナ。一体自分の印象がどうなっているかというのは気にしない方針で、俺は密かに深い息を吐いたのだった。