長い一夜4
突然、静寂が屋敷を包んだ。
「いるな、扉の外に。かなりの数だぞ。」
嫌な沈黙が訪れたあと、突如扉が大きく軋んだ。
魔法と魔法が擦れ、青い光が扉を包む。
「魔法?何故人狼がそんなものをまとっているんだ。」
「屋敷の魔法は全てサティが施してる。私は確認しただけ。
その強力な守護を破れる相手は限られるって、サティ言ってた。」
マリは壁を背に床に座りこみ、ジルの服の裾をつかみながら
隣に座っているジルに身を寄せた。
「頼むからパニックを起こさないでくれ。
今の状況でさっきみたいにお前の相手はできそうも無いからな。」
そっとマリを抱き寄せると囁いた。
ついに狼の吠え声が大きく響くと共に扉はこじ開けられた。
マリは先頭の一匹と目があった、ように感じた。
しかし、人狼はそのまま広間に入ると入り口を振り返り、仲間が入ってくるのを見守った。
「どこだ…餓鬼はどこに隠れた?」
しわがれた声が苛立ちと共に狼の口から漏れる。
人狼は全部で六頭いた。皆、魔法を破ったため、全身の毛が時折青白く火花を散らしている。
「くそっ、あと少しなのに見つからねぇ。」
(…私たちが見えてない。守護陣の効果が効いてる)
そのことに気づくと、二人は顔を見合わせた。
人狼たちは二人の目の前をうろついている。
引きちぎられたカーテンから入る月明かりが人狼たちの銀色の毛並みを照らしている。
中には座っているジルの足に尾が触れそうになるまで近づいているものもいたが、
そのまま通り過ぎていった。
突如、マリが体をこわばらせた。ジルが問いかけるような視線を向けたその時、
さらに体の大きな人狼が広間に入ってきた。
「一人やられたが守護者どもはあの方が片付けた。
殺せなかったがしばらくは動けまい。餓鬼はいたか?」
「まだだ。だが近い。」
それを聞くと大きな人狼は喉元でいらだたしげに唸り声を上げた。
「呼ぶぞ」
そう呼びかけると、その場で遠吠えを始めた。
仲間を…呼ぶ遠吠え。
その遠吠えを目の当たりにしたとたん、ジルの体に力が入った。
右手で傷を押さえ、左手でマリを引き剥がし床に突っ伏した。
(答えてはいけない。声を出したら、この子まで…)
しかし、思わずかすかな唸り声が口から漏れる。
それを人狼たちは聞き逃さなかった。
「いるぞ、やはりこの部屋だ。」
再び人狼たちは周囲の気配をさぐりだした。
遠吠えが止み、ゆっくりと体を起こしたジルは、
荒い息遣いを必死で押さえながら背後の壁に寄りかかる。
自分の正面にマリが回りこむ気配を感じ、うっすらと目を開けると
膝立ちしたマリが見下ろしていた。涙に濡れた綺麗金色の瞳に捉えられると、
目を離すことができなくなった。
人狼の気配も傷の痛みも遠のいていく。
遠吠えが再開されたが、それすら遠くに感じた。
「見つけたぞ!!」
しわがれ声が遠吠えを中断させた。
マリが振り返ると、人狼たちがにじり寄ってきている。
「何で…」
信じられず、床の魔方陣に視線をさまよわせる。その視線がジルの左側で硬直した。
ジルの爪で床板が引っかかれ、魔方陣が破れていた。ジルは目は開いているものの、
何も写っておらず、ぐったりと壁によりかかっていた。
「新しき兄弟よ、よくやったぞ」
「小さき姫、お前もよくやった。ただ、お前の瞳の持つ束縛の力よりも
われらが兄弟を求める力のほうが勝っただけさ。」
「来ないで…サティ助けて。アル…」
泣き、震えながらも指差すと床の上に光の輪が現れ、人狼の歩みを止めようとするが、
床が焦げるだけで毛皮にまとう魔法で打ち消されていく。
「可愛らしい抵抗だな。」
「残念だが、今われらが欲しいのは兄弟だ。」
「小さき姫は要らぬ。」
「いやぁ、要るとも。」
「食事!!」
人狼たちは口々に囁きながら魔方陣を踏み越えてくる。
マリは力いっぱいジルにしがみつき、目を閉じた。
生温かい息を耳元で感じ、ザラリとした舌が足をなめる。
肩と足に鈍い痛みが走り、ジルから引き離された。
「いやぁー、お母さん!」
マリの悲鳴が広間に響くが、ジルは無反応だった。
マリの肩に食い込む牙が腕を引きちぎろうと力をこめた時、
マリの額から緑の光がほとばしった。
その光に噛んでいた人狼は弾き飛ばされた。
足に爪を立てていた狼も弾き飛ばされ、ガラスを割って屋敷の外へ落ちた。
その後もマリに近づこうとするが、マリを包んだ緑の光がそれを妨げる。
マリの額には緑色の模様が浮かび上がり、人狼が近寄るといっそう明るく輝いた。
「…なめたマネを。」
始めに飛ばされた狼がよろめきながら身を起こす。
ジルの前にマリが倒れているためジルだけを連れて行くこともできない。
一定の距離を保ちながら光が弱まるのを待っていた。
すると割れた窓から風が吹きこんだ。
「何だ?」
人狼たちの注意が窓に向いた。
穏やかに思われた風が豹変した。
風が無数のカマイタチと化し、人狼たちに襲いかかる。
血と、叫びが交じり合う中特に強い風がそれらをまとめて
窓から森の奥へと吹き飛ばした。その風の中から黒い影が現れた。
布が巻いてある右手で左のわき腹を抑え、息を切らしている。
その右手は赤黒く染まり、足元に血溜りができていく。
「マリ」
目深にかぶったフードを後ろに押しやり、血の海の中に倒れている小さな体を抱き上げた。
窓から朝日が差し込み、部屋の中を照らしていく。
青白い顔を朝日が照らし、皮膚が火傷していくのを感じたが、
サティスはそのままマリの傷を調べる。
「よかった、単純な傷だわ。感染してない。ごめんね、遅くなって…。ごめんね。」
謝りながら抱きしめ、ジルに目をやる。
急を要するのはマリの傷の方だった。特に肩の傷がひどく、大量の血が流れ続けていた。
「ごねんね。」
再び謝ると膝の上にマリを寝かせ、肩の傷に顔を埋めた。
あふれ出る血を舐めとり、牙の痕、一つ一つを丁寧に舌でなぞっていく。
ピチャリ、と血を舐め、血をすする音だけが広間に響いていた。
深かったはずの傷口からの出血は不思議と止まっていく。
それを確認すると、今度は足の爪あとに舌を這わせる。
血が止まるとかろうじて動く左腕だけで体を引きずるようにしてジルに近づいた。
「マスター、申し訳…ありません。」
緑の二つの人影が突然姿を現した。その体は半分以上透けている。
「大丈夫?」
「何とか。完全に回復するには今しばらく時間が必要ですが。」
「一人捕らえています。」
サティスの動いたあとに床にべったりと血の線がひかれている。
それを見て、一人があわてて手を差し伸べる。
「お休みください。後は私たちが…」
口の周りについた血を舐め、拭いながらジルの脈を測った。
「最悪の…事態は避けられた、みたい。マナ、アルテミス、お願い」
何も無い空間に向かって途切れ途切れに呼びかけた。
「守護としてのお役目を果たせず、申し訳ありません。」
サティスは再度詫びる守護者の声を聞くと大きく息を吐き、目を閉じるとその場に倒れこんだ。