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ネット小説と生成AIの問題に関する問題についてラーメンの作り方などに例えて色々語ってみるエッセイ  作者: 新景正虎


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四、早さを追求した結果失うもの

 前回は自分の創作のしかたや生成AIで動画を作ることが思ったほど簡単ではない。


 また、速さは魅力だがそれ以外のリスクが大きい。


 仮に書くのが早くなっても手直しの工程が増して結局あまり変わらないようになるかもしれない。


 そんなことを述べました。


 ここで話をラーメンとの例えに戻します。


 今の創作界隈、特にアマチュアの小説投稿サイトをラーメン街とするなら、


 スープは自家製、麺と具は仕入れで回転率をあげて利益にこだわる派と、


 麺もスープも皆自家製、利益よりも自分のこだわりを重視する派、


 が各々しのぎを削っていたのがより回転率のよい新しい手法をとる店が現れて毎日新作メニューを出す店が出てきた。


 そんな感じといえるでしょう


 前者は競争相手がAIに変わった程度ですが、後者にとっては明らかな脅威。


 今までは数こなしてサイト内で露出を多くすれば見てもらえる可能性が高くなるわけでしたが、このままではAIが大量に生み出した租税乱造小説とAIを活用して更新速度と中身を両立した小説に挟まれる事になる。


 そうなるとどうなるか?


 良いコンテンツばかりが生き残るのなら良いがそうはならない。


 要は界隈全体が希釈され、質が薄まっていく。


 ラーメンに例えるなら、粉末スープをどんぶりに入れてお湯を注げばスープになる。


 しかし、それが25メートルプールくらいの容積があったらどうなるか。


 ひとつの小袋の粉末では到底足りないだろう。


 しかし、例え生成AIを使ったとしてもプール程の容積を満たせる程の質を兼ねたコンテンツを大量に出せるかは疑問。


 いや、やろうと思えばだせそうな気もするかもしれないが、これがAIに指示するユーザー次第となれば話は別。


 今や、いや昔からネットコンテンツはそうなっている。


 誰もが情報を発信できるということは、同時に雑多な情報で溢れるということ。


 投稿サイトには駆け出しもいればプロ級もいる。


 小説なら、昔は出版社主催の新人賞に応募するか、電話を掛けるなどして話をつけて直接持ち込んで読んでもらうしかなかったはず。


 しかも、新人賞は大抵完成していることが前提で文字数にも上限がある。


 持ち込みは直接足を運ぶなど物理的な制約が多い。


 どちらもハードルが高く、行える人が限られていた。


 そのためこの時点である程度の選別がされ、さらに作品に対して厳しい目を持つプロの編集者や作家による選考がされていた。


 だが、ネットの普及によってその障壁が取り払われ、誰でも作品を発表し、目にする機会が増えた。


 しかし、それは質の高さを保証するものではなく、今度は雑多なコンテンツが溢れることとなった。


 要は、面白いが金を出す程ではない作品が目立つだけで評価されて、世に出て、そして広い世間からは酷評されて界隈自体が失望される。


 これ自体はこれまでもあっただろうが、これからはそれがより加速するかもしれない。


 だとすると、今後は出版社などの供給元がなにもしなければ、今まで以上にネットコンテンツが希釈され質が薄まっていく事になる。


 生成AIの普及によって作品が世に溢れるということはそういう傾向がより強くなっていく事でもある。

  

 だが、人の心を打つ優れた作品を産み出すにはそれなりの技術が必要。


 もちろん誰もが最初から上手いわけではなく、多くの人が他人と比較される荒波のなかで揉まれながら腕を磨いていくのだから、作品を発表できる場がある方がよい。


 自分も自己研鑽、試行錯誤を繰り返すことで文章書きとして成長して来たと思っています。


 だが、作品を発表するための敷居が低いと、優れた作品を産み出すことよりも目立つ事が優先される。


 SNSで目立って有名になれば作品も読まれる。


 創作をしていてそう思った人もなかにはいるでしょう。


 しかし、SNSで有名になっても作品に興味を持ってくれるとは限らない。


 これが(イラスト)なら一つの作品の出来を見て他の作品に興味を持ってくれるかもしれない。


 しかし、ネットで時事問題に関して物申して、仮にその発言がバズったところでネット批評家の一人になるだけ。


 むしろそれで承認欲求が満たされてしまい、創作よりもネットでの発信が主になりかねない。


 そうなったら創作活動そっちのけでネット評論家が活動のメインになるだろう。


 それはさておき、


 技術や努力よりも効率と速さが優先されるとなると、生成AIは人が試行錯誤してよいものを産み出す、その機会自体を奪うのではないだろうか?


 自分が書きたいもの、伝えたいことが伝わるように生み出すためにはどうするか?


 AIによって人はその時間を費やされることがなくなる。


 効率重視の人にはよく聞こえるだろう。


 だが、それならラブレターをAIに書かせることだって出来る。


 しかし、それで思いが相手に伝わるだろうか?


 そもそも、人の体は使わなければ衰えていく仕組み。


 線を引く、色を塗る、話を考える、自分の考え、意図を伝えるために文章を工夫する。創造のために得たその技術、そこに至るまでに費やした試行錯誤、それ自体はツールが変わってもある程度通用する。


 だが、AIへの指示は技術と見なせるだろうか?


 自分のような文章を書くものは人に何かを伝えようとして文章を書く。


 だが、AIに対する指示は人ではなくAIに対してのもの。


 AIの仕組みを理解し、AIにこちらが望む結果を出すための工夫。


 面倒だから、AIがあるからで体を使わず頭をAIに対するコミュニケーションとしてしか使わなくなったら、創作界隈、いや、この先の人類社会がどうなるだろうか?


 生成AIによって人が創作を行うハードルは確かに下がった。


 誰でも絵や、文章で物語を形にすることが出来るようになった。


 しかし、このままでは自分自身に技術があって道具として使いこなす者と、自身には技術がなく、道具と技術に振り回される者に別れるだけかもしれない。


 そのような状況では今後創作者は皆、どうやって生き残るかを考えなければならないだろう。


 すでに危惧している人もいるでしょうが、もはや個人ではなくサイトの運営側自体が生成AIの使用、一日の投稿回数の制限などの規制をしなければ早さでは敵わない。


 ただ、早さを重視する人は中身の確認をどれだけしているのかは疑問。


 もちろん時間に追われながら毎日書いて出すのは大変なのはわかる。


 しかし、自分が書いたものを見直ししている人がどれだけいるかは怪しい。


 YouTubeの動画でも各種音声読み上げソフトを使ってテキストを読み上げている動画をみても、そこのチェックを怠っているのか、時々あり得ない読みをするのを散見する。


 画面には深刻と表示されているのに「しんこく」ではなく「ふかきざ」と読み上げられる等。


 もちろん、動画を見直し、違うところを手直しするのには時間と手間がかかる。


 だが、それで大きく成果が変わるわけではない。


 その読み上げ間違いで低評価食らうなど日常であろうが、直す手間を考えれば無視しているのだろうと想像している。


 そう言うのを見ると更新速度重視の人は自分が作った、書いたものをあまり見返したりせずに出しているんだろうなあとか思っています。


 AIに小説を書いてもらって、見直ししていたら結局自分で書くのと同じ時間がかかる、としたらあまり意味がない。


 自分は書籍を出していないので詳しくはわかりませんが、出版社がバックにいるプロの作家なら推敲だけではなく、誤字脱字、現代には不適切な表現の修正を行う校正と呼ばれている人が別にいるそうですが、個人で活動するのなら企画、執筆、編集、校正、宣伝全てを一人でやらなければならない。


 ラーメンの例えで言うならプロ作家は麺や具は業者から仕入れ、スープ等は自己流。


 アマチュアは(個人差はありますが)個人なら一人でやらなければならない。


 そんなイメージ。そのなかで効率と中身のどちらを重視するのか。


 繰り返しになりますがネットコンテンツでは早さと効率が重視されている訳ですから今後も早さ、効率を重視するのなら今後創作界隈とAIの関わりは避けて通れないかなと思います。


 限られた時間内に成果をださなければならないのなら、他業界同様に効率を優先しなければならない。


 なのに創作界隈だけがAIをかたくなに拒否できるとは思えない。


 出版界隈とて商売なのだから。


 しかし、自分のように早さや効率より中身を重視する人には直接は関係ない。


 だが、書籍化を考えるなら早さを重視するのは間違いではない。


 プロに求められるのは、質ではなく納期を守ることでしょう。


 どれだけ面白い作品を作れようと締め切りを守れなければ信用を落としてしまう。


 なので、納期を守るためには時に質を落とす必要がある。


 これがコンテンツの供給に更新頻度と早さを求められる理由だと思ってます。


 だが、大半の消費者からすれば面白ければどっちでもいい。


 これになる。


 手間かけようがAI使おうがなにしようが定期的に供給されて楽しめればいい、ただし不利益を被ったら容赦しない。


 不利益というのは要するに食品でいう健康被害です。


 口にする食べ物が安全かどうか。


 創作界隈では権利侵害でしょう。


 しかし、大抵の人は商品の包装に印刷された表示等はいちいち見ないと思います。


 それはメーカー側にある程度の信用があるからではないでしょうか?


 つまり、実際に品質を確かめた上での信用ではなく、評判や生産するメーカー、ブランドに対する信用。


 逆に信用ならないものは手に取らない。


 例え実際には安全であっても悪しき前例があるのなら不審の目を向ける、それが消費者。


 生成AIに向けられている不審は正にそれで、生成AI自体がこれまでネットのコンテンツを無断学習してコンテンツを作り上げ、著作権者の権利を侵害して来た結果だといえます。


 とはいえ、AIであっても無断学習それ自体を罰することは難しい。


 なぜなら、法律が定められたわけですから。


 著作権法第30条の4


 詳しくは調べてみてください。


 自分も何度も読み込みましたが、要は学習禁止と明記されていなければAIによる機械学習はOK


 それを使った画像生成もOK、


 ただし、そこに既存の権利者の画像などが使われていたらアウト。


 と自分は解釈しました。


 これの是非についてはとりあえずおいておいて、問題は機械学習禁止と明記されていたコンテンツの機械学習とコンテンツの出力方法。


 そうなると画像生成が学習した画像の切り張りの合成から脱却できなければ、これまであったつぎはぎ(コラ-ジュ)画像と変わらない。


 あれだって著作物の改編という立派な権利侵害ですから。


 まあ、それはさておき、


 つまり画像を直接使用しての画像を生成するのはダメ、反対にAIが学習した画像の内容から一から対象の構造、だとすると人なら骨格や筋肉の性質を理解し、関節の可動限界を理解して反映された画像や動きを一から計算しながら生成するならおそらく合法。


 しかし、これを行うにはAIには今以上の計算が求められる。


 しかも、人なら感覚で理解できることもAIはわからない。なのでそこを人が理解し、それを踏まえた学習をさせる必要がある。


 もちろん、人だけではない。機械ならエンジンや駆動系、ビルなどの建物なら人が居住できる空間、それらの中身、仕組みが感じられるような画像。


 もちろん人でも必要に応じてあえて無視することもあるが、それでも全く意識しないということはない。


 とはいえ、これはおそらくかなり高度な情報処理が必要。


 何が言いたいかというと、生成AIは人の意識は模倣できる様になったが、無意識までは模倣できていない。


 人が何となくとか、適当にとか考えること。しかし、実際は適当なわけではなく、無意識というバックグラウンドで計算しての判断。


 仮に漫画家が人が歩く様を描くときを例にしても、人の骨格の構造、歩くときの重心バランスの変化、吹き付ける風や空気の抵抗によってなびく髪や衣服の動きを意識、あるいは無意識のうちに判断して線を引いている。


 それを無意識のうちに行うには対象の観察や繰り返しの修練によって体に覚えさせていく。


 それをAIにも同じ事をさせて計算処理を行って画像、動画を産み出している事を明らかにして、今の生成AIはコラ絵ではない事を客観的に証明できなければ、いくらこの生成AIはクリーンだと謳っても消費者からすれば証明が難しいわけですし、面倒ですからいちいち確認する気もない。

 

 なのでこの辺りの事は曖昧にされたまま進むのではないかと自分は考えていて、ここがやはり今後の課題になるのではないかなと思います。


続く。

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