二、早さと中身、どうやって両立するか
前回、テーマ通りラーメン作りに例えて、今の創作界隈について自分の考えを簡単に述べたわけですが、
生成AIでコンテンツを生み出すのはカップ麺を作るようなもの。
しかし、それを料理と呼べるのか?それを店に出して金を取ってよいのか?
風評被害、健康被害等の観点からカップ麺のメーカーはそれを許すだろうか?
カップ麺の麺そのものを素材にして一から麺を作る事はできるし、実験としては分かるがだろうが、果たしてそれは効率的なのだろうか?
そんなことを語りました。
では、我々は生成AIを拒絶するのか、限定的に使うのか、書くのすら生成AI任せにするのか。
今回は、ここについて自分の考えを述べていきます。
まず、効率、特に早さを考えればAIに指示するのもありかもしれない。
しかし権利侵害の件を抜きにしても創作のすべてをAIに頼りきるのは危険。自分はそう考えています。
それは創作とは自己表現、自分の書きたいこと、伝えたいことを物語の形にして世にだす事だと思っているから。
それをAIに指示をだすだけではたして伝わるだろうか。
小説なら設定、文章の言葉の響き、人物の言動。
その点はおおいにこだわりたい。
しかし、一方で創作のための下準備、環境の確保では効率を求めたい。
執筆に専念できる環境を確保して一秒でも早く書き上げて発表したい。
効率化のための方法があるなら導入したい。
なので、大まかを書くのはAIに任せて、推敲は自分でというのは(権利侵害の問題が解決するのなら)人によっては両立しうるかもしれないと思っています。
しかし、そもそも推敲とはなにか?
馴染みのない人もいるかと思います。
要は手直し、書いた文章を読み返しながら修正をしていく事。
しかし、これは決して楽ではなく、自分も駆け出しの頃は決してうまくはない自分の文章を見返しながら直していたものです。
今はそうではないですが、自分は駆け出しの頃、自分の書いた下手な文章を読み返すのはとにかく苦痛で嫌でした。
それはさておき、
そうして誤字脱字、慣用句の誤用、表現の重複、設定や表現の矛盾などなどを読み返しながら直していく事が推敲。
ではAIに書かせた小説を推敲するとどうなるか?
仮に生成AIに1日10万文字の小説を毎日出力してもらうのなら、その10万文字全てに目を通して、必要があれば直してから公開することになる。
その労力は正直手書きと変わらない、いや、場合によってはそれ以上の手間かもしれない。
この方法だと世間一般の人が考えそうな、生成AIを使って楽に大量の作品作って閲覧数稼いで広告収入を得る、あるいは、ランキング入りからの書籍化、とはなかなかならないのではないか。
なので件の生成AI使った小説を大量投稿していた作家さんは単にランキング入りとかではない、何か考えがあって活動していたのではないかと自分は考えてます。
しかし、こうした形式での創作だと、もはや人は作家というよりは編集者に近く、AIが企画し、生成した文章を推敲、校正するのが役目となる。
話を戻して自分の場合ですが、書くのが非常に遅い。しかしそれには理由があり、自分が文章を書くときはだいたい、構想し、設定を作りながら、あるいは並行して、
下書き
本書き
清書
手直し
編集
このくらいの工数を経てから公開しています。
具体的には
下書き
台詞がメイン、話の流れをつかむためにとにかくイメージをアウトプットする。
本書き
下書きでアウトプットしたやり取りを元に具体的な描写を書く。
例えば下書きで書いた台詞を要約して地の文にまとめるなどして内容を濃縮していく。
清書
本書きで書いた内容に加えて情景、心理描写などを加え、内容をより掘り下げていく。
手直し(推敲) 編集
細かい部分を直していき、サイトに掲載する用に短く分けたり、副題をつけたりする。
こんな感じで書いているため、毎回非常に時間がかかってます。
これは毎回紙の原稿用紙に書いていたアナログ・手書き時代の名残だと思います。
しかし、これだとその都度頭の中のイメージを追い出して空っぽに出来るのでより深く考えやすい。
もし生成AIでこの工数、下書き、本書き辺りをやってもらえば確かに効率は上がるかもしれない。
先程も書きましたが自分は設定を作るための資料を調べるのに対話型AIを使い始めています。
自分は結構設定マニアなのを自覚していて、一つの作品を書くのにもかなりの設定を調べながら作って書いていますが、それなりの知識が必要な部分もある。
例えば人や物を宇宙に送り出す際に使われる未来の技術として研究されている軌道エレベーターとマスドライバーのどちらかを物語に登場させるとして、どちらが建造にコストがかからないのか、紛争やテロによる破壊に強いのはどちらか。
太陽から降り注ぐ放射線防御の観点から軌道エレベーターの終点、宇宙船の発着場を建設するのに資材確保と施設の土台として隕石を大気圏上層に引っ張ってきてそこに施設を増設する。
そんなことは可能か。課題は何かあるか。
空飛ぶ車を作中で出すとしてどのような仕組みで動くのか。車輪を浮遊用のファンを兼ねるなどの自分のアイデアは成り立つのか。
等々。
今までも専門書を読み、ネットを探して調べたり、自分なりの考察で決めていたわけですが、対話型AIに質問し、回答をもらうことでだいぶ楽になってきています。
本文では一行しか出ないつもりの描写の設定だとしてもこうした下調べはなるべくしている。
昔は関連本を読みあさり、自分なりに考えて設定を作る事もできましたが、書き手も読み手もネットに溢れる膨大な情報を知れる現代、これらを想像だけ、あるいは個人の情報収集だけで決めるのはもはや限界。
もちろん、AIの答えをそのまま作品には出さない。AIの答えはあくまでもこの現実世界のネットに上がっている情報での話であって物語の世界でもそうとは限らないわけですから。
とはいえ、自分の知識や想定外の意見が出てくるので重宝はしている。いや、していた。
上の例で言うと、宇宙ステーションの土台として隕石を引っ張ってきて地球の大気圏上層に置くことについてAIに尋ねたら、
惑星の潮汐力によって破壊されるかもしれない。
小惑星の移動に莫大な費用がかかる。
施設を一から建造した方が安い。
等という答えが返ってきました。
自分は隕石を引っ張ってきてくりぬいて利用した方が手間がかからないだろうと簡単に考えていましたが思っていた以上にコストがかかり、リスクが大きい。
また、作品として公開してからネットの有識者に同じことを突っ込まれる前にこれらの点が分かったので設定構築の見直しが出来た。
なので現状、自分はこうした下調べにAIを使ってみましたが、これは果たしてどうなのか?
このエッセイを書くきっかけはここにあります。
生成AIがダメなら、対話型AIに創作に使う設定を決めるための情報を訪ねたり意見を求めたりするのもダメなのか?
なら、フォロ-したアカウントの投稿を表示したり、閲覧数の少ない投稿を弾いたりするのにするのにAIを使っているSNSやインターネットブラウザのおすすめ機能を使うのもダメなのだろうか?
などと屁理屈をこねようと思えばいくらでもこねることが出来るわけです。
ただ、この辺りは問題が起きてからしばらくしてから問題が起きたサイト(カクヨム)の公式からは明言されていて、補助的な使用はOK、逆に執筆で使った場合は生成AI使用と記載してとのこと。
ただ、対話型AIも権利侵害とは無縁とは言えず、ネットの有料記事なども勝手に学習してしまうらしい。
特に有料記事へのアクセス。サイトへの過剰なアクセスによるサーバー負荷。
サイトの閲覧によって広告収入が得られる現状のネットビジネスにおいてこれはよろしくはない。
試しに使ってはみたものの、今後は対話型もおいそれとは使えない、というのが今のところの感想。
難しい。
話を戻して、
とにかく、自分は生成AIに指示をして小説そのものを書くのには今のところ使わないと思います。
対話型AIに尋ねることすら権利侵害、該当のサイトにアクセスしたことで執筆者が得たかも知れない広告収入を損なうかもしれないわけですから。
しかし、問題はそれだけではなく、結局工数が増えそうな予感がしていること。
仮に生成AIで出力した下書きの文章を推敲したとしても、誤字脱字の直しが増えて結局自分が手書きで書いていた頃よりも多くを自分で書き直す羽目になりそう。
また、誤字脱字の直しをAIに頼んでも結局自分の目で確認しないと気がすまない。
また、これもこれから出す自作の話になりますが、
仮に物語の中で空飛ぶ車を出すとする。
空飛ぶ車が出れば当然社会インフラも変わる。
交通ルール、信号、標識、電柱、電線。
あらゆるものが現実と似て非なるものになる。
それをAIに書かせて大丈夫なのか?
物語に空飛ぶ車が出ているのに町中に引っ掛かりそうな電線が縦横無尽に走る描写が書かれる可能性は十分にある。
もしそうなるならいちいちAIに指示する必要があるし、自分の想像通りに書かれているかチェックする必要がある。
そうなると効率を求めてAIに小説を書かせるには、AIに十分なデータがある現実とあまり変わらない世界、あるいはテンプレの異世界モノということになる。
そうでないとすぐに矛盾を見抜かれる。
これが理由の一つ。
もう一つは、自分の考えた世界を自分の手で書きたいから。
そもそも、物語において人物の動き、細かな仕草にも人物の心理が現れており、それは情景描写などで表現できるからです。
風が吹き付け、木々が揺れる。そこに立つ彼女の顔には戸惑いの色が見える。
この場合、吹き付ける風→苦難、揺れる木々→不安を表し、女性がそれに対して戸惑っていることを間接的に表現している。
こうしたさりげない小説の文章にも一つ一つがバラバラなのではなく、時に繋がって意味をなすこともある。
それはあたかも音楽のように言葉の意味、響きが繋がって紡がれており、その目に見えない、言語化しづらい部分こそが肝で、言葉を使って、言葉では伝わらない何かを伝えるのが小説。
もしそれをAIにやらせるのならそこまでを言語化しないとAIは書いてくれるとは限らないし、仮にその部分まで描いてもらうとするなら膨大な量の指示文が必要になるかもしれない。
生成AIを活用するのは時短のためのはずなのに、例えば10万文字の小説を書くのに20万文字の指示をAIにしなければならないのだとしたら本末転倒でしょう。
まして自分の推敲のやり方は、例えば10000字書いたら内容はそのままに台詞のやり取りを地の文に変えるなどで『圧縮』して7000文字ほどにする。そこに1000文字ほど加筆してさらに圧縮する。
それを繰り返して文字数を増やさずに文字と文字の合間に文章で書かれない情報を増やしていく。
例えるならそんなイメージ。
それを繰り返して書いていく形をとっています。
なので自分の書く文章の実質の情報量は普通の人が書く文章の数割増しになっているはず。
これが大きな差になる
なぜこうなったかと言えば、自分は雑誌の新人賞応募がメインの時代から書いていて、その頃は作品を規定枚数内に納める必要があり、その限られた文字数の中で内容を減らさずに書こうとしたら自然とこうなっていきました。
具体例を一つあげると、自分が公開している虹色の英雄伝承歌の一文に「蜜蝋でできた蝋燭」という一文がありますが、この「蜜蝋」の単語には、
「中世ヨーロッパでは修道院で養蜂が行われていたらしく、それを収入源としていた。それと同じようにこの世界でも養蜂が行われており、それによって蝋燭が作られ、各地で流通している。
しかし、本編では語る必要がないので直接は書かない」
という意図が込められています。
このようにさまざまな情報を資料をもとにして構築し、時に直接文章に書かずに行間に込める、それを時に無意識に、あるい意識して読み解くのが小説を書く、読む面白さだと思うのですが、果たしてそこまで考えて書いている人が小説投稿界隈にどれだけいるか。
さすがに自分以外いないとは思わないですが、果たしてこれと速度と両立できる人がどれだけいるか。
例えいても速さを優先してそこまでは考えない人もいるでしょう。
しかしそれも仕方がない。ネット小説は質よりも量と更新速度が優先される。投稿して、サイトの新着欄に載る、そして閲覧数が延び、評価されてランキングに載る。
そうしてきた作品がランキング上位になる構造になっているのだから。
この構造が変わらない限り、AIに書かせたコンテンツが目につくようになるのは必然ではないでしょうか?
続く。




