運命の赤い糸が視えるんですが、大魔術師さまに無理やり上書きされそう
運命の赤い糸、というものをご存じだろうか。
いつか結ばれる二人の小指と小指は赤い糸で繋がっているという、小説で見かける設定や比喩でよく見かけるアレ。
運命に憧れて、一度くらいは見てみたいと思った令嬢もいるはず。
だけど私の実体験から言わせていただくと、本当に赤い糸を見るのはオススメしない。
なぜなら好きな人の赤い糸が自分と結ばれていないと分かったとき、結構しんどいからです。
♢♢♢
「わあ、今日もみんな元気ね~」
読んでいた魔導書から顔を上げて、私は小さくため息をついた。
雲一つない空、輝く太陽、実にいい天気だ。……視界にちらつく赤い糸さえなければ。
実を言うと私――モイラ・ストラウィックは幼いころから、不思議なモノが視えているのだ。
「おかあさまとおとうさまの小指を結んでいるこの赤い糸って、なあに?」
幼い子どもの冗談だと突き放さず、突拍子もなく切り出した私に両親は驚いた顔をしつつもきちんと答えてくれた。
曰く、それは運命の赤い糸だと。
(魔塔で調べてもらった結果、魔眼の一種だと言われたときはロマンチックの欠片もないと呆れたけど)
けれど幸いにも魔眼の一種だと明らかになったおかげで、そこまで魔力がない私でも優秀な魔術師しか働けない魔塔で働く権利を貰えた。
厳密に言うと研究される側なのかもしれないが……正式所属の魔術師と同じ給料はもらえているし、今のところ私の人権が損なわれるようなことは起きていないから最高の職場だ。一応これでも伯爵令嬢だし、いくら治外法権とはいえ悪いようにはされないはず。
(私も、この赤い糸が気になるしね)
ここ数年研究を続けて、この能力について分かったことがある。
一つ目、赤い糸は魔力を纏わないと触れないこと。この仕様で本当に助かった。もし実体を持っていたら、私はどこに行っても張り巡らされた糸で転びまくって引きこもりになっていたに違いない。
二つ目、誰しも必ず小指に一本の糸を持っているということ。その先は切れていて、いい人同士が巡り合うと心情の変化によって結ばれるのだ。
三つ目、糸は最初から繋がっていない方が多いということ。でもすごく稀に、最初から繋がっている糸もある。そして今の私は、そういうモノだけを運命の赤い糸と呼んだ。それ以外はただの赤い糸と呼び分けている。
残念ながら、私の糸は運命の赤い糸ではなかったが。
でもまあ、自分で好きな人を運命にするスタイルも素敵だと思うからそれでもよかった。そう、過去形になってしまうのだ。
「あれ、モイラ?こんな朝早くから研究なんて、君は本当に熱心だな」
「わっ」
考え込んでいたところに声をかけられて、私は驚きで手に持っていた魔導書を落としてしまう。
「でぃ、ディオニー様、ワープで驚かせないでって何度もいっているじゃないですか!」
振り返れば、予想した通りに人が悪びれる様子もなく私の後ろに立っていた。
魔塔で一番偉い、ひいてはこの世界で一番強い大魔術師の証である白いローブにワインレッドの髪が良く映える。猫のように吊り上がった金色の目は楽し気に細められている。
「ディオニーでいいって何回も言ってるじゃん。僕たちの仲だろ?」
「なるほど、被検体は研究者には逆らうなと……」
「モイラにはもっと気安く接してほしいんだよ。もう十年の付き合いなのに、名前を呼んでもらうのすら命令になるのか……?」
先ほどまでの尊大な態度から一変、寂しそうな声こちらを見上げる天下の大魔術師さま。
捨てられた猫のようで、心なしかその頭に垂れ下がった猫耳が見え――いや、これは魔法で本当に生やしてるな。騙されるな。
私がその顔に弱いのを知っててやっているのだから、本当にズルい人だ。
「すみません、冗談です。ただ魔眼だけで魔塔に入った私からすると、ディオニー様と仲良くするだけでも要らぬトラブルを招くので……」
「魔塔に居るやつらは研究ジャンキーか魔法オタクだから誰も気にしないと思うぞ?まあ、いたとしても僕の交友関係に口出したらクビにするけど」
縦型社会が生み出した嫌なトップだ。
人格はちょっとアレでも、能力は間違いなく歴代最高のディオニーを慕う魔術師は多い。中には崇拝と表現した方がいいまでの熱量の人もいるので、魔術師としては最底辺レベルである私は身の程を弁えなければならない。
でも口でディオニーに勝てるはずもなく、私は注意を逸らすためにも落とした魔導書を拾おうとした。
が、しゃがむ直前に魔導書が浮いて、ディオニーの手に吸い込まれる。どういうつもりだと首を傾げれば、金色の目が三日月のように細められた。
「ディオニーって呼んで?」
「ディオニー様、先ほども申し上げましたが――」
「敬語もいらないよ」
「何要求を吊り上げてるんですか」
じっと睨んでみるも、にこにこと感情の読めない笑顔が返ってきた。
無言の時間が流れる。こうなったらディオニーは頑固だ。先にこの空気に耐えられなくなった私は、仕方なく折れるしかなかった。
「……わかったわ、ディオニー。これでいいでしょ?」
「……!うん、モイラ」
とろけるような幸せそうな笑顔に、息に詰まる。
頬に熱が集まるのを感じつつ、私は誤魔化すように差し出された魔導書を受け取ろうと手を伸ばす。そのせいか距離感を間違えて、うっかりディオニーの手に触れてしまう。
美しい外見に反して男らしく骨ばった指が目に入って、頭から冷や水を浴びせられたように浮かれていた心が覚めた。
――ああ、誰か教えてください。好きになった人の糸が『運命の糸』で、その相手が私じゃなかったとき。一体どうすればいいんですか……?
♢♢♢
「へえ、君が噂の魔眼持ち?赤い糸が見えるってホント?僕の相手も分かるの?」
「すみません、わかりません」
正直、ディオニーの第一印象は最悪だった。
失礼だし、ちょっと人間性終わってるし、何より研究対象として探るような無遠慮の視線が不快で、私と三歳しか変わらないのにやたらと年上ぶってくるのも腹が立つ。
最初の頃なんて最低限の研究協力しては逃げ帰っていたが、そんな私の様子を見かねた別の魔術師が担当を変わろかと言ってくれたのだ。
純粋な私はまんまとその提案に乗って――危うく眼球をえぐられかけた。
素材の鮮度が必要だからと生きたまま器具を突き付けられたとき、助けに来てくれたのがディオニーだったのだ。魔法で拘束された私を見るや否や、見たこともない恐ろしい剣幕で魔術師を倒した彼の姿は今でも昨日のことのようによみがえる。
まあ単純なことに、私はあの出来事でディオニーを好きになってしまったのだ。
あとから知ったことだが、件の魔術師は幼いながらも天才と評価されるディオニーに嫉妬していたようで。
それで彼が目にかけている私が出世の足掛かりになると踏んで、愚行に出たらしい。ディオニーは申し訳なさそうにしていたが、正直少しも彼のせいだと思っていない。
ああいうタイプの人間はどこにでもいるもので、むしろあの事件のおかげでディオニーが陰でどれだけ私に配慮していたのか分かって感謝したいくらいだ。
(こうして才能もないのに魔塔に就職するくらいだもの……末期ね)
ただの研究対象じゃ、いつ興味尽きられるか分からない。少しでも近しい関係になるように、わずかでも一緒にいられる時間が長くなるように。
たとえその指先が違う誰かと結ばれているのだとしても、その時までは頑張ってみたいと思った。
ディオニーの運命の人とやらが現れたら、潔く告白して振られよう。大魔術師さまの運命の子なんだから、きっとすごく素敵なひとなのだ。ああ、私なんかじゃ一生かなわないって突き付けられれば、すっぱり諦められるだろう。自分の運命を見つけるのは、その後でいい。
(だからそれまでは……夢を見させてほしい)
だが私は必死に想いを隠しているというのに、ディオニーはやたらと思わせぶりなことをする。
お願いだから優しくしないでほしい。がんばって突き放しているんだから、他の人間と同じように冷たく接してほしい。
ため息をつく私に、伯爵家に来ていたディオニーがこちらを見た。
「困ったことがあれば、僕が全部解決してやるぞ?」
「……あ、ごめんなさい。最近、ちょっと考え事が多いだけだから」
「――ああ、例のパーティーか。伯爵様たちに結婚をせっつかれてるんだっけ?」
「…………ええ。赤い糸が見えるから、いまいち気が進まなくて」
二十代の令嬢に浮ついた話がないとなれば、自由恋愛を掲げる両親も焦り始めてきた。
私のためだと分かっているものの、少しもそんな気にならない。しびれを切らした両親はとうとう大きなパーティーを開いて、どうにか私にいい人と出会わせる強硬手段に出たのだ。
ディオニーの運命の人は一向に現れる様子ないし、いい加減諦めるべきかと私も迷い始めている。
「それなら、僕が婚約者になろうか?地位も実力もあって、何よりモイラを大事にできる。赤い糸絡みで問題があっても、絶対に君を守れるぞ」
あまりにも魅力的な提案に、頷きたくなるのをぐっと堪える。
そんな幸せを味わってしまったら、きっと離れがたくなってしまう。どうせ振られるのは私なんだから、そんな苦しみを知りたくない。
「こんなに一緒にいても、赤い糸に変化はないもの。私たちは運命じゃないから、婚約したらいつか後悔するわよ」
「……また運命、か。じゃあ、言い方を変えよう」
「ディオニー……?」
「今まで力を貸してきた僕に、パーティーで君をエスコートする権利をくれないか。モイラの言う運命とやらを、一番近くで見届けさせてほしい」
なんて酷いことを、そんな甘く言えるのだろうか。
まっすぐな金色の視線に耐え切れず、私は目を逸らす。
「運命はそんなすぐに見つからないよ?」
「それでもいい」
こうなったディオニーは頑固だ。
エスコートされることに喜ぶ自分を隠して、私は頷いた。
――…なんて欲張ったから、罰を受けたのだろうか。
婚活パーティーなんて聞こえが悪いから、今回のパーティーには男性だけではなく女性も参加している。
私と同世代の招待客がホールに集まる中、数多な赤い糸の中から、見つけてしまった。
「っ」
「モイラ?」
「あの方、は」
震える声で何とか絞り出せば、パートナーであるディオニーはどうでも良さそうに口を開いた。
「ああ、隣国の王女だね」
「……っ、どうしてそんな方が、顔見知りでもない伯爵家のパーティーに……?」
「僕が招待したからな」
「――そう、なの」
心臓が嫌な音を立てた。
楽しそうにパーティーを楽しむ王女の小指から、赤い糸が切れ目もなく綺麗に伸びている。その先を何度目で追いかけても、繋がっているのは隣のディオニーで。
(王女さまかあ……そっか……そうだよね、ディオニーは魔塔の大魔術師だもんね……)
「ほんと、運命の赤い糸とか、視えなきゃよかった」
「うん、僕もそう思うよ」
運命の相手なんだから一目ぼれでもするのかと思ったディオニーから、感情を押し殺したような声が聞こえる。
「こんなバカげたものでモイラが離れていくというのなら、最初からいらなかったのに」
「……え?」
そう言いながら、当然のように自分の糸をつまみ上げるディオニー。
自然すぎる動作に、私は自分の目を疑った。なんで視えているの、という疑問が声になる前に、ディオニーは糸をつまむ指先に魔力を込める。
ビュン、と魔法による風が空を切る音がしたと思えば、次の瞬間には赤い糸はあっけなく切れていた。張力を失った意図は力なく垂れ下がり、王女から伸びていた糸はスルスルと引っ込んでいった。
目の前にあるのは、先が亡くなったディオニーの糸だけ。
「――っは、どういう、ことなの……?!」
止める間もなく行われた一連の出来事に、私は声にならない悲鳴を上げる。
顔色を失くしている私に対して、ディオニーはいつもと変わらない様子で微笑んだ。
「僕たちはずっと想いあっているのに、運命の赤い糸とやらでモイラは逃げていく。だからすごく邪魔だなって」
「じゃ、じゃまって……いいえ、それよりもなんで赤い糸が」
「全部解決してやるって言ったろ?これで君が手に入れるのなら、どれだけ手間暇かけようと絶対に成し遂げてみせるとも」
「い、いつから見えていたの?」
「五年前。力が安定しなくて、糸の相手を探すのに時間がかかったよ」
「そ、そんな昔から……!?待って、じゃあ、王女を呼んだのは」
「目の前で壊した方が、安心するだろ?大丈夫だ、伯爵様たちには先に僕の気持ちを伝えている。この場を借りて君に告白したいと言ったら、喜んで応援してくれたよ」
いつになく上機嫌なディオニーは、満月のような金色の瞳を満足そうに細めて微笑んだ。
その手は慈しむように切れた赤い糸を持ち上げると、あろうことか私のそれと結び付けた。方結びを、何重も繰り返して。
突然押し付けられた情報量に思考が止まった私は、ぼうっとその光景を眺めながらも確かに嬉しいという感情を抱いていた。
「さ、これでモイラの運命は僕になったな?」
「……私、もう諦めなくていいの?」
「ああ、当然だ。僕に愛を教えた責任を取って、一生傍にいろ」
わずかな罪悪感を抱えながらも頷けば、ディオニーは幸せそうに私を抱きしめた。
無理やり運命にすればいいんだよ。
拙者、長い髪の魔法使い大好き侍




