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音楽準備室

作者: 通りすがり

美奈は都内の中学に通う二年生。学校生活はそれなりに楽しく満喫していたが、一つだけどうしても嫌な場所があった。それは音楽準備室だった。

音楽の授業は音楽室で行われる。その音楽室には、楽器を保管する音楽準備室が隣接していた。音楽室から準備室へ繋がる扉の他に、準備室から直接廊下へ出られる扉もあったが、そちらは常に施錠され、普段は使われることがなかった。



始まりは、入学してすぐのことだった。

その日、美奈のクラスは音楽の授業で音楽室を使っていた。授業後、教師に美奈とクラスメイトの真理が、授業で使った楽器を音楽準備室に片付けるようと指示された。美奈と真理は言われた通りに楽器を片付けに準備室へ向かう。その時、美奈は初めて音楽準備室に足を踏み入れた。

広さは八畳ほど。楽器用の棚が並び、木琴なども置かれているため、二人も入ればかなり手狭に感じる。窓はあったが、黒い遮光カーテンで完全に塞がれており、電灯をつけなければ昼間でも薄暗かった。

美奈と真理は指示された楽器を棚に戻し、教室へ戻ろうとした。真理が準備室を出て、美奈もそれに続こうとしたその瞬間、美奈は強烈な耳鳴りに襲われた。それは今まで経験したことのない耳鳴りだった。美奈が知る耳鳴りはキーンと高い音だったが、その時の耳鳴りはブーンと低く、頭蓋骨の奥底に響き渡るようなものだった。頭を内側から圧迫されるような不快感に、美奈は自分の身に何が起こったのか理解できなかった。恐怖に駆られ、美奈は慌てて準備室を飛び出した。

そこには、先ほどまで一緒にいた真理が、慌てて飛び出してきた美奈を見て驚いた顔で立っていた。「どうしたの?」いつもの真理の声だ。耳鳴りは止んでいる。美奈は何でもないと真理には言いつつも、今のは一体何だったのかと考えた。しかし、結局答えは見つからないままだった。



二度目は、それから数ヶ月後のことだった。

その日は、音楽の授業で歌唱テストがあった。教師と二人で準備室内に入り、そこで一人で歌うのだという。美奈の番になり、美奈は音楽準備室へと入った。

狭い準備室の中に置かれた椅子に座る教師。その目の前に立ち、課題曲を歌う美奈。緊張しながらも、なんとか間違えずに歌い切った。教師は美奈に次の生徒を呼ぶように言って、戻っていいと促した。美奈は振り向いて準備室の扉を開けようとした瞬間、再びブーンと低く響く耳鳴りがした。以前の出来事をすっかり忘れていた美奈は、とっさに同じことがあったことを思い出していた。

まただ……。

美奈は教師の方を振り返る。教師は美奈を見て何か口を動かしているが、美奈には教師が何を言っているのか分からない。美奈は慌てて準備室の扉を開け、音楽室に戻った。その瞬間、先ほどまで耳に響いていた低い音は聞こえなくなった。音楽室で待っている生徒たちがざわざわと雑談し、笑っている声が聞こえる。美奈は次の生徒に声をかけ、自分の席へと戻った。

一体なぜ、準備室に入るとあの耳鳴りがするのか。仲の良いクラスメイト数人にさりげなく訊いてみたが、誰にもそのようなことは起こっていなかった。美奈はいくら考えてもその原因が分からなかった。

二度目があって以来、美奈は音楽準備室に入ることに強い恐怖を覚えるようになっていた。基本的に準備室に生徒が入ることは滅多にないが、美奈は入る機会に遭遇しないよう、細心の注意を払って過ごすようになった。一年生の間は、それ以来準備室に入ることはなかった。



しかし、二年生に進級して状況は変わった。美奈の学校では掃除は各クラスで担当が決まっており、自身の教室以外に、専用教室や玄関、トイレなどの公共の場所の掃除も割り振られていた。そして美奈が入ったクラスでは、自身の教室以外で音楽室が掃除の担当となっていたのだ。

掃除はクラス内の班で持ち回りとなっており、二ヶ月に一度くらいのペースで美奈のいる班が音楽室の掃除担当になった。掃除担当になった週は、毎日掃除の時間に音楽室に行かなくてはならない。最初の掃除担当の際には、美奈は何とか準備室に入らないようにやり過ごしていた。だが、二回目の掃除担当の際に、想定外の事態が起こった。

美奈の班は五名いるのだが、そのうち三名が風邪で学校を休んだのだ。さらに、もう一人も体調が悪いと掃除時間の前に保健室へと行ってしまった。美奈は一人で音楽室の掃除をしなくてはならなくなった。美奈は掃除に行かないわけにもいかず、仕方なく音楽室へ掃除に向かった。

美奈は今日は一人で掃除しているのを言い訳に、準備室の掃除はしないでおこうと思っていた。だが、普段は掃除の時間にはいない音楽教師が、その日に限って音楽室にいた。班の皆が休みで一人で掃除をしに来たと美奈が伝えると、教師は「それは大変だ」と自分も手伝うと言い出した。そして音楽教師は、「広い音楽室の掃除は私がやるから、美奈さんは準備室の掃除をお願い」と言ってきた。

美奈は自分が音楽室の掃除をすると主張するが、教師は「私が音楽室の方をやる」と譲らない。教師は一人で掃除に来た美奈に気を遣っているつもりらしいが、美奈はそれが非常に迷惑に感じていた。だが、あまりにも頑なだと教師の心証を悪くするかもしれないと考えた美奈は、諦めて準備室の掃除をすることにした。美奈は「もしかしたら今日は大丈夫かもしれない」と言い聞かせ、準備室へと足を踏み入れた。

準備室に入り、掃除を始める美奈。しばらくは何の問題もなく掃除を行っていた。だが、それは突然きた。

またブーンと低い耳鳴りが美奈を襲った。美奈は「やっぱりまた来た」と慌てて準備室を出ようとする。だが、運の悪いことに、今掃除で使っていたモップに足を取られ、美奈は転倒してしまう。美奈は膝と手を打ち、痛みに顔を歪める。だが、耳鳴りはまだする。美奈は急いで起き上がろうとした。

その時、美奈の視界に奇妙なものが映った。

準備室の奥の方に、壁に立てかけるように置かれている管楽器がある。何という名前の楽器かは分からないが、オーケストラなどで使われているのを見たことがある。その楽器にまとわりつくように影が見える。美奈はそれが何なのか一瞬分からなかったが、しばらく見つめていると、その影が人であることが分かった。その人影は、若い男性であるように思えた。そして、その人影は、まるでその管楽器を演奏するかのように、楽器の吹き口に顔を近づけている。

美奈はその瞬間に悟った。自分が耳鳴りだと感じていたのは、この楽器の音だ。

その時、準備室の扉が開き、教師が入ってきた。「今の音なに?どうしたの?」

美奈は開いた扉から慌てて準備室を飛び出した。準備室を出ると、今まで聞こえていた耳鳴りが、やはり聞こえなくなった。教師には転んだと説明して、その日の掃除は終わりにしてもらった。



美奈はそれ以来、幸運なことに準備室に入ることはなく、無事に学校を卒業することができた。

いつか機会があったら、準備室で見た人影がまとわりついていた楽器のことを教師に聞いてみたいと思っていた。しかし、その機会は巡ってこず、結局あれが何だったのかは分からないままだった。だが、美奈の記憶には、あの低く響く音と、楽器に吸い込まれるような人影の残像が、深く、そして静かに刻み込まれていた。それは、単なる耳鳴りや幻覚では片付けられない、何かがそこにいたという確信として、美奈の心に居座り続けている。

今でも時折、ふとした瞬間にあの「ブーン」という低い音が脳裏をよぎることがある。そのたびに、美奈は遠い日の音楽準備室の薄暗い闇と、そこに潜んでいた不可解な存在を思い出すのだ。

あの楽器は何だったのだろう。そして、あの影は……。

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