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お人形さん

作者: 成規しゅん

「ねぇねぇ、ぱぱの、うしろにいるひと、だあれ?」

 今年の七月で三歳になる愛娘、寧葉(ねいは)が、短くてむちっとした指で、俺の背後を指した。

「うん? 寧葉には、パパの後ろに、誰かがいるように見えるのか?」

「うん! 見える!」

「そっか。どんな服着てるの?」

「みーちゃんがくれた、あの、おにんぎょさんと、おんなじドレス! でも、おいろは、ちがうよ」

「そっか。じゃあ、あのお人形の仲間が、遊びに来たのかな」

「やったぁ! おともだちになる!」

 そう言って、寧葉は満面の笑みを浮かべ、短い脚で何度もジャンプした。身軽な動きだった。


 夜、寧葉が寝ていることを確認した妻、和葉(かずは)は、小さな声で「大丈夫。ちゃんと寝てるよ」と言って、寝室のドアを静かに閉める。

 久しぶりに家で日本酒の一合瓶を開けた。ちびちびと呑み進め、もうすぐ空になりそうだ。頬が火照り、若干の酔いが回っているように思う。いい感じの、ほろ酔いって感じだ。

「和葉ぁ、ちょっと聞いてくれよぉ、ハァァ」

「何、どうしたのよ、そんな深い溜め息吐いちゃって」

「今日な、寧葉が俺の背後を指して、後ろにいる人は誰? って聞いてきたんだよ。なんか、この前、三葉(みつば)ちゃんがくれた、あの人形と色違いのドレスを着てるって言っててさ」

 箱に入ったままの人形。十八世紀にフランスで流行したドレスを着ている。もらった当時、三葉ちゃんからドレスの名前は聞いたが、長ったらしい名前で忘れてしまった。

「あぁ、ももちゃんね」

「ももちゃん?」

「そう。ピンク色っぽいドレスだからって、寧葉が名前つけたの」

「あぁ、そうなんだ」

「最近特にお気に入りみたいで、よく眺めてるのよ」

「え、箱から出してないのか?」

「あの子なりに、わかってるみたい。これは出しちゃいけない人形だってことを」

「ん、どういうこと?」

「ほら、洋服が繊細な作りしてるから、出しちゃうと、汚れたり破れたりするかもしれないって、そう、あの子なりに考えているみたい」

 そう言われると、ますます人形のことが気になり出した。箱に入っているとは言え、角度が合えば、人形と目線は合ってしまう。顔には少し化粧が施されていて、夜に目が合うと若干の恐怖は感じるものだ。

「あ、もしかして冬吏(とうり)、怖がってるの?」

「怖くはないな、普段からそういうの調べてるんだし。でもさ、もし、その、見えてるのが悪さするようなタイプだと、心配だなって」

「ほんと、冬吏は心配性よね。気にしすぎ」

「和葉が楽観的なだけだろぉよ」

「そうかな?」

「そうだよ。あーあ、寧葉も見えるなんて、俺に似たのかな」

「それってさ、多分、イマジナリーフレンドっていう、子供ならではの減少だと思うんだけど」

「ん、何それ」

 盃をテーブルの上に置く。

「子供が創り出す想像上の友達。ほら、寧葉はまだひとりっ子だし、そういう時期なのよ」

 和葉は俺と違って、子供のことに関して物知りだ。元々は保育士を目指していたほどだから。

「そっか。なら下の子が産まれれば、いなくなるかもな」

「それはどうかな」

「え、居なくならないのか?」

「私の場合、妹二人産まれても、九歳頃までいたよ。ちいちゃんって名乗る子が。それに、双葉(ふたば)にもイマジナリーフレンドはできちゃってたし。三葉にはできなかったみたいだけど」

「へぇ。そうか」

「別に悪いことじゃないし、発達上の問題でもないし、児童期が終わる頃には自然にいなくなっちゃうから、それまでの期間限定の減少だと思っていればいいのよ。別に怖がらなくても」

 和葉は穏やかに笑った。高校で出会った当時から、俺を一度も裏切ったことがない。その笑顔を信じようと思った。


 しばらくは、仕事が忙しいことを理由に、寧葉のお友達について、電話でも話題にはしないようにした。かえって俺の心配性な一面が、寧葉の発達に悪い影響を及ぼさないようにだ。

 でも、その二か月後、我慢ならないことが起きた。原稿に頭を悩ませていた七時半過ぎ、和葉から掛かってきた電話。「もしもし、どうした?」と出ると、寧葉は息を切らしながら、話し出す。どうやら、寧葉が突然、ももちゃんを保育園に連れて行くと言い出したらしい。しかも、大声を上げて泣いてしまうから、隣に住む住民から心配されてしまったという。当の本人に理由を聞いても「ももちゃんの、おともだちが、かなしむから」としか言わないようで、さすがの和葉もお手上げ状態になってしまった、とのことだった。

 電話口でどう答えようか迷った。和葉の苦労も労いたいし、寧葉の率直な思いも理解してあげたい。が、その人形が寧葉に何らかの影響を及ぼすような、なにかが取り憑いているのかもしれないと考えると、すぐさま行動するしか方法はないと思った。

「やっぱりさ、あの人形、お祓いしてもらったほうがいいと思う」

「え、どうして」

「あの人形が家に来てからなんだよ、寧葉が友達と喋りだしたのは。たまに電話したときも、保育園での話はしないで、人形と友達のことばっかり話すようになった」

「それはそうだけど、考えすぎじゃないの? 冬吏は、仕事で家にいないほうが多いから、普段の寧葉のこと、よく知らないでしょ。たまたま時期が重なっただけかもしれないのに」

 和葉は、俺より何歩も先を歩いている。同じ年なのに、大人なのだ。

「それに、オカルト方面なら、冬吏のほうが詳しいじゃない。取材とかでそういう話、聴いたりしないの?」

「俺が取材してるのは、星占いとか魔術系だから、子供から話は聞かないんだよ」

「そっか。でも、同僚の中に詳しい人とかいるんじゃないの?」

「知り合いに、そういう人形専門のお祓いをしてくれる人がいるから、今度頼ってみようと思う。実際にしてくれるかの確証はないけど」

「そう。わかった」

「それまでは、家に置いておこう。再来週、取材に行く序に寄ってくるから」

「うん。寧葉には、私が説得する。児相が来たら、ごめん」

「ううん、大丈夫。話せばわかってくれるだろうし」

 電話の向こうから、寧葉が泣いている声がした。声からして、だいぶ収まっているようだが、この後、和葉の説得に、また泣くのだろう。

「和葉、いつもありがとな。ごめんな」

「いいのよ。仕事頑張ってね」

「うん。じゃあな」

 電話は切れた。気晴らしに、ロビーにある自販機でコーヒーを買って、部屋に戻った。


 翌日以降も、寧葉は大泣きし続けた。慰めるのも、連れて行くのも、全部和葉に任せてしまっているから、直接の様子を見ていない。でも、何となくわかるのだ。お友達を連れて行けない寂しさ、お友達を保育園での友達に紹介できない悔しさ、幼いながらに、いろんな感情が混ざっているということが。

 寧葉が泣かなくなるのに二週間を要し、いよいよ取材に行く日になった。

 この日、寧葉は和葉の実家へ行くことになっていた。不規則なリズムの仕事をする俺に変わり、パートをしながら寧葉を育てている和葉。お盆休み、年に一度の帰省。俺は取材に行く準備をしながら、くれぐれも無理しないようにと和葉に言って、二人を見送った。

 時刻は午前九時三十分。

 車に取材セットと着替えを積み込み、そして人形を箱ごと仰向けに寝かし、トランクを締めた。

「よし、行くか」

 エンジンをかけると、埃っぽい空気が吹き出し口から放たれた。思わず咽る。窓を開けてから、ゆっくりとハンドルを切った。

 目的地までは、車で二時間半の道のり。道中、バックミラーにて人形の様子を確認。信号で止まる時には、いつも以上に最新の注意を払った。

 途中、昼休憩を挟んだために、到着は十三時近くになってしまった。小さな駐車場に車を停め、人形を袋に入れ、トランクを閉める。砂利道を歩いた先、インターホンを押した。

「お世話になっております、ナカノシマ出版の堂島冬吏と申します」そうインターホンで告げると、中高年ぐらいの女性が「お待ちください」と言って、しばらくすると目的の人物がやって来た。いかがわしさは一年前とそう変わらない。

 いきなりの訪問にも関わらず、その人物は俺のことを招き入れてくれた。暑かっただろうと言って、氷入りの麦茶を入れてくれ、頂き物だという煎餅までご馳走になった。

 一息ついたところで、その人物は俺の側に置いてある袋に目を遣った。

「さあさあ、お話しをどうぞ」

「折り入って、ご相談がありまして」

「何ですかな」

「この人形のお祓いをしていただきたくて」

 袋から人形を出す。ケースごと受け取ったその人物は、「ちょっと拝見しますな」と言い、あらゆる方向から眺めはじめた。時折、鋭い眼光を向け、唸り声を上げたりもした。正座している足が痺れ出す。

「ほほお、なるほど。これは、ローブ・ア・ラ・フランセーズを着た人形かい。それに、箱から出さずに保管されて、偉いですな」

「あぁ、はい」

「立派なドレスを着ている。それなりの値段がしただろう」

「いえ、これは妻の妹からの贈り物でして。ドレスは確かそういう名前でした。それにしてもお詳しいですね」

「もう何十年とこうしてお祓いをしていると、いやでも詳しくなるもんだよ」

 ニヤアと口角を上げ、一枚板の机の上に人形を置いた。人形の背中が見える。

「やはり、何か取り憑いていますか?」

「ええ、早急にお祓いしましょう。ご判断が早くてよかったですよ、堂島さん」

 お祓いは一時間もかからないうちに終わった。金額は告げられなかったため、一万円札を三枚、重ねて渡した。人形の表情も、メイクも、ドレスも、変わった感じはしない。一般人にはわからない変化はあるのかもしれない。

「これで、もう、ゔゔん、失礼。しばらくの間は、大丈夫ですよ」

 人形を両手で受け取る。軽くなったこともない。しっかりと重さを感じる。

「ありがとうございます。無理言って申し訳ありませんでした」

「いえいえ。まあ、娘さんには健やかに育ってもらいたいですからね」

「……」

 俺は、この人物に妻以外の家族の話をしたことはない。洞察力が優れているのか、それとも、人形で遊ぶのは子供だと決めつけているのか、伸び放題の白い眉毛の下からも、仙人のような髭の下からも、本性を伺い知ることはできない。が、一瞬よぎった恐怖から、身震いしてしまう。

「ありがとうございました。では、また来月の取材の際には、よろしくお願いしたします」

「はいはい。これから行かれる目的地への道中も長いでしょうから、お気を付けて」

「……ありがとうございます。失礼します」

 再びトランクへ、人形を寝かせるように置いた。目が合った。気にせずトランクを閉めた。


 帰宅した翌日以降、立て続けに取材が入っていたために、自宅には帰れなかった。ただ、電話で和葉伝手に、その人形とは遊ばなくなったし、連れて行きたいとも言わなくなったよ、と聞いた。幾許か安堵した。


 それから五か月後、俺と和葉の間に二人目の子、冬磨(とうま)が産まれた。翌年の春には、俺もとうとう部下を束ねる立場になったため、忙しさのあまり、寧葉ほど育児に関わることができなかったが、和葉はそのことを許してくれていた。その分、妻、子二人の誕生日には必ず家に帰り、一緒にお祝いをした。俗に言う、罪滅ぼしってやつだ。

 それでも、寧葉も冬磨も、俺をお父さんとして受け入れ、誕生日には手紙をくれた。毎年「だいすきだよ」と書いてくれている。字が反転していたり、大きさがばらばらだったり、拙さが可愛くてしかたないとともに、成長するにつれ、整っていく字に寂しさを覚えたりもした。

 寧葉も小学生になると外遊びが増え、ますます活発な女の子になっていた。人形をお祓いしたことの効果と、冬磨が産まれたこともあり、イマジナリーフレンドはいなくなぅたようで、よく和葉の真似をして、手伝いを買って出たり、弟の面倒を見るようになったという。こうして人形の話題をしない間に、俺も、和葉も、寧葉も、あの人形のことは綺麗さっぱり忘れてしまっていた。



 ある日、仕事が早くに終わり、久しぶりに夕食前に帰宅すると、ちょうど部活を終えて帰宅する寧葉と一緒になった。遠くから歩いてくる娘。顔付きも歩き方も和葉にそっくりで、随分と大きくなったものだなと、つい感慨深くなる。

「おかえり、寧葉」

「お父さんも」

 重そうなリュックを背負い、左肩にはバドミントンのラケットを入れたケースをかけている。バッサリ切った髪も、だいぶ顔に馴染んでいるように見えた。

「こうして横並びで歩くのは、四年振り……か」

「だってお父さん、学校行事全然見に来てくれなかったからね」

「ははは、そうだな。最後に行ったのは、小二の運動会だったし。卒業式と入学式ぐらいは行ってやりたかったんだけど、ごめんな、行けなくて」

「もう何回も謝られたから、別にいいよ。お父さんの仕事の事情は、お母さんからよく聞いてたし、一応理解はしてるから」

「そっか。ありがとな」

 たまにしか家に帰らない俺を、寧葉はなんだかんだで相手にしてくれていた。近況を聞くべく電話した際も、面倒だと言いながらも出てくれたし、文句を言いつつも、買い物にも付き合ってくれた。反抗期っぽいものは今のところなく、名前通り、明るく元気な子に育っている。

「中学校生活には、もう慣れたか?」

「うーん、まぁまぁかな。ようやく新しい友達ができたぐらい」

「そうか」

「お父さんのほうこそ、仕事は順調にいってるの?」

「最近はな。まぁ、後輩連れて取材しにあちこち飛び回ってるがな」

「そっか。大変だね。もう五十近いのに」

「まぁな。でも、好きでやってるからいいんだ。それに、和葉や寧葉、冬磨の顔を見ると、もっと仕事頑張ろうってやる気になるし」

「え、それは流石にきもいって。その言葉、子供の前で使えても、小学校低学年までだよ」

「そうか……、残念」

 意外と毒舌。職場での俺とそっくりだ。

「お父さん、職場で後輩を虐めたりしてない? ハラスメントも、してないよね?」

「毒舌にはなるが、虐めてはいない……な。ハラスメントらしいことも、していないはずだけどな」

「本当? 最近はちょっとしたことで、ハラスメントだって言われる時代なんだから、気を付けてよね」

 この辺の言い回しは、和葉にそっくりだ。

 ニカッと太陽みたいに笑う寧葉。俺たち家族だけでなく、多分周りの人たちも、その笑顔を見て幸せになっているのだろうと思う。

 歩行者用信号が点滅し、赤に変わる。街灯が少ない夜道。車は一切通る気配がない。それでも車道の信号は緑色を煌めかせる。

「今日の夕飯は何だろうな。久しぶりに和葉の手料理を食べれるから、俺は何でもいいんだけどな」

「……」

「そうだ、来月の八日、和葉の誕生日祝いに、四人でレストランにでも行くか。誕生日翌日には、ちゃんと休みもらってるし」

「……」

 さっきまでお喋りだった寧葉が、急に黙りこくった。横にいるはずなのに、その影も見えない。おかしいと思ってゆっくりと振り向くと、数歩後ろで、俯く寧葉の姿があった。

「ねぇ」

「ん、何だ、どうした?」

「ずっと前から気になっていたんだけど」

 寧葉が、絆創膏だからけの痛々しい指で、俺の背中を指す。幼少期の寧葉の影が重なった。そして脳内では、あの人物の声が、そのまんま、再生された。

「お父さんの背後(うしろ)にいる人、誰なの?」

                                      End.

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