第23節 2059年 秋の記憶
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時間ってやつは不思議なもんだ。退屈の塊が体にのしかかり一日が一週間並みの長さに感じる時もありゃあ、興奮のるつぼにハマってノリノリの時は一日が一瞬で終わる感じがする。
でも1分は1分だ。アナログ時計の秒針は正確に360度を1分かけて回る。陽は昇れば沈むし、月は満ちて欠ける。地球は回ってます。
そんな事は世の中の奴ら皆知っている。だからこんなショーモナイ哲学じみた時間の事などわざわざ口にはしないわな。それを独り語る俺は馬鹿野郎だぜ。
目の前のブラックアウトしたモニターにうっすら白く浮かび上がっている『11月19日 水曜日 pm4:10』の文字。もう11月も半ばを過ぎ季節は秋。おーたむ。紅葉の季節。斜陽が寂しさを誘う。誰もがセンチメンタルになる季節だ……
(…………)
「そうか?」
俺は独り思いにふけり、独りツッコミを入れている。本物の馬鹿三十路独身野郎だぜ……
と、こんな俺らしくも無ぇ考えが頭ん中をかき回す2059年11月の秋。今年は俺にとって間違いなく一生忘れることのできない記憶に残る年になるだろうな。いや、だろうじゃない。『なる』だ。俺はそう確定させた――
「思いのほか早かったなぁ永沢」
俺が車から降りると、すぐ隣の車から木下所長が現れ話しかけてきた。
「待っててくれたんですね所長。すんません、手間取らせて」
「気にするな。よく来てくれた」
木下所長は薄手の黒い革ジャケットを羽織り渋く決めている。秋の空気が冷たく感じるのだろう。俺にはまったく分からん感覚だ。
「行くか」
所長は見た目通りの渋い声で俺に言った。
「はい」
俺は所長に呼応する様に渋く落ち着いた声で答えた。
そして所長と俺は車を置いた駐車場から道を挟んで正面にある白い2階建てのアパートへ静かに向かった。今日の空気の冷たさは俺には分からんが、今日が今日であるが故の重い空気は感じていた。それは所長も同じだったんだろう。
アパートの入口に近づくと入り口横の自転車置き場に自然と目が行った。そこには見なれた優輝ちゃん愛用のブルーメタリックのケッタが置いてあったんだ。俺の体は無意識に優輝ちゃんのケッタへと向かった。
「なんだ優輝ちゃん。鍵かけてねぇーのかよ。無用心だな。こんな小っちぇケッタすぐパクれるじゃねぇか」
そんな言葉が出ると同時に、俺はその小っちゃな車輪のケッタを勝手に引っ張り出し跨いだ。
「永沢がその車輪の小さな自転車に乗っていると熊の曲芸みたいだなぁ」
木下所長は腕を組んだままそう言うと大声で馬鹿笑いをした。めずらしい。なんか木下所長がそんな風に笑ってくれて俺は妙に嬉しかった。
「似合ってるでしょ? これ、俺が貰っていってもいいっすよね? 俺、これからこの自転車で通勤しますわ」
木下所長の反応に素直に気持ちが反応して俺は調子づいた事を言った。
「ああ、いいよ。永沢が貰ってくれるのなら橘くんも喜ぶだろう。見知らぬ人間の手に渡るよりはずっといいはずだ。しかし、永沢の家からステーションまで結構あるだろ? 本当に自転車で通勤する気か?」
所長は俺の顔を見ながらこれまた珍しいニタニタ笑いを見せた。俺は「言ってみただけですよ」と返して所長の前をこの小さな自転車でぐるぐると回ってみせる。
「ダメよっ! それ、お兄ちゃんのなんだから! 勝手に触らないで!」
せっかく和らいだ俺達の空気を切り裂くかの様に甲高い女の声が割り込んだ。俺は自転車を止めその声の方を見ると髪の毛が長く、線の細い中学風味の女子が立ってた。女の子の表情は険しく、俺と目が合うとスタスタと小走りで近寄ってきて俺の体を両手で押し出すようにして自転車から降ろそうとした。
中学生女子の力では俺の重たい体が簡単に動くわけもなく、ただ俺の横っ腹の肉をぷにぷにと押しているだけだ。なんだかあまりにもその姿が可愛らしくてしばらくそのままにしておきたいぐらいだった。
そんな風に俺をぷにぷに押している女の子に所長が話しかけた。
「こんにちは、美雨ちゃん」
女の子は所長の声に一旦ぷにぷにを止めた。
「え? あ、木下所長!」
「おや? 二人はお知り合い?」
俺の言葉は聞き流され、すぐ「どいてよねっ」とまた女の子が俺をぷにぷにしてくれた。正直、気持ち良かったからもう少し引っぱろうかと思ったけど、なんだか子供をいじめているみたいで不味いし、しかもロリコン犯罪者扱いされかねない。俺はとびきり優しい笑顔を女の子に見せて自転車から降りて言った。
「ごめんごめん。別に悪い事してたわけじゃないよ。俺はユウキちゃんと同じ職場で働いていた永沢っていうんだ」
俺の話を聞いて女の子は木下所長の方を黙って見た。すると所長は黙って微笑みながら頷いた。
「え? ああ。あの永沢さん? 兄から何度か話を聞いています」
長い睫毛を持った目をパチパチさせて女の子は言うとさっきまでの険しかった表情が和らいだ。分かってくれたようだ。
「そうです。あの永沢守です」
しかしこの子、十代半ばくらいだろうけど随分と完成した顔立ちをしている。奥二重の目に長い睫毛。天然ものだろう。そして馨ちゃんのような綺麗な鼻に小ぶりで品の良い唇。ちょっとぷっくりした下唇なんかは色気すら感じるぜ。そして喋りっぷりはいかにも賢そうだ。
「そう言えば、さっき、お兄ちゃんの自転車って言った?」
「そうよ。これはお兄ちゃんの」
「そっか。君が優輝ちゃんの妹ちゃんか」
(肌の白さは優輝ちゃんとクリソツ。目元と顔の輪郭も似てるかな?)
俺が女の子の横顔をマジマジと見ていると所長が突っ込んできた。
「永沢。そんなにジロジロ美雨ちゃんを見るんじゃないぞ。危ないなぁ」
「いやぁ、妹ちゃんがいるっては聞いていたけど、お初なのでついつい。やっぱ兄妹って感じで似てますね」
「木下所長すみません。わざわざ来ていただいて。どうしても知らない人にお兄ちゃんの物を触られるのが嫌で」
妹ちゃんは礼儀よく所長にお辞儀し、とても丁寧な喋りをしている。橘家ってどんなんなのかねぇー。
「ああ、気にしないで。もし私が美雨ちゃんの立場だったら当然同じだよ。実際、私自身、業者に任せたくなかったから」
「ありがとうございます。では家の方へ」
「ああ」
所長と妹ちゃんは俺の存在が無いかのように会話をし、そして二人はアパートへと入って行く。随分と二人の会話は自然でスムース。俺の知らないところで木下所長は妹ちゃんと接触していたのか。
「みうちゃん。ってたしか所長呼んでたな……」
(まさか……)
俺はこんな時にはしたない事を一瞬思い浮かべちまったが、そうだろうとなかろうとどうでもいいことだよな。
(いや、まさか、それが原因で……?)
続けざまに得意の妄想が広がって行くわけだ。
「うーん、優輝ちゃん。俺には紹介してくれなかったじゃないか……寂しいぞ……」