第20節 続・女神の告白
俺は追加で馨ちゃんと自分の分のビールをメニューシートから頼んだ。沈黙は続く。俺の後ろじゃ相変わらずドンチャン騒ぎ。
今日、俺は朝から夢見てここへやってきて地獄を味わい、そして女神がやってきて地獄から救い出してくれた。その女神は馨ちゃんだった。
そして馨ちゃんと二人でおしゃべり。不思議な時間。この時間、この空間はこの後どうしたらいいんだ? マジでアルコールが回っている頭ではもう何も思いつかん。睡魔が俺を誘い始めている。
――という言い訳を自分にしないと不器用な自分が惨めになっちまうな……
少ししてから店員がビールを二つ置いて去っていくと馨ちゃんがポツリと不意を打つ話をしだした。
「実はさぁ、この前の見合い相手、元カレだったのよね」
睡魔の皆さんも手を止めるような話だった。そして休憩して落ち着いたはずのバクバクが再び始まった。
(なぜ故に今ここで俺に言う?)
「へぇー。あ、そう。そんなことがあるんだ。で、どうしようか悩んでるってこと?」
そう返した俺の言葉に馨ちゃんは黙って小さくうなずいた。
(別に馨ちゃんのことは俺にはどうでもいいはずだろうが……)
そう頭で思ったものの心臓のバクバクは勝手に加速していく、そして今度はイライラ君もやってきて右足が貧乏ゆすりを始めていた。
「でも、それって良いことじゃねぇの? 結局、その元カレと馨ちゃんとの相性は基本的に良いってことが証明されたわけだがやぁ。喜んでいいんじゃねぇの?」
俺はイライラ君とバクバクを誤魔化すように一気に言っていた。そして心にもない意見を言った俺は馨ちゃんの顔が直視できなくなっていた。
「あーあ。なーんでワタシ、アンタにこんなこと言わなきゃならんのだ!」
いきなり独りもだえ叫ぶ馨ちゃん。そしてそのままテーブルに伏せる。
「アホか。馨ちゃんがオートマチックに語ってたんだろうが。俺はなんも言っとらんぞ」
俺はそう言って馨ちゃんの伏せた姿を見つめた。
髪の毛が広がり俺に細い首筋を見せている馨ちゃん。華奢な体つきの馨ちゃん。これが女なんだな。
しばらくして馨ちゃんは突然むくりと起き上がった。その顔を見ると、ほっぺたを流れるものがあるのを見つけた。
俺は生まれて初めて女の涙を生で見てしまった。噂は確かだ。女の涙ってヤツはとてつもない攻撃力を持っている。それに俺は酔っていたうえに店の暗さも手伝ってたと思うのだが、その馨ちゃんが……
とても愛おしかった――
俺のような低俗人間が思っちゃいけない思いが沸いた。だが、それから不思議とイライラやバクバクは収まっちまった。
だがしかし。俺は死んだ人間の相手は得意だが、生きている人間の相手はどうしていいのか分からん。
ウソです。そもそも女との関係に縁がなく経験値が低い俺だからだ分からんのだ。
だからこんな時どうしていいのか全く分からん。だから俺は試しに馨ちゃんに涙を拭くものを渡してみた。
「ほれ」
「何よこれ? 誰が使ったか分からんようなお手拭きを普通渡すか?」
軽い膨れっツラをした馨ちゃん。
「俺に普通を期待する馨ちゃんが悪いだろうが。だいたい俺に涙見せてどうするんだ? 俺を誘ってんのかよ?」
俺は馨ちゃんの反応を見て、馨ちゃんに対して今までとは違う安心感を感じた。
「ばーっかじゃないの? 違うわよ……私、トイレ」
「馨ちゃんはトイレなのか?」
おかげでいつものくだらない事が気軽に言えた。
「いちいち説明させるな! トイレに、い・っ・て・く・るっ!」
気のせいか馨ちゃんの感じもいつもに戻ったようにも感じた。
「あいよ。行っといれ」
俺のくだらないダジャレに馨ちゃんは鼻で笑うと席を離れた。その鼻で笑った顔の中にあった濡れた目ん玉と赤くなった鼻が可愛いかった。