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初めての恋 3

「このあたりですか?」

「はい。適当なところで駐めてもらっていいですか。あとは歩いた方が、探しやすいと思います」

「わかりました」


 雪が車を駐車させたのは、岳ヶ根駅から線路沿いに数百メートルほど離れた場所だった。とはいえ、周囲には何もない。いくつもの田んぼが連なり、小さな穂が出始めた稲がさざ波のように揺れているだけだ。

 いや、稲だけではなかった。


「でも、綺麗な景色。花も咲いてるし……って、そんなこと言ってる場合じゃないか」


 明日香が口にした通り緑色の合間、あぜ道や線路の脇に、よく見ると白い花が点在している。そういえば、と永田も岳ヶ根に到着したときのことを思い出した。駅が近づくにつれて、田んぼの境目などに小さな花が見えるようになっていった記憶がある。


「このあたりに詩織ちゃんが?」

「うん。多分」


 雪に尋ねる永田の隣で、とにもかくにも、といった感じでマイキーが大きな声を出した。


「詩織ちゃーん!」


 小柄な身体に似合わず、張りがあってよく通る声だ。すかさず明日香が続く。


「秦詩織ちゃーん! いませんかー!」


 とりあえず自分も呼びかけねば、と永田も息を吸い込んだとき。


「はーい!」


 マイキーに負けず劣らずの、大きな声が返ってきた。


「詩織ちゃん!?」

「あ! やっぱりマイキーさんだ!」


 数十メートル先、一段下がった場所にある田んぼの土手の陰から、日に焼けた少女の顔がひょっこり覗いている。


「こんにちはー!」


 ぴょんぴょんと弾むように土手を駆け上がった、タンクトップと短パンの少女、秦詩織ちゃんは、元気に右手を振ってこちらへと向かってきた。


「どうしたの、マイキーさん? あ、こんにちは!」


 永田たちにも気付いて、詩織ちゃんは悪びれた様子もなくぺこりと頭を下げた。ショートヘアがよく似合うボーイッシュな女の子で、アニメキャラのように大きな目が印象的だ。活発な性格だと聞いたが、性別問わず結構もてるんじゃないだろうか、と永田はどうでもいい感想を抱いてしまった。


「どうしたの、じゃないよ。みんなで詩織ちゃんを探しにきたんだから」

「え? 私を?」


 小首を傾げて、詩織ちゃんはきょとんとしている。


「だって今日も、私たちの実習をお手伝いしてくれてたんでしょう? それが急にいなくなっちゃったもんだから、森本さんたちが凄く心配して」

「森本さん?」

「バブリーな兄ちゃんだよ」


 永田の説明に、詩織ちゃんの頬が少し赤くなった。


「え? だって私、お母さんにメッセしたよ? ちょっと出かけてきますって。ほら……って、あーっ!! やだ、何これ!」


 しっかりしているとはいえ、まだスマートフォンは持たせてもらえないのかもしれない。昔ながらの二つ折りガラケーを広げた詩織ちゃんは、大きな目をますます見開いた。


「ご、ごめんなさい! 送れてなかった! もう! だから田舎は嫌んなっちゃう!」


 つまりは、そういう事情だったらしい。「ごめんなさい!」と詩織ちゃんはもう一度、さっきよりも深く頭を下げて謝ってくる。本当に素直な子だ。

 すると。


「ねえ、詩織ちゃん」

「はい?」


 優しくかけられた声に、顔を上げた彼女がなぜか固まった。


「どうしたの?」


 腰を屈めて目線を合わせてくれる声の主に、やはり素直に詩織ちゃんが答える。


「いえ、お姉さんが美人だから……」


 今度は声の主――雪の方が、逆にあ然とした顔になっている。その後ろで永田たちは、苦笑するしかない。

 一週間をともに過ごしてTTCの仲間たちが理解したのは、どうやら雪は自身のルックスに関して自覚がないのでは、ということだった。決して身なりに無頓着というわけではなく、むしろいつも身奇麗にしてはいる。ただ、天然気味なところもある彼女は、自分がそもそも「綺麗なお姉さん」だということを、まるでわかっていないようなのだ。あのいたずらっぽい口調や表情も、自分をからかうなかで自然と出ているだけらしいという結論に、永田も一昨日あたりからようやく落ち着いた。


「嬉しいなあ。ありがとう」


 我に返った様子の雪は、にこにことお礼を言って「ちなみに、ちょっと訊いていい?」とさらに顔を近づけた。


「はい?」

「なんでメッセにしたの?」

「え?」

「私も近くに住んでるの。隣の伊庭市。もちろん今は、TTCで合宿してるけどね」

「はい」

「この辺、ほんとに電波が悪いよね。都会からきたお兄さんとかには、想像できないかもしれないけど」


 ……そこで、どうして俺が出てくるんだよ。


 わざとらしくいたずらっぽい視線を向けられた永田は、渋い顔をしてみせた。一瞬吹き出しそうになった雪が、すぐにもとの笑顔に戻って詩織ちゃんへ向き直る。


「私もネットとか電話とかが繋がらなくて、たまに困ることあるの」

「は、はい」

「詩織ちゃんもそれはよく知ってるはずなのに、なんでわざわざメッセージにしたのかなあって」

「…………」


 日焼けしてはいても、詩織ちゃんの頬がふたたび赤く染まったのが、永田たちにもはっきりとわかった。ただし雪の声は決して彼女をからかったり、ましてや糾弾する色などは帯びていない。穏やかで優しい口調。文字通り「綺麗なお姉さん」が、妹の悩みをそっと聞き出すような。


「声に出すと誰かに聞こえちゃうかもしれないから、お母さんにだけメッセで知らせて、こっそり摘みにきたんでしょう?」


 それを、と雪が示した詩織ちゃんの左手には、小さくて白い花が何本も大切そうに握られていた。

 ささやかで美しい花束のように。

 ささやかで大切な、少女の恋そのもののように。


「近くで見ると綺麗だよね、オモダカの花。私も好きだよ」

「!!」


 ハッとした詩織ちゃんの左手を、雪の両手がそっと包み込む。


「花言葉は、高潔とか信頼。あとは秘めたる慕情とかだったかな。()()()()()()()()()()()()()そのものだね」

「お姉さん……」

「雪だよ。日波雪」

「雪さん、あの、私」

「大丈夫。バブリーなお兄ちゃんも、きっと喜んでくれるよ。彼にあげるつもりなんでしょう? 仲良くなれたしるしに」

「は、はい!」

「よし、じゃあ行こっか。もうすぐカズ君――バブリーなお兄ちゃんも、駅まで来るはずだから」

「はい!」


 にっこりと頷き合うふたりの姿は、本当の姉妹みたいに見えた。




 その後、駅で合流した軽トラックに駆け寄った詩織ちゃんは、「ごめんね、お父さん。お母さんにメッセしたんだけど、届いてなかったの」とあっけらかんと伝えたあと、自身も荷台へ身軽に飛び乗った。


「バブリー兄ちゃん! これ、私の気持ち!」


 はにかんで差し出されたオモダカの花を、カズは「あ、ああ。ありがとう。綺麗だね」と、ぽかんとして受け取ったものである。

 助手席のミユが一瞬だけ頬を膨らませていたが、目に入ったのは、永田と雪だけだったようだ。


「小さなライバル出現、てとこね」

「岳ヶ根マジック?」


 訊き返しながら永田はカズの方も見た。残念ながら彼は、ミユの視線には気付いていないようだ。けれども、このふたりならお似合いだとも思う。


「永田君も聞いたんだ、それ」

「うん。今日、初めてだけど」

「永田君は、もしマジックにかかったらどうするの?」

「え?」

「地元で待ってる彼女とか、いないの?」

「い、いるわけないじゃん」

「どうして?」


 いや、どうしてと言われても……。


 返答に窮したところで、雪がまたからかう笑顔になる。


「永田君、自分のことあんまりわかってないんだ?」


 おたがいさまでしょ、とつっこみたくなったが、知らず知らずのうちに永田も苦笑していた。


「日波さんは?」

「ん?」

「マジックにかかっても大丈夫なの? その……彼氏さんとか」

「気になる?」


 無自覚なくせに、こういう台詞と表情で顔を近づけてくるから困る。


「な・い・しょ」


 囁く声のトーンは、なんだか嬉しそうだった。

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