初めての恋 2
「女の子?」
「どういうこと?」
健一と明日香が怪訝な顔で問いかける。生活班こそ違うが、同期たちのリーダー的存在であるカズのことは、もちろん彼らもよく知っている。
「実習先の花卉農家に小さい女の子がいるんだけど、いつの間にか、いなくなっちゃったんだ」
眼鏡の向こうでカズが眉根を寄せると、渋谷夫妻が同時に「おや」という表情になった。
「このへんの花卉農家ってことは、秦さんとこかい?」
「はい、そうです」
「あら! じゃあ詩織ちゃんが、いなくなっちゃったってこと?」
「そうです、詩織ちゃんです。すみません、僕のせいで……」
田舎らしく、夫妻はその花卉農家ともご近所付き合いがあるのだろう。だが永田は、カズが発した最後の言葉こそが引っかかった。
「森本君。僕のせいで、っていうのはどういうことだね?」
同じ疑問を抱いたらしい潮春が、穏やかに呼びかけカズの顔を覗き込む。SN隊訓練生の間でも、カズは若手のリーダー役としてすっかり認知されている。
「はい」と神妙に答えたカズは、説明を始めた。
「詩織ちゃん、朝から凄く僕に懐いてくれてたんです。こんな見た目だから、バブリー兄ちゃん、なんてあだ名もつけてくれて。作業中もむしった雑草を一所懸命運んだりして、本当によく手伝ってくれました」
実習先のマスコットガールともすぐに仲良くなったというのは、いかにもカズらしい。
「その子がいなくなった?」
「はい。休憩しておやつにしようってなったら、ビニールハウスにも納屋にも、もちろん母屋にもいなくて。三十分ぐらいかけて家の周りも探したんですけど、全然見つからないんです」
「それで、うちの方まで足を伸ばしたってわけか」
「たしかによくお遣いにきてくれるものね、詩織ちゃん」
揃って頷く渋谷夫妻によれば、カズやミユの実習先となっている秦家は、ここから歩いて十分ほどの場所にある、夫婦で営む花卉農家とのことだった。小学四年生の詩織ちゃんは、その秦夫妻が四十近くなってから授かったひとり娘で、カズが語ったように家の仕事もよく手伝う、活発でしっかりした子だという。
「他のご近所さんは?」
渋谷家のご主人にも、カズは申し訳なさそうな表情で答える。
「はい、もちろん手分けして回らせてもらってます。ご両親から、よくお遣いにいくお店なども伺ったので」
「そうか。じゃあ阿部さんとこか、吉野さんちあたりにお邪魔してればいいけどなあ。残念ながら、うちには今日来てないんだ」
「ごめんなさいね、お役に立てなくて」
奥さんの言葉とともに、渋谷夫妻も心配そうに顔を見合わせた。
「じゃあ、やっぱり……。くそっ、俺のせいで」
焦りがあるのだろう。礼儀正しいはずのカズが初対面の人たちの前でも、やや乱暴な言葉遣いになってしまっている。
「別にカズのせいじゃないよ」
「そうよ、こればっかりは仕方ないって」
「うん。小さな子なんだしさ」
永田、明日香、健一と続いた同期からの慰めに、カズは「いや」ときっぱり首を振ったあと、なぜか少しだけ顔を赤くした。
「詩織ちゃんに、無邪気に聞かれたんだよ。バブリー兄ちゃんは彼女がいるの? どんな女の子が好みなの? って」
「?」
話が予想外の方向に行き始め、永田は思わず首を傾げた。
「それで俺も、素直に答えちゃったんだ。彼女はいないけど、やっぱり俺を本気で想ってくれる女の子がいいなって。これから先、二年も日本に帰れなくて寂しいけど、逆にグランネシアまで会いにきてくれるぐらいの、真っ直ぐで身持ちの固い人がタイプだって」
「それで、なんで詩織ちゃんがいなくなるの?」
ますます困惑する永田の横から、「森本君」と潮春が落ち着いた声をかけた。
「君は名古屋から来たんだったね」
「はい」
「そのことは、詩織ちゃんも知っているのかい?」
「……はい。すみません」
カズの「すみません」で、永田も可能性に思い至った。いや、でもまさか……。
「仲良くなった憧れのお兄さんが、自分のもとまで会いにきてくれるような女性が、好みだと言った。そして彼は、名古屋から来ていた」
「え!」
「それって!」
潮春の言葉に、健一と明日香もぽかんと口を開けている。
確認するように、潮春は渋谷家のご主人に問いかけた。
「岳ヶ根から名古屋までは、夕方以降も電車はありますよね」
「え? じゃあ詩織ちゃんは、この兄ちゃんの地元の名古屋まで!?」
「最悪、その可能性もゼロではありません。でもしっかりした子だそうですし、せいぜい駅で、名古屋までの行き方を調べるくらいでしょう」
みんなを落ち着かせるように潮春は付け加えてくれたが、当のカズ自身が、「けど」と否定してしまった。
「詩織ちゃん、冗談ぽく何度も言ってたんです。私だってバブリー兄ちゃんのところに遊びに行ってあげるよ、ひとりで名古屋ぐらい行けるもん、って」
「マジか」
「大変! じゃあ、すぐ駅に向かわないと!」
健一と明日香の声とほぼ同時に、永田も立ち上がっていた。
「俺たちも手伝おう」
そのまま渋谷夫妻に向き直って、深々と頭を下げる。
「すみません、渋谷さん。こういう状況なんで、今日はここまででもよろしいですか? やり残したことがあれば明日以降にまたお邪魔して、必ずキリのいいところまでお手伝いさせてもらいますので」
「全然大丈夫だよ。というか、ちょうどキリがよかったからおやつにしたんじゃないか。これだけやってくれれば、じゅうぶんだ」
「ええ。うちはいいから、早く詩織ちゃんを探してあげて」
「ありがとうございます! 潮春さんは――」
永田が視線を移すと、大ベテランはすぐに意図を察してくれた。
「うん。私は一応、撤収時間までここに残ろう。万が一、詩織ちゃんがひょっこり現れたら困るしね。電話番号は、初日に班内連絡網に書いた通りだ」
「はい、よろしくお願いします! 行こう、カズ!」
そうしてカズを含めた若手四人が渋谷米店を飛び出すと、タイミングを測っていたかのように、大きなクラクションと聞き慣れた複数の声が響いてきた。
「おーい!」
「カズ! ヒデ!」
「永田君!」
「みんな、乗って!」
見ると、軽トラックと小型の普通車が一台ずつ、連なってこちらへと向かってくる。
永田たちの真横にぴたりと停まった二台の車体は、軽トラには《有限会社 秦園芸》、普通車の方は大きなロゴとともに《JIAS 日本国際援助事業団》という文字が、それぞれ大きく描かれている。
「カズ! こっちもいなかったぞ!」
「僕たちも、すぐに探したんですけど……」
「やっぱり駅かも!」
軽トラの荷台にはなんとニッシーとタカシが、そして助手席にはミユがいて、身を乗り出して口々に状況を報告する。どうやら彼らも詩織ちゃんの捜索を手伝ってくれており、しかも同じ結論に達したようだ。
「バブリー兄ちゃん、荷台で悪いが乗ってしっかり掴まってくれ! 駅まで飛ばすぞ!」
軽トラを運転するのが秦園芸のご主人、つまり詩織ちゃんの父親だというのは確認するまでもない。
「こっちも、あとふたりは乗れます!」
普通車のハンドルを握るのは、マイキーだった。カズたちからの報告を受けて、すぐにTTCから公用車を出してくれたのだろう。助手席には雪まで座っている。
「すみません、お願いします! ケンちゃんも、俺と一緒にこっちへ! ヒデはマイキーさんの車で、ユッキーと明日香と一緒に行ってくれ!」
緊迫した状況ながらも軽トラの荷台には男性のみを、そして普通車が女性だけにならないよう差配したのは、さすがはカズと言うべきだろう。永田も「わかった!」と頷いて、すぐさま明日香とともに公用車に飛び乗った。
「じゃあ、行きますよ!」
どちらかというとおっとりした印象のマイキーだが、さすがに今は緊張した顔ですぐに車を発進させた。
「ニッシーさんや私のところも近かったから、カズ君とミユちゃんがそれぞれ詩織ちゃんを探しにきたの。他にも近所で実習してた人たちが今、手分けしていろんなところに行ってくれてる」
「私もちょうど、スタッフとして皆さんの様子を見て回っていたところだったんです。TTCを挙げてってわけにはいかないけど、所長に報告して捜索許可ももらってあるから、ぜひお手伝いさせてください」
「よし、みんなで絶対に詩織ちゃんを見つけましょう!」
雪とマイキーの説明を受けて、永田の隣で、明日香がぐっと手を握り締めた。おかしな言い方だが、さっそく訓練生全員のチームワークが試されているようにも感じる。
「駅にいてくれるといいけど」
潮春の台詞を思い返して、永田は窓の外を眺めながらつぶやいた。
「そうですね。でも、いきなり名古屋まで行ってみせるっていう可能性は、私も低いと思います。他の期の実習でも詩織ちゃんに会ったことがあるけど、本当にしっかりしてて、賢い子ですから」
スムーズにハンドルをさばきつつ、バックミラー越しのマイキーがこちらを安心させるように微笑んだ。横ではスマートフォンを手にした雪が、マイキーから訓練生全員の携帯電話に送信された詩織ちゃんの顔写真を見て、ときおり心配そうに瞼を閉じている。
と、その目がぱっと見開かれた。
「マイキーさん。詩織ちゃんて、賢い子なんですよね」
「え?」
「しっかりしてて、おうちの仕事もよく手伝う子って仰いましたよね」
「ええ。けど、いかにも優等生って感じじゃなくて、子どもらしい無邪気なところもある、とってもいい子ですよ」
「じゃあ――」
鮮やかな光が、雪の瞳にきらめいた。少なくとも永田にはそう見えた。
「駅から少し、外れてもらえますか」
「え?」
「日波さん?」
「なんで?」
自分以外の怪訝な声が車内に響くなか、雪は「ごめんなさい。でも」と、運転席に軽く頭を下げて続ける。
「私、地元の人間だし、ちょっと思い当たる場所があるんです」
「あ、そっか! ユッキーさん、伊庭の人でしたもんね」
「はい。駅の可能性ももちろんありますけど、先にそっちへ寄ってもらえますか? ナビは私がします。どのみち駅のそばですから」
確信すら抱いているような口調に、マイキーも決断したようだ。「わかりました。じゃあ、近くまで行ったらお願いしますね」としっかりと頷いた。
雪は身体を斜め後ろに捻って、永田にも視線を向けてきた。
「永田君」
「は、はい?」
きらめきを発したままの瞳につい敬語で返すと、彼女の顔に、お得意のいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「私と最初に会ったときのこと、覚えてる?」
「え? ええっと、初日の夜のこと?」
「ううん。その前」
笑ったまま、雪は軽く首を振ってみせる。
「バスのロータリーで、私に会釈してくれたでしょ」
「あ! うん!」
不謹慎にも、にやついていないだろうかと、永田はまったく関係ない心配をしてしまった。雪もあそこで自分を認識してくれていたのだ。
初めて目が合った瞬間と同じように、美しい同期生はボブカットを揺らして語った。
「あの日、あなたも見たはずの場所に詩織ちゃんがいると思うの」