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TTC 6

 訓練生たちの生活は、まさに「大人の学校」といった感じで一日が進んでゆく。

 一週間のスケジュールは月~金曜が通常時間割で、土曜日が半日。そして日曜日と祝日が暦通りの休日である。

 月~土曜は朝のラジオ体操に始まり、午前九時~午後二時までは昼休みと小さな休憩を挟みながら、みっちりと語学レッスン。その後、土曜日以外は午後四時まで『専門学習』と『自主学習』の時間が、ほぼ一日おきに設定されている。


 専門学習は文字通り様々な専門技能と知識を学ぶ時間で、心肺蘇生法や簡単な止血法の実習、マラリアや伝染病に関するレクチャー、強盗や盗難の予防策等々、発展途上国で生きていくための実践的な講義が行われる。

 もうひとつの自主学習はより自由度が高く、訓練生同士が講座を開いて、たがいの知識や技術を教え合う形だ。その日の自主学習でどんな講座が開催されるかは、所内の掲示板や朝礼の際にインフォメーションされるので、興味があったり、何より自身の任国において必要度が高そうな講座に参加すればいい。もちろん強制ではないので、特に参加したいものがない場合は、自習をすることとされている。


 そうして一日の課程が終了した午後四時以降が放課後で、夕方六時頃まではグラウンドや体育館、体育館内に設置された小さなジムなどで体力づくりをする者も多い。自慢の大浴場はその六時以降、夜十時までが利用可能になっている。食堂も同じく六時から開放されており、夕食が提供されるのは八時までの二時間。そして八時から消灯の十一時までがふたたび自由時間というのが、一日のスケジュールである。




 訓練が始まって五日目。

 この日は語学のあとに自主学習がある日で、永田は雪とともに『任国で怪我をしたら!? プロが教える救急処置講座』なる講座に参加していた。見た感じ、参加者は二十人ほどだろうか。


「あ、これもだ」

「ほんとね」


 全員にひとつずつ配られた袋を見て永田がつぶやくと、隣に座る雪も同じ反応を示した。教材として、なかに三角巾や包帯が入っているものだ。


「アース&ハート社、か」


 袋にプリントしてある、地球儀にハートの矢が刺さった絵柄のロゴ。その下に書かれた《Earth & Heart Co.,Ltd.》という文字の会社名の部分を、永田は声に出して読み上げた。

 TTC内の備品や設備には、よく見るとこの『アース&ハート』社のロゴマークが多く描かれている。ネットで調べたところ、同社は岳ヶ根市に本拠を置くそこそこ大きなゼネコンということだったが、事業内容の欄には「国際開発のための様々な設備・備品販売」というのもあった。なんでも社長が岳ヶ根の出身で、TTCにそれなりの寄付金も納めているのだとか。


「大スポンサー様だね。私も全然知らなかった」


 地元出身の雪だが、アース&ハート社の名前はまったく知らなかったようだ。とはいえ、普通に生活していたら、国際開発業界の細かい情報など触れる機会もないだろう。


「そんなことより、ほら。永田君、こっち向いて」

「え? ああ、うん」


 言われて我に返った永田は、素直に身体の向きを九十度変えた。


「どっちがいい?」

「え?」

「右と左。大丈夫? ミユちゃんの話、聞いてた?」

「ああ、ごめん。じゃあ右で」

「大丈夫かなあ。ほんとにどこか、怪我してるんじゃない?」


 訝る雪が、とりあえず永田の右腕を三角巾で固定しようと立ち上がる。その後ろから、名前を出されたミユが近づいてきた。


「だめだよ、ヒデ。ユッキーに見とれてたら。せっかく私が夜中までかけて、スライドも一所懸命つくったのに」

「ち、違うって」

「本当? しっかり覚えなかったら、実際に腕折って試してもらうんだから」


 物騒な冗談を口にするミユは、何を隠そう今回の講座における講師役のひとりである。無邪気なキャラクターの彼女は、早くも訓練生仲間の多くから妹のように好かれているが、じつは数ヶ月前まで、宮崎の病院に勤務する看護師だったそうだ。コッパツ隊員としても、まさに看護師として、永田と同じアフリカ大陸のヤウンキナ共和国というところへ派遣される。


「ふーん。永田君てば、私に見とれてぼーっとしてたんだ」


 雪が、わざとらしい上目遣いになった。


「だから、違うって!」

「あら。それはそれでショックかも。見るにも値しないってことかあ、残念」

「いや、そういう意味でもなくて!」


 動揺する姿に笑いながら、雪は永田の背後に回って手早く三角巾を結んでいく。

 訓練も五日目に入って彼女ともすっかり打ち解けたのはいいが、それにつれてこんなやり取りも増えてきた気がする。学年で言えばひとつ上だから、というわけではないだろうけれど、雪はいかにも「綺麗なお姉さん」といった感じのいたずらっぽい微笑とともに、しばしば自分をからかってくるのだ。


「やれやれ……」

「なんか言った?」

「! ううん、なんでもない」


 慌てて首を振ると、またしてもおかしそうな笑い声が頭の後ろから聞こえてきた。


 敵わないな。


 心のなかで苦笑しつつ、永田は同じようにからかわれた昨夜のことを思い出した。

 風呂上りの散歩をしていた際、またしても雪とばったり出会ったのだ。その前日、一昨日にも、最初の夜と同じように空き教室で顔を合わせていたが、昨晩は意外にも体育館のトレーニングジムで遭遇したのである。




 ジムといっても体育館内の中二階、倉庫の上に設けられた空間に、数台のフィットネスバイクとダンベル、そしてストレッチマットが置いてあるだけの、こぢんまりした一角である。いずれにせよそんな場所もあったことを思い出して、たまには風呂上りにストレッチでもしようと足を踏み入れたら、なんと雪が、隣にフランを従えてマットに寝そべっていた。


――あ、永田君。今日も会ったね。

――ワン!


 雪とフランはすぐに気付いて、軽やかに手と尻尾を振ってくれた。


――日波さん、また風呂上り?

――うん。ちょうどいいマットもあるし、今日はヨガでもしようかなって。

――ヨガ、やってたの?

――ちょっとだけね。仕事帰りに、近くの女性専用スタジオで。

――ふーん。こっちにもそういう場所、あるんだ?

――あ、田舎って馬鹿にしたでしょう。

――ご、ごめん、そうじゃないって!


 ふふ、と笑った雪は起き上がって「田舎だって、ちゃんと鳩のポーズぐらいは教わるんだから」と口にして、奇妙な姿勢を取ってみせた。右脚が胡坐をかくように座り、後ろへ伸ばした左脚は、膝から下だけが器用に折れ曲がって上を向く。


――よいしょっ、と。


 自分に向かって伸びるその左足を、同側の左腕が抱え込むようにホールド。最後に両手が、頭の後ろでしっかりと繋がれた。


――どう?

――…………。


 いかにもヨガ、という感じの柔軟な姿勢はもちろんだが、美しく反らされた胸の膨らみに、永田は顔が熱くなるのを感じた。


――あ。なんか今、ちょっとやらしい目で見てたでしょ。

――見てないって!

――ほんと? 背の割りにぺったんこ、とか思ったんじゃない?

――そうは思ってないってば!


 自身で言う通り、雪は日本人女性としては少し長身だ。173センチの永田がほぼ同じ目線で話せるので、160cm台後半といったところだろうか。


――そう()思ってないってことは、やっぱり見てたんだ。男の人ってしょうがないねえ、フラン?

――ワゥン。

――いや、違うから!


 鳩のポーズとやらのまま、いたずらっぽく微笑みかける雪に、永田はたじたじとなったのだった。




「あ、ユッキー上手! うん、あとは固定するだけだね」


 教室を回ってアドバイスしていたミユが、ふたたび戻ってきた。


「ほんと? よかった。患者さんが大人しいからかな」

「なあにヒデ、まだ緊張してるの? 顔が赤いよ?」

「普通だってば!」


 雪のヨガポーズを思い出していた、と正直に説明するわけにもいかず、永田はわざとらしく話題を切り替えた。


「そういえばカズは今日、別の講座?」

「うん。ニッシーさんと一緒に、『初めての家庭菜園』に出るって言ってた」

「へえ。でもニッシーさんなら、農業関係は詳しいんじゃない?」

「プロの農家と家庭菜園は、やっぱり違うみたい。だから逆に、ぜひ参加して意見を聞かせて欲しいって、講師の人から頼まれたんだって。なんかその筋では結構有名らしいよ、ニッシーさん」


 ヤクザか何かのように言うミユの台詞に、永田も雪もつい笑ってしまう。


「そのうちヒデも、講座やるんでしょ」

「うーん、でも俺、人に教えられるようなことないしなあ」

「でもカズが、レストランとかカフェのスペシャリストって言ってたよ?」

「大げさだってば」


 笑みを苦笑に変えながらも、美味しいコーヒーの選び方や淹れ方ぐらいならなんとかなるかな、と永田は考えた。店舗のプロデュース、具体的には内装やメニューのアドバイスが主な仕事ではあったが、その一環として、プロのバリスタにコーヒーに関するあれこれを教わったことがある。


「まあ何か決まったら、掲示版と朝のインフォメーションで知らせるよ」

「うん、楽しみにしてる。ユッキーも一緒に出ようよ、ヒデの講座」

「もちろん。永田君が何を教えてくれるか、凄く興味あるし」

「ふたりして、勝手にハードル上げないでってば」


 眉をハの字にする永田のリアクションに、ミユは笑って次の机へと移っていった。


「でも実際、なんの講座をやるつもりなの?」


 三角巾を結び終え、隣の席に戻った雪の問いに、永田はさっき思ったことを「大したもんじゃないけど」と伝えてみた。


「わあ、凄くいいじゃない! 中南米派遣でコーヒー農園を手伝う人もいるみたいだし、絶対参加者も集まるよ!」

「そうかな」

「うん! ていうか永田君の淹れてくれたコーヒー、私も飲んでみたい」

「ありがとう。ご期待に添えるよう頑張るよ」


 切れ長の目を輝かせて言ってくれる雪に、永田も明るく頷いた。

 訓練生活序盤は、まだまだ順調なようだ。

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