TTC 5
コッパツ隊&SN隊訓練生の朝は、七時半のラジオ体操と朝礼から始まる。
時間前から起きて周辺を散歩したり、ランニングすることも許可されていて、最初の朝からさっそくそうする者もいるようだった。地図によれば、TTCからさらに山を登った方角にはワインや地ビールの製造工場があり、曜日によって無料見学もできるようだ。散歩組やランニング組は、そのための下見も兼ねているのかもしれない。
早朝ランニングなどはしなかったものの、永田も七時半少し前に、集合場所である玄関前駐車場にきっちり到着した。同じく集まった二百人近い訓練生たちが生活班ごとに並び、点呼、ラジオ体操、職員からのインフォーメーションなどがてきぱきと済まされてゆく。 それらが無事に終わったところで、揃って食堂へ移動しての朝食だ。
ずらりとテーブルが並んだ食堂は、大人数が一斉に食事できるだけの広さがあり、ご飯のおかわりもじゅうぶん用意されていた。
「あ、いたいた。ヒデ、一緒に食おうぜ」
「おはよう、ヒデ」
焼き魚や卵焼きといった、定番の和食が載ったトレイとともに永田が席に着くと、隣にカズがやってきた。向かいにはミユもいる。
「おはよう」
そういえばこのふたりは同じ生活班だったな、と思い出して微笑んだ永田は「ユッキーも一緒だけど、いいでしょう?」と続けたミユの声に、軽く目を見開いてしてしまった。
「おはよう、永田君」
ミユの隣から現れたのは、雪だった。ごく自然に、永田の向かいの席へと腰を降ろす。
「あ、ああ、おはよう。あれ? でもなんで? 日波さんも八班だっけ?」
昨夜、生活班の話はしたっけ? と永田が思い出していると、彼女の方から説明してくれた。
「私は七班。列が隣同士だから、さっきの朝礼でふたりと知り合ったの。ていうか、永田君のお友達ですよね、ってちょっと名前借りちゃった。ごめんね」
「ああ、なるほど。全然いいよ」
「入所式で見かけた女子アナさんだ! って思って、頑張って私から話しかけたんだよ」
「あはは。まったく関係ない仕事だけどね。どっかに本物の女子アナがいるのかと思って、探しちゃったじゃない」
「だってユッキー、綺麗だしほんとにそれっぽいよ?」
「ありがと。じゃあお礼に、ご飯のおかわりよそってきてあげる」
「ええっ!? これ以上デブになったらやばいから、いいってば!」
ひとつ年下のミユと、雪はさっそく楽しそうに会話している。こちらもおたがい敬語は止めたようだし、知らない人が見たら仲のいい従姉妹か何かに見えるかもしれない。
「ずるいぞ、ヒデ」
「?」
声を潜めたカズが肘で小突いてきた。
「初日の夜から、こんな美人とお近付きになるなんて。風呂に行くとき、俺も誘ってくれればよかったのに」
「ああ、ごめん。今日から語学も始まるから、予習してたら意外とかかっちゃって」
「ユッキー、俺たちと同い年なんだって?」
「うん。学年はひとつ上みたいだけど」
「ふーん。なんにせよ、学校じゃ人気あっただろうなあ」
「学校?」
「なんだ、聞いてないの?」
意外そうな顔で味噌汁をすすったカズは、「ユッキー、ヒデになんの仕事してたか教えてもいい?」と本人に声をかけた。細やかの気配りがやはり彼らしい。
「もちろん。あれ? 私、昨夜言ってなかったっけ?」
「残念ながら。世界地図に詳しいのと、フランと仲良しなのは聞いたけど」
永田が笑って返すと、雪も「そっか。ごめんね」と整った眉をハの字にして苦笑した。昨夜も思ったが、意外に天然なところがあるようだ。
「私、この近くの高校で英語教えてたの。といっても、正教員じゃなくて講師だけど」
「え? 日波さん、地元の人なの?」
「うん。岳ヶ根の隣にある伊庭市。市っていっても山ばかりだし、うちもすっごい田舎の、それも村だけどね」
「へえ」
雪が岳ヶ根駅からのんびり歩いていたのは、そういう理由からだったらしい。きっと、このあたりにも土地勘があるのだろう。
「だから女子アナなんて言われたの、生まれて初めて」
「ほんとに? こんなに美人さんなのに」
「ミユちゃん、ほんといい子だなあ。じゃあ、お味噌汁もおかわりを――」
「だから、いいってば!」
全員ほぼ同年齢ということもあり、四人はそのまま明るい雰囲気で食事を進めていった。よく見ると周囲でも、同じようにグループで会話が弾んでいる様子だ。語学クラスだけでなく生活班という括りもあると、たしかに一層距離が縮まりやすいのだろう。
「そうそう。ユッキーだけじゃなくて、さっき――」
カズが何かを言いかけたタイミングで、彼の向こう側から大きな声がした。
「おはようございまーっす! お、君が三班のヒデこと永田君だね? よろしく!」
驚いた永田が目をやると、早くも食事を終えたらしき大柄な男性が、コーヒーカップを手にぬっと立っている。
「俺は十班の西浦聡。ニッシーって呼んでくれ」
白い歯を見せて笑う西浦なる男は、日焼けした顔に無精ひげ、着古したヨレヨレのTシャツという、ミユが語るところの「いかにもアフリカで井戸掘りしてそう」な外見だった。歳は三十前後だろうか。
「ど、どうも」
本当にこんな人もいるんだ、と思わず珍獣を見るような視線を向けてしまった永田だが、西浦はそれに気付かず「おお、ユッキーも一緒だったんだ。さっきはどうも!」と、今度は雪に向かって元気に片手を挙げている。
「ニッシーさん、永田君にタカシ君のことも紹介してあげて」
苦笑する雪が視線を向ける先、ニッシーの背後には実際、もうひとり男性が立っていた。
「いけね、ごめんごめん。こっちは俺と同じ班のタカシ。野々村貴志」
「おはようございます」
ぼそっと挨拶するタカシは、体格こそニッシーと似た感じだが、キャラクターは正反対な印象の若者だった。永田が「若者」と感じるくらいだから、多分ミユよりもさらに年下だろう。ひょっとしたら、二十歳そこそこくらいかもしれない。
さり気なく観察しながら、タカシにも「おはようございます」と丁寧に挨拶を返して、永田はカズたちの方に向き直った。
「ふたりとも、やっぱり朝礼のときに?」
「うん。カズ君と語学クラスが一緒なんだって」
「ああ、それで」
雪からの答えに、永田もなるほどと頷いた。つまりニッシーは、同じ英語クラスのカズのところにも朝の挨拶をしにきた際、一緒にいたミユや雪とも知り合ったようだ。ついでにと言ってはなんだが、こんなキャラクターなので、いかにも大人しそうなタカシのことも同じ班の仲間として気にかけ、連れ歩いているのだろう。
「ここ、いい?」とタカシとともに空いた席に座って、ニッシーは喋り続けている。
「でも俺だけじゃないぞ。最初の朝なのに、もうカズにはいろんな人が挨拶したり、声をかけたりしてたんだ」
「たしかに、そうでしたね」
「私も思いました! カズって人気あるんだなあって」
同意する雪とミユの声に、カズはちょっと照れくさそうな顔をしてみせた。
「昨日の晩飯とか自由時間のときに、できるだけいろんな人に話しかけたからだよ。早く同期の顔と名前、覚えたいじゃん? 逆に、うざがられたかもしれないけど」
雪と知り合うのこそ今朝になったものの、カズは昨夜からさっそく、彼らしい社交性を発揮していたようだ。
「いやいや、そういうのってやっぱ、ありがたいもんだよ。俺も語学クラスじゃ緊張してたから」
「ニッシーさんが?」
「……なんだよ、疑り深い顔して」
「いえ、だってこんな濃いキャラなのに」
「どうせ、いかにもアフリカで井戸掘ってそう、とか思ってたんだろ。残念ながら、ターバーン派遣だけどな」
自分に向けられたものではなかったが、図星の台詞に永田は思わず苦笑してしまった。ニッシー自身、多少なりとも自覚はあるらしい。
「ターバーンって、国民の幸福度がナンバーワンの国でしたよね?」
笑ったまま本人に訊いてみた。たしか若い国王夫妻が二、三年前に来日していた国だ。
「おお、さすがヒデ。よく知ってるなあ。そう、あのターバーン。俺はターバーンの田舎で農業指導する予定なんだ」
「へえ」
なるほど。がっしりした体躯とワイルドな風貌は、職業的なものもあるのだろう。
そんな話をしている間にもニッシーの言葉通り、コッパツ隊、SN隊問わず何人もの訓練生たちが「カズさん、おはよう」「今日から頼むよ、森本班長」などと、手を振ったり一声かけたりしながらテーブルの間を移動していく。もはや誰も驚かないが、ミユいわく「うん。うちの生活班長は、満場一致でカズになったの」とのことだった。
「いやあ、一見バブリーなくせに、カズはほんとにリーダーシップがあるよな。老若男女に受けがよくて羨ましいぜ。……よし、決めた!」
ぐいっとコーヒーを飲み干したニッシーが、堂々と宣言する。
「今日からカズは、バブリーダーだ!」
「なんですか、その泡でも出そうなネーミング」
「いいじゃねえか。僕は死にましぇん! とか言うと、さらにもてるぞ」
「そんな昔のドラマの台詞、誰も知りませんってば。たしかに俺は、バブル時代をリスペクトしてますけど」
呆れた調子で答えたカズは、「ていうか」と何かを思い出した顔になった。
「訊いてなかったけど、ニッシーさんていくつなんです? 年上なのはたしかだろうけど、まさか本当にバブル世代……なわけないか」
「当たり前だろう!」
危うくおっさん扱いされそうになり、ニッシーは心外そうな顔である。
「けど、私も気になってました。いかにもコッパツ隊ぽくて、年齢不詳ですよね」
「み、ミユ……俺、若くは見えない?」
「う~ん。同世代には、さすがに」
「ヒデ! ヒデは俺が若いと言ってくれるだろう? な? ターバーンのことだって知ってたんだし!」
苦笑とともにはっきりとミユに否定されたニッシーは、なぜか永田に助けを求めてきた。しかもすでに馴れ馴れしい。派遣国について知ってるのはまったく関係ないでしょう、と内心でつっこみつつ「でもたしかに、年齢不詳ではありますよね」と永田も笑って、とりあえず曖昧な答えを返しておく。
「ち、ちなみに何歳ぐらいに見える?」
せめて二十代と言われたいらしい。必死に食い下がるニッシーにあっさりと引導を渡したのは、やはり笑いながら様子を見ていた雪だった。
「三十五」
「なっ!?」
「あ、いえ、意外にそれぐらい上なのかなって」
あんぐりと口を開けたニッシーが、観念した様子でこくこくと頷く。
「……せ、正解だよ、ユッキー」
彼の言葉にカズ、ミユ、永田は、思わず「おーっ」と歓声を上げてしまった。二十代というのは無理があるかもしれないが、ニッシーは三十五歳よりはよほど若く見える。これくらいの年齢になると、世のなかにはお腹の出た、いかにもな「おじさん」が沢山いるものだ。
同時にカズが、ニッシーの向こう側にも顔を向けた。
「タカシは? あ、タカシでいい? 多分本物の二十代だよね」
「おい、本物ってなんだ、本物って」
憮然としてみせるニッシーの後ろから、ずっと黙っていたタカシがぼそりと答える。
「二十二です」
「おおっ! 若い!」
ニッシーのときよりも大きな歓声が上がった。それを受けて今度はミユが、弟を見るような顔で確認する。
「大学生?」
「院生です」
「大学院生? 凄い! インテリだ! ニッシーさんと一緒にいると、ほんとに親子みたいだね!」
「どうも」
「おいタカシ! そこは否定しろ!」
ふたたびテーブルが笑い声に包まれる。
今日も順調だ。
本格的な訓練スタートとなる二日目。賑やかな雰囲気のなか、永田も屈託のない笑みを浮かべていた。