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志願兵の恋 5

 魂が抜けてしまったように永田は立ち尽くした。自分が息をしているのかすら、よくわからない。シャットダウンしたパソコンのように、永田秀樹という人間を構成するすべての組織が動きを止めてしまっていた。


 ベト族。受取人。普通の暮らし。雛たる身。ゆけるように。ゆく。ゆき。行き。雪――。


 意味を成さず、音だけになった単語が脳内をぐるぐると回り続ける。自分が何か、物凄く大切なものを失ってしまったことだけは理解できる。今まで味わった覚えのない喪失感、虚無感だけが目の前を覆う。

 俺は何をしてるんだ? 俺に何があったんだ? 俺は何に、何と、何へ、何の……。


「永田君!!」


 壊れかけた心を引きとめてくれたのは声、それも大音声だった。びくっと全身が跳ねる。ハッと上げた顔の前で、潮春が仁王立ちしている。


「何をやっているんだ!」


 強い目力とともに、潮春がもう一度渇を入れてくる。


「彼女が大切なんだろう? 守りたいんだろう? 民族とか、しきたりとか、関係ないじゃないか。戦えばいいじゃないか。私みたいに拳をふるうだけが戦いじゃない。君はその戦い方を、誰かを、何かを守るための戦い方をわかっているはずだ。本当の勇気があるはずだ。君の勇気は私たちと、何よりも()()がよく知っている」


 言いながら潮春が前へと促したのは、息が上がって頬が赤くなった、ひとりの女の子だった。リリちゃんと同い年くらいなので、ボラ同の高校生だろうか。

 違った。女の子はたしかに、永田のことを知っている人だった。永田の勇気をよく知っている人だった。


「永田さん」


 彼女――かつて永田が痴漢から助けた、あの女の子がぺこりと頭を下げる。


「!! どうして君が!」

「私の両親も元コッパツ隊員で、潮春さんとTTCで同期だったんです。だから私も、いつかはコッパツ隊員になりたいなって思ってて。そうしたら昨日、家に潮春さんから連絡があったんです。TTCがなくなっちゃうかもしれない話に加えて、一緒に訓練してる人のなかに、永田さんがいらっしゃることも教えてくれました」

「え……」


 驚きのあまり、永田はそれしか言えなかった。世間は狭い、という月並みな言葉が脳裏に浮かぶ。


「だから、とりあえずTTCに行くっていうお父さんとお母さんに、私も付いてきたんです。道が混んでて、着いたのはさっきですけど」


 一所懸命説明する彼女の後ろには、たしかにあのときのご両親も立っていて、にっこりと頭を下げてくれた。永田も慌てて会釈を返す。

 いつもの、にこやかな顔に戻った潮春が補足した。


「こちらのご夫婦とは、ずっと仲良くさせてもらっていてね。だから、お嬢さんが痴漢の被害に合われた挙句、捕まりそうになった若者が冤罪だったっていう話も聞いたことがあったんだ。もっとも、その若者の名前が永田秀樹だって思い出したのは、初日に君と顔を合わせてからだけど」

「永田さん」


 女の子が、ふたたび一所懸命な声を出した。


「途中から、お話は聞いてました」


 ぎゅっと両手を握り締めて訴えかける。


「行ってください。あの綺麗なかた、永田さんの彼女さんなんですよね? 追いかけてください」


 永田を見つめる目に力が込もる。


「永田さんだけじゃなくて、訓練生の皆さんから好かれている人なんでしょう? 大切な人なんでしょう?」


 永田を信じる声が強くなる。


「私はよくわからないけど、人の心がわかるお姉さんなんでしょう? 自分の心を真っ直ぐに伝えられる人なんでしょう? 絶対に失っちゃ駄目ですよ。あんなに素敵で強い人じゃないですか。私みたいに気持ちを閉じ込めて、耐えるだけの人じゃない。あのときのおじさんや警官みたいに、永田さんを誤解することだってない。優しい永田さんに、誰かを守れる永田さんに、とってもお似合いじゃないですか。おたがいの気持ちだって絶対に伝わってますよ」


 真っ直ぐな声と目で、彼女は永田に向かって一歩踏み出した。あのときとは逆に。電車内で一歩を踏み出したときの、永田のように。


「だから追いかけてください! 大事な人に、大事なものに、もう一度向き合ってください! 永田さんはヒーローだから! 私に勇気をくれた、私のヒーローだから!」


 彼女の言葉をきっかけに、後ろからも聞き慣れた声が聞こえてきた。


「行けよ、ヒデ!」


 カズ。


「ユッキーを離さないで!」


 ミユ。


「ここで行かねえで、どうすんだ!」


 ニッシー。


「永田さん!」


 タカシ。


「彼女の村まで車も出します!」


 マイキー。


「ヒデさん!」

「姉さんをお願いします!」


 リリちゃん、そして繋。


「ワン!」

「ニャ!」


 ついにはフランとサコエモンまで駆け寄ってくる。集まったすべての同期、すべての関係者が皆、口々に「ヒデ、頑張って!」「ばっちり決めてこい!」などと背中を押してくれた。


「みんな……」


 さっき以上に熱い胸を抑える永田に、最後に語りかけたのは潮春だった。


「日波さんに力があるなら、君にだって力がある。望んだ場所へ飛び込む力。何かを志す意志の力が。それが志願する者、ボランティアだろう?」

「はい!」


 力強く頷いた永田は、「マイキーさん、車、お願いします!」と叫んで駐車場へと飛び出した。

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