TTC 3
TTCの所内は、やはり奥に広いつくりだった。メインで使用する本館と別館、ふたつを端で繋ぐ「連結棟」という低い建物があり、さらに向こう側には講堂と体育館、グラウンドが配置されている。
エアコン完備の本館と別館はいずれも五階建てで、一階と二階に多数の教室や会議室、図書室などが入っており、三階から上が訓練生の寮という形である。また、連結棟も単なる渡り廊下ではなく、一階部分に倉庫とボイラー室、二階部分には大浴場とシャワー室、そして食堂が入っていて、むしろ自分たちの大切な生活拠点になることがわかった。
三つの建物に囲まれた中庭にはベンチもあるので、読書や勉強など自由に使っていいらしい。田舎ゆえ通信状況はよくないと聞いていたが、所内にいる限りはネット環境も万全で、Wi-fiの電波が施設内のどこでもキャッチできるうえ、各自の部屋では有線LANも接続可能になっている。
「ほんと、いい環境だよなあ。無事帰国できたら、ここで働かせてもらえないか売り込んでみようかな」
「カズ、JIASの職員になりたいの?」
「そういうわけじゃないけど、学校みたいな場所で働くのってずっと憧れてたんだ。住み込みの用務員とか料理人とか、楽しそうじゃん」
「ひょっとして、調理師免許を持ってるとか?」
「いや、全然」
なぜか堂々と言ってのける新しい友人の姿に、永田は苦笑するしかなかった。カズにしてみれば、「資格なんてあとから取ればいい」という程度の感覚なのかもしれない。前向きで快活。どこまでもコッパツ隊向きのキャラクターだ。
そんな話をしながら、ひと通りの部屋や施設を覗いていたら、あっという間に集合時間が近づいてきた。
「カズ、そろそろ一時だよ」
「OK。じゃ、講堂に行こうか」
自分たちも入ってきた出入り口の方から、スーツケースを転がす音やざわめきが聞こえてくる。きっとマイキーも慌ただしくしているはずだ。
訓練生活が、いよいよ始まる。
講堂にはすでに多くの同期生が到着し、ずらりと並べられたパイプ椅子に整然と腰掛けていた。全員が身軽なのは、受付時にマイキーから、いったん荷物を部屋に置くよう指示されたからだろう。
「あれ?」
周囲を眺めていた永田は、あることを発見した。
「前のあたり、椅子の色が違うね」
よく見ると前から三分の一ほどのパイプ椅子だけ、明らかに色が違う。後ろとの間にも、心なしか通路らしきスペースが取ってある感じだ。
「あ! そっか」
すぐに理解した。隣でカズも頷く。
「前がSN隊だな。たしかに結構年配の人もいるなあ」
SN隊。正式名称は『シニア国際援助隊』。やはりJIASが所管する政府派遣の海外ボランティアで、ひとことで言うなら「コッパツ隊のオーバーエイジ版」である。
過酷な環境への派遣も多いコッパツ隊の参加可能年齢は、二十歳から三十九歳までとされている。だが四十歳以降でも体力と熱意のある人はたくさん存在するし、何より社会人としての経験値が違う。そうした人材を活かそうということで、専門員ほどスペシャルな活動ではなく、コッパツ隊ほどハードな環境でもない任国を中心に派遣されるのが、このSN隊だ。調べたところ元コッパツ隊員や、SN隊として二度目、三度目の派遣となるベテランも多いらしい。
「そういえば、同時に訓練するんだったね」
「ああ。生活班も一緒って、手引きに書いてある」
年齢がオーバーエイジ版というだけで、SN隊の派遣システムはコッパツ隊となんら変わらない。年に三回の派遣と、TTCでの事前合宿訓練。そして合宿訓練も、コッパツ隊と合同で行なわれる。経費の削減はもちろんだが、多彩なバックグラウンドを持つ者同士のコミュニケーション訓練や、世界中に散らばる仲間としての、繋がりをつくるためなのだとか。そして合宿訓練中はコッパツ隊、SN隊合わせて総勢二百名近い訓練生が、十数名ずつの「生活班」という単位に分かれて、行動するルールが定められているのだった。
合宿生活においては朝の体操や食堂の手伝い、所内の清掃、さらにはちょっとしたイベントの運営などを訓練生自身が手分けして行うが、基本的には生活班単位でこれらを回していくことになる。
「そういや、ヒデは何班だった?」
「三班。カズは?」
「八班。さすがに都合よく、同じ班にはなれなかったか」
たがいに苦笑を浮かべ、マイキーから渡された《TTC生活の手引き》を広げつつ席に着く。手引書の最後には、一~十二の生活班のメンバー表が記載されていた。SN隊員の人たちは名前の横に(S)としっかり記してあり、各班に三~四名ずつといったバランスのようだ。
「うちの班は……浅井隆さん、井出清文さん、大原恵美さん、菅……かん? すが? 美優子さん――」
声に出しながらカズが八班のメンバーを確認し始めると、彼の反対隣から「あ、あの!」と、意を決したような声が上がった。
カズの視線を追って、永田も首を捻る。
小さく手も挙げている声の主は、頬を紅潮させた若い女性だった。
「すが、です」
「え?」
カズに問い返された女性はもう一度、一所懸命に繰り返した。
「すがみゆこです! あの、それ、私でございますです!」
顔の色だけでなく、若干おかしな日本語からも緊張が伝わってくる。どうやら彼女が、カズと同じ八班所属のコッパツ隊訓練生、菅美優子らしい。
「ああ、すがさんですね。失礼しました。同じ八班の森本和茂です。カズって呼んでください。こっちは三班のヒデ」
「永田秀樹です。よろしくお願いします」
「よ、よろしくおねが……お願い、しますっ」
美優子はわざわざ立ち上がって、セミロングの髪を揺らしてぺこりと頭を下げてきた。薄い化粧とつぶらな瞳の童顔は、「田舎の純情娘」といった印象だ。
「菅さんは、どちらから?」
「え? あの……やっぱり訛ってますか?」
「は?」
何気ないカズの質問に、美優子はそれこそ少女のように頬に両手を添えて、不安そうな声を出した。
「私、宮崎からきたんです。それで、宮崎弁が出たら恥ずかしいなーって」
「いえ、全然。ていうか、気にすることないと思いますよ。なあ、ヒデ」
「うん。どうせ全国から集まるしね」
ふたりが同時に笑ってみせると、「ありがとうございます!」と美優子は嬉しそうな顔になった。
「菅さんは、なんて呼ばれてるんですか? ほら、俺たちも今日会ったばっかりだけど、あだ名でもう呼んでるし」
「あ、じゃあ――」
答えた美優子が、ちょっぴり恥ずかしそうに続ける。
「ミユでいいですか? 子どもの頃からずーっと、そう呼ばれてたんで」
「OK。じゃあ俺たちのことも、カズとヒデで。よろしく、ミユ」
「よろしく」
「はい! よろしくです!」
無邪気に微笑むミユの笑顔は、やはり純情な女子高生のようだった。
直後に始まった入所式は、いたって普通のものだった。五十歳過ぎくらいの、自身も元コッパツ隊員だったという所長の訓示に始まり、メインの研修となる語学クラスの講師やスタッフが次々に紹介されてゆく。語学講師はそれぞれの言語を母国語とする先生がほとんどで、永田が学ぶことになるフランス語も五人中三人が外国人だ。ちなみにマイキーは、TTC内での雑務全般を引き受ける事務員のひとりで、明らかに一番若いスタッフだった。
「皆さん、やっぱりコッパツ隊って感じですねえ」
入所式が終わり全員が立ち上がるなか、ミユが周囲をきょろきょろと見回して、感心した声を出した。小柄だが背筋が真っ直ぐ伸びているので、なんだかミーアキャットみたいで可愛らしい。
同じような感想を抱いたのか、「何が?」と聞くカズの顔もほころんでいる。
「なんかいかにもアフリカで井戸掘りしてそうだったり、わらぶき屋根の小屋で子どもに勉強教えてそうな感じの、お兄さんやお姉さんばっかりで」
それこそ「いかにも」な感想に、永田もカズもつい吹きだしそうになった。
「あ、でもおふたりはそんな感じじゃなかったので、ちょっと安心しました」
「まあ、俺もカズも肉体派って感じじゃないからね」
「そうそう。俺たちは知性派ボランティアなんだ」
笑顔のままおどけたカズが、「ミユも敬語じゃなくていいってば」とすぐに付け加える。肉体派ではないが、こうした気配りやコミュニケーション能力は相変わらずさすがだ。
「でも多分、私の方が年下ですよね」
「そう? 俺とヒデは二十五だけど」
「あ、じゃあ一個違いですね。私、二十四です」
「なんだ、ほとんど同じじゃん。タメ口で全然オッケーだよ。なあ、ヒデ?」
「もちろん」
思ったより上だったミユの年齢に、内心でやや驚きつつ、永田もすぐに同意した。
「ありがとうございます……じゃなかった、ありがとう。カズと、ヒデ」
まだ少し恥ずかしそうに、だがしっかりとふたりをニックネームで呼んでくれたミユは、「あ」と流れ始めた人の列に目を留めた。
「あの人もコッパツ隊っぽくないね。ていうか、美人さんだなあ。どっかのアナウンサーみたい」
悲しいかな、美人という単語にすかさず反応してしまった永田は、ミユが見つめる先を確認して、「あっ!」と彼女以上に大きな声を出していた。
声が届いたのだろうか、ボブカットの黒髪がふわりと振り返る。
あら、という感じで軽く微笑んだ女性は、駅のロータリーで見かけた、あの美しい人だった。