志願兵の恋 1
十月も第二週に入り、TTCでの合宿訓練もいよいよゴールが見えてきた。
ともに過ごす時間の多い、生活班や語学クラス、そして永田たちのように仲の良いグループは、もはや家族と言えるほどの絆で結ばれている。だからこそ、半月後に離れ離れとなって、しかもそこから二年間も会えなくなることの寂しさを、誰もがあらためて実感し始めていた。
「まあでも、意外とあっという間だって、帰国した先輩たちも言ってるしな」
「そうですね。そもそも最初のうちは、生き延びることだけで精一杯だろうし」
話しながら前を歩くニッシーとカズの背中を見つめて、永田も隣のタカシと笑みを交わし合った。四人の前後には他にも、男性のコッパツ隊訓練生が数人連なって歩いている。彼らが向かうのは、敷地の一番奥にあるグラウンドだ。
この日、語学クラスが終わると、数名の職員が館内を慌ただしく行き来していた。何事かと事情を尋ねると、強風でグラウンドのフェンスが倒れてしまったのだという。今や訓練生たちにとって我が家同然のTTCだが、長い歴史を誇る反面、よく見ると老朽化している箇所も少なくない。
するとさすがはボランティア訓練生の集団、誰ともなしに「じゃあ、男連中で撤去してきますよ」と言い出し、その場にいたコッパツ隊訓練生の男子が、こぞって手を挙げたのだった。
強風のなか、永田たちがグラウンドに着くと、たしかに奥側のフェンスがものの見事に倒れていた。とはいっても幅十メートル程度のいたって普通のフェンスで、撤去することは難しくなさそうだ。倒れた向こう側は山に繋がる空き地だし、わざわざそちらから侵入する人間もいないだろう。
「この辺は熊も出ないって言ってたし、とりあえずグラウンド脇に片付けておくか」
「そうですね。横にして用具倉庫の陰に置いとけば、さすがに飛んでいかないと思います。念のため、この状態と片付けたあとの写真も撮っておきましょう」
ニッシーとカズの声を受けて、「OK」「じゃあやるか」と訓練生たちはさっそく行動を開始した。二ヶ月以上にも渡り寝食をともにしてきた仲間だけに、チームワークもばっちりだ。
かくしてフェンスの残骸は、総勢十名ほどの男子訓練生によって、あっという間に安全な場所へと移された。
「ヒデ、タカシ、それぐらいで大丈夫だよ。サンキュー」
グラウンドレーキでフェンスが倒れていた箇所をならすふたりに、カズが声をかける。それを合図に、訓練生たちは満足気な表情で現場をあとにした。
「いかにもコッパツ隊っぽかったよなあ、今の」
「そうだね。現地でも、こういう急なことはあるだろうし」
グラウンドからの帰路。今度はカズと並んで歩きながら、永田も笑顔で頷いた。
カズはリーダー役らしく結果の報告、スマートフォンでの撮影を買って出た永田は現場写真を見せるため、他の訓練生と別れて事務室へ向かっているところだ。たまたまだが、グラウンドに落ちていた百円玉を拾ったニッシーも、「俺もこれ、届けねえと。タカシも一緒に行こうぜ」と彼を連れてついてきている。ただし、こちらは気を利かせたつもりなのだろう。事務室にはマイキーがいるからである。
が、残念ながら、マイキーは事務室にいなかった。とりあえず別の職員にフェンス撤去の報告と写真の確認をしてもらい、ニッシーの拾った百円玉も渡して、四人はふたたび廊下に出た。
「晩飯までどうすっかな。タカシは?」
「ジムに行きます」
「相変わらずだなあ。あれか? マイキーさんをお姫様抱っこするために――」
「違います」
皆でなんとなく歩き出したところで、ニッシーとタカシが息の合ったやり取りを始めた。素朴な性格こそ変わらないが、タカシは以前よりずっと喋るようになっている。
そんな彼の鋭いつっこみに、永田とカズが同時に微笑んだとき。
図書室の手前にある部屋から、誰かが出てきた。
「あ!」
「あら! 皆さんも」
すぐに反応したタカシの声に振り向いたのは、話に出たばかりのマイキーである。少々険しい感じに見えたその表情が、ぱっと笑顔に切り変わっている。
「そっか、フェンスを撤去してくれたんですよね。ありがとうございました」
「いえ、大したことなくてよかったです。詳しいことは、事務室の菊島さんにお伝えしてあります」
カズの報告に、マイキーはもう一度にっこりと微笑んだ。
「でも本当に助かりました。うちのスタッフ、男性が少ないですし」
「ああ、言われてみればそうっすね。菊島さんに樋口さん、斎藤さん……あとは高松所長ぐらいか」
視線を宙に向けて男性職員の名前を挙げたニッシーは、そこで「あれ?」とマイキーがが出てきた扉を見つめ直した。
「マイキーさん、所長と会ってたんすか?」
彼女が出てきたのは、まさに《所長室》というプレートが壁にかかっている部屋だった。
「あ、はい。ちょっとミーティングを。ほら、それこそ金網のこととかもあったので」
「ああ、なるほど。ご苦労様っす」
「じゃあ私、事務室に戻りますね。タカシ君、また」
「はい」
頬を赤くするタカシに手を振って、マイキーは四人が来た方向へと去っていく。するとまたもや所長室の扉が開き、今度はふたりの男性が現れた。
「おっと」
「ああ、失礼」
危うくニッシーとぶつかりそうになった中年男性が、言葉とは裏腹に、偉そうな仕草で片手を挙げた。大きく腹の出た身体に、高級そうなダブルのスーツ。頭はポマードでこってり固めたオールバックという、妙にインパクトのある外見だ。
「ごめんごめん、ちょっと通りますよ」
ポマードの男性とは対照的に、低姿勢で手刀を切ってみせるのは、TTC所長の高松である。彼らはそのまま、玄関ロビーの方向へと歩いていった。
謎の男性と所長を見送ったあと、最初に声を発したのはタカシだった。
「マイキーさん、最近ここから出てくることが多いんです」
「え?」
仲間たちが同時に彼を見る。
「所長さんとのミーティングが続いてる、としか聞いてませんけど」
「ふーん」
眼鏡のブリッジに手をやったカズが、思案顔になった。
「俺たちの訓練期間がそろそろ終わりだから、忙しいのかな」
「そうかもね」
永田も同意する。というか、それくらいしか思い浮かばない。しかしニッシーだけは、違う想像をしたらしい。
「まさか! やべえぞ、タカシ!」
「え?」
怪訝な顔をするタカシに向かって、お騒がせな兄貴分は、例によって突拍子もないことを言い出した。
「所長とマイキーさんが、まさかの不倫かもしれねえぞ! こいつは、週刊ゲス文だ! ゲス文砲だ!」
瞬間、タカシの目がきらりと光った。
「え? おい、タカ――」
皆まで言わせずニッシーの背後に回り込み、長身を素早く屈み込ませる。
「――うわっ!? ちょ、ちょっと待て! 何すんだ!」
右手をニッシーの股間、左手を顎にかけたタカシは、なんとそのまま彼の身体を仰向けに担ぎ上げてしまった。えびぞりの格好にさせられたニッシーの口から、悲鳴が上がる。
「いでででで! じょ、冗談だって! 死ぬ! 死んじまう!」
「これ、なんていう技だっけ」
タカシって怒るとこうなるんだ、という変な感心とともに永田はカズに笑顔を向けた。
「アルゼンチン・バックブリーカー」
カズもおかしそうに笑っている。そしてもちろん、両者ともにニッシーを助けるような真似はしない。
「ヒデ、カズ、助けてくれ!」
タカシの肩口から聞こえる声をさらりとスルーして、「でもたしかに、気になるよな」とカズが少しだけ表情を引き締めた。もちろんマイキーのことだというのは、永田にも、そしてニッシーを責め立てているタカシにもわかる。
「うん」
「はい」
揃って頷くふたりに続いて、「お、俺のことも気にしろ!」という情けない声も廊下に響き、三人はとりあえず笑顔を取り戻すことができた。




