学級委員の恋 3
翌日が日曜日ということもあり、カズとミユはゆっくり話をして、問題なく仲直りするのではないかと永田は楽観的に考えていた。カズの部屋から自室に戻ったあと、自分もスマートフォンのメッセージアプリを使って、雪にもそう伝えたほどだ。
が、ことは簡単には運ばなかったらしい。
「ミユから返事がこないんだ……。電話も出てくれなくて」
「えっ!?」
一夜明けた日曜の午後。体育館の床に座り込んだ永田は、隣から申し訳なさそうに伝えてきたカズの言葉に、思わず声を上げた。反対隣のニッシーも、「マジか?」と反応する。
休日の午前中を思い思いに過ごした彼らは、昼食の際に「たまにはみんなで身体、動かそうぜ」というニッシーの提案によって、体育館で卓球をしていた。学校などと同じように、TTCの体育館にも卓球台とラケット、ピンポン球が倉庫に収納されており、自由に使っていいルールになっている。
食堂にはリリちゃんと繋もいたので声をかけたところ、ふたりもちょうど午前中だけの手伝いだったそうで、喜んで参加してくれた。その他のメンバーは、カズと雪で計六人。
タカシだけはめずらしく「午後はちょっと、出かけるんで」といそいそと岳ヶ根市内へ「下山」していったが、事務所にマイキーの姿がなかったので、おそらくは彼女とデートだろう。
それよりも永田が気になったのは、いつもの面子にもかかわらず、ミユがいないことだった。というか、朝から姿を見ていない。
たしかに日曜と祝日は朝礼もないし、前日までに申告しておけば、食堂も利用しなくていい。だが、それにしたって心配である。ましてや昨夜、カズが直接メッセージを送ったばかりのはずだ。
同じく昨夜、自分がなんとかすると語った雪によれば、ミユと直接会うことはできなかったものの、電話では向こうもカズと同様に「心配してくれてありがとう。私自身で解決してみる」と、健気に語っていたという。
そんななか、ふたつある卓球台で代わる代わる試合をして楽しんだあと、車座になって休憩を取っているタイミングで、カズが済まなそうに口を開いたのだった。
「あれ? カズさんとミユさんて、岳ヶ根マジックなんですよね?」
「おい、リリ」
詳しい事情を知らないリリちゃんがダイレクトに確認すると、繋がすかさずたしなめた。
けれどもカズにとっては、無邪気な尋ね方がおかしかったようだ。肩をすくめながら、明るく苦笑してみせる。
「残念ながら、俺が不甲斐なくてまだマジックしてないんだよ。ごめんね、リリちゃんの期待に応えられなくて」
「へえ、意外です。だって訪問日もおたがい、ご両親に紹介してましたよね?」
「ああ、うん」
「でもマジックしてない?」
「はい」
「ていうか、メッセが返ってこないってことは喧嘩してるとか?」
「はい……すいません」
ずばずばと尋問されて、カズはなぜか敬語になってしまっている。思わずまわりが微笑んだところで、リリちゃんは突然、カズに怒ったような目を向けた。
「だめです、それ!」
ビシッと口にしてから、右手の人差し指も突きつける。
「カズさん!」
「は、はい」
ぱっつん前髪が似合う面立ちは、さすがに迫力があるとは言い難い。とはいえ、勢いに押されたのか、カズも自然と背筋を伸ばしている。
「ミユさんを、もっと大事にしてあげて下さい!」
「いや、ええっと、大事にしてたつもりなんですが」
「言い訳はいりません! あの優しいミユさんがメッセージの返信も寄越さないなんて、絶対に何かやらかしてるはずです!」
「やらかしたって言われても……」
困惑したカズの顔を見て、ニッシーがじろりと目を向けた。
「まさかお前、ガチで嫌われるようなことしたんじゃないだろうな」
「ガチでって?」
「先に既成事実を作ってしまおうとして、夜這いをかけたりとか――」
「するわけないでしょう!」
が、純真なリリちゃんは信じかけてしまった。
「さ、最低ですカズさん! 私なんて、指一本も触られてないうちから振られたのに!」
わけのわからないアピールとともに、逆三角形になった目で、ニッシーのことも一緒に睨み始めている。
「ちょ……なんで俺を見るんだ! 俺は既婚者なんだから、しょうがないだろう! そうじゃなくても女子高生に触れるなんて、今どきはリスクだらけだっつーの!」
すかさず抗議したニッシーが、「なあ、ヒデ?」と隣に助けを求める。相変わらずいきなりのご指名だ。
「え? ああ、はい」
心の準備ができていなかった永田は、一瞬動揺しかけたが、気を取り直して首を傾げた。
「でもほんと、なんでだろう」
見ると、向かいに座る雪の顔も同じような角度になっている。
「だよね。カズ君が気付いてないだけで、どこかに必ず原因があると私も思う」
言いながら彼女は眉間にしわを寄せて、こめかみのあたりを指で揉んだ。考えているというよりは、頭痛をこらえるみたいな仕草だ。
「日波さん?」
「あ、ごめんね。私、偏頭痛持ちなの」
「大丈夫?」
「うん、全然平気。ほんのちょっと、そうなりそうな気配がしたってだけだから」
こめかみから手を放した雪は、すぐになんでもない様子で顔を上げた。顔色も悪くないし、ついさっきまで一緒に卓球をしていたくらいだから、本人が言う通り平気なようだ。
「よかった」
「ありがとう」と微笑んだ彼女が、今度はカズに視線を向ける。
あ。
その目を見て永田は思い出した。昨夜、自分にも向けられたあの「先生」の目だ。誰かを諭し、何かを言い聞かせる目。説得力のある視線。
「カズ君」
「は、はい」
またしてもカズは敬語である。今日の彼は、女性に圧倒される運勢なのかもしれない。
「ミユちゃんの気持ちは、きっと変わってないはずよ」
「俺もそう信じたいけど……」
「なら、絶対に諦めちゃだめ。むしろこのピンチをチャンスだって考えなきゃ。おたがいに好きなんだから、気持ちをはっきり伝えないと絶対に後悔するよ」
普段は穏やかな雪が、強い目と口調で言うので、他の仲間たちも神妙に頷くしかない。弟の繋だけが、「姉さん、またお節介?」といった感じで小さく顔をほころばせている。 と、別の穏やかな声が割って入った。
「その通り。彼女が言うことに、間違いはないよ」
にこにこと車座に近づいてきたのは、大ベテラン訓練生の渡辺潮春である。やはり運動していたのかジャージ姿で、首にはタオルも掛けている。
「ごめんごめん。上のジムでバイクを漕いでいたら、君たちの声が聞こえてしまってね。年寄りのお節介だと思って、私からもアドバイスさせてください」
汗を拭きつつカズのそばまできた潮春は、まっすぐに伸びた背筋のまま正座して、すっと目を合わせた。さすがは空手師範としか言いようがない、美しい所作だ。
「森本君」
「はい」
「日波さんの言葉を信じなさい」
「は、はい」
「彼女の言葉は、じつに説得力がある」
潮春はそう告げて、雪にも仏様のような笑みを向けた。ハッとなった雪の方も、すぐに微笑を返して頭を下げる。
大ベテランの台詞に、一層わかりやすく反応したのは、もっとも歳の離れたリリちゃんだった。
「てことは、ひょっとしてユッキーさんも似た経験があるんですか?」
「え?」
きょとんとする雪に、好奇心をたたえた目でリリちゃんは続けた。
「おたがい好きなのに、気持ちを伝えないまま離れ離れになっちゃったとか、寂しい思いをさせられてるとか」
「別に、そういうわけじゃないけどね」
笑って否定する本人とは対照的に、「なにい!?」と大きく反応したのはニッシーである。
「どこのふざけた男だ、それは! あ、ヒデか! やっぱお前か! このむっつり若仙人め、ユッキーに思わせぶりな態度を取って泣かせてんのか!」
「なんでそこで俺が出てくるんですか!」
「違いますよ、ニッシーさん」
雪の笑いは、すでに失笑になっている。
「永田君がそんな大胆なこと、できるわけないって知ってるでしょう。むしろ女の子の扱いが苦手な人だし」
「まあ、たしかに。……はっ! ということは!」
納得しかけたニッシーだが、今度はなぜかぎょろりと目を見開いた。
「ということは、ヒデ」
「なんです?」
嫌な予感がしたものの、永田はとりあえず返事をしてみた。だが案の定、この人らしい突拍子もない言葉が返ってくる。
「おまえ、ゲイだったの?」
「違いますよ!」
横道に逸れ始めた話を、意外な人物が軌道修正してくれた。
「カズさん」
声の主は繋だった。眼鏡のブリッジを押し上げた彼が、真っ直ぐにカズを見つめる。
雪の弟ということもあって、途中参加ながらボラ同、そしてTTCでのお手伝いにもあっという間に馴染んだ彼だが、こうして誰かひとりにじっくり話しかけるのはめずらしい。
「うん? 何?」
カズも同じように思ったのか、意外そうに返事をする。
真っ直ぐな視線を逸らさずに、繋は尋ねた。
「訪問日、ミユさんをご両親に紹介したんですよね」
「ああ、うん」
「そのとき、席を外しましたか?」
「え?」
質問の意味を掴みそこねているカズを見て、「ああ、すみません」と頭をかいた繋は、あらためて訊き直した。
「つまりカズさんが席を外して、ご両親とミユさんだけで会話する時間があったか、っていうことです」
「ええっと……あ、そういえば、ちょっとだけあったな。班の日報を前の晩に出し忘れてたから、事務所に届けにいったんだ。でも、五分とかからなかったよ」
「なるほど」
何度か頷いた繋が、さらに問いを重ねる。けれども次の質問は予想外の内容だった。
「ちなみにカズさんて、ひとりっ子ですか?」
「え? いや、繋と同じで姉ちゃんがいるよ。もう結婚してるけど。なんで?」
「やっぱり」ともう一度頷いた繋は、さらりと結論づけた。
「やっぱり、カズさんのせいですよ」
「繋!」
被せ気味に反応したのは雪だ。厳しい口調とともに、とがめるような視線を弟に向けている。しかし、繋の方も退かない。
「いいだろ、姉さん。他の皆さんもわかってないみたいだし」
そこでようやく、カズ本人が問い返した。
「やっぱり俺のせいって……ミユが素っ気無くなった理由、わかったのか?」
「はい」
何かを確信した声と表情で、繋が答える。
「理由は多分――」




