TTC 2
TTCの所在地は、観光名所にもなっている『岳ヶ根山地』の入り口だった。
正面に田んぼや畑、背後には森が広がる敷地内に永田とカズが到着したのは、午後十二時過ぎ、集合時間の約一時間も前である。
「意外に、こぢんまりしてるんだな」
永田よりも遥かに元気な声で、「ありがとうございました!」と運転手さんに礼を述べていたカズは、建物を振り返ると意外そうな顔をした。
「そのぶん奥行きがあるはずだよ。たしかグラウンドとか体育館もあるって、入所案内に書いてあった」
「ああ、そういえば。ヒデはなんかスポーツやってたの?」
「高校まではサッカー部だったけど、大学以降は本格的にっていうのはないかな。会社の法人チケットで、たまにフィットネスクラブに行ってたくらい」
「そんなところも似てるなあ。俺も本格的な部活は高校まで。野球部だったんだ。社会人になってからは、めっきり運動不足でさ。商売柄、きちんと身体も動かさないといけなかったんだけどね」
バスでの道中は十五分程度だったが、同い年ということに加えて、何よりカズの明るい性格のお陰で、永田は彼とすっかり打ち解けることができた。特に意識せず敬語は消えて、一人称もおたがい自然と「俺」になっている。
最初にも言っていた通り、カズは名古屋からの参加で、会社を辞めてコッパツ隊に参加するのだという。家族は両親と姉がいるそうだ。
並んで出入り口へと歩を進めるなか、永田は最後の言葉に小さく首を傾げた。
「商売柄?」
「うん。俺、『インナーメイル』の社員だったんだ」
少しだけ照れたような顔で、カズは教えてくれた。
「へえ。凄いじゃん」
インナーメイルは、アメリカに本社がある世界的なスポーツ用品メーカーだ。スキン・ウェアと呼ばれる、肌にフィットするトレーニングシャツの代名詞として知られるだけでなく、ここ数年はシューズやサプリメントなども次々と市場に投入しており、トップアスリートとの契約も多い。
「いや、凄いのは会社の名前だけだよ。愛社精神の欠片もない社員だっているしね。いきなり辞表を出して、コッパツ隊に受かったんで会社辞めます、なんて言い出すような」
おどけてみせるカズの足下は、だからというわけではないだろうが、インナーメイルではなく日本の老舗メーカーのランニングシューズだった。
「ヒデは? やっぱ会社、辞めてきたの?」
「うん。俺は飲食関係。レストランやカフェの、プロデュースとかコンサルティングをしてる小さな会社にいたんだ」
「うわ、なんかお洒落だなあ。でもたしかにヒデっぽい」
「なんだよ、それ」
ふたりは笑い合いながら、《国際開発援助隊 岳ヶ根トレーニングセンター》と書かれた両開きのガラス扉を開いた。
「こんにちは!」
ロビーは学校の教室程度の広さで、隅に置かれた長机の向こうから、元気な声が迎えてくれた。パイプ椅子に座った若い女性がひとり、受付嬢よろしくにっこりと笑っている。
「こんにちは。ええっと――」
カズが続ける前に、頷いた女性があとを引き取った。
「二五-二の、訓練生のかたですね」
彼女の首から下がるIDカードらしきものには、《ワトソン 麻衣子と名前が印刷してある。よく見るとその下に、柔らかな手書き文字で(Miky=マイキー)とも。そう呼んでくれ、ということだろうか。
ちなみに《二五-二》というのは、コッパツ隊としての派遣年と隊次を表す呼称である。永田たちはつまり「二〇二五年の二次派遣隊」というわけで、OB・OG含めてコッパツ隊経験者同士の自己紹介では、自然と隊次や派遣国も名乗るようになるのだとか。
ワトソン麻衣子=マイキーなる女性は引き続き、にこにこと微笑んでいる。
ハーフ? いや、でも……。
そう思った永田と同じ疑問を感じたのだろう、カズも目で問いかけてきた。
マイキーは特段、外国人の血が入っている風には見えない。小柄だし、束ねた黒髪とぱっちりした目は、むしろ日本のアイドルみたいな可愛らしさがある。
「お名前をどうぞ」
こちらのささやかな疑問など頓着しない様子で、彼女は愛想よく促してきた。
「あ、はい。グランネシア諸島派遣の森本和茂です」
「リンダーラ共和国派遣の永田秀樹です」
「森本さんと、永田さん……っと。ああ、ありました。はい、到着、無事確認させていただきました」
長机の名簿からそれぞれの名前を探したマイキーは、手元のマーカーでラインを引くと、いたずらっぽい表情になって顔を上げた。
「おめでとうございます」
「え?」
「?」
きょとんとする永田とカズを交互に見ながら、人差し指が楽しそうに立てられる。
「おふたりが一番乗りです。ようこそ、TTCへ」
マイキーは続けて、入所案内や所内マップ、《TTC生活の手引き》と記された小さな冊子を背後の段ボール箱から取り出し、
「男性寮は、ここ本館の三階から上になります。森本さんが三一二号室で、永田さんは同じ階の三○八号室ですね」
と、ルームキーと一緒に渡してくれた。
「部屋は、もう入っていただいて大丈夫です。一時から講堂で入所式があるので、お荷物を置いたら遅れずに集合してくださいね」
「わかりました。これから三ヶ月、よろしくお願いします!」
調子を取り戻したカズが、元気に頭を下げる。永田もすかさず彼にならった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。無事の派遣に向けて、頑張りましょう!」
「マイキーさん、って呼んでいいのかな?」
「麻衣子さんだからマイキーなんだろうな。マイとかにするパターンもあるけど」
ロビーの先にあった小型エレベーターに乗り込んだ永田とカズは、さっそくそんな会話を交わした。
「カズのところは英語圏?」
彼の発音が流暢なものに聞こえたので、永田は確認した。たがいの派遣国はバスのなかですでに教え合っている。カズの派遣先であるグランネシア諸島は、たしか王国制を取る南太平洋の小さな島々だと言っていた。
「そう。ヒデは? アフリカってことはフランス語?」
「うん、フランス語。アフリカでも、英語の国とかもあるみたいだけど」
発展途上国の多くは、十九世紀末から二十世紀にかけての植民地時代に、ヨーロッパの国々に支配されていた地域である。当然、公用語も英語やフランス語、スペイン語などが多い。
コッパツ隊に選抜された者たちはTTCで三ヶ月間、その語学を中心に、現地で生活していくための様々な訓練を受けることが義務付けられている。
「カズ、留学とかしてたの?」
「大学のとき半年だけね。オーストラリアに」
「へえ。いいなあ」
「でも半年だけだから、あんまり喋れないんだよ。グランネシアが英語って聞いて、ちょっとラッキーって思ったけど、今考えると、むしろ新しい言葉を覚えたかったかな」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ。日本だけじゃない? 中高だけでも六年、それもひとつの語学を勉強するのに、まともに喋れない人種って」
「ああ、そうかも」
同意したものの、永田自身の英語力も片言程度がいいところである。フランス語にいたっては言わずもがなだ。
「ま、おたがい頑張ろうぜ。お、ここだ」
ちょうど止まったエレベーターから降りると、すぐに三一二号室と三○八号室のプレートが目に入った。
「荷物を置いたら、所内を見て回ろう」
「うん」
「そうだ。今のうちにヒデの連絡先、聞いといてもいい? 俺も教えるから」
「OK」
その場で手早くスマートフォンの番号とメッセージアプリのID、あとはメールアドレも交換したふたりは、一度おたがいの部屋へと別れた。ありがたいことに、訓練生各自には個室が与えられることになっている。
《Welcome! Bien venu! !Bienvenidos! Добро пожаловать! සාදරයෙන් පිළිගනිමු! 二五-二の皆さん》
永田が三〇八号室に入ると、簡素ながらしっかりしたつくりの学習机に、複数の言語を記した紙が置かれていた。いずれも「ようこそ!」という意味なのは、最初のふたつですぐにわかったが、英語とフランス語以外は読み方すらわからない。この期が派遣される国々の言語、すべてで書いてあるのだろう。
「世界中に散らばるんだもんな」
つぶやくと同時に、自分の今の肩書きをあらためて思い返す。
国際開発援助隊二五-二、西アフリカ・リンダーラ共和国派遣の村落開発隊員。
あ、まだ隊員〝訓練生〟か。
スーツケースから着替えや勉強道具、ノートパソコンなどをさっそく出しながら、永田は頭のなかで苦笑した。まれにではあるが、この三ヶ月での訓練中に大怪我や家庭の事情で、派遣を断念する人もいるという。そのため、コッパツ隊を所管する外務省の外郭団体『日本国際援助事業団』=Japan International Aid Society、通称「JIAS」からは、訓練中の健康管理には十分留意するよう、選抜試験合格後の面接でも念を押されている。
特に持病があるわけではないが、自身も体調に気を付けねば、と永田もあらためて気を引き締めたところで、トントンとドアがノックされた。
「どうぞ。開いてるよ」
「お邪魔しまーす」
案の定、カズがにこやかに部屋に入ってきて「やっぱ、まったく同じなんだな」と言いながら、ベッドと学習机だけが置かれた部屋をぐるりと見回す。
「風呂は大浴場があるんだっけ?」
「そう。併設のシャワールームの方は、二十四時間利用可だって」
手元の《TTC生活の手引き》を確認して、永田は答えた。
「すげえなあ。しかも三食付で、ただで語学も学べるんだもんな。それだけ俺たちひとりひとりに、税金がかけられてるってことだよな」
公式発表こそされていないが、コッパツ隊員ひとりを二年間派遣するのに、二千万円近い税金が使われるのだとか。たしかに旅費や現地での生活費、国内積立金に万が一のための保険料、さらにはここTTCでの訓練費用と生活費用などを合わせれば、その程度は優にかかるだろう。
「税金泥棒にはなりたくないよね」
笑みを浮かべた永田も、本心からそう返して頷いた。