専門家の恋 5
「ええっ!?」
雪以外の全員が驚いて彼を見た――と、思いきや。
もうひとり冷静な人物がいた。いや、冷静というよりは、なんだかおかしそうな声のトーンで彼女が口を開く。
「タカシ君も、猫ちゃん好きなの?」
「は、はい」
赤くなってタカシが答えた相手は、実家で猫を飼っているというミユでも、もちろん雪でもない。
マイキーだった。
「私も好きだよ」
「あ、ありがとう、ございます」
猫のことを言ったはずなのに、タカシはしどろもどろになっている。
マイキーさん、わざとやってるのかな。
驚きが消えないまま、それでも永田が内心でつっこむと、隣に戻ってきた雪が「ねえ、気付いてる?」と得意のいたずらっぽい笑みを向けてきた。
「え?」
「マイキーさん、タカシ君にだけはタメ口だよね」
「あ!」
言われてみれば、たしかにそうだ。TTC所員という立場上、どんな訓練生にも敬語で接するマイキーだが、タカシに対してだけはいつの間にかそれが消えている。どう見ても彼の方が年少だし、自分たちもいわゆるタメ口で話すので、永田だけでなくほぼすべての訓練生が気にもしていなかった。
仲間たちが見守る前で、マイキーはにこにことタカシとの距離を詰めてゆく。
「ひょっとして、ここに猫ちゃんが来てるの?」
「あ、はい」
ますます赤くなってしまったタカシは、助けを求めるようにニッシーを見た。だが同じ生活班の兄貴分は、にやりと笑って親指を立ててみせるだけである。ここらでいっちょう頑張れよ、という意味らしい。
それを真に受けたわけではないだろうが、顔を戻したタカシは、小さく息を吸ってから語り始めた。
「猫に、鎖骨を見せてもらってるんです」
「サコツ?」
「はい。ここにある骨の、鎖骨です」
きょとんとするマイキーに、身振りとともに一所懸命な説明が続けられる。
「僕、鎖骨のところが上手にコントロールしきれなくて」
「コントロール?」
「いえ、その、筋トレのときなんですけど」
「ああ、そっか。タカシ君、よくジムにいるもんね」
「はい」
「プロテインスコーンくれたのも、あそこだったよね」
恥ずかしげに、タカシがこくこくと頷いた。
「他にも結構、いろんな場所で会うよね。ごめんね、いつも勉強とかトレーニングの邪魔しちゃって」
「いえ。ま、マイキーさんに会えれば僕はいつでも、どこでも嬉しいです」
やはり一所懸命な台詞に、ニッシー、カズ、永田の男性陣は「お!」と顔を見合わせた。すでに気持ちを伝えているからかもしれないが、タカシにしてはめずらしいストレートな意志表示だ。
「いろんな場所で会ってるなんて、私たちみたいだね」
隣からの楽しそうな囁きに、永田がドキリとさせられた刹那。
「わあ! 可愛い!」
ミユが大きな声を上げた。
「あなたが、タカシ君と仲良しの猫ちゃん?」
ミユが話しかけているのは、どこからか現れた一匹の黒猫だった。
「ニャア」
愛想よく答えた黒猫は、迷う素振りも見せずそのタカシへ近寄って、彼の脚に身体を擦り付け始めた。タカシの側も慣れた様子で、しゃがみ込んで背中や喉を撫でてあげている。
「この子の鎖骨が、凄く参考になるんです」
黒猫に向けていた穏やかな笑みのまま、タカシは全員を見回して続けた。
「皆さん、なんで猫がネコパンチできるか知ってますか?」
「ネコパンチって、こういうやつか?」
ニッシーが、キャラに似合わず可愛らしい仕種で小さく拳を振る。すると、まるでお手本を見せたがるみたいに、黒猫も同じ動きを繰り返している。なかなか好奇心旺盛な性格らしい。
「はい。ネコパンチだけじゃなくて、猫は前足を器用に動かせますよね」
解説に合わせて黒猫は、こんなこともできるよ、とばかりに今度はタカシの脛に抱きついた。フランと同じく、まるで言葉がわかっているかのようだ。
「でも、犬はここまで前足を動かせませんよね」
「ああ、そういえば」
永田も実家に雄の雑種犬がいるので、彼のことを思い出した。たしかに犬は、せいぜいお手をするくらいである。
「あ! じゃあ、その理由が――」
「はい」
ぽんと手を叩いたマイキーに、タカシは大きく頷いた。さっきまで赤く染まっていた頬が、いつの間にか元に戻っている。以前、永田に栄養学の話をしてくれたときみたく、何かのスイッチが入った感じだ。
「犬の身体は鎖骨が退化してるんですけど、猫は少し残ってるんです。だからこうして、比較的自由に前足を動かせるそうです」
言いながらタカシが手をかざすと、黒猫はまたも得意げに、目の前の手をネコパンチし始めた。いつもこうして遊んでもらっているのだろう。
「一週間くらい前に、たまたま中庭でこの子に会ったんです。で、ちょうど猫には鎖骨があるって話を、ネットで見たことを思い出して」
「それで仲良くなって、鎖骨を見せてもらってたのね」
「はい。もともと、人間には慣れてる感じでしたけど。あ、ちなみにオスみたいです」
「ふーん。首輪はしてないけど綺麗な子だね。毛艶もいいし。いろんなおうちで可愛がられてる、野良の子なのかも」
「多分そうでしょうね」
笑顔で語り合うタカシとマイキーの姿に、ミユと雪が「いい感じね」といったアイコンタクトを交わす。告白への返事こそ保留していたマイキーだが、おそらくはネガティブな結果ではなさそうだ。
「キャットフードはどうやって?」
「ネットで注文しました」
「ああ、そっか。そういえばちょっと前に、タカシ君宛にも小包が届いてたね」
訓練生たちは、TTC宛に手紙や荷物を送ってもらうことが許可されている。もっとも、中身がキャットフードという荷物はめずらしいだろうが。
「なるほど、そういうわけか。オッケー、事情はわかりました」
タカシと並んでしゃがみ込んだマイキーは、黒猫の背中を優しく撫でてから、所員らしい口調に戻って全員に宣言した。
「ふたつだけ約束を守ってくだされば、この子にもご飯をあげる許可を、私の方で正式に所長からもらっておきます。ていうか野良っぽいし、フランみたいにTTCの子になってもらいましょう。じつは所長も猫を飼ってる人だから、間違いなく許可は出るはずです」
喉も撫でてあげながら、「君もそれでいい?」とマイキーが微笑む。すると黒猫の方も、「もちろん」とでも言うかのように、「ニャア」と答えた。
「あ、でも最初は動物病院に連れていって、病気とかをきちんと検査してあげないと」
経験者らしいミユの指摘にも、マイキーは力強く頷いてくれた。
「はい。明日にでも私が連れていきます。幸い岳ヶ根市内にも、動物病院はあるので」
「ありがとうございます! よかったね!」
「ニャ」
ミユにも愛想よく返事をする黒猫は、本当に人間馴れしている感じだった。フランともおたがい、興味津々の目を向け合っているので、これならTTCふたり目のマスコットとして仲良くやっていけるだろう。
「で、約束ってなんすか?」
二頭の様子を微笑ましく見つめていたニッシーが、不思議そうに尋ねた。たしかにマイキーの言葉には、「ふたつだけ約束を守ってくだされば」という前置きがあった。
「はい。ひとつ目は、ごはんの場所をフランとしっかり分けること。混ざっちゃったりしたら、ミユさんが言ってくれたみたいに、フランが贅沢になっちゃうおそれがあるので」
「あ、はい! もちろんです」
めずらしく大きく返事をしたのは、タカシである。好きな女性が、自分の勝手な行動を咎めるどころか、快く容認してくれることが本当に嬉しそうだ。
「じゃあ、ふたつ目は?」
今度はカズが尋ねたが、マイキーの答えは予想外のものだった。
「ネーミングライツを、私にください」
「え?」
全員が声を揃えてぽかんとするなかで、ニッシーがいちはやく反応する。
「それってあの、スタジアムの命名権的な?」
「はい、その通りです」
「まあ、別に異論はないですけど。ていうか、そもそもTTCの猫になるわけだし。みんなもいいよね?」
カズの言葉に、他のメンバーもすんなり頷く。永田がさり気なく隣を見ると、雪が少しだけ眉をハの字にして微笑んでいた。マイキーのちょっと変わった要求が、おかしかったようだ。
「じつはもう、名前もひらめいちゃいました」
黄色い目で見上げる黒猫に、マイキーがにっこりと笑いかける。
「発表します。君の名前はね――」
そうして明かされた名前は、予想の斜め上を行くものだった。
「サコエモン!」
「は?」
真っ先に永田は、間抜けな声を発してしまった。一方のマイキーは変わらず、にこにこ顔のままだ。
「鎖骨がきっかけでTTCの子になってくれたから、サコエモンです! どうですか? いい名前だと思いません?」
なんとも微妙な名前に、だがいち早く賛成の意を示したのは、やはりタカシである。
「いいと思います。よろしく、サコエモン」
「ニャ!」
タッチするかのごとく、ふたたびサコエモンの猫パンチと手を合わせる。どうやらサコエモン本人も、この名前でOKらしい。
「マイキーさんのセンス、素敵です」
顔を赤くしてそんな台詞まで続けるタカシに、ミユと雪も続いた。
「でもたしかに、親しみやすくて可愛いかも。サコエモン」
「そうね。フランが洋風だし、彼の方は和風でいいかもね」
こういうとき女性は強い、と関係ないことを思い浮かべた永田も、カズ、そしてニッシーとともに笑顔でサコエモンに手を振った。いずれにせよ、可愛い仲間が増えるのは自分たちとしても願ったりだ。
「よろしく、サコエモン」
「フランとも仲良くな」
「ニャン」
穏やかな空気が戻ったなか、マイキーがますます笑みを深くする。
「よかった、皆さんがOKしてくれて。それに、タカシ君に褒めてもらえて嬉しい」
「あ、ありがとうございます」
顔を覗き込まれたタカシは、恥ずかしそうに目を逸らした。けれどもマイキーはまるで気にしない様子で、さらに彼との距離を詰めてゆく。
「でも、サコエモンばっかり相手にされちゃうと悔しいなあ」
「そそ、そんなことしません!」
「本当?」
今やふたりの肩と肩は、触れ合わんばかりの距離になっている。
「……マイキーさんって、意外に肉食系なのか?」
ニッシーが、ぼそりとつぶやいたとき。
「じゃあ、タカシ君――」
雪のお株を奪うような、からかう声が続けられた。
「今度、私の鎖骨も見てみる?」
「!!」
耳まで赤くしてのけぞるタカシと、不思議そうに首を傾げるサコエモン。
仲間たちの苦笑とともに、夕方の涼しい風が中庭を吹き抜けていった。




