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専門家の恋 4

 気になるマイキーの答えは、「ありがとう。お世辞でもなんでもなしに凄く嬉しい。あ、返事はちょっとだけ待ってね。だってほら、みんなもいるし」という、なんとも思わせぶりなものだった。?

「それに私、高校生の頃まではちょっと違うキャラだったの。そういうところも、タカシ君はまだ知らないでしょう?」

「……いや、さっきのでじゅうぶんわかるだろ」


 恥ずかしげな口調で続けられた台詞に、全員の代弁者とばかり、ニッシーが小声でつっこむ。ただ、タカシ自身はなぜか素直に「はい」と頷いていたので、とりあえずふたりにとってはこれでいいようだ。

 不愉快なものと微笑ましいもの、正反対のハプニングが続いたなか、ともあれ自主学習講座は無事終了。永田たちはそのまま、中庭にある犬小屋へと向かうことにした。作った和風ポトフを、フランにもお裾分けするためである。もちろん、犬が食べられないものは入っていない。


「でも、ああいう人もいるなんて残念だよな」


 カズの言葉を受けて、ポトフの入ったボウルを手にしたニッシーが後ろを振り返る。


「残念ていうか、むかつく以外の何もんでもないぜ。ガマババアのくせしやがって。なあ、タカシ?」

「はあ」


 被害を受けた当人のタカシだが、逆にカズやニッシーほどは、引きずっていないように見える。彼としては、マイキーからの返事の方がよほど気になるのだろう。

 そうこうしているうちに、一同は中庭に到着した。

 放課後になるとリードが外されて、所内での自由行動が許されるフランだが、今はちょうど犬小屋の前でくつろいでいるところだった。


「フラン!」

「ワン!」


 雪の声に反応して、黒い影が大きく尻尾を振りながら駆け寄ってくる。他にも仲良しの面々が一緒なので、フランはますます嬉しそうな表情になり、まずはニッシーに前脚をかけてはしゃぎ始めた。


「おお、やっぱりご馳走の匂いがわかるのか?」

「フラン、ポトフ食べる?」

「ワン!」


 ニッシーとミユに訊かれたフランは、言葉がわかるかのように、行儀よくお座りしてみせている。


「そうか、そうか。じゃあ食ってみてくれ。俺たちの力作だ」


 小屋の前に置いてある専用のペット皿に、ニッシーがポトフを移し替える。待ってましたとばかりに、フランは美味しそうに食べ始めた。


「どう、フラン? 美味しい?」


 今度は雪が尋ねる。振り返った彼の顔には、間違いなくイエスと書いてある。


「よかった。ゆっくり食べてね」


 にっこりする雪の隣で、永田も微笑ましく様子を見守っていたが、ふとあるものが目に入った。


「あれ?」

「どうしたの?」


 こちらを見る雪に「うん、ちょっと」と答え、犬小屋の向こう側へ歩いていく。


「これなんだけど」


 首を傾げつつ永田が手に取ったのは、今フランが顔を付けているのとよく似た、空のペット皿だった。犬小屋は脚付きのタイプなので、床と地面の隙間からこれが見えたのだ。だが、なぜ食事用の皿がふたつもあるのだろう。


「あれ? フランの晩飯って、もう出されてたのか?」


 ニッシーの疑問が耳に入ったらしく、フランはいったん食事を止めて、不思議そうな顔を向けてきた。


「この皿もフランの?」


 皿を前に差し出しながら永田が近づくと、フランはいったん、クンクンと臭いを嗅いでくれた。しかし、きょとんとした視線を全員に送ってから、「違うよ」といった態でまた食事に戻ってしまう。


「そっか。まあ、そうだよね」


 するとミユが、小さく手を挙げて一歩前に出た。


「ヒデ、ちょっと見せてもらっていい?」


 こういうとき何かに気が付きそうなのは、勘のいい雪やリーダー役のカズというイメージがあるので、意外といえば意外である。

 そんななか、永田からペット皿を受け取ったミユは、「あ! やっぱり!」と言って右手の人差し指で皿の底をなぞり始めた。


「ミユ?」

「なんかあるのか?」


 カズとニッシーの問いに、ミユは動かしていた人差し指を掲げてみせた。


「これなんですけど」

「え?」

「カズはわかる?」


 ぽかんとするカズの眼前に、ほっそりとした指先が近づけられる。ミユの頬が少しだけ赤いようにも見えるが、それでもなんだか楽しそうだ。


「付いてる粉のこと?」


 カズが訊き返した通り、たしかにミユの指先には褐色の粉末が付着していた。例えるならば、スナック菓子の残りかすのような感じだろうか。

 鼻先に匂いも漂ってきたのだろう、数瞬のあとカズは、「あ」と何かを思い出したような顔をした。


「ひょっとしてこれ、ドッグフード?」

「惜しいけど、ちょっと違うかな」

「じゃあキャットフード?」

「正解。私の家も猫を飼ってるんだけど、うちで使ってるのと同じやつだと思う」


 そうしてミユが教えてくれたところによれば、永田が発見したもうひとつのペット皿に入っていたのはドライフード、つまりシリアルみたいにカリカリしたタイプの、ポピュラーなキャットフードではないかということだった。また、雑食性の犬に対して猫は肉食性なのでキャットフードの方が高タンパク・高カロリー、かつ味付けも濃く作られており、犬にとっては「むしろ、ドッグフードより美味しく感じるの。そのぶん、食べ過ぎは禁物なんだけど」というものらしい。

 説明を聞き終えてから、ニッシーが確認する。


「じゃあなんにせよ、仮にフランがここに入ってたキャットフードを食っちまってたとしても、問題はないわけだ」

「ええ。でも、もしこれが頻繁に出されていて、フランがキャットフードの味に慣れちゃったりすればやっぱりよくないです。カロリー過多だし、犬としての本来の食事ができない味覚になっちゃう可能性だってありますから」


 本来は人間の患者が専門だが、ミユは看護師らしい答えをすぐさま返した。ニッシーも「ああ、なるほど」と素直に頷く。

 一方、ふたりの脇では永田とカズが並んで首を捻っていた。


「でもいったい誰が、なんの目的で?」

「だよな」


 と、すぐそばにある本館出入り口から、「どうです?」と全員に呼びかける声が届いた。マイキーだ。このメンバーが、フランのところへ行くのを許可してくれたのも彼女なので、様子を見にきたらしい。


「フラン、食べてくれました?」

「ええ。喜んで食べてくれてます。それはいいんですけど、ちょっと気になることが」

「気になること?」


 そのままカズが、別のペット皿の存在と、なかに入っていたであろうキャットフードについて説明すると、マイキーは意外な反応を返してきた。


「あらやだ。今日もあったんですか?」

「今日も?」

「ええ。ここ何日か、いつもふたつ目のお皿が置いてあるんです。気付くのは朝になってからだし、キャットフードが入ってたなんて知りませんでしたけど」

「いつもってことは……」


 永田は眉間に、しわを寄せた。仲間たちも同様の表情だ。


「ああ。あんまり考えたくないけど、毎日フランに会える人間、要するに俺たち訓練生の誰かがやってるんだろうな。ずっとフランの面倒を見てる職員の方々が、今さらやる可能性は低いだろうし。けど、なんでキャットフードなんだ?」


 カズの言葉に反応したのは、ミユである。


「誰かがこっそり、猫ちゃんを飼ってるとか?」


 猫という言葉で、「あっ!」と同時に声をあげたのは永田とニッシーだった。


「あの人!」

「ガマババア!」


 呼び方は対照的だが、ふたりはまったく同じ人物を思い浮かべていた。ガマババアこと、先ほどの講座で横柄な態度を取っていたおばさんだ。


「そうか! うちの猫ちゃんがどうとかって、たしかに言ってたもんな」


 カズも大きく頷く。


「ガマババアめ。タカシだけじゃなく、フランにまで勝手な真似してやがったのか。今度あいつの飯に、西浦農場特性の激辛ハバネロパウダーかけてやる!」

「そういえば今日のフランのお世話係も、ちょうど彼女の班だったはずです。ここはもう一発締めて……じゃなかった、あらためて注意しないといけませんね」


 ニッシーはさておき、マイキーまで「裏」モードになりかけて厳しい口調になるなか。「ちょっと待って」と冷静な声が割って入った。

 雪だった。


「本当に、そうなのかな」


 少しだけ困ったような顔をした彼女は、一歩ミユに近寄った。


「ミユちゃん」

「うん?」

「それ、貸してもらっていい?」

「え? いいけど、どうするの?」

「ちょっと確認したいことがあるの」


 問題のペット皿を受け取った雪は、続けてフランの方へ歩み寄っていく。


「フラン、お食事中ごめんね。もう一回いい?」


 雪がペット皿を差し出すと、ポトフから顔を上げたフランは、最初と同じように大きく尻尾を振って臭いを嗅ぎ出した。次に、やはり同じようにして、まずニッシーたちの方へと顔を向ける。

 ちょうど、そのタイミングだった。


()()()()()()()()()


 雪の口から意外な名前が、意外な要求とともに飛び出した。

「え?」

「タカシ?」


 間抜けな声を出したのは、カズとニッシーである。次の瞬間、ふたりに挟まれた位置で顔を強張らせるタカシの足下へ、フランが素早く駆けていった。それも嬉しそうな表情で、わかりすく尻尾を振りながら。


「さっきもこのお皿の臭いを嗅いだあと、タカシ君の方を見たんだよね、フラン」

「ワン!」

「でもタカシ君はさり気なく、ニッシーさんの後ろに隠れちゃってた」


 そうなんだよ、とでも言うように、フランはつぶらな瞳を雪とタカシへ交互に向ける。


「もうひとつのこのペット皿と、まるでセットみたいに、あなたに反応するのはどうしてかな?」


 もう一度、困った顔を雪がしてみせると、タカシはあっさりと白状した。


「はい……それ、僕です。僕が置いてました」 

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