第二話「なろうアンチ死す」
ホームルームを終えた担任が廊下を出ていくのを見ると、奈路安智は松崎に声をかけた。
「帰ろうぜ」
「まだ。これ読んでる」
そう答えた松崎が読んでいる文庫本の表紙を傾けると、奈路は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「うわ。なろう小説じゃん」
「なんだよ。別にいいだろ」
松崎が言い返す。
「面白いか? それ」
奈路は松崎が開いている、カラフルな表紙のライトノベルを嫌そうに眺めながら言う。
「面白いよ」
松崎は本を読み続けながら言った。
「あれだろ? 死んじゃった主人公が、神様にすっごい便利なチート貰って、なんの苦労もなく敵を倒してく奴だろ」
奈路が馬鹿にするように言った。
「それがいいんじゃん。何が不満なんだよ」
松崎は、奈路の嘲笑するような態度を全く気にせず言い返す。
「ピンチにならなきゃつまらないだろ。ドキドキハラハラが無いとさ。そもそも、何一つ困難が無いって、物語として成立してないじゃねえか」
奈路は力説する、今度は馬鹿にするような口調ではない。
話が盛り上がってきたが、周囲に人だかりはできない。奈路も松崎もクラスの人気者には程遠かった。
それどころか、クラスのやんちゃな連中が奈路と松崎を指差し、「キモくね?」などと割と大きな声で話始めるものだから、すぐに声はトーンダウンした。
「帰らんか?」
「今いいところだから。今日はこれ読んでから帰る」
「そうか」
松崎はこれと決めたら引かないやつだった。また、奈路とは違って、一人きりでいることも苦にならない。
「仕方ねえな」
奈路は一人で帰ることと、この空気の中の教室に残ることを天秤にかけた結果、帰ることを選択した。
「俺はもう帰るな」
「うん。お疲れ」
自分に指を差して笑っていた集団の前を通る。ビクビクしていたが、彼らの話題は他のトピックに映ったみたいだった。昨日の夜やっていたドラマの話をしている。
奈路が好きなのは少年マンガだ。最初は弱い主人公が、修行をして強くなって、どんどんと強敵たちを倒して、最後には世界を救っちゃったりなんかする。
その主人公達に比べたら、今の自分は、なんてカッコ悪いんだと思う。自分のことを馬鹿にしてきた相手に言い返すどころか、オドオドして、目を合わせることすらできない。
帰り道の途中、横断歩道の信号が赤になったのを見ると、奈路は鞄からスマホを取り出した。
異世界小説が頻繁に投稿されるサイトを開き、TOPページの新規更新欄から適当な小説を2、3作開くが、どれも奈路を満足させることはなかった。
「やっぱつまんねえなぁ」
信号が青に変わる。奈路はスマホを持ったまま歩いた。
自分の嫌いな異世界小説に夢中だったせいで、猛スピードで突っ込んできたトラックに衝突の瞬間まで気づくことはなかった。
衝突され、浮かび上がった身体がコンクリートにドサリと落ちたとき、奈路はようやく自分がトラックにはねられたことを理解した。
不思議なことに、痛みはない。
喉が詰まる不快な感覚が有り、それを吐き出すように口を開けると、ドロドロとした赤黒い血を吐いた。