☆長いおまけ 恋する王女は、実直な侯爵の従僕になることを夢に見る
「主従祭り」も最終日を迎えましたので、「おまけ」を付けてみました。
(新しい作品は、残念ながら浮かびませんでした……)
高等貴族学院の入学式に向かう馬車の中――。
グロリアーナ王女は、少し後悔していた。
フィリップ・コリガンの悪事の証拠を掴み、コリガン公爵家の力を削ぐためとはいえ、今日から退屈な高等貴族学院での生活が始まるのだ。
叔父であるラングトン公爵の娘グレースとして、学院に通う貴族の子女たちと親しくなり、フィリップに関する話を聞き出さなくてはならない。
貴族の子女と親しくする――それこそが問題だ、とグロリアーナは思っていた。
王家の血を引く者の証である紫紺色の瞳を隠すため、彼女は丸眼鏡をかけている。
学問が盛んなバルニエ王国では、丸眼鏡をかけた者は珍しくない。
学院の教授たちの多くがかけているし、丸眼鏡をかけた学院生もよく見かける。
だから、丸眼鏡には、地味、真面目、勉強熱心といったイメージがついて回る。
今回は、フィリップの醜聞を集めたり、場合によっては、彼を誘惑したりしなくてはならないのだ。それは、丸眼鏡女子に相応しい行動だろうか?
丸眼鏡女子は、色恋沙汰には興味も縁もないものと、世間は考えているのではないだろうか? 丸眼鏡女子は、フィリップ・コリガンなど眼中にはない――と。
噂好きな貴族の子女たちの変な注目を集めてしまっては、元も子もない。
「目立たぬように動くには、何か隠れ蓑が必要なのよね――」
グロリアーナがそう呟いたとき、突然、馬車が止まった。
同乗していた侍女が急いで馬車から降りていった。御者台では、御者がひどく苦しんでいる様子だ。急に腹痛に見舞われたようだ。
一台の馬車が、すぐ後ろに止まった。勢いよく扉が開き、男が一人降りてきた。
グロリアーナが耳を澄ませていると、侍女とその男の会話が聞こえてきた。
「道を邪魔して申し訳ありません。御者が急に苦しみ出しまして――」
「どちらへ向かっておられたのですか?」
「高等貴族学院の入学式でございます」
グロリアーナが、弱ったことになったと眉を曇らせていると、馬車の扉が開いた。
扉を開けた侍女の横には、実直そうな男が、にこにこしながら立っていた。
後ろの馬車から降りてきた男だ。
「なんという巡り合わせ! わたしも今、妹の入学式に参列するため、そちらへ向かうところです。どうぞ、うちの馬車にお乗りください!」
「ありがとうございます。しかし、こちらは三人連れです。馬車に乗りきれないのではないでしょうか?」
「えっ?三人? ……かまいませんよ! わたしが、こちらの馬車で御者を医者まで運びましょう。うちの馬車には、妹しか乗っておりませんので、三人ともお乗りになっていただけます。ささ、どうぞ、ご遠慮なく! わたしは、ダドリー・メイウッドと申します。お隣のグレネル王国から参りました。妹は、クラリスと申します。どうぞ、仲良くしてやってください!」
ダドリー・メイウッドは、グロリアーナの手を取り、自分の馬車へ案内した。
さらに、彼は、入学式が終わった後も御者を務め、グロリアーナたちを屋敷まで送ると約束してくれた。
(グレネル王国のメイウッド? そうか! この馬車に乗っている令嬢が、イブリンの手紙に書いてあったクラリス・メイウッドね。たいそう優秀で、バルニエの高等貴族学院へ留学し、いずれは官吏になることを目指しているという、グレネルにおいては稀少なご令嬢――。ということは、こちらの人の良い黒髪の青年が、兄のダドリー・メイウッド侯爵か。グレネル王家のお荷物王女・アリシアを押しつけられた気の毒な人――)
グロリアーナは、これは、都合の良い人物と知り合えたと思った。
留学生であれば、学院生の人間関係も知らないし、バルニエ社交界の事情にも疎いだろう。
クラリスが少し微妙な質問をしたり、皆が避けている話題に関心を示したりしても、誰もが仕方ないと思うのではないだろうか?
入学式へ向かう馬車の中で、いかにも真面目そうな丸眼鏡と、それとはやや不釣り合いな魅惑的な微笑でクラリスに近づいたグロリアーナは、異国での暮らしに微かな不安を抱いていたクラリスの心を、あっという間に掴んでしまったのだった。
* * *
「ベリンダもエミリアも、明らかにお付き合いしている方がいらっしゃる様子でしたわ。二人とも、近いうちに婚約が整うはずだけど、複雑な事情を抱えているから、まだ、相手の名前は明かせないと話していました」
「複雑な事情ねぇ……」
入学式から三ヶ月、すっかり親しくなったクラリスとグロリアーナは、学院のティールームで、定例の「情報交換」を行っていた。
グロリアーナは、父(実は叔父だが)の供をして参加した食事会などで耳に挟んだ、投資先として有望な事業や今年の農作物の出来に関することなどをクラリスに伝えた。クラリスは、その中から特に有用と思われる事柄を、手紙で兄に知らせている。
クラリスは、留学生ということで近づいてくる、お節介な、あるいは噂好きな下級貴族のご令嬢方から教えられた、学院生に関わる様々な話をグロリアーナに聞かせた。社交が苦手だということになっている彼女に代わり、クラリスはバルニエ社交界の人間関係をかなり詳しく調べ上げつつあった。
ベリンダもエミリアも、夢見がちな子爵令嬢で、社交界へのデビューがすんでからは、「真実の愛」を求めてサロンや舞踏会に盛んに出入りしている。
最近は、隣国の侯爵令嬢であるクラリスにバルニエ社交界を案内するとかいう、もっともらしい理由をつけて、さらに上位の貴族のサロンにも出かけていた。
傍目には、二人は大の仲良しのように見えるが、内心では、相手より少しでも良い条件の婚約者を手に入れようと、火花を散らしている。
そのことも承知の上で、フィリップは両方に婚約を持ちかけているのだろうと、グロリアーナは考えていた。
二人の相手というのは、フィリップ・コリガンなのだ。
グロリアーナは、クラリスとは別の情報源から、それを知らされていた。
もちろん、彼は二人のどちらとも婚約するつもりはない。
彼の狙いは、二人を利用して、さらに上位で財産もある家の令嬢と知り合うことだからだ。
「ねぇ、クラリス。近々我が家で、あなたの留学を歓迎する晩餐会を開こうと思うのです。ベリンダやエミリアにも、そのことを伝えてもらえないでしょうか? 二人ともあなたに親切にしてくださっているようですから、お招きしてもいいですよね?」
「まあ、グレース、そんな! わたしの歓迎晩餐会だなんて、恐れ多い――」
クラリスは、グロリアーナの申し出に恐縮して、泣き出しそうな顔になっていた。
学院の授業では、堂々とした態度で臆せず自分の意見を述べるのだが、根は慎み深くて生真面目なのが、クラリスの魅力だとグロリアーナは思っていた。
「遠慮しないでちょうだい、クラリス。父も母も入学式の一件以来、あなたとお兄様のことをとても気に入ってしまったようなのです。それに、もしかするとその晩餐会には、グロリアーナ王女もおいでになるかもしれません。
グロリアーナ王女は、わたくしの従姉妹にあたるのですけれど、人嫌いであまり社交の場へ姿をお見せにならない方なのです。でも、あなたにとても興味を持たれたようで、会ってみたいとおっしゃっているのですって――」
自分のことを、別人のように話すのはなかなか難しかったが、フィリップをおびき寄せるための餌として、自分の名を出すことをグロリアーナはためらわなかった。
晩餐会まで、およそ一か月。
フィリップは、人嫌いな王女に接近できるこの機会を見逃すことはないだろう。
ベリンダやエミリアから話が伝われば、どうにかして晩餐会へ来ようとするはずだ。
グロリアーナは、国王や公爵夫妻と念入りに打ち合わせをし、フィリップを罠に誘い込む準備を進めることにした。
* * *
何もかも、グロリアーナの思い通りに進んでいたが、いよいよ五日後が晩餐会というときになって、とんでもないことがわかった。
「申し訳ありません、グレース! わたしを歓迎するために晩餐会を開いてくださると兄に知らせたら、どうしてもお礼を申し上げたいと伝えてきて――。急ですが、兄が来ることになりました!」
「ダドリー様が?!」
「晩餐会用の新しいドレスを届けてくれるようですし、わたしの同伴役も務めてくれるそうです。あの、もし、ご迷惑でしたら、お礼を申し上げた後すぐに退席させますので――」
「いえいえ、迷惑だなんて……。そんなことありません。父も母もきっと喜びますわ!」
一番喜んでいるのは、わたしなのだけど――、とグロリアーナは心の中で呟いた。
ダドリーは筆まめで、クラリスの元には、毎週のように兄からの手紙が届いた。
家や使用人たちのこと、領地のこと、父母のことはもちろん、クラリスの友人たちの様子や王宮での出来事なども丁寧に知らせてきた。
クラリスは、必ず手紙の内容をグロリアーナに教えてくれた。
ときには、手紙を読ませてくれることさえあった。
手紙にはいつも、異国へ渡った妹の健康状態や人間関係を優しく気づかう言葉や、妹の勇気や向学心を讃える言葉が綴られていた。
同封されてくるメイドや侍従の手紙から、ダドリーにも様々な苦労や悩みがあるらしいことはわかるのだが、ダドリー自身が手紙で妹にそれをこぼすことはなかった。
ダドリーとは学院の入学式の日に会っただけだが、そのときの印象と手紙から伝わる彼の人柄に、グロリアーナは強く心を引かれていた。
グロリアーナは、彼の婚約者が、自分ではなくて、隣国のお荷物王女であることが悔しくてならなかった。
(ダドリーにまたあえるのね! 嬉しい! でも、困ったわね……。もし、フィリップが晩餐会に姿を見せれば、クラリスの友人のグレースとして、ゆっくりダドリーと話をする時間なんてなくなってしまう。もう、こんなことなら、いっそフィリップが来ない方がありがたいわ!)
しかし、迷惑な人間というのは、得てして、望むようには動いてくれないものなのである。
晩餐会当日――。
招待状を受け取った女性に上手く取り入り、フィリップは公爵邸にやって来た。
同伴者は、ベリンダでもエミリアでもなく、今は未亡人となった、先代のウォリナー侯爵夫人だった。
* * *
「フィリップ様は、お顔が広いから、ご高齢のご婦人やご夫君をなくされたご婦人のお知り合いも多いのよね。そして、そういう方たちを、とても尊重されているの」
「そういうご婦人に頼まれれば嫌とは言えず、本当にお連れしたい令嬢の方をお断りするぐらい、お心が広い方なのよね、フィリップ様は」
自分の誘いを断り未亡人とやってきたフィリップを、ベリンダもエメリアも良い方へ解釈し、非難することはなかった。
公爵令嬢グレースとして客たちを出迎えながら、ベリンダやエメリアのためにも、今夜フィリップの化けの皮をはぎ、国王の前へ突き出さねばと、グロリアーナは気持ちを引き締めた。
そんなとき、空色の美しいドレスをまとったクラリスが、息せき切って公爵邸の玄関に走り込んできた。
「ど、どうしたのですか、クラリス?」
「も、申しわけありません、グレース! 兄が、あ、あの、ここまで馬車で一緒に来たのですが、来る途中で騒ぎになっていた、孤児院の火事が気になると言って、馬車から降りるとそちらへ向かってしまいました!」
「ま、まあ、そ、それは――。今日は、あなたが主役なのですから、とりあえず、あなたは急いで控えの間へ入ってちょうだい! お兄様のことは、あとで誰かを見に行かせるわ」
「わかりました……。本当に、もう……。どうぞ、よろしくお願いいたします」
妹のために開かれた歓迎の宴に間に合わなかった兄は、人々の話題に上りはしたが、彼の行いを笑う者はいなかった。
いや、フィリップだけは、ちょっと小馬鹿にしたような物言いをしたが、それは、バルニエ王国の社交の場においては、無視されるたぐいの発言でしかなかった。
客があらかたそろった頃、グレースとして振る舞っていたグロリアーナは、体調が優れぬことを理由に退席した。
もちろん、グロリアーナ王女に変身するためである。
屋敷の奥まった場所にある客間に駆け込むと、そこに控えていた王宮の侍女たちに手伝ってもらいながら、大急ぎで髪型や衣装を変えた。
侍女らと共に裏口から出て、裏庭に隠してあった王家の馬車に乗ると、裏門を抜け、裏町を一回りしてから公爵邸に向かった。
事前の噂通り、グロリアーナ王女が到着したということで、人々は大いに盛り上がり、大興奮の中で晩餐会が始まった。
和やかな雰囲気の中、晩餐は円滑に進み、食事が終わると、男女に別れての休憩時間になった。
クラリスは、ご婦人方から様々な質問を受けたり、バルニエ王国の印象などを聞かれたりしていたが、いまだに到着しない兄のことが心配で、気もそぞろだった。
その頃、グロリアーナは、侍女も連れずに一人でテラスに出ていた。
実は、数日前、テラスから広間まで密かに伝声管が通されていた。
テラスでの会話は、広間に筒抜けになるように準備されていたのである。
テラスに立つグロリアーナに、何も考えず近づいていったのがフィリップだった。
休憩を終え、再び広間に集まった人々が、会話やお酒を楽しみ始めた頃、ついに我慢ができなくなったクラリスは、公爵家の執事に頼み屋敷の門で兄を待つことにした。
* * *
「グロリアーナ様、お久しぶりでございます。フィリップ・コリガンでございます」
「お久しぶり? 最後にお目にかかったのは、いつのことでしたかしら?」
「グロリアーナ様が三歳のときでございます。あの日、わたしは、『真実の愛』というものを知ったのです。あなたこそ、わたしの光、わたしの希望! わたしの『真実の愛』をあなたに捧げます!」
「あなたの『真実の愛』は、いったいいくつあるのかしら?」
「いくつ? たった一つです! あなたに捧げるものこそ、わたしの唯一の『真実の愛』なのです!」
広間にいた人々は、伝声管から聞こえてくる会話に耳を澄ませ、一言も聞きもらすまいと身を固くした。
「真実の愛」という言葉を聞いた途端、ベリンダやエミリア、そしてあと二名のご令嬢とウォリナー侯爵夫人が、悲鳴を上げながら倒れて休憩室へ運ばれた。
ご令嬢方の連れの男性たちは、こぞって怒りに震え、フィリップとの決闘を口にする者さえいた。本気かどうかは怪しいが――。
こうして、不誠実な男の不届きな行いを証言する者が、大量に誕生した。
当のフィリップは、伝声管のことにも気づかず、しつこく愛を語り続け、最後は公爵に呼ばれ客間の一つに連れて行かれた。
おそらく、今夜のうちに、しかるべき場所へ移送されることになるのだろう。
グロリアーナは、こっそり屋敷の奥まった場所にある客間に戻り、再びグレースに戻った。
広間にいた人々は、グロリアーナ王女は気分を害し王宮へ戻られたと、公爵邸の執事から聞かされても、誰一人疑問を抱くことはなかった。
そんな事件があったことなどつゆ知らず、門の前で兄を待ち続けていたクラリスは、よれよれになった服で走ってくる人影を見て驚いた。
「お兄様! どうされたのですか、そのお姿は?!」
「遅れて申し訳ない、クラリス! もう、晩餐会は終わってしまったのだろうね? 孤児院の消火活動を手伝って、炊き出しに力を貸していたら、このような姿になってしまった。これでは、とても公爵ご夫妻にも、グレース様にもお目にかかれない。わたしは、このままホテルへ帰るよ。おまえから、どうかよろしくお伝えしてくれ」
すすけた顔でくしゃくしゃの髪をかきながら、ダドリーはすまなそうにクラリスに言った。そして、両親から託されたお似合いのドレスを汚したくはないから、一緒には帰れないと、自分で辻馬車を探しに行ってしまった。
二人のやりとりを、グロリアーナは、玄関の柱の陰から見守っていた。
話は出来なかったが、ダドリーの姿を見られただけで満足だった。
(いい人なのに、何だかいつも損ばかりしているのね……。いつか、わたしがあなたの力になれる日が来るかしら? あなたのそばで、従僕のように、あなたのために何かできる日が――)
それは、グロリアーナにとって、叶うことのない夢だった――。
なぜなら、ダドリー・メイウッド侯爵には、アリシア王女という婚約者がいたのだから――。
そのときは、まだ……。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ジーンの気持ちを書いてみようかと思い、こんなおまけを付けました。