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③メイウッド侯爵、無口な従僕を褒められる

 ダドリー・メイウッドは、少し呆れていた。

 ようやく仕立屋から届いたジーンの新しい服は、仕上がってみれば、ジョセフのお下がりとたいして変わらぬ地味なものだったからだ。


「もう少し華やかなものになるはずだったのですが、ボタンやブレードも布と同系色のものを勧められ、レースや飾り金具などは断られ、このような落ち着いた服になりました。これが、昨今の流行だと仕立屋は申しておりましたが……」


 フレッドは、新しい外出着を身につけたものの、よりいっそう地味になったジーンを見て、何度も首を傾げていた。


 ダドリーには、わかっていた。

 マートン侯爵家で起きた駆け落ち騒動以来、どこの家でも、見てくれがいいだけの従僕をお払い箱にしてしまった。

 誰もが、妻や娘が従僕と恋仲になる可能性に思い至ったからだろう。

 代わりに貴族たちは、「メイウッド侯爵家のような従僕を!」と、口入れ屋に頼むようになった。


 口入れ屋は、地味で控えめで堅実な従僕を求めて、地方にまで人捜しに出かけて行った。

 そんな従僕に相応しい服を売り込もうと、仕立屋は、簡素で丈夫で働きやすい服の見本を手に、貴族たちの屋敷を訪ね回っていた。


(もしかすると、こいつのおかげで、我が家は流行の源となってしまったのかもしれないな?)


 そんなことを考えながら、ダドリーは、フレッドに教わり、銀器を磨くジーンの後ろ姿を眺めていた。


 * * *


 ダドリーは、翌週はスタイナー侯爵夫人の誕生日の茶会に誘われていた。

 彼女も、ダドリーの母の昔なじみの一人で、領地の母からは、お祝いのカードとともに美しいレースのストールが、ダドリーの元に届いていた。

 それとは別に、ダドリーは、自分からの贈り物として、花束や金線細工のブローチを用意した。


 その日も、ダドリーは、ジーンが御する馬車に乗って、スタイナー侯爵の屋敷へ向かった。

 すっかり御者の仕事にも慣れたのか、ジーンは鼻歌交じりで手綱を握っていた。


 ジーンは、屋敷では必要最低限の言葉しか口にしない。

 あるじであるダドリーでさえ、返事以外にジーンの声を聞かない日があった。

 だから、ジーンの鼻歌がやけに可愛らしく聞こえてきて、ダドリーは、また狼狽えてしまったのだった。


 ほどなく、スタイナー侯爵の屋敷に到着したが、扉はきっちりと閉まっていた。

 中に人の気配はあるが、ジーンがノッカーを鳴らしても、誰も出てこなかった。

 しかたなく屋敷に戻ってみると、屋敷が大変なことになっていた。


「ダドリー! みんなであなたを待っていたのよ!」

「あなた、お母様から何か聞いているのではなくて?」

「知っていることがあるのなら、教えてちょうだい!」


 パートリッジ侯爵夫人をはじめとする、ダドリーの母の友人たちが五人、屋敷の居間に居並んでいて、帰宅したダドリーにぐいぐい詰め寄ってきた。

 みんな、今日の茶会に招かれていて、ダドリーと同じ目に遭ったという。


「いくら呼んでも誰も出てこないし、でも、留守というわけでもないようだし……。あなたなら事情を知っているかと思って、みんなで連絡を取り合って、こちらへ集まることにしたのよ」

「いえ、わたしも何も存じ上げません。ご覧のように、事情を知らずにのこのこ出かけて行って、今、帰ってきたところです」


 ご婦人方の華やかな衣装と濃厚な香水の香りで、それなりに広いはずの居間が、ダドリーには異常に狭く感じられた。

 彼が、身の置き場に困っていると、扉をノックしてダドリーの許しを得た後、ジーンが大きなワゴンを押しながら居間へ入ってきた。


「まあ、これが、噂の『理想の従僕』ね!」

「あのラングフォード公爵夫人の保証書付きの従僕よ!」


 ご婦人方は、囁きを交わしながら素早く長椅子に腰かけ、優雅にジーンの給仕を見つめていた。

 茶の支度が調うと、ジーンが小さなかすれた声で言った。


「ダドリー様、わたくしから申し上げたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 ご婦人方は、いっせいにジーンの方へ身を乗り出し、小さな声を聞き取ろうとした。

 客を前にして、従僕があるじに進言するなど、滅多にないことなのである。


「ああ、失礼にならないことなら、別にかまわないよ」

「では、お言葉に甘えまして――」


 ご婦人方は、地味で目立たぬ従僕が何を語り出すのだろうかと、固唾を飲んで見守っていた。


「実は一昨日の晩、フレッドさんに誘われて、下町の大きな酒場へ参りました。領地の執事のゴードンさんがいらしていて、旦那様が外出を許してくださった晩です。フレッドさんは、お疲れが貯まっていたようで、すぐに酔って眠ってしまいました」


 ダドリーは、思い出した。

 アリスによると、二人はずいぶん遅くに、辻馬車で帰ってきたが、酔ってふらふらしているフレッドをジーンが親身になって介抱していたそうだ。


「酒場に、ひときわ大きな声で騒いでいる男がおりました。あれこれと口うるさい奥様がいらっしゃるお屋敷で働いている者だと申しておりました」


 五人のご婦人方は、それぞれ身に覚えがあったようで、一昨日酒場に出かけた使用人がいたかどうか思い出そうと、揃いも揃って宙を見つめていた。


「そして、その男はこう言ったのです。『奥様は、何にもわかっちゃいないのさ! 旦那様は、奥様のやかましさにうんざりして、とうとう若い後家さんを囲っちまったんだよ! 紳士クラブに行くとか、取引のある商会を訪ねるなんてのは、ぜ~んぶ嘘っぱちさ! 後家さんのところに入り浸っているんだよ。従僕の俺が言うんだから、本当のことだよ! 若い後家さんってのは、昔、奥様の侍女を務めていた女でさ。もしかするとその頃から、旦那様とは、そういうことになっていたのかもしれねえな! ワハハハハハ!』――。あとで、酒場の亭主に尋ねたところ、その男はスタイナー侯爵家の従僕だということでした」


 ご婦人方の一人が、「ヒィィィーッ」と悲鳴を上げて倒れてしまった。

 ジーンが、変な作り声をして異常に生々しく男の言葉を再現したので、神経が繊細なご婦人は、その刺激に耐えられなかったのだ。


「ど、どうして、今日、スタイナー侯爵家へ行くとき、わたしにそのことを言わなかったんだ?!」


 いつも穏やかなダドリーが、さすがに声を荒げて問いただすと、ジーンは小さなかすれ声で答えた。


「フレッドさんから、『従僕には、目と耳はあっても口はないようなものだ。どこで何を知ろうとも、主の心を悩ますようなことは、けっして口にしないのが従僕の務めだ』と、教えられました。スタイナー侯爵夫人は、大奥様のご友人で、ダドリー様とも親交があるお方だと伺っております。ダドリー様は、スタイナー侯爵家の醜聞などお聞きになりたくないだろうと考え、黙っておりました。

そうは申しましても、ダドリー様が、ご婦人方から詰め寄られお困りのようでしたので、お役に立つかと思い、差し出がましいようですがお話しさせていただいたのです。それだけのことでございます。それでは、皆様、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」

 

 ジーンは、軽く頭を下げると、足音一つ立てずに居間を出て行った。


「なんと素晴らしい! 従僕の鏡ね!」

「いくら地味でも、おしゃべりな従僕は願い下げだわ!」

「酒場で酔って、主の醜聞を広めるなど、言語道断よ!」

「従僕は、無口が一番! うちの従僕にも、よく教えなくては!」


 ご婦人方は、スタイナー侯爵家の事情がわかり、早速、夫人をなぐさめるための茶会の計画を立て始めた。

 そして、自分の立場をよくわきまえていると、ジーンを手放しでほめそやした。

 あるじとして賞賛の声を浴びながら、ダドリーは思った。


(今日、ジーンのやつは、楽しそうに鼻歌を歌いながら馬車を御していた。スタイナー侯爵家が、どんな騒ぎになっているか、想像がついていたんじゃないのか?! う~ん……、あいつは無口であっても、相当腹黒な従僕かもしれないぞ!)


 ダドリーは見てしまったのだ。

 居間の扉を閉めるとき、振り向いたジーンが一瞬、また、形の良い唇の端をきゅっと上げて妖艶な笑みを浮かべるのを――。


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