085 エイトな彼女はスリーに夢中
あっという間にアパート四棟分の監視カメラを粉砕し、荒谷が地上へ下りてくる。
「ここは片付いた。また少し移動しよう」
「そうだね」
芳賀は頷き、踵を返した。
五人の先頭に立っているのが、彼と菅井の二人だ。回避と停止はいずれも強い能力だが、残念ながらカメラの破壊においてはさほど役立ちそうもない。そこで、管理者が現れた場合の護衛として、彼らは他の面々を守っているのだった。
お互い、グループの長として話題には事欠かないのだろう。今後の方針、敵への対抗策などについて、両名は熱心に話し合いながら歩いた。
その二人が話し込んでいるので、自然、荒谷は女性陣を話し相手とすることになる。芳賀たちを邪魔するのは気が引けたし、唯と和子に話しかけないでいるのも、「せっかく和解したのに、何も話さないのは気まずい」と思われた。
「さっきはありがとな。おかげで、前よりも手っ取り早く進んだよ」
礼儀として、まずは力を貸してくれた唯へ話しかける。それだけで彼女は嬉しそうだった。
「いえいえ! このくらい、大したことじゃないし」
台詞だけだと不愛想、あるいはツンデレ気味な印象を受けるかもしれないが、唯は満面の笑みを浮かべていた。
「ていうか、感謝するのは私の方だよね。この前、助けてくれて本当にありがとう」
「まあ、当然のことをしたまでだ」
荒谷も荒谷で、感情をストレートに表現するのがやや苦手なタイプである。目を逸らし、飾らずにそう告げただけだった。
(……か、かっこいい!)
しかし、どういうわけか、唯の目にはそれが非常に魅力的に映ったらしい。長く伸びた黒髪も、覇気のないやさぐれた雰囲気も、今の彼女は全て「クール」の一単語で解釈することができた。
(何て謙虚な人なんだろう。ヤバい、めちゃくちゃタイプかもしれない)
荒谷へうっとりした視線を送る彼女を、和子は不思議そうに見つめていた。内気で引っ込み思案な和子は、恋愛には疎い方である。
この二チームを編成する際に、九人の「ナンバーズ」は一堂に会している。そこではチーム決め以外にも、簡単な自己紹介が行われた。菅井たちの勢力と合流するにあたっては、連携を強化するのも大切になる。
会合の席での自己紹介。そのとき聞いた名前を、唯ははっきりと記憶していた。
「あ、あの、荒谷さん」
「付き合ってもらえませんか」と続けようとして、彼女は我に返った。
(……私ったら、何を言おうとしてたの⁉)
慌てて口をつぐんだのを、布マスクが隠してくれて助かった。勢いあまって、思いの丈を打ち明けてしまうところであった。
(焦るな、自分! もっと慎重にいかなくちゃ)
怪訝そうな顔をしている荒谷へ、唯は精いっぱいの自然な笑顔で続けた。
「……荒谷さんって、気になってる人とかいるの?」
「いるけど」
それが何か、と彼は目で問うてくる。予想外に軽いノリに、唯の心拍数は跳ね上がっていた。
(えっ、ちょっと待って。何なの、その思わせぶりな態度は。まさか、私に気があるってことかな。いや、いくらなんでも、そんなご都合主義な展開はないでしょ)
が、次の一言で幻想は打ち砕かれた。
「というか、付き合ってる人がいるから」
「……付き合ってる人?」
ショックが大きすぎて、オウム返しに呟くことしかできない。
遅かったか。唯はポーカーフェイスを保つのも忘れ、がっくりと肩を落とした。
荒谷匠は、恋人の咲希に言わせれば「国宝級のイケメン」である。本当に国宝級かどうかはさておき、どこか斜に構えたような彼のオーラは、ある種の女性を惹きつけてやまないらしかった。
唯もまた、その例外ではなかった。
「ええと、その人っていうのは、この街に来る前に付き合ってた人? それとも」
「いや、こっちに来てからだ」
めんどくさそうに頭を掻き、荒谷が応じる。彼にしてみれば、「何でこいつはそんなことを知りたがってるんだ」程度の認識だった。
「……そっか。変なこと聞いちゃって、ごめん」
寂しそうに微笑んで、唯はうつむいた。
荒谷が誰と交際しているのか、彼女は知らない。おそらくは芳賀の陣営にいる誰かなのだろうが、今重要なのは「交際相手が誰か」ではなく、「彼に交際相手がいた」という事実の方である。
フィクションのように都合のいい奇跡なんて、現実には起きない。魅力的な異性には既にパートナーがいた、なんてのはよくある話だ。
「唯ちゃん」
小声で名前を呼ばれて、ふと顔を上げる。
胸の前でぎゅっと手を握り、和子は自分のことを見つめていた。あるいは、彼女なりに励まそうとしてくれているのかもしれない。
「諦めないで。唯ちゃんなら、きっとできるよ」
「……そうかな。無理だと思うけど」
「ううん。できるよ」
皮肉なものだ。事あるごとに叱咤激励してきた親友に、今度は逆に、自分が励まされているのだから。
けれども、友達からの応援ほど心強いものはない。和子から勇気をもらい、唯は自分自身を奮い立たせた。
再び想い人へ向き直り、一生懸命に言葉を紡ぎ出す。
「荒谷さん。彼女がいる人を好きになっちゃいけない、なんて法律はないよね」
「何を言って……」
そこまで口にして、彼は赤くなった。唯の言わんとするところを理解したのだ。
「私、諦めないから」
照れたように笑うところまでが限界だった。急に恥ずかしさがこみあげてきて、唯は両手で顔を覆った。和子の手を引き、照れ隠しにててっと走り出す。
「行くよ、和子」
「わわっ、待ってよ唯ちゃん」
先を行く芳賀、武智に追いつくほどの勢いで、二人はペースを上げた。
「……やれやれ」
一人取り残された荒谷は、困ったように肩をすくめた。




