073 4人目の管理者
「そんな、リーダーが」
手で口元を押さえ、和子はよろよろと後ずさった。今目にした光景を信じられないようだった。
「美音さんが、やられるなんて」
状況は悪くなる一方だった。否、最悪に近い。
小笠原美音は、スチュアートによる不意打ちで死亡。武智将次はオーガストと交戦中だが、風の刃では彼の皮膚を突き破れず、ほとんどダメージを与えられていない。そしてサブリーダーの菅井も、アイザックの雷撃を喰らって戦闘不能に陥っている。
「ぼうっとしてる場合じゃないでしょ!」
バシン、と彼女の肩を叩き、唯が声を荒げた。
「早くここから逃げるよ。皆の誘導を手伝って!」
「でも、美音さんが」
自分でもどうしたいのかよく分からなくて、和子は口ごもった。
スチュアートと名乗る怪人のやり方は、実に卑怯だった。姿を消してリーダーへ近づき、背後からの一撃で仕留めるなど、正々堂々とした戦い方とは程遠い。尊敬する美音が、そんなひどい殺され方をしたことは許しがたかった。仇を討ちたい、と強く思った。
けれども、「自分がここに残ったところで、何ができるんだろう」という思いもある。和子の戦闘能力は決して高くはない。チームの主戦力である美音、武智、菅井の全員を蹴散らすような相手に、敵うはずもなかった。
戦いたい、でも戦っても勝てない。矛盾した思いが、心の中にもやもやと渦を巻く。
「私だって、美音さんのために何かしたいのに」
「……馬鹿。和子の、馬鹿っ」
強い口調で怒鳴られ、さすがに和子もむっとした。が、唯を見つめ返すと怒りは薄れた。
唯は泣いていた。大粒の涙をぽろぽろこぼし、泣きじゃくっていた。泣いて時折声を詰まらせながらも、仲間たちに指示を飛ばしていたのだ。
「分からないの? あの化け物たちは強い、私たちが勝てる相手じゃないって。美音さんだって、私たちが皆殺されることは望んでないはずでしょ?」
「……ごめん、唯ちゃん。私、どうかしてた」
すん、と鼻をすすり、和子が目元を拭う。いつしか彼女も泣いていた。
それから、恐怖と混乱の最中にある同志たちへ振り向き、二人は言った。
「皆、撤退するよ!」
だが、返ってきた声はほとんどない。パニック状態になった仲間たちは、避難指示も耳に入らず、我先にと倉庫から逃げ出そうとしていた。統率のとれていない人の波が一斉に動いたため、かえってもたついている。
冷たくなった美音の遺体へと屈み込み、スチュアートは腰の金属バンドへ手をやった。そこへ吊るしてある板状の端末を、トリプルゼロへと向ける。
彼女の全身をスキャンし、データをモニタールームにあるパソコンへ転送。そこでの分析結果を、深緑の怪人は手元の端末に再送信し、表示させていた。
その間、彼は端末をサンプルへ向けているだけで、特にこれといった操作はしていない。
スチュアートが装着している武装デバイスは、完全思考操作タイプだ。使用者の意志を読み取り、その通りに各アビリティーを発動する。携帯端末にも、同様のギミックが仕込まれていたというわけである。
「なるほど。私の仮説は正しかったというわけか」
分析結果に目を通し、スチュアートが独り言ちる。
「トリプルゼロには、肉体変化の傾向が一切見られない。特定のナンバーを持つ者ばかりがグループを形成しているから、まさかとは思っていたが……『ナンバーズ』には薬剤の耐性があることが、これでようやく裏付けられたな」
彼の考えている通りなら、やはり菅井たちは排除すべき異分子だ。怪人化することなく、強い力を振りかざす被験者は邪魔者でしかないのだから。
しかし、交渉の余地がないわけではない。
「……ケリー、そろそろ君も動いたらどうだ? 迷える子羊が逃げてしまうよ」
スチュアートの視界の端には、倉庫から逃げ出そうとする和子と唯、他の被験者たちの姿が映っていた。
「言われなくても分かってるわよ」
やや不機嫌そうな声と共に、一陣の風が吹き抜けた。
ターゲットを逃がさぬよう、四人目の管理者が戦場へ馳せ参じる。
紺色の影が走り抜けた、と思った直後、その怪人は和子たちの行く手を塞いでいた。倉庫の出入り口を遮り、「ふふっ」と蠱惑的に微笑む。
「そんなに怖がらなくていいのよ? 別に、今すぐ殺そうってわけじゃないんだから」
ネイビーブルーの皮膚に全身を覆った、女性型の怪人。僅かに丸みを帯びた肢体、胸の膨らみは、人間の女とよく似た特徴である。
ただし決定的に異なるのは、その俊敏性と瞬発力だった。目にも止まらぬ速さで駆け抜け、彼女は瞬時に十メートル以上の距離を移動していたのだ。
「……和子、行くわよ!」
「う、うん!」
完全に逃げ場を失い、おろおろしている仲間たち。もはや抵抗する気力すら失いかけている彼らをよそに、唯と和子は勇敢にも立ち向かった。
唯が手渡した鉄パイプを、和子がガトリング砲へと変形させる。和子の背に手を当てて、唯がその能力をブーストする。
ガガガガ、と凄まじい音を立てて、ガトリング砲が火を噴いた。何発もの銃弾を撃ち出し、ケリーと呼ばれた管理者を蜂の巣にしようとする。
けれども、敵の方が一枚上手だった。ダン、と地面を蹴り飛ばしたかと思うと、ケリーは瞬く間に和子の正面へと踏み込んでいた。
「――お嬢ちゃん、命は大切にしなきゃダメよ?」
さっと振るわれた左手の爪が、ガトリング砲の銃身を切断する。からん、と間抜けな音を立てて、金属の塊が落下した。
「たてつく相手を間違えたら、取り返しのつかないことになるんだからね」
気づけば、和子の喉元にはケリーのかぎ爪が突きつけられていた。その気になれば、いつでも獲物の命を奪える距離だった。
「あ……」
完敗だった。
唯のサポートを得ても、自分には何もできなかった。悔しくて、悲しくて、あとからあとから涙がこみ上げてきた。
(もう終わりだ。私もここで、美音さんと同じように殺されちゃうんだ)
ひっく、ひっくとしゃくり上げ、和子は大泣きしてしまった。彼女の後ろでは、唯がへなへなと座り込んでいる。
絶体絶命と思われたが、なぜかケリーは止めをささなかった。それ以上の攻撃を加えようとせず、しきりにスチュアートの方を見ている。
「あいつも性格悪いわよね。こんなか弱い女の子たちに、同族殺しをさせようっていうんだから」
彼を非難するようにもとれる台詞だけれども、かといって、ケリーは和子たちに同情しているわけでもなかった。
モルモットはモルモットだ。それ以上でもそれ以下でもない。




