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サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
6.追憶のトリプルゼロ編
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070 心の中の音楽

「でも、どうやって踊るんです? この街には、音楽プレーヤーも楽器も何もないんですよ。曲がないんじゃ、踊れないじゃないですか」


「大丈夫、大丈夫」


 ざわめきだした群衆を身振りで落ち着かせ、美音はにこにこ笑っていた。


「人の心の中には、いつだって音楽が流れているのよ。たとえ楽器がなくたって構わないわ。皆の中に眠っている音を響かせればいいの」



 そういえば、いつだったか話してくれたことがある。


 街に来る前、トリプルゼロこと小笠原美音は音大生で、ピアノを専攻していた。数々のコンクールに出場し、賞をとったことも少なくないという。


 ピアノを弾けない環境に放り込まれたことは、ある意味、彼女にとっては死と同義だ。自らの才能を最も輝かせられる舞台を奪われ、元の生活へ戻れるかどうかも分からないのだから。


「皆、『カントリー・ロード』っていう歌は知ってるよね?」


 だが、美音は絶望したりしなかった。むしろこんな状況だからこそ、音楽で仲間たちを勇気づけようとしたのだ。


「一緒に歌おうよ。いつか、この街から出られることを祈って」



 反対意見は出なかった。


 大声で歌えば敵に見つかる恐れがあるため、声量は心持ち抑えることを条件に、ささやかなダンスパーティーが始まった。


 美音の指示で、女性が内側に小さな円をつくる。それを囲むように、男性が一回り大きな円をつくる。


 やり方は単純である。男女でペアを組み、一通りステップを踏んだら次の相手と交代する。男性側がステップごとに左へずれていき、違った相手とダンスするというものだ。


「ステップは何となくで大丈夫だよ~」


 ダンス未経験の者も、美音のゆるふわ笑顔に励まされたようだ。最初は小さな声だったが、徐々に歌声は力強くなり、しっかりとしたメロディーを形成する。



 カントリー・ロード

 この道 ずっと行けば

 あの街に続いてる 気がする

 カントリー・ロード


「楽しいね、唯ちゃん」


「……ま、まあね」


 唯の隣で、和子は屈託のない笑顔を浮かべている。男性たちにリードされて踊り、唯もまんざらではなさそうだった。


 思えば、この街に来てから、気の休まるときなんてほとんどなかった。この瞬間だけは、心を癒すことができるように感じた。


 いつか自分たちは、故郷の街へ帰れるのだろうか。血に濡れた道を歩き続けた先に、何が待っているのだろうか。



 歩き疲れ たたずむと

 浮かんでくる 故郷の街

 丘をまく 坂の道

 そんな僕を 叱っている


 歌詞は二番に入り、皆の歌声も一つにまとまってきた。


「武智くん、ステップめちゃくちゃじゃん」


「あ、ああ。すまん、リーダー」


 順番が巡りに巡って、ついに武智は美音とペアになっていた。


 細く白い手を握るだけで、緊張が半端ない。美しい笑顔を真正面、しかも近距離から向けられて、武智はガチガチになっている。 


「右、左、回ってお辞儀。こんな感じでいいんだよ?」


 おかしそうに笑い、美音はさっそく実践してみせた。右足、左足の順につまさきをちょこんと前へ出し、武智の手を取って、その場でくるりと一回転。最後は心なしか顎を引き、うやうやしく一礼する。


 一連の動作の全てが優雅で、武智は思わず見とれてしまっていた。


「じゃあね」


 バイバイ、と手を振り、美音が次の相手へと移る。


 彼女へ何か言おうとしたけれども、上手く言葉にならなかった。



 どんな挫けそうなときだって

 決して涙は見せないで

 心なしか 歩調が速くなっていく

 思い出 消すため


「……ねえ、菅井くん」 


「何ですか?」


 武智のように無様なステップは踏まない。菅井のダンスは洗練されていて、美音のそれといい勝負だった。


 彼の手を取って、美音が微笑を浮かべながら一礼する。そして顔を上げ、彼女は一瞬だけ笑みを消した。ひどく真剣な表情だった。


「もしも私に万が一のことがあったら、そのときは菅井くんに後をお願いしたいの」



「やめて下さいよ。縁起でもない」


 菅井は眉をひそめた。


「美音さんが他の奴らに負けるなんて、考えられません。それに、今日はせっかくのダンスパーティーなんです。不吉なことは考えず、楽しくやりましょう」


「……そうね。うん、そうだよね。ごめん」


 変なこと言ってごめんねー、と彼女は何度も謝ってきた。おかげで、次のダンス相手へ移るのが遅れたほどだ。


 今思うと、あのとき既に、美音は何かに気づいていたのかもしれない。


 彼女はあらゆる自然現象に干渉できる。空気の流れの僅かな変化、侵入者の体から放たれる微かな体温――そういった細かな事象を察知し、言語化しがたい不安に襲われていたのかもしれない。


 これがリーダーと交わす最後の会話になろうとは、菅井は思いもしなかった。



作中で引用した楽曲:「カントリーロード」本名陽子 1995年、初版リリース。

アメリカの歌手ジョン・デンバーが1971年に発表した「Take Me Home, Country Roads」(邦題:故郷へかえりたい)を日本語に訳してカバーしたもの。

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