066 自分を誤魔化さず
「ねー」とニコニコ微笑む陽菜。「お、おう」と能見。
距離が近いこともあって、能見は思わずどきりとした。
多分、彼女は感情の赴くまま、無自覚にスキンシップを取っているだけなのだろう。けれども、ウェーブのかかった毛先が時折手に触れたり、うなじの辺りから甘い匂いが香ってきたりと、否が応でも女らしさが強調される。
「……ゴホン」
芝居がかった仕草で、芳賀はもう一度咳払いをした。それから、二人を一瞥した。
「そこの二人も、真面目にしてくれるかな?」
「べ、別にイチャイチャしてなんかないもん。咲希ちゃんたちと一緒にしないで」
むうっ、と膨れっ面になって陽菜が抗議する。
「ちょっと何なのよ、その言い方⁉ あたしだってね、あんたみたいな『遅れてる』子と一緒にされたくないわよ」
「遅れてるって何ですか⁉ 私はただ、そういうことは、本当に好きになった人としたいって思ってるだけで……」
ぎゃあぎゃあ、と軽い言い争いを始めてしまった女性陣。その傍らで、能見はため息をついていた。
「静粛に」と芳賀が叫び、二人を落ち着かせようとする。荒谷が咲希を、能見が陽菜をなだめて、何とかその場は収まった。
やがて話し合いを仕切り直しても、結論らしい結論は出なかった。
現状、能見たちの戦力でアイザックら管理者に勝てるかは分からない。勝利を確実なものにするためには、戦力増強が不可欠だ。
しかし、菅井たち他の「ナンバーズ」と手を組むのは、彼らへの悪感情も手伝って難しい。
どうすればいいんだ、と能見は頭を抱えた。
同時刻、菅井たちもミーティングを行っていた。
海上都市の東側を支配下に置くのが芳賀のグループなら、菅井率いる戦力は西側を統括している。芳賀たちが住んでいるのとよく似た間取りの部屋に、四人は集まっていた。
「それで、話したいことというのは何だ?」
段ボール箱で作った椅子――和子の能力で作ったもので、背もたれや肘掛けのついた本格的なモデルだった――に腰掛け、菅井が尋ねる。
なお、椅子に座っているのは彼だけだ。これに腰を下ろすのは、グループのリーダーのみ。ずっと前から、そう決められている。
「実はな」
唇を舐め、ややもったいぶるように間を開けてから、武智は思い切って口火を切った。
「もしかして俺ら、管理者に対抗できるんと違うんかなー、と思って」
「……何だって?」
菅井の目が細められ、みるみるうちに視線が厳しくなる。だが、武智は臆せずに続けた。
「リーダーも昨日見たやろ? トリプルシックスたち、なかなかやるわ。何と言ってもあいつら、あのオーガストを無力化したんやで」
彼が回想しているのは、以前、オーガストと交戦したときのことだった。武智の攻撃のことごとくを弾き返し、黒の怪人は恐るべき防御力で襲いかかってきたのだ。
それを能見たちは、ものの見事に撃破してしまった。武智の心の中に、失いかけていた希望が再び芽生えた。
「馬鹿なことを」
静かに息を吐き出し、菅井が首を振る。
「……武智。お前もあの日、嫌というほど思い知ったはずだ。俺たちは管理者に勝てず、奴らに従う以外に生き残るすべはないとな。まさか、忘れたわけじゃないよな?」
「当たり前や。忘れるわけないやろ」
ギリッ、と武智は奥歯を噛みしめた。
「けど、俺たちがいつまでもこんなことしとったら、美音さんは死んでも死にきれん。それでもええんか」
「……ねえ、ちょっと」
顔色を変え、唯が武智に詰め寄る。フードに隠れた顔は強張っていた。
「やめてよ。あの人の名前を、軽々しく口にしないで」
「何がいかんのや、この石頭。俺は事実を言っとるだけやで」
「……ふ、二人とも、やめて下さいよっ」
険悪なムードになった彼らを前に、和子はおろおろしていた。視線が左右に動くたびに、ボブカットにした黒髪がゆらゆら揺れている。
「落ち着け、皆」
よく通る声で、菅井が一喝する。二代目リーダーの気迫に、思わず三人は黙り込んでしまった。
「まず武智、お前の提案は却下だ。……お前は元リーダーの気持ちを考えていない。彼女はきっと、俺たちだけでも生き延びてくれることを望んでいるはずだ。そう信じて、俺たちは四人になっても戦い続けてきたんじゃないか。だろ?」
「冗談やない。『戦い続けてきた』って言えば聞こえは良いかもしれんけど、要は管理者のパシリにされてたってことやろ。そんな誤魔化しじゃ、俺は納得できん」
「――誤魔化し、か」
菅井は何度か瞬きをした。武智に指摘されて初めて、自分の抱えた矛盾に気づいたようだった。
「確かにそうかもしれない」
「えっ?」
「俺たち四人は皆、何かしら自分を騙してきた。都合の良い嘘と、曲解した事実に溺れてきた。そうでもしなければ、現実を受け入れられなかった。そうだろう?」
「まあ、そうやな」
リーダーが急に態度を変えたので、武智はやや拍子抜けしているようだった。だが、彼の気持ちが容易に理解できた。
ナイフを振るうたびに、銃を撃つたびに、本当は苦しかった。「許してくれ」と祈るような気持ちで戦ってきた。管理者たちに命じられるがまま、彼らはサンプルを回収し、抵抗された場合にはその命を奪ってきたのだ。
板倉や愛海だけではない。芳賀が支配していない他エリアでも、何人かの被験者が既に覚醒していた。彼らを殺したのは自分たちだ。
そして、ついには他のナンバーズをも仕留めるように命じられた。
平気なふりを装ってこそいたが、能見たちと交戦している間ずっと、菅井たちは逃げ出したくて仕方なかった。怪人化した被験者を殺すのには慣れたものの、生身の人間を始末するのにはどうしようもなく抵抗があった。
必死で演技しなければならなかったのには、わけがある。管理者は絶えず自分たちを監視している。少しでも怪しまれれば消されるのだ。
けれども、そんな日々ももう限界だった。四人は皆、良心の呵責に耐えられなくなっていた。
「……上手くいくかどうかは分からないが、一度トリプルシックスたちと話し合おう」
長い沈黙ののち、菅井はこう言った。
「戦う意志がないことを示し、状況を説明すれば分かってくれるはずだ。そう信じて、彼らと真剣に向き合う以外に道はない」
はたして、反対する者は誰もいなかった。三人は無言で頷き、リーダーに従った。




