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サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
4.「新たなるナンバーズ」編
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050 巨大な敵、立ち向かう勇気

 気がつくと能見は、布団に寝かされていた。陽菜と二人で暮らしている、自室の天井が見えた。


(そうだ。俺は、菅井たちにやられて……)


 ぼんやりしていた意識が、冷水を浴びせられたように急にはっきりする。


 斬られた腹には、包帯が巻かれている感触がある。誰が自分をここまで運び、助けてくれたのか。その答えはすぐ明らかになった。


 能見の側で正座し、うつらうつらしている陽菜。寝る間も惜しんで、彼女は自分を看病してくれたのだろう。陽菜自身も怪我しているはずなのに、無理をしたものだ。



「ふにゃっ」


 能見が起きたことに気づくと、彼女は猫みたいな声を漏らした。ぶんぶん首を振り、自分の頬をぺちぺち叩いて眠気を追い払う。


 それから、精一杯の笑顔で彼を迎えた。どこか、強がっているような印象を受ける笑顔だった。


「ごめん、寝ちゃってたみたい。能見くんも起きた?」


「ああ。手当てしてくれて、ありがとうな。だいぶ痛みが和らいできたみたいだ」


 上体を起こしながら、能見は軽く頷いた。



 命に別条はないらしい。元気そうな様子に、陽菜がほっと表情をほころばせる。


「能見くんだけでも無事でいてくれて、本当に良かった。能見くんがいなかったら、私……」


「陽菜さん」


 その言い方に引っかかりを覚え、能見は口を挟んだ。


 問うのがためらわれる質問だったが、真実から目を背けたくはなかった。迷う素振りを見せつつも、彼は重々しい口調で尋ねた。 


「俺が倒れた後、愛海さんは?」



 彼女の名を聞いた途端、陽菜の笑みが強張った。


 やはり、無理に明るく振る舞おうとしていたのだなと悟る。愛海のことをなるべく思い出させまいと、意識的にその話題を避けていたのかもしれない。


「……愛海ちゃんの遺体は、オーガストが持ち去ったよ」


 目を潤ませ、陽菜は声を震わせた。


「ごめん。私、あの人たちを止められなかった」



「自分を責めないでくれ。陽菜さんのせいじゃない」


 愛海を失った悲しみが甦り、能見も視界が涙でかすみかけた。


「悪いのは管理者と、あいつらに味方する被験者だ。彼らに目をつけられなければ、愛海さんが命を落とすこともなかったはずだ」



「失礼するよ」


 ドアが二度ノックされ、芳賀が部屋に入ってくる。能見を一瞥し、彼は曖昧に笑った。


「ああ、まだ生きてたか」


「見舞いに来たのなら、もうちょっとましな台詞があるだろ」


「すまない」


 陽菜の隣へ腰を下ろした芳賀は、暗い目をしていた。


「……愛海さんのことは、陽菜さんから聞いている。無念の一言に尽きるよ。彼女を守ると約束したのに、僕は果たせなかったんだから」



「勘違いしないでほしいけど、君たちを責めているわけじゃない。確かに愛海さんを外へ連れ出したのは君たちだし、それが一因で、愛海さんは人間でなくなった。けれど、遅かれ早かれ同じ結果になっていたと思う」


 苦虫を嚙み潰したような顔で、芳賀は続けた。


「それに、襲撃者から彼女を守り切れなかったのは僕も同じだ。誰が悪いというわけでもない」



「……愛海さんを助けられなかったのは、オーガストや他の被験者に襲われたせいだ。でもそれは、俺たちが弱く、あいつらに勝てなかったからでもある」


 能見が呟く。先ほどの陽菜へ向けた発言を、彼はやや訂正していた。


 目の前で愛海が怪人に変わり、殺されたショックを拭い去ることは難しかった。敵がオーガストだけならまだ対処できただろうが、菅井たちが管理者へ味方し、襲ってきたのは予想外であった。


「俺たちは、もっと強くならなくちゃいけないんだ。管理者を倒せるくらい、強く」



 その夜、能見はふと目が覚めた。布団の中に、何か温かく、柔らかいものがあると感じたからだ。


(何だ?)


 寝ぼけまなこで掛け布団をめくり、彼は数秒間絶句した。


 いつの間に入り込んだのだろうか。能見の布団の中には陽菜が潜り込み、胸に顔をうずめるようにして密着していたのである。寝間着越しに体温が伝わってきて、能見はどぎまぎした。


 目を閉じてじっとしている彼女は、熟睡中のようにも見えた。しかし、まさか寝返りを打ったらこんな体勢になったわけではあるまい。意図的に能見へ近づいた、と考えるのが自然だった。



(……夜這いをかけてきたのか⁉ いや、陽菜さんに限ってそれはないと信じたい)


 自ら「処女です」と明かしていたように、陽菜はどちらかといえば奥手な方で、男性経験にも乏しいに違いなかった。こんなやり方でいきなり距離を縮めようとしてくるのは、彼女らしくない。


 では、なぜ能見へ抱きついているのか。今まで、こういうことをされたことはなかった。



「ごめんね。もうちょっとだけ、近くにいさせてほしいの」


 聞こえるか聞こえないかくらいの、ごく小さな声量で、陽菜は囁いた。目は閉じたまま、姿勢も変えずに言う。


「一人で眠るのが、今日は怖くて」


 自分のシャツの胸元が僅かに湿るのを、能見は感じていた。彼女は静かに泣いているのだ。



「こんな現実、受け止められるわけない。……愛海ちゃんを返してよ。私の友達を返してよ」


「陽菜さん、落ち着いてくれ」


「能見くんは悲しくないの?」


 なだめるように言った能見を、彼女は上目遣いに見た。泣き腫らした目が痛々しかった。



「悲しいのは皆同じだ。陽菜さんも俺も芳賀も、皆苦しんでるんだ」


 もらい泣きをすまいと、能見は表情筋へ力を入れた。泣いちゃダメだ、と思った。自分まで泣いてしまったら、誰が愛海の無念を晴らすために戦うのだ。


「でも、泣いていたって何も変わらない。愛海さんだって、きっとそんなことは望んでいない。だから俺は、前に進むって決めたんだ」



 愛海を殺されたとき、能見も涙を流した。だが、いつまでも悲しみにとらわれていては、天国にいる彼女も悲しむだろう。


 最初にこの人工都市へ来たときも、能見は管理者へ怒りを感じた。千人の被験者にデスゲームを行わせようとする彼らを、何としてでも止めると決意した。けれども今は、管理者と戦う理由がもう一つある。


 罪のない人々を怪人に変え、殺すこともいとわない管理者。もうこれ以上、他の被験者を一人として犠牲にさせたくなかった。



「……強いんだね、能見くんは」


 はにかんだように笑い、陽菜は涙を拭った。


「私も、前に進みたい」


「陽菜さんならきっとできるさ」


 励ましの言葉を囁き、能見は彼女の頭を軽く撫でてやった。それで少し安心したのか、間もなく陽菜はすやすやと寝息を立て始めた。



 悲しみは薄れはしない。けれど、共に戦う仲間の存在が、巨大な敵に立ち向かう勇気をくれる。


 ほのかな温もりに包まれて、やがて能見も眠りに落ちた。


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