047 異形の姿、人間の心
無慈悲なほど迅速に、彼らは作戦行動へ移った。
拾い上げたスナイパーライフルを怪人へ向け、和子が発砲する。狂いなく放たれた弾丸は、ぶよぶよとした皮膚を容易く穿った。
「グルッ」
胸部から血が噴き出すと同時に、硬直状態が解けた。よろめいた愛海へ、今度は武智が接近する。
「さっさとくたばれや、この化け物が!」
真空の刃を帯びたナイフで、立て続けに斬りつける。その度に彼女はくぐもった悲鳴を上げ、めちゃくちゃに両腕を振り回すのだった。
既に相当傷を負っているはずなのに、愛海は一歩も退こうとしなかった。
「……逃げろ、愛海さん。逃げるんだ!」
腹部を斬られた痛みで動けず、能見は伏したままである。それでも彼は、声の限りに叫んだ。嫌な汗が、首を伝って何滴も流れた。
「奴らの狙いは愛海さんだ。俺たちには構わず、逃げてくれ」
「そうだよ。早く逃げて、愛海ちゃん!」
肩の傷を手で押さえながら、陽菜もまた、必死に叫んでいた。彼女の目が潤み、大粒の涙が頬を伝う。
「お願いだから、もうやめて。……死んじゃうよ。このままじゃ、愛海ちゃんが死んじゃうよっ」
そのとき、二人には見えた。
武智の猛攻を喰らいつつも、一瞬、怪人の目がこちらを向いた。彼女の目は優しく、そして悲しそうに細められていた。
全身を切り裂かれ、愛海の命は今にも消えようとしている。それでも、彼女は笑ってみせたのだ。大切な友達を、能見と陽菜を心配させまいとするように。
(私のことはいいですから。二人とも、早く逃げて下さい)
愛海の心の声が、能見には聞こえた気がした。きっと、陽菜にも届いていたことだろう。
(この体を見て下さい。私はもう、普通の人間ではありません。能見くんにも、陽菜ちゃんにも、トリプルセブン様にも……私は、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。ここで消えるのが定めなんです。きっとそうです)
蟻に似た形の頭部に、刹那、彼女の気弱そうな顔が重なって見えた。
(さようなら、皆さん)
心の声はそこで途切れた。
ずぶり、とナイフを腹に突き刺され、愛海は激しく体を痙攣させた。武智の攻撃が、どうやら決定打を与えたらしかった。
「……馬鹿野郎っ。そんなわけないだろ」
気づけば、能見も泣いていた。震える手を、必死に伸ばそうとする。
届くはずもなかった。愛海との距離は数メートルも空いているのだ。けれど、諦めたくなかった。
「愛海さんは人間だ。たとえ見た目が変わっても、俺たちの仲間であることに変わりはない。だから、こんなところで諦めちゃダメだ」
「えらい、しぶとい奴やな。とうに致命傷を与えたはずなのに、気力だけで動きよるわい」
武智が顔をしかめ、菅井へ視線を投げかけた。あとは任せる、ということらしい。
無言で頷き、四人組のリーダー格は怪人へ歩み寄った。その手には拳銃が握られている。
「……やめろ。頼む、やめてくれっ」
「やだっ。お願い、愛海ちゃんを殺さないで」
絶望の最中で、能見と陽菜は悲痛な叫びを漏らした。
執拗に痛めつけられた彼らには、もはや抵抗する力は残っていない。二人にできるのは、ただ祈ることだけだった。
「それはできない」
彼らの懇願を黙殺し、菅井は表情一つ変えなかった。愛海の眉間へ銃を突きつけ、一思いにトリガーを引く。
パン、という高い音が響き渡った。穿たれた穴から脳髄が流れ出て、怪人が力なく倒れる。その目からは既に、生命の輝きが失われていた。
「あ……」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、陽菜は唇を動かしていた。何か言葉を探し、紡ごうとしているのに声が出ない。想像を絶するほどの悲しみに、彼女は打ちのめされていた。
「そんな。愛海、ちゃん」
(……愛海さん、ごめん)
悲しいのは、能見も同じだった。男泣きに泣き、シャツの袖で乱暴に涙を拭う。
(俺が弱かったからだ。俺がもっと強ければ、君のことも守れたかもしれないのに。なのに、俺は)
色々な感情がごちゃ混ぜになって、自分でも整理し切れないほどだった。一つ目には、目の前で愛海を殺された悲しみと絶望。二つ目には、菅井たちに太刀打ちできなかった、自分の弱さを呪う気持ち。そして三つ目は、彼女を手にかけた菅井らへの、爆発的な怒りだった。
「どうしてだ。どうして彼女を殺したんだっ」
地を這った格好で、拳銃を握ったままの菅井を睨む。銃口からうっすらと立ち昇る煙が、命が奪われたというリアルを生々しく伝えていた。
「どうして、だって? 一体、何を悲しむことがある?」
虫けらを見るような眼差しで、ホスト風の男がこちらを見下ろしてくる。
「彼女は既に人ではなかった。むしろ人を傷つける異形の存在で、放っておけばこのバトルファイトの障害となる。排除されて当然の存在だったんだよ」
「……違う。愛海さんにはまだ、人の心が残っていた。俺と陽菜さんを庇おうとして、彼女はわざとお前たちに攻撃されたんだ」
無意識のうちに、能見は唇を噛んでいた。それほどまでに、彼は菅井たちのやったことへ憤りを感じていたのだ。
「お前たちが味方している管理者だって、異形の存在じゃないか。……分からないのか? 奴らが欲しているのは、彼女のように怪人へ変わった被験者だけだ。用済みとみなされれば、お前たちも切り捨てられかねないんだぞ。どうして、あんな奴らに味方するんだよ」
「――黙れ。お前に、俺たちの何が分かるって言うんだ」
それまで冷静だった菅井が、急に声を荒げた。が、すぐ我に返り、仲間たちの方を向く。
「武智と清水は、オーガストへ加勢しろ。望月は俺と一緒に来い。サンプルを運ぶぞ」
「了解や」
「はいはい」
「わ、分かりました!」
三者三様の応答があり、各自がそれぞれの持ち場へと散っていく。
「待て。まだ話は終わってない」
立ち去ろうとする彼らの背に、能見はなおも何か言おうとした。しかし、そこで限界が訪れた。
腹部の傷からの出血が一定量を超え、意識が遠のきかける。
「……能見くん? しっかりして、能見くん!」
陽菜の悲鳴が、どこかずっと離れた場所から聞こえた気がした。
いつも拙作「サウザンド・コロシアム」を読んで下さっている皆様、ありがとうございます。
今回はかなりショッキングな内容だったかもしれませんが、能見たちはいずれ必ず悲しみから脱し、愛海さんの無念を晴らすために立ち上がります。
これからも彼らの戦いを応援していただけると幸いです。




