表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
3.「管理者の影」編
54/216

042 第二の悲劇

「……君には失望したよ、能見」


 つかつかと歩み寄ったかと思うと、芳賀はいきなり能見の胸倉を掴んだ。怒りを隠そうともしていなかった。


「君たちなんかに、彼女の世話を任せたのが間違いだった。無茶をさせて体調を悪化させるなんて、最悪という言葉じゃ足りないくらいだよ」


「……すまない」


 対して、能見はうなだれ、謝罪の言葉を述べるばかりであった。


「俺が至らなかったせいだ。本当に申し訳ない」



 反論することもできたはずだ。以下のように述べることは簡単だった。


『何で俺だけを責めるんだよ。陽菜さんだって一緒に世話してただろ』


『そもそも、今回の散歩は俺が言い出したことじゃない』


『気持ちは分かるけど、まずは愛海さんの手当てが先じゃないのか』


 だが、言い訳めいたことはしたくなかった。それに、陽菜の提案を否決しなかった自分にも責任はあるのだ。



「二人とも、今は喧嘩してる場合じゃないでしょ。早く治療をしなきゃ」 


 責めるようにこちらを見ている陽菜に、二人は我に返らされた。


「……ああ、そうだね。それが正論だ。くそっ」


 掴んでいたシャツを離し、芳賀が忌々しげに地面を蹴りつける。残りの文句はあとでたっぷり言ってやる、と言わんばかりであった。


「とにかく、アパートへ引き返そう。話はそれからだ」



 芳賀との口論を一旦切り上げ、能見は陽菜たちに続こうとした。ところが、あろうことか、愛海本人がそれを拒んだのである。


 はあはあと息を荒げつつも、彼女はアパートの方へ足を向けようとしなかった。熱を帯びた目で陽菜を見つめ、懸命に訴える。


「違うんです。私が欲しいのは、日陰で休むことじゃありません」


「えっ?」


 きょとんとしている陽菜へ、愛海は懇願した。


「……お願いします。何か冷たいものを飲ませて下さい。喉が渇いて、体が熱くて死にそうなんです」



『さっきから、腹が減ってしょうがねえんです。どうも体が熱くって、冷たいものを取らねえと死にそうだ』


 奇しくもそれは、板倉が残した言葉に酷似していた。


 愛海の症状は、彼が人でなくなる直前に見せていたものと一致した。



 板倉が怪人化した現場に居合わせていたのは、芳賀だけだ。ゆえに、能見と陽菜はさほど訝しんでいなかった。


「それなら、倉庫にストックしてあるゼリーでも食べるか」


 能見の誘導で、三人が倉庫の中へ入っていく。その光景が、芳賀にはスローモーションのように見えた。



 同じだった。あのとき、多量のウィダーゼリーを摂取した板倉は、悶え苦しみながら化け物へと変わったのだ。


 どうして板倉が変貌してしまったのか、正確な理由はまだつかめていない。だが、あの悪夢を繰り返してはならないという強い思いが、芳賀を突き動かした。板倉と同じ行動を取らせれば、愛海の辿る運命は悲惨なものになりかねない。



「……やめろっ。彼女にゼリーを与えてはダメだ」


 芳賀は叫び、段ボール箱の山へ向かう愛海を止めようとした。肩に手を置き、強引に引き戻そうとする。


 彼が何をしようとしているのか、なぜウィダーゼリーを食べさせてはいけないのか、能見たちはまだピンと来ていなかった。それもそのはずで、彼らは芳賀の口から板倉の身に起こったことを聞いてはいても、当時の詳しい状況までは知らされていなかったのだ。


 わけが分からず、二人は呆気にとられて立ち尽くしていた。



「説明はあとでする。とにかく、今ゼリーを摂取させるのはまずいんだ」


 ちらりと能見たちへ振り返り、芳賀が早口で言う。


 それから愛海の肩を引き、無理やりこちらを向かせた。彼女はあくまでも抗い、歩みを止めようとしなかった。


「部屋に戻って、代わりに水を飲もう。愛海さんも、それでいいだろう?」


「……嫌です」


 しかし、返ってきたのは頑なな否定だった。



 トリプルセブンこと芳賀の命令には素直に従い、愛海は彼を尊敬していた。ややもすれば愛していたかもしれない。大人しくて従順な彼女が、初めて芳賀へ逆らった。


 これも板倉のときと同じだった。普段はリーダーへ媚びへつらっていた彼だが、怪人へ変わる前は反抗的な姿勢を示していた。ますます不吉な予感が強まった。



「私は今すぐに食べたいんです。アパートに戻るまで待つなんて、できません」


 言うが早いか、愛海は芳賀を突き飛ばした。


「うわっ」


 予想以上に強い力で押され、芳賀は仰向けに倒れてしまった。


 回避能力を発動する暇すら与えられなかった。というより、かわす必要性がある「攻撃」だと認識していなかった。


 華奢な女性の腕力などたかが知れている、と侮っていたのである。能力に目覚めていないはずの彼女に、男性を軽く突き飛ばせるほどの力があるとは思いもよらなかった。



 転倒した芳賀をよそに、愛海は段ボール箱へ走り寄った。力任せにガムテープを剥がし、中からウィダーゼリーを数個取り出す。愛おしそうにそれを見つめたかと思うと、貪るように吸い始めた。


 何かに取りつかれたように、無我夢中でゼリーを吸い続ける。次から次へとパックを空にし、新しいゼリーへ手を伸ばす。彼女の目はらんらんと輝き、血走っていた。


 ただならぬ事態に、能見たちもさすがに異様さを感じた。



「一体、どうしたんだよ。今日の愛海さん、何だかおかしいぞ」


 眉をひそめ、能見が彼女へ近寄ろうとした瞬間であった。目を見開き、愛海は手からゼリーのパックを取り落としていた。


「ああっ。痛いです。体が焼けるように痛いです」


 細い指先が、ぴくぴくと痙攣するように震える。


「……トリプルセブン様、助けて」


 それが、彼女が人として発した最後の言葉になった。



 全身の皮膚がどろどろになって溶け、その下から桃色の新しい皮膚が現れる。セミの幼虫を思わせるそれは、ぶよぶよとして気味が悪かった。


 頭部は蟻に似ていた。人よりもはるかに大きな目が、能見たちを見つめている。


 とうとう恐れていたことが起きてしまった。


 林愛海という、一人の女性の人格は消滅した。今ここに残っているのは、管理者に似た異形の怪人だけである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ