表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サウザンド・コロシアム  作者: 瀬川弘毅
3.「管理者の影」編
50/216

038 彼女は患者でおっちょこちょい

「お邪魔しまーす!」


「……陽菜さん、もう少し声を落としてくれ。相手は病人なんだから」


 その日の午後。


 芳賀に教えられた部屋のドアをノックし、陽菜は元気いっぱい、スマイル満開で挨拶をしていた。能見はといえば、彼女をやんわりたしなめる恰好である。



 鍵はかかっていなかった。ドアノブを回すと、能見たちと同じ間取りの部屋が現れた。そこに敷かれた布団で寝ているのは、若い女性であった。


 二人に気がついたのか、女性が目を覚ます。寝起きでぼんやりしている彼女へ、能見はさっそく自己紹介した。 



「俺、能見俊哉っていいます。あなたの世話をするようにと、芳賀から頼まれて来ました」


「私は花木陽菜です! よろしくお願いします」


 玄関で靴を脱ぎ、布団の側に座して一礼する。



「はうっ⁉ ……い、いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」


 芳賀からは何も聞かされていないのだろうか。林愛海は上半身を起こし、しどろもどろになりながら答えた。


 どうやら熱があるようで、朱が差した頬と乱れた髪が妙に艶めかしかった。



「突然倒れたって聞きましたけど、その後、体の具合は大丈夫なんですか」


「ええと、少し熱っぽい気はしますけど、それ以外は何ともないです」


 能見が尋ねると、愛海はややビクビクして言った。


「初対面だから警戒されているのか」とも思ったが、彼女の場合、単なるコミュ障という可能性が高そうだった。あるいは「超」がつくほどの奥手で、異性と話をするのに慣れていないのか。



「気を失ったことについて、何か心当たりとかあります?」


 今度は陽菜が問いかけた。同性が相手であるためか、愛海も少しは安心したらしかった。


「……あの、すごく恥ずかしい話なんですけど」


 ますます顔を赤らめて、コミュ障の少女は俯いた。



「私、今までにも何度かミスをしてしまったことがあって。それで、トリプルセブン様に失望されたんじゃないかって心配してたんです。でも、私が管理していた板倉さんの遺体が消えてしまったから、パニックになっちゃって。目の前が真っ白になりました」


「つまり、極度の緊張状態にあったってことですね」



 精神的なものなのだろう、と能見は結論づけようとした。だが、どこか違和感を覚えてもいた。


 ストレスで胃が痛くなった、微熱が出たという例はよくある。けれども、それが原因で気を失うということが、はたしてあるのだろうか。何か、他の要因が絡んでいるような気がしてならなかった。



「ところで、トリプルセブン様はどこに?」


 だんだんと意識が覚醒してきたらしく、愛海は心配そうに聞いた。


「私、やっぱり謝っておきたいんです。色々とご迷惑をおかけしてしまいましたし」


「すいません。あいつ、今は忙しいみたいで」


 彼女には申し訳なかったが、芳賀には芳賀の事情があるのだ。彼の代わりに、能見は手を合わせて謝った。



「そうですよね。私なんかにかまっている暇は、ないですよね……」


 悲しそうに呟き、愛海は黙りこくってしまった。重くなりかけた空気を払拭しようと、陽菜が慌ててフォローを入れる。


「あっ、でも、落ち込まないで下さい! 私たちをここに来させたのも、芳賀さんですし。愛海さんのことを忘れているわけでは、決してないと思います」



「そうそう。芳賀のやつ、倒れた愛海さんを最初に介抱してましたよ。むしろ、あなたのことを大切に思っているはずです」


 能見も調子を合わせ、つとめて明るく振る舞った。すると愛海の表情は一転し、ぱあっと輝き始めたのだった。


「まあ、『大切に想っている』だなんて……。ふふっ。うふふふふ」



(ん?)


 何か重大な誤解をされたような気もするが、能見はあえて突っ込まなかった。ときとして、夢を見続ける方が幸せなこともある。


 ともかく二人のフォローによって、愛海は少しずつ元気を取り戻しつつあった。



 熱以外の症状はないが、まだ体が少しだるいようだ。ウィダーゼリーの入った銀色のパックを、陽菜は部屋の隅にある段ボール箱から取ってやった。


「お腹空いてませんか? こんなものしかないですけど、よかったらどうぞ」


「あっ、ありがとうございます」


 何度も礼を言って、愛海がゼリーのパックに口をつける。儚げだった表情に、生気が戻ってきた。


「うーん、何でだか分かりませんけど、今日は特別おいしく感じました。ごちそうさまです」



 よほどお腹が空いていたのだろう。あっという間に二パックを空にし、彼女は満足そうな笑みを浮かべた。


 その様子を見て、能見はさらに「不可解だ」という印象を強めた。


 普通、風邪をひいているときは味覚が変になるものだ。いつもはおいしく感じるものがまずかったりして、十分に味わえない。ところが、愛海は逆である。



 どのパックも同じ味で、数日で飽きそうなウィダーゼリー。管理者が配布した退屈きわまりない食べ物を、彼女は「おいしい、おいしい」と言って貪るのだ。それがどうも不気味だった。


 もっとも、愛海の症状は心因性のものだと思われる。バリバリ文系、法学部一年の能見には、医学はよく分からない。例外もあるのかもしれなかった。


 漠然とした不安が杞憂であることを、能見は願った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ