037 プチ引っ越し
オーガストの出現により、新たな謎が次々に浮上している。
この街で目覚めた日にスピーカーから聞こえた声と、オーガストの声は違っていた。あのときの声はオーガストよりやや高い、どちらかというとテノール寄りの声であった。
これから導き出せる推測は一つ。すなわち、管理者はオーガストただ一人ではなく、複数人存在するということである。彼にさえ太刀打ちできなかったのに、あんな人外の存在が他にもいるのだと考えると怯みそうだ。
他にも気になることはある。オーガストがしきりに口にしていた、「ナンバーズ」という単語。あれは一体、どういう意味なのだろうか。
分からないことが山積みだが、管理者を倒すため、まずは目の前の困難を取り除いていくしかない。決意を新たに、能見は芳賀へ言った。
「とにかく、今俺たちにできることをやろう。お前の判断で、何でも指示してくれていいぜ」
「それは良かった。じゃあ、さっそくだけど一つ頼まれてくれないか」
「おう」
二つ返事で頷いた能見に、芳賀はにっこり笑いかけた。見ていると腹が立つタイプの笑顔だった。
「僕の部下の、医療従事者だった女性についてはさっき話したよね。彼女の世話を、君たち二人にお願いしたい」
さて、林愛海の看病をする前に、能見と陽菜にはちょっとしたイベントが待っていた。
グループの統制を取りやすくするために、芳賀の勧めで彼のいるアパートへ移り住んだのだ。荒谷と咲希についても、同様の措置が行われたようである。
特に断る理由もなかったので、能見は快諾した。それに、段ボール箱と布団があるだけの殺風景な部屋は、引っ越すのがとても簡単だったのだ。
幸い、空き部屋はいくつかあった。その気になれば、陽菜とは別室で寝起きすることもできる。
相談したところ、彼女は首を縦に振らなかった。
「私、能見くんと同じ部屋で寝たい!」
「意味深な言い方やめてくれよ……」
「別に変な意味じゃないもん」
新しい部屋の前で、陽菜がむむうと頬を膨らませる。
なぜそこまでこだわるのか、能見にはいまいち分からなかった。自分の隣の部屋で暮らすという選択肢もあるはずなのに、わざわざプライベートな空間を手放す理由は何なのか。
「これからは芳賀たちと同じアパートで生活するわけだし、交代で寝て、夜襲を警戒する必要はないぞ。一緒の部屋じゃないと危ないってこともない」
「そういうことじゃなくて、私はただ能見くんと一緒にいたいだけなの」
真剣な表情で見つめられて、不覚にもどきりとしてしまった。
「今までずっと一緒に戦ってきたし、楽しいこともつらいことも二人で経験してきた。だから、これからもそうしたいなって思って。ダメかな?」
「……分かったよ。好きにしてくれ」
反則だ。
そんな台詞を言われて、断れるわけがないだろう。
何だか気恥ずかしくて、まともに目を合わせることができなかった。視線を逸らしつつ、能見は彼女の提案を受け入れた。
「やったあ!」と無邪気に喜ぶ陽菜を急かし、能見は引っ越し作業を進めた。重い段ボール箱の山を運び込んでも、不思議と疲れた気がしなかった。
そういえば、彼女にはまだ、あのときの答えを告げていない。
『ねえ能見くん、正直に言って。私のこと、どう思ってるの?』
こう問われ、能見は「大切な仲間だ」と答えようとした。だが、オーガストが奇襲を仕掛けてきて会話は中断され、うやむやになったのだった。
今さら話を蒸し返すのも違う気がするし、何となく恥ずかしい。そのことではなく、能見は別の話題に触れることにした。
作業を終え、部屋の床に座り込む。陽菜と横並びに腰を下ろし、少し休憩していたときのことだ。
「……陽菜さん。俺、もっと強くなるよ」
「へっ?」
きょとんとして聞き返した彼女に構わず、能見は思いを打ち明けた。
「オーガストと戦ったとき、まるで歯が立たなかった。荒谷たちが助けに来てくれなかったら、俺たちは二人ともやられていたかもしれない。だから強くなって、陽菜さんのことも守れるようになりたいんだ」
「能見くん……」
陽菜の頬に、朱が差しているように見えたのは気のせいか。
「ありがとう。私も、強くなれるように頑張るね」
「おう。陽菜さんは、大切な仲間だからな」
途切れかけた会話のラストで、能見はあのときの答えをさりげなく伝えていた。
彼女にはちゃんと伝わっただろうか。答えはまだ、分からない。
芳賀はなぜ、愛海さんの世話を2人に頼んだのでしょうか。
その理由は、外伝③「アナザーヒーロー・トリプルセブン」で明かされます。
芳賀を主人公としたスピンオフ(短編)です。能見と陽菜が愛海さんの世話をしていた間、彼は何をしていたのか。その疑問に答えます。
こちらもよろしくお願いします。




