034 絶対防御
鋭く踏み込み、オーガストが右腕を振るう。長い爪が頬をかすめ、能見は後退した。
「くそっ」
半ばやけくそになって、左手から雷を放つ。案の定、紫電は漆黒の皮膚に当たってもほとんど効いていないようだった。
やはり、オーガストには電撃がまるで効かない。今まで以上の強敵を前に、能見は戦慄を覚えていた。
芳賀や荒谷、咲希と戦ったときは、回避や飛行といった能力を持つ相手に対し、上手く攻撃を当てることだけを考えれば良かった。単純な攻撃力だけで見れば、能見の力は頭一つ抜けている。命中さえすれば、少ない手数で仕留めることができた。
だが、この怪人は違う。命中させることはできても、それが決定打になりえない。陽菜のサポートで照準精度を上げたとしても、上手く対処できないだろう。
「無駄だと言っている」
呟き、オーガストは左腕を突き出した。避ける間もなく、鈍く光る爪が能見の腹へ吸い込まれようとする。
「……能見くん!」
そこで、陽菜が動いた。抜き放った拳銃のトリガーを引き、オーガストの顔面を狙う。
いくら体の皮膚を硬くできても、眼球、鼻孔、あるいは口の中など、粘膜に守られたところまでは守れないだろう、という読みがあったのかもしれない。
予知によるものだろうか、彼女の判断は適切だった。今度ばかりは怪人も防御したのだ。すなわち、右手をぱっと顔の前にかざし、庇った。
その拳が握り締められる。ぐしゃり、と何かが潰れるような音がした。
黒の怪人の手から零れ落ちたのは、粉々になった弾丸だった。陽菜が射出した銃弾を、彼は目にも止まらぬ速さで掴み取り、驚くべき筋力で破壊したのだ。
「嘘、そんな」
唖然として、陽菜がふらふらと後ずさる。
オーガストの注意を能見から逸らしたものの、彼女自身が新たなターゲットになろうとしていた。
「貴様の始末は後回しだ。まずは、この女から片付けるとしよう」
埃を払うように無造作に、オーガストが腕を振るう。裏拳で頬を殴られ、能見は一瞬、視界が歪むのを感じた。強い衝撃を受け、意識が飛びかける。
「がっ……」
膝から崩れ落ちた能見を満足げに見やり、怪人は陽菜へと向き直った。ナイフのように尖った爪を振り上げ、躍りかかる。
陽菜の表情が、恐怖にひきつる。必死に拳銃を連射するも、オーガストは素早く腕を振るい、弾丸を薙ぎ払って進んだ。
「……陽菜さん、逃げろ。俺のことには構うな。逃げてくれっ」
朦朧とする意識の中、能見は残された力を振り絞って叫んだ。
「やだっ。能見くんを置いて逃げるなんて、私にはできないよ」
銃を握る彼女の手は、ぷるぷると震えていた。殺されるかもしれないという怯えが、目を潤ませていた。それでも陽菜は、一歩も退かなかった。
彼女の心の強さが、かえって能見を苦しめた。己の弱さを呪うことになった。
(俺のせいだ。俺を助けようとして、陽菜さんは自分を犠牲にしようとしている)
前にも似たようなことがあった。芳賀の部下たちに陽菜が連れ去られようとし、能見は横たわったままそれを見ていた。
あのときは、能見の意志に応じたように力が覚醒した。紫の稲妻がほとばしり、どうにか陽菜を助けることに成功した。
けれども、今はなす術がなかった。持てる力の全てを出し尽くして戦っても、管理者の圧倒的な強さには敵わなかった。
絶望の最中、オーガストの繰り出した爪が、陽菜の眼前まで迫った。
続けざまに放たれた破壊光弾が、怪人の背中を叩き、火花を散らす。
不意を突かれ、オーガストは驚いたようだった。飛び退いて陽菜から離れ、注意深く辺りを見回す。さほどダメージを受けた様子がないのは、能見と戦っていたときと同じだ。
間もなく二人の乱入者に気づいたが、彼が一瞥したのは彼らの顔ではなく、首に刻まれたナンバーだった。
「……トリプルスリーに、トリプルツーもお出ましか。面白い。今日は『ナンバーズ』が豊作のようだ」
すうっと空中を滑るように飛び、荒谷と咲希は能見たちの元へ降り立った。
「おい、大丈夫か」
「……お前ら、どうして」
荒谷に助け起こされながら、能見は言った。軽い脳震盪でも起こしたのか、ぐったりした様子である。
「あれだけ派手に雷を飛ばしたら、さすがに気づくわよ。何かあったんだって思って、急いで飛んできたの」
彼女たちの場合、文字通り「飛んで」きたのだろう。陽菜を守るように立ち、咲希は肩をすくめた。
それから怪人へと向き直り、怪訝そうな顔をする。
「……で、あいつは一体何なのよ」
「俺たちが探していた、管理者ってやつだ」
思ってたのとだいぶ違ったけどな、と能見が軽いジョークを飛ばす。荒谷に代わり、今度は陽菜が彼を支えていた。
「へえ、なるほどな。全然分からない」
三葉虫を思わせる皮膚を持つ敵を、荒谷はまじまじと見つめた。そして再び地面を蹴り、浮かび上がった。咲希も彼に続く。
「とにかく、ぶっ倒して情報を聞き出すとするか。行くぞ、咲希」
「ええ、匠」
息の合った動きで急上昇し、空から紅の光弾を次々と放つ。雨あられと降り注ぐそれを、オーガストは表情一つ変えずに眺めていた。
「……小賢しい。あまり我らの手を煩わせるな」




