032 想いを知りたい
あれから三十分ほどが経った。
正確には、「三十分くらい経ったかな」と思った。この街には時計の類が一つとしてなく、被験者たちは日の高さによって大体の時刻を推し量る。
「遅いな、芳賀のやつ」
能見は荒谷たちと談笑していたが、ふと呟いた。
「俺、ちょっと様子を見てくるよ」
何かあったのかもしれない。おもむろに腰を上げ、彼は玄関へ向かった。
「あっ、じゃあ私も行く!」
その後を追い、陽菜もぴょこんと立ち上がった。
二人が続けて退出しようとしたので、荒谷と咲希も顔を見合わせた。自分たちも行くべきかどうか、判断しかねている様子である。
「……いや、お前たちは残っていてくれ」
彼らの心を読んだかのように、能見は靴を履き終え、振り向いて言った。
「もしかしたら入れ違いになるかもしれない。そのとき、部屋に誰もいなかったら困るだろ」
「まあ、それもそうだな」
納得し、荒谷が頷く。
「なるべく早く戻れよ。ミイラ取りがミイラになったら敵わないから」
「分かってるって」
不敵に笑い、能見がドアを開ける。行くぞ、と陽菜に一声かけ、部屋を出て行った。
彼らの後ろ姿を見送りながら、咲希がぽつりと独り言ちる。
「やっぱりあの二人、仲良いわよね」
「……だとしても、俺たちほどじゃないさ」
図らずも、部屋には若いカップルだけが残された。ドアが閉まるやいなや、荒谷は彼女の肩へ手を回し、キザな台詞を囁く。
不意打ちのスキンシップに、咲希の心拍数は急上昇していた。顔を赤らめ、上目遣いに荒谷を見つめる。
「……や、やだ、匠ったら。野性的な一面もあるなんて、ますます好きになっちゃいそう」
「たまには、攻守逆転もいいだろ?」
微笑を浮かべ、恋人たちは普段より控えめにいちゃつき合った。ムードは良い感じに高まっていたものの、「いつ芳賀や能見が戻ってくるか分からない」というスリルが、自制心を保ってくれる。
結論から言うと、彼らが待っている間に芳賀が帰ることはなかったのだが。
「確か、倉庫のある辺りに行くとか言ってたよな」
「うん」
「行ってみるか」
この周辺は、トリプルセブン率いるグループの支配下にある。したがって、外を出歩いても暴漢に襲われる心配はほぼない。近くに住んでいるのは、芳賀の手下ばかりだ。
能見と陽菜はアパートを出て、芳賀たちが食料貯蔵庫として使っている倉庫を目指した。辺りに人気はなく、高い日差しがじりじりと肌を焼く。
遠くには、海上都市を取り囲む壁が見えた。ほのかに潮の香りもする。この街の真実を知る前であれば、「静かな海辺みたいだ」と、好意的に解釈することもできたかもしれない。
そんなことを考えていると、陽菜が急に声を掛けてきた。
「ねえ、能見くん。さっきはごめんね」
「さっき?」
「ほら、咲希ちゃんたちに誤解されちゃったから」
「……ああ、あのことか」
咲希と戦ったとき、陽菜の予知能力のサポートを受けるため、能見は彼女と手を繋ぐようなかたちで雷を放った。ほとんど体を密着させる体勢が、咲希にあらぬ疑いを持たせてしまったらしい。
『……あの、能見くんと私は、付き合ってるわけじゃないです。ここに来たときに同じ部屋で目が覚めて、一緒に暮らしてるだけですから!』
もっとも、陽菜が余計なことを言ったせいで、新たな誤解を招いたようにも感じる。なお、当の本人は無自覚らしかった。
咲希や荒谷の気持ちも分からなくはない。一緒に寝起きし、同じ部屋で生活していて、肉体関係も何もないなんて信じられないのかもしれない。実際、初めて陽菜と出会ったとき、能見自身も「俺はこの人を抱いたのだろうか」と疑いかけた。
けれども、そういった関係には発展していないのが事実だ。夜になれば交代で眠り、起きている方は敵襲に備えて見張りをするようにしている。だから、相方の寝顔を見ることこそあれ、そもそも一緒に寝るという習慣がない。
かといって、ドライな関係であるというわけでもない。
本人が口走ったところによれば、陽菜には男性経験がないようだ。恋愛においても奥手で、あるいはそういうことにあまり興味がないのかもしれない。つまりラブコメ展開に陥る確率は低いのだが、二人の間にはしっかりと信頼関係が築かれていた。
ときには相手を助け、あるときは相手に助けられる。またあるときは、二人で力を合わせて強敵を撃破する。お互いを支え合って、能見は陽菜とともに戦い抜いてきたのだ。
自分にとって、彼女は大切な仲間だった。
「全然気にしてねえよ。言いたいやつには、言わせておけばいいんだ」
能見は首を振り、明るく言った。
「それに、陽菜さんには感謝してるしな。あのとき陽菜さんのサポートがなかったら、綾辻を倒すのは無理だった」
「えー、そんなあ。私は別に、大したことしてないよ」
ふふっ、とおかしそうに笑う陽菜。その横顔を見ながら、能見は複雑な心境だった。
確かに彼女のサポートはありがたかった。だが、いつまでも照準を陽菜に任せていてはいけない。荒谷を無力化したときのように、これからは自分一人でも戦えるようにしなければ。
「私も、能見くんには感謝してるよ。今まで何度も助けてもらったし」
「それはお互い様だろ」
何でもなさそうに返したが、能見は若干照れているのを自覚した。彼女の笑顔は、満開の桜の花のように綺麗だった。
芳賀をリーダーとするグループの中で、能見は主戦力になっているといっても過言ではない。トリプルスリー攻略の際、芳賀が選抜メンバーに選んだのがその証左だ。荒谷、咲希と交戦したときに決定打になったのも、能見の放った稲妻だった。
回避は得意だが、攻撃力に欠ける芳賀。敵の攻撃の軌道を読めるものの、それ以外の戦闘能力は平均的な陽菜。彼らのアシストを受け、アタッカーの役目を担えるのは自分だろう。
多分、これからも能見は、皆を守って戦い続けるのだ。紫電を操る、得体の知れない力を使って。
「……なんか能見くん、言いたいことがあるのに黙ってるような感じがする」
通り一遍な返しが不満だったのか、陽菜は僅かに頬を膨らませた。足を止め、真剣な表情でこちらを見上げてくる。
「ねえ能見くん、正直に言って。私のこと、どう思ってるの?」




